1話:仕事をどう選び、障害にどう対応するか
その小柄な、童顔の僧侶は酒場に入ると真っ直ぐに、飲み食いのカウンターとは別にある登録照会のカウンターへと向かった。依頼や紹介の有無を確認すると、受付係にチップを渡して一礼してから酒場をまた真っ直ぐに出て行く。酒好きの聖職者も珍しくは無いこの界隈では、それなりに評判の真面目な男だった。名前はソル。冒険者Lvも年齢も、今年で23になったばかり。ここの酒場に登録している冒険者の平均Lvは18前後なので、彼はそこそこ優秀な方ではあった。
「仕事あった?」
「まあね」
ソルは家に帰ると妻に数枚の依頼書を見せた(この世界の僧侶は結婚や武器の所有も認められている)。
「首都城下町の教会で非常勤。隣村のグール討伐。隣国までの隊商警護か。…どれもいいじゃん」
肩にかかる黒髪を指で弄びながら、年若い妻はさっと依頼書に目を通してそう言った。
「うん。ありがたいよね。で、どれを選んだらいいと思う?」
「私なら隊商かな。一番儲けが良さそう。でも、ソルはグール討伐がいいんでしょ?」
「うん。良く分かったね」
「短期で確実に戦闘実績稼げるのが好きって、前から言ってたじゃん。いくら短い付き合いでも、それ位は分かりますよーだ」
妻のライラは戦士である。昨年の夏、街が魔物の襲撃を受けた際に共闘したのがきっかけで交際を始め、その年の暮れに入籍したばかりだった。
結婚後、ライラは冒険者登録を抹消し、街の警備兵となっていた。日中の決まった時間、見張り台や門に立ち、必要となれば剣も振るうが、未知の場所で何が襲い掛かってくるか分からない冒険の旅に比べれば危険度は低い仕事だ。元々彼女は、街で家庭を持つのが夢だったのである。
「でも実際、一番堅実なのは教会非常勤だよね。働きが認められたら正式採用もあるかもだし、君さえ良かったら、一緒に首都城下へ引っ越さない?」依頼書を指さして、ソルはそう言った。
「……アンタはそれでいいの?」
「いいよ勿論」
「本当に?」
「うん」
「嘘でしょ」
「……どうかな」
ライラは知っていた。ソルは敬虔な聖職者として僧侶になった訳ではなく、冒険者として成功したくてこの道に入っていたのだと。回復や補助の魔法を唱え、不死者を祓い、時には武器を振るう。彼の元々器用貧乏な気質と、この職業は良く合っていた。
「目標だったLv25まであとちょっとでしょ? 教会じゃ戦闘実績は稼げないのは分かりきってるじゃん」
「でも一緒に居られるよ」
「アンタの夢と私の夢は別だよ。……嬉しいけど」
「今の僕の夢は、君と幸せになることだよ」
ソルは真顔で言う。ライラは堪えられず、まだ仄かに幼さの残る頬を赤らめて笑った。彼が本気でこんな馬鹿真面目な綺麗事を言うのはこれが初めての事ではなかったが、荒くれ者達の中で育ったライラは何度聴いても慣れないようだ。悪いとは思いながらも、可笑しくて可笑しくて、笑ってしまうのだった。ひとしきり笑うと、ライラは
「……分かった。じゃあアンタの思うようにしなよ」と言って、夫の肩に手を置いた。
***
「残念。教会の件もグール討伐も、定員が埋まったんだって」翌日、ソルは苦笑しながらそう言った。
「ま、連絡が行き違いになって、無駄足踏むよりはマシでしょ。……じゃ、荷造りだね」
以上の経緯で、Lv23の僧侶は往復約一ヶ月の隊商に警護要員として参加することになったのであった。
***
「死んで帰ってきたら承知しないからね」ライラにそう言われて旅立ってから半日後、隊商の集合場所にソルは予定通り到着していた。
昼の長さが日に日に長くなる季節。凍え死ぬ心配はないが、日中の暑さはやや堪えるときもある。そして突然の大雨には充分な注意が必要となるだろう。ただ、そういった心配は隊商の他の隊員の役目だ。雇われ回復要員であるソルは、単独で数日行動できる程度の装備のみ自腹で用意し、後は隊の装備に頼ることになっていた。
この隊商への参加は初めてだったが、隊長以下、メンバーの練度や士気は高そうだ。ただ気になるのは、駄馬の引く荷車の数に対する警護人員の数がやや多いように感じられる程度か。
「他に質問は?……無いな。では早速出発しよう」
出発拠点となる村の倉庫小屋で経路やメンバー、積荷等の説明や確認が終わると、隊長の号令によって隊は出発した。まだ日は十分に高い。今日は日が暮れるまでに、二つ先の村を目指す予定らしい。
「この隊へは初めてですか?」
髪の長い、若い魔導師の男が声をかけて来た。事前の自己紹介では、確かロギと名乗っていたはずだとソルは思い出しながら
「ええまあ。あなたは?」と応えた。
「確か4回目です。隊長のテーベ君とも馴染みなので、なにか困った事とかあったら言ってください」
そう行って差し出された手をソルは軽く握って「よろしく」と微笑んだ。年齢も近そうだし、同じ魔法要員なのだから仲良くしておくべきだと考えたのだろう。普段無口なソルにしては、努めて打ち解けた感じで会話を始めていた。
