表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/20

4話:戦士Lv25の物語

 黒い薄手のインナーに袖を通し、肩にかかる黒髪を後頭部に纏めて縛る。魔物の革と植物性繊維、それに多少の板金を重ねた特注の防具をベルトで各所に留めてマントを羽織る。最後にこれも特注の、左右で形状の異なる手袋に指を通し、取り敢えず完了。鏡で全身を確認し、装備としても身嗜みとしても問題無い事を確認してから、女戦士ライラは装具室を出た。


「今朝も早いね。もう出るの?」と、夫の声。

「うん。でも今日の番は昼までで交代するから、多分私の方が早く帰ると思う」

「帰ったらゆっくりするといいよ。今日は僕も夕方で上がりだから、そのあと中央通りにでも出て、夕食は外で食べよう」

「いいの? 代理とは言え市教会の僧正様がそんな贅沢してて」

 ライラは悪戯っぽく笑いながら夫の顔を覗き込む。

「復興中の街でお金を回すのが悪徳だなんて教えは、確かなかったはずだよ。……うん、多分」

 ソルは少し困ったように笑ってから、妻の頭を引き寄せて頬に唇を寄せた。


「気を付けて」

「あなたもね」


 それだけ言葉を交わすと、ライラは軽く微笑みながら家を後にした。


 ここシグラ市が魔物の大規模な襲撃を受けてから数ヵ月。街全体の機能はほぼ回復したが、住民の生活は多忙と混乱がまだ続いていた。事件以来減ったまま増えていない人口のせいで、何をするにも人手が足りないのだ。ソルはあれから冒険には出ず、教会で様々な仕事をほぼ無休で手伝い続けている。ライラも連日の警備で、そのしなやかに鍛え上げた若い身体にも、流石に疲労が蓄積しつつあった。


 秋の色が増す風に黒髪をなびかせながら、ライラは持ち場にて自分用の、ほとんど振るった事の無い槍を右手に握っていた。彼女は槍は使わない。警備の際には形式的に握るだけだ。……その槍が不意に動いた。


「その荷馬車。止まれ」


 事務的な、しかし圧を強めた声をライラが上げる。呼び止められた荷馬車の御者は、不機嫌そうに首から下げている木製の通行証をライラへと向けて見せた。


「もう行っていいですかい?」

「ふざけるな、何だこの証は。期限が一年も前に切れている。降りろ」

 ライラが槍を御者の前にかざすと、彼女の部下が二人、荷馬車の元へと寄って来た。御者は観念したように肩を竦めて地面に降りようとしたが、その動作と微妙にタイミングを外して揺れた荷車の挙動を、ライラは見逃さなかった。


「裏だ! 私が追う!」

 部下にそれだけ告げてライラは走り出す。ライラ達から見て荷車の裏手の死角より飛び降りた人影は二つ。街の雑踏に紛れ込むにはまだ距離があった。ライラは右手の槍を投げつける。空を裂いて飛んだ槍は曲者二人の走る先にあった土壁に深く突き刺さり、彼等の足を一瞬止めさせた。


「逃げても無駄だ。止まれ!」

 只の密入領者であれば、ここまでで大半は観念する。だが彼等はまだ抗う意思を捨てなかった。腰の剣を抜いたのである。それを見たライラは顔を軽くしかめ、自分も剣を抜く。曲者は二手に分かれる策のようだ。一人はライラに対峙しつつ街の東側へと後退。もう一人は剣を持ったまま西側へと走り出していた。ライラは手振りで他の兵士に後者を追うように指示し、自分は前者を相手にすべく駆けた。


(「面倒だなぁ」)

 とライラは内心で嘆息した。曲者はライラに剣を向け威嚇しようとするが、その所作だけで程度が知れた。剣を合わせる必要もない力量差だ。曲者の目の前から女戦士は一瞬で消えた、ように見えた。


「剣を捨てろ。三秒待つ」

 背後から刺すような声。首筋に光る刃。

「……分かった。降参する」

 曲者は潔く剣を捨て、両手を頭の上に乗せた。

「縛り上げておいて」

 ライラは部下にそう告げ、もう一人の曲者を追った。


 ***


 もう一人の男は路地で足を止めていた。彼の目の前には、黒い地味な僧服を纏った、小柄な若い僧正が立っていた。

「どけ!」

「ええと……ごめんなさい。悪いけど、剣での指図は受けられないので」

 ソルは丸腰だったが、その言葉程には臆せず、曲者の前に立ち塞がっている。

 脅しが効きそうで効かないとみた相手は剣を振り上げた。ソルは両手をその太刀筋に重ねるように掲げる。


 振り下ろされた剣が、鈍い音を立てて折れた。折れた剣先は地面に突き刺さる。

「……結界かよ?」

「そうです。もう既に何ヵ所かに張ってあるので、観念してもらえますか?」

 ソルは困ったような顔でそれだけ言うと、男の背後から追い付いて来たライラに手を軽く振るのだった。



 ***



 数日後、ライラはソルの御する馬車に乗っていた。目の前には、先に捕らえた三人の曲者が、枷と縄とで繋がれている。

「なあ……あんた前にどっかで会ったことないか?」

 ライラはそう問われたが答えない。尋問の為であれば話に乗ってやっても良いが、今の任務はそれではないと言うことか。無言で男達を見据え、挑発や誘いには一切応じなかった。


