町内会の草むしり
新型ウイルスの流行により、使い捨てマスクが売り切れになるのは理解できる。だが「マスクと原料は同じ」という理由で買いだめに走る人々が続出して、トイレットペーパーやティッシュペーパーまで品薄になるのは、どうかしている。
「困った話よねえ」
「ああ、そうだな」
女房の呟きに、私は心の底から同意したのだが……。
「オイルショックの頃を思い出すわ」
「嘘つけ。俺もお前も、当時は物心つく前だろ」
続く言葉には、そう返してしまった。
二人とも第一次オイルショックの時には既に生まれているけれど、私には当時の記憶は全くない。ましてや女房は私より二つ若いのだから、覚えているはずがなかった。
子供の頃にトイレで紙に困った覚えはないのだが、後で教科書などから得た情報によれば、一時期、トイレットペーパーが売り切れる騒動が勃発したという。
そもそものきっかけは、当時の大臣がテレビで紙の節約を呼びかけたこと。そこから「紙がなくなる」という噂に広がったのは大衆心理だとしても、大本は政府側だったのだ。
そのようなオイルショック時のトイレットペーパー騒動と比べれば、今回はマシなのだろう。政府の方から「在庫は十分あるので、冷静に!」と呼びかけているそうだから。
その数日後。
居間で新聞を広げていた私のところに、女房が回覧板を持ってきた。
「こんなのが回ってきたけど、どうしましょう?」
見れば、町内会の連絡事項だった。
今度の日曜日に、毎年恒例の草むしりを行うという。公園に集まって、その近辺の道路脇の雑草も掃除する、というやつだ。
「出るしかないだろう。これも近所付き合い、仕方がないさ」
そうは言ったものの、そもそも私は腰が痛くなるから草むしりは嫌いだ。つい愚痴も漏らしてしまう。
「だが納得できないな。今は『外出は控えましょう』って時期なんじゃないのか? そんな時に町内会で集まって、草むしりなんてしていいのか?」
「そう、あのウイルスのせいでねえ……。でもウイルスが流行してるからこそ、草むしりするんですって」
女房は頬に手を当てながら説明する。
隣近所の奥さん連中から聞いたらしい。今年の草むしりは、むしった雑草を各自で持ち帰って構わないという。
「ウイルスと雑草と、どう関係あるんだ?」
「トイレットペーパーが足りなくなったら代わりに雑草が使える、って話よ」
一瞬、絶句してしまった後、私の口からツッコミが飛び出した。
「そんな馬鹿な話ないだろう。無人島サバイバルじゃあるまいし……」
「そうでもないらしいわ」
と、女房は聞き齧った話を披露する。
「ほら、新型ウイルスの少し前に、キャンプとかアウトドアとか流行った時期あったでしょう? キャンプ場では、お尻は雑草で拭くんですって」
「いやいや、キャンプ場にはトイレがあるだろう。草で拭くなんて、そんな原始的な話……。俺は信じないぞ」
ところが、後でネットで調べてみたら……。
「そうだったのか!」
草でお尻を拭くのは、アウトドア関係者の間では常識らしい。もちろんトイレのあるキャンプ場では紙を使えるが、トイレがなくて地面に穴を掘って用を足す場合だ。
トイレットペーパーやティッシュペーパーは、土の中で自然分解されにくい。だから雑草や木々の葉っぱが用いられるのだという。
「なるほど……」
理屈を知れば、納得できる話だった。
ならば私が経験したことないだけで、草でお尻を拭くのは、案外普通の出来事なのかも知れない。会社の同僚の中にも経験者はいるかもしれないし、町内会にもいたからこそ、今回のような発想になったのだろう。
そのように私は理解したのだが……。
キャンプで葉っぱを使う話。きちんと読んでみると、まだ続きがあった。
形状や材質、毒性の有無など、お尻を拭くのに適した葉っぱを見抜くには、それなりの経験と技術が必要なのだという。適していない葉っぱを使うと、場合によっては、お尻に当てただけで大変なことになるという。
「……」
毎年の草むしりで引っこ抜く雑草を、改めて思い浮かべてみる。この辺りに生えているのは、小さくて硬い葉っぱばかりであり、トイレットペーパーの代用品には相応しくないものばかりだ。
「女房も近所の連中も、やっぱり騙されてるじゃないか!」
パソコンの画面を前にして、思わず私は叫んでしまうのだった。
(「町内会の草むしり」完)