爺さんは魔王様!
「マジでここ……どこなん?」
マニラトラックに轢かれ、急に眼界が真っ白に染まったと思ったら、次は強制シャットアウトしたかのように暗転し視界が歪む。
明暗の移り変わりに瞳が追い付き始めた頃、涼真は固く冷たい地面に自分が寝転がっているのを認識した。
「うぅぅ……お兄ちゃん……眩しい……」
「おう。俺は別に輝いてないけどな。むしろ、輝きたかった人生だったわ」
「はぁ……死んでも卑屈なのね、全く!」
隣で横になっていた心は、ゆっくりと体を起こしながら、そっぽを向いて自虐を並べる涼真に悪態をつく。
しかし、そんな言葉意にも介さずといった様子の涼真は、心の方には目もくれず辺り周辺を見渡していた。
四方八方無限に広がっている冷えたコンクリートのような床。
辛うじて視覚は機能するものの、暗然たるその空間は異様な雰囲気で包み込まれていた。
「マニラの求人トラックに轢かれたはずなのに、気付いたらこんな肌寒くて辛気臭い場所で寝転がされていたと……どうなってんだ?」
「……これって、心とお兄ちゃん生きてるってこと!?」
「さぁ、どうなんだろうな。ここがあの世って線も……」
「えぇ……ここがあの世って……。お兄ちゃん、人殺しでもしたわけ?」
「いや、俺は徳を積んだ素晴らしい生き方をしたはずだぞ?電車で騒がしい女子高生を睨んだり、バスで騒がしい女子高生を睨んだり、ダブルデートをしてるカップルを睨んだり、あとは……」
「わーかった!もういいから!それ、良いことをしてるのか、悪いことをしてるのか良く分からないよお兄ちゃん……」
「別に悪いことはしてないだろ」
まぁ確かにちょっと変態チックではあるけども、と心の中では思ったが口には出さない。
決まりが悪い顔をしながらも、涼真は一応程度の淡い期待で声を出してみる。
「おーい!誰かいないのかー?神様でも、閻魔様でも、魔王様でも!」
半ばてきとうに、だだっ広いこの空間に対し叫んでみる涼真。
「なんじゃ?」
周辺を見渡した時、涼真と心の二人しかいないことは既に確認しているため、もちろんこの足搔きは虚しく、ただただ自身の声だけが響き、この場所で木霊するだけ───
「おい!なんじゃと言っておるだろう異世界人!」
背後からしゃがれた老人の声が聞こえる。
毎朝公園で体操をしてるタイプの、ハキハキとしたちょっと元気なおじいちゃんの声。
「…………は?」
「ここがどこか……答えをやろうと言っておるのじゃ、異世界人よ」
先程まで人影すら見せなかった場所から突如として聞こえる声に、呆然として腑抜けた声を漏らす涼真。
「びっくりしたぁー!おじさん、いつからそこにいたの!?」
心は、口元に手を当てて上擦った声で驚愕する。
そんな心を見た爺さんは、その反応を待ってましたと言わんばかりの満足気な笑みを浮かべ、腰に手を当て高笑いした。
「ふぁっふぁっふぁっ!女子の方は良い反応をしてくれるのぉ!それに比べて、そこの死んだ目をしてる男は……何とも反応がつまらん!」
「うっさいわじーさん!そもそも、アンタ誰なんだよ!」
懸命に頭を縦に振る心には気を留めず、涼真は初対面で毒吐いてきた爺さんに対し前のめりに言い返す。
「急に怒鳴るんじゃない!もっと老人を労わらんか異世界人!全く、これだから最近の若者は……」
「……ッ。てかそもそも、さっきからアンタの言ってる異世界人って、俺達のことなのか?」
「お主ら以外にいったい誰がおる?お主らは、わしがこの世界に呼んだ、貴重な異世界人じゃ!」
「……じゃあ、俺達がマニラの求人トラックに轢かれたのって、アンタの仕業ってわけ?」
「もちろんじゃ!地球人は、あの不思議なメロディーが好きらしいからのぉ。わしからの些細な餞別じゃ!」
「なるほど。つまり、全部アンタが元凶ってことだな!」
涼真は引きつった笑顔で指をパキパキと鳴らし、「ふぅー」と深く息を吐きながら、じりじりと前進する。
その様子を見た爺さんは、得意げな表情から一転、何かを悟ったのか慌てて後ずさりした。
「と、年寄りには優しくするのが、若者のマナーじゃろうが!!」
「人をぶっ殺しておいて優しくしろは、いくら優しい若者代表の俺でも通じないぞ爺さん」
「お兄ちゃんが、優しい……?えぇ……」
「お前は一体どっちの肩を持ってるんだよ!?あと、本気で引くのやめてくれない?」
懐疑の目を向ける心に、若干愁色な表情を浮かべる涼真。