「最近、ここらの魔物の動向はどうですか?」ソルが問う。
「活発になってきています。反対に、盗賊はなりを潜めていますね。だから戦士より魔法の要員を今回は充実させてるようですよ」
つばの長い三角帽子に手を当てて、遠くを見つめながらロギは答えた。
「ほら、噂をすれば……です」
ロギは軽く眉根を寄せて、杖を構えた。隊の前列が立ち止まる。左右に広がる森の、木々と木々の合間から、魔犬族の唸り声が響いて来ていた。
***
「…凄いですね」ソルは心から感心してそう言った。
「魔犬の群れの規模がですか?」
「いや、君の魔法が」
ソルが指差した先の地面には、先刻ロギが放った中級爆発呪文により抉られた穴が黒煙を燻らせていた。その轟音に機先を制された魔犬共は、そのまま見る間もなく他の隊員達の剣で追い散らされたのだった。
「爆発の規模もそうだけど、この距離であの正確さ。十分、驚嘆に値しますよ」
「お誉めに預かり恐縮です」ロギは照れた風でもなくそう言うと、帽子を直した。
***
出発した直後にこの様である。その後も数日間、ほぼ毎日彼等は魔物の群れに遭遇した。ある時は戦い、ある時はやり過ごし、ある時はソルの張った破邪結界に隠れながら、ジリジリと進んだ。
ロギとソルとは気が合った。色々と話をする内、互いの冒険者レベルが近いことや、ソルが妻帯者であること、ロギが気楽な独り身で、本業は吟遊詩人であるということ、等といった情報が交換されていた。
「じゃあ路銀を稼ぎつつ旅をする為に、参加してるんだね」
「まあそうです。楽しいですよ。色々とインスピレーションも沸きますし」
ロギはそう言って、楽器が入っているらしい背中の荷物を杖で軽く叩いた。そう言えばソルの住む街、カーマヤ領シグラでも最近、若い吟遊詩人が名声を高めていると聞いたことがあった。きっとそれが彼の事なのだろうと、ソルは考えた。
「もし、シグラに寄ることがあったら、ウチに泊まりなよ。妻も喜ぶだろうし」
「ありがとう。こちらこそ喜んで伺いますよ」
そんな会話も交わす仲になっていた。その矢先だった。
***
目的地であるヨゴ領メジァを目前にした夜、とある小山の頂上付近でキャンプを張っていたソル達は、それまで背にしていた西の空が、赤く染まったのを見た。夕焼けではない。日は確かに、一度落ちたはずだった。
「火事だ!」
見張りをしていた男がそう叫んだ。ソルは目を凝らす。西の空に浮かぶ雲が、地上で燃える炎に照らされて赤く揺らめいているのが分かった。
「副長、地図を寄越せ」
隊長のテーベは冷静にそう言った。キャンプの中央にあるテントに、隊のほぼ全員が集まっている。まだ何の情報もないが、只事でない事は誰の目にも明らかだったからだ。
テーベは受け取った地図に、見張りから聞いた情報を一つ一つ吟味しながら印を書いていく。やがて今分かる唯一の情報である所の、この山頂から見える範囲での火事の大まかな規模が地図上に明確化された。
「範囲が広すぎるな。自然の火事じゃない」
冷静さを保ったまま、しかし慄然とテーベはそう断じた。
「……デルガ、それにロギ、馬を3頭引いて来い。俺と3人で今夜中にメジァへ向かう。残った者は副長の指揮下で待機していろ。明日の昼までに、情報を仕入れて戻る」
全ての段取りが淀みなく行われた。ソルは自分でも驚くほど冷静に、自分の成すべき事をした。メジァに向かう3人へ破邪呪文を重ねてかけ、キャンプの結界も可能な限り強固にした上で、魔力と体力を温存すべく、身体を横たえて休めた。ロギはそんなソルの心中を察し、
「シグラの無事に関する情報も、必ず掴んで帰ります」
と言った。気休めのつもりだろう。だがソルには頼もしく感じられた。
明けて早朝。日光の下、西の平野の各所に灰色の煙が昇り続けているのが見えた。ソルはシグラの方角に目を凝らすが、到底見えるような距離ではない。脳裏にライラの面影を描きながら、ロギ達の帰りを待つしかなかった。
***
「……魔物の夜襲だそうだ」
テーベはその日の昼に戻るなり、皆にそう告げた。
メジァの中央広場には掲示と布告があった。情報源はカーマヤ領の宮廷魔術師からの魔鏡による通信との事で、信頼性は高い。どうも領内の広範囲に襲撃があり、多くの集落が蹂躙され、幾つかの街が陥落あるいは包囲されたらしいとのことだった。
「シグラは?」
ソルは思わず身を乗り出して尋ねた。
「分からん。だが領内はどこも危険だ。メジァでは討伐隊を組織するって話もある。……俺は一旦隊をメジァまで進めて、討伐隊に志願するつもりだ。だがソル、お前や他にもカーマヤ領の者で、直ぐに引き返したい者はいるか? 構わんから名乗り出ろ」
テーベがそう言って皆を見渡す。すると手が二本挙がった。
ソルと、ロギだった。