 ライラの属するシグラの兵達は、中央都市カーマヤの保安兵団から、捕らえた者達を移して来るよう指示を受けていた。実際、シグラでは彼等の素性に関する情報は得られず、しかも復興中であるため牢もさほど空きが無い。シグラ市としては有り難い指示ではあったが、ライラ達にとってはやや難題であった。前述の通り人手不足なのだ。仕方なく、囚人輸送はライラが担当することになった。当然一人で行うべき仕事ではないが、カーマヤとの中間地点であるマシャの村にてカーマヤ側の兵士に引き渡せば良いとの事であり、それならばとサポート役にソルが選出され、夫婦仲良く任務に着かされたという次第だった。


 ソルの駆る馬車は速い。脚力補助の魔法と回復魔法の併用で、通常半日強かかるマシャまでの道程が数時間で済むはずだった。


「……ライラ、魔物だ」

 ソルの声が強いて冷静にそう告げた。

「規模は?」

「今、丘の頂上手前だから判り辛いけど、見える範囲に魔犬とリザードマンが三体ずつ程度。引き返すか、突っ切るか、戦うか。どうしようか?」

「破邪魔法は掛けてあるんでしょ? 突っ切って」

「了解……いや、駄目だ!」

「何?」

 ライラは窓から身を乗り出して、馬車の先を見た。多数の荷車がロープで立ち木に括り付けられ、道を塞いでいた。明らかにこちらの馬車を通さないための細工だ。ソルは馬を止め、ライラは馬車を降りた。ソルも降りると、ライラから槍を受けとる。


「トカゲ頭はあんな細工はしないわよね。ゴブリンの仕業?」

「厄介だね。馬車は僕が守るから、ライラはあの荷車を繋いでるロープを斬って。そしたら馬車で、一気に突っ切ろう」

「分かった」


 懸命な判断だった。ソルの破邪魔法は、魔物達の馬車へ侵入や直接攻撃をほぼ防ぐだろうし、ライラの剣は半端な魔物など敵ではなかったからだ。好手と言えた。相手が魔物の群れであったならば。


「え……!?」

 ソルは自分の魔法の失敗を疑ったが、その必要は無かった。魔犬と戦っていた彼の背後から、二体のリザードマンが馬車に侵入し、囚人達を切り殺してから出て来た。それは事実ではあるが、彼の責任でも失敗でもない。ただ、相手の人間がより狡猾だったというだけだ。リザードマンの皮を被った人間達の集団がだ。


(「盗賊だったのか?! まずい、囲まれてる……」)

 ソルは周囲を見回した。ライラも異変に気づいたのか、ロープを断ち終わると直ぐに引き返してきた。ソルは焦った。ライラなら相手が人間だろうと蹴散らして逃げることも可能だ。しかし僧侶である自分は、人間が相手では十分に戦えない。


「ライラ! 君だけでも逃げ……」

 ソルの言葉は唐突に断たれた。空を切り裂くような剣の閃きによって。

 鮮血が散るとほぼ同時に僧侶の身体は蹴り飛ばされ、地に伏す。泥に顔を半ば埋めながらようやく一呼吸したとき、彼は肩口から背中にかけて、背後から斬り付けられた事実を理解したのだった。


 斬りつけたのはライラ。自らの妻の剣である。


「聴け! 我はバト=アイド連合領の盗賊、『紅鷲』アルヴォードの娘、ライラ! この僧は我の獲物である。貴様達はこの地の賊か?! 仁義を知る者共か?!」


 肩口から斬られ、右腕は動かせない。その上で何とか動かせるはずの左手を踏みつけられて、回復魔法の発動を封じられながら、ソルはそんな言葉を確かに聴いた。出血のショックだろうか、呼吸が妨げられているせいだろうか、意識が遠退いていく。そんな彼等の周囲を、武装した数十の人間が取り囲む。ライラはまた何かを叫んでいたが、ソルにはもう聞き取れなかった。


 ***


 ソルが意識を取り戻した時、周囲には誰もいなかった。目の前には錆びた鉄格子。冷たい石の床に粗末な敷物と毛布。狭い部屋の奥には蓋付きの簡素な便器もある。どう考えても牢屋だ。ソルは次に、自分の身体の状態を調べた。背中の傷は痛むが、血は止まっていた。恐らく最低限の回復魔法を誰かがかけてくれたのだろうが、乱雑な処置だった。このままでも自然治癒するだろうが、傷跡は残りそうだ。何故なら、ソルの正しく修めた回復魔法であっても、『治ってしまった傷』はそれ以上治せないからだ。

 今ならまだ自分の回復魔法で完治させれば問題ない。が、それは無理だ。ソルの両手には魔力封じの枷が嵌められていた。ご丁寧に鋼鉄製であり、素手での解錠はまず不可能。無論、武器や各種道具といった装備品は根こそぎ奪われていた。


(「ライラは無事だろうか?」)

 ソルは、自分を背後から斬りつけた女戦士の身を案じた。自分の状況はかなり絶望的だが、まだ生きている。彼自身にとっては、取り敢えずそれで十分だった。しかし、彼女がまだ無事かどうかは知る術がない。あの行為の真の意図もだ。ソルは無垢な男だった。分からない事を無理に解釈して自分の信念を曲げる様な事は滅多にしない。


 ともあれ、今の自分に出来る事を探そうと、ソルは牢屋の内外を可能な限り細かく視て回り、周囲の物音に注意深く耳を澄まし、手に入る限りの情報を集めようとした。

 その最中、突然それは響いて来た。鉄格子の向こうから、二人分の足音が。牢の奥へと下がり、音の方に顔を向けるソル。その眼が足音の主達を視認したと同時に、耳は聞き慣れた声を捉えていた。


「……貴方でしたか。ソル」


 良く通る声だった。発声の仕方が、やはり一般人とは違うのだろうか。

 吟遊詩人ロギは牢の前に立つと、まるで晴れた昼下がりの街中で顔を会わせたかのような、ごく普通の微笑を浮かべて見せた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