妹に茶々を入れられ少し頭が冷えたのか、後頭部を軽く掻きながら僅かに落ち着いた口調で話し始める。
「大体、何で俺達をこの世界に呼び出したんだよ?もしかしてあれか?所謂、魔王を討伐するための勇者的なアレなのか?」
アニメや漫画、ライトノベルで良くある、ありふれた設定の一つ。
地球人が異世界に転生し、英雄として魔族や魔王の幹部、延いては魔王を倒し古今東西の美少女達とウハウハなハーレムを築くという、涼真が最も好んで嗜んでいた王道ジャンル。
そして、二次元が好きな同志であれば一度はするであろう『もしも自分が……』シリーズ。もちろん、それは涼真とて例外ではないのだが、さすがの捻くれようなだけあり、もしも俺が特別な異能を持って転生したもんなら、迷わず魔王軍に組して世界を好きなようにしてやるのにな……と、PCのモニターの前で一人、また違った方向に妄想を捗らせていたのは秘密である。
涼真の問いに対し、爺さんは怪訝な表情を浮かべながら首を横に振った。
「あんな忌々しいモノ、呼び出すわけなかろう」
「じゃあ本当に何なんだよ?地球の若者を攫っちまおうっていう、アンタの悪趣味とかか?」
「バカモン!そんな趣味わしにはないわ!……そもそも、お主自分でさっき言っておったやろうが」
「……俺が?何か言ったけ」
「叫んでおったじゃろうが。神様でも、閻魔様でも、《《魔王様》》でもって」
「…………」
「…………」
「……アンタ、神様なの?」
「ハッ!あいつは嫌いじゃ!」
「……じゃあ、閻魔様?」
「誰じゃい閻魔というのは!物騒な名前しおって!」
涼真、心、そして爺さんの間に妙な沈黙が流れる。
その静寂を破るように、涼真はおそるおそる口を開いた。
「…………まさか、魔王様?」
「その通りじゃ!三つの選択肢の中から、真っ先にそれを選ばんかい!」
不服そうに口を尖らせる爺さん。
「はぁああ!?こんなちっこくてヨボヨボの、見るからに貧弱そうな爺さんが、魔王!?」
「お主はとことん失礼な奴じゃな!少なくとも、お主よりは強いわ!」
「いやいや!別に俺も運動神経良い方じゃないけど、さすがにアンタよりは……」
「はぁ……言葉で言っても分らんようじゃの。ほれ、ちょいとかかってくるんじゃ若僧」
爺さんは、指をクイクイっとしながら、かかってくるよう合図した。
「年寄に暴力を振るう趣味とか、俺ないんだけど?」
「さっき思い切り殴りかかる素振りを見せてたお主が、何を今さら。うむ、そうじゃな。わしを失神させられたら、元の世界に返してやっても良いぞ?」
シワシワの口角を上げながら言う爺さん。
「ふぅ……恨むなよ?殴っていいって言ったのはアンタだからな?後で損害賠償とか請求されても払わないぞ?」
「御託は良いから早うこんかい」
唆され、自身の拳を強く握る。
そして、助走をつけながら勢い良く飛びかかった涼真。
「オラァアア!!」
威勢の良い雄叫びを上げて殴りかかってくる涼真を一瞥し、爺さんは瞑っていた目を半分開いた。
「若いのぉ」
相変わらずのしゃがれた声だけがその場に残り、その空気の振動を裂くように涼真は何の躊躇いもなく腕を振るった。
しかし、躊躇なく振るったはずのその拳はただ空を切っただけで、声の主には掠りすらしていない。
「ちょっと熱いから、我慢するんじゃぞ?」
先程まで目の前にいたはずの爺さんの声が、瞬きする暇もない刹那の間で涼真の背面へと位置を変えていた。
「なッ!?」
あまりの衝撃に、喉を詰まらせて呻き声のような音を発する涼真を横目に、「ふぁっふぁっふぁっ」と笑いながら、パチンと指を鳴らした爺さん──否、魔王。
そしてその瞬間、涼真の体は突如として発火を帯び、煌々と燃え上がった。
「あっつ!あっつ!分かった分かった分かった!分かったから、この火消して!」
「これで信じたか?異世界人よ」
「信じた!信じたから爺さん!いいえ、魔王様!あっつ!後遺症残るからこれ!」
「そこまで熱くしておらぬわ!根性がないのぉ」
「根性論語ってくる年寄りが一番嫌い!!」
「ドサクサに紛れて余計な一言を!ほれサービスじゃ!もっと温めてやるぞ!」
「ッ!!すみませんすみませんすみません!あっつ!あっつい!」
結局、後数分程ごうごうと燃やされた涼真は、この爺さんには逆らわないでおこうと密かに心で決め、鎮火したあとは飼い主に叱られた子犬のように大人しく正座をして、魔王の話に耳を傾けるのであった。