今日も先生に「推し」についての相談が殺到するがここは診療所です。
ここはとある町外れの診療所。白髪眼鏡の初老の医者がどんな症状でも匙を投げることなく処方してくれるが効果は人によると言われている。
先生には特に「推し」と呼べる存在がいない。「推し」がいればもっと人生が楽しくなるのかもしれないと思うが作ろうと思って作るものでもないと思い今日に至る。
「次の方どうぞー」
「先生!私もうどうしたらいいんでしょう?」
「どうなされましたか?」
「私、峯岸くんの大ファンなんです。それで彼のSNSチェックはもちろん、出演番組は全部録画してるし、ライブにも行くし、グッズも買ってるんです」
「峯岸くんというのは、よくテレビに出ているアイドルグループのリーダーの峯岸くんという認識で問題ございませんか?」
「はい、その峯岸くんです。私、毎月の給料のほとんどを彼のために注ぎ込んでるんですが……」
「どうしたんですか?」
「最近悩むんです。20代半ば、彼氏もいない、貯金もない、夢もない。今のままでいいのかなって」
「なるほど、今の状況が不安なんですね?」
「そうなんです。峯岸くんのことは大好きです。彼のためならライオンのいる檻にでも飛び込めるんですが、ふと将来のことが心配になる時があるんです。彼のためにどんなにお金を注ぎ込んだって彼は私のためにライオンの檻には飛び込んでくれないじゃないですか」
「どうでしょう?ライオンの檻に飛び込む状況があまり想像できませんが大切なファンのためなら飛び込むかもしれませんよ?五分五分と言ったところでしょうか」
「五分五分ですかね?期待しちゃっていいですかね?でも、今のままでいいのかなって考えちゃうんです」
「因みになんですが彼を今も推したいと思うんですか?」
「はい!それはもちろん。彼の事が大好きなので」
「では今のままで良くないですか?」
「え、いやいやよくないですよ。だってこんなぐらついた半端な気持ちで推すなんて彼に失礼です」
「そうでしょうか?では、例えば30歳までは推す、と期限を決めてはどうでしょうか?自分で期限を決めて期限が来るまでは全力で推す。期限が来たらきっぱりやめるのもいいと思いますよ」
「んーなるほど、そういうのもありですね。でもなんでしょう、こう踏ん切りがつかないと言いますか……」
「なるほど、踏ん切りですか。では今のあなたにぴったりの言葉を処方させていただきます」
「え?言葉ですか?」
「『推しは推せる時に推せ』です」
「えっ……はあ」
「有名な言葉なので既にご存知かもしれません。しかしこれ程的を射た言葉もなかなかございません。このご時世いつ何が起こるかわかりません。不祥事の発覚、突然の解散、引退、活動休止なんてよくある事です。推したくても推せなくなることだってあります」
「たしかに……」
「あの時推しておけばよかったと後悔することほど辛いことは無いと聞きます。なのでご自身で何が一番大事か考えられるといいかもしれません」
「そうですね。ちょっと考えてみます。因みになんですが先生はもし先生のファンだと言う人がライオンのいる檻に閉じ込められていたら飛び込みますか?」
「そうですねえ。その時の膝の具合によります」
「次の方どうぞー」
「失礼します……」
「どうなされましたか?」
「最近生活に張り合いがないんです」
「張り合いがないんですね」
「はい、実は大好きだった漫画が終わってしまったんです」
「あら、それは残念ですね」
「いや、全然残念ではないんです。すごく感動的な最終回だったので。でも、終わってしまったことが辛すぎて仕事が手につかなくなっちゃって……。自分でも今のままじゃダメだって事はわかるんです。でも……やっぱり続きが読みたいんです」
「なるほど、続きが読みたいんですね」
「はい。あ、同人誌は嫌ですよ。同じ作者様による続きやサブキャラを主人公にしたスピンオフが読みたいんです。私の他にも完結を惜しむ声はたくさんあります。具体的な数だって時間さえかければちゃんと出せます。それぐらい素敵な作品なんです」
「なるほど。わかりました。ではその旨お伝えしておきますね」
「え…………はっ?」
「一つ確認ですが仰られている作品は先日週刊青年誌で完結した作品ではございませんか?」
「はい、余命3か月の男の子が地方のオーケストラを復活させる話です。作品のタイトルは…」
「あ、大丈夫です問題ございません。実は先日その作者様がお越しになられて、完結したものの自分の作品が好きすぎてスピンオフ作品が描きたいがファンがそれを望んでいるか不安だとおっしゃられました」
「え、嘘……」
「嘘ではございません。その時はご自身が描きたいのであれば描いてみてもいいのではないかとお伝えしていたのですが需要がありそうですね。先程のお話をお伝えしようと思うのですがよろしいでしょうか?」
「ぜっ是非お願いします!!ありがとうございます!!」
「スピンオフを描かれるかどうかはわかりませんが作者様にはお伝えしておきますね」
「本当にありがとうございます!!因みに…」
「作者様の連絡先をお教えする事はできません」
「……ですよね。失礼しました」
「次の方どうぞー」
「先生、私もう推し活をやめたいんです」
「やめたいんですか」
「はい、もう今年で35になるので婚活を真剣に始めようと思うんです。でも、たまに頭に過るんです、推していたアイドルが」
「なるほど、推し活をやめる事は確定ですか?」
「はい、それは確定です。婚活に集中したいんです。今まで推しのためにお金を使ってきましたがこれからは自分磨きにお金を使おうと思うんです」
「なるほど。では推しのことが頭によぎらないようしたいということで問題ございませんか?」
「はい、問題ないです。自分で大分踏ん切りをつけたので基本的には大丈夫なんですが、たまに無性に推しに投資したくなる時があるんです。もう心が推しに持って行かれてしまってると言うんでしょうか。突発的に起こる発作のように衝動に駆られます」
「なるほど心ですか。ご自身で大分整理がついているとのことですのでもう少し様子を見てみましょう。もしそれでダメなら本日紹介状をお渡ししますのでご利用ください」
「紹介状ですか?」
「はい、腕利きの警部をご紹介いたします」
「警部ですか?なぜ警部をご紹介くださるんですか?」
「ご紹介させていただくのは常にある大怪盗を追っている方でしてICPOにも所属されています。ある国のお姫様が件の大怪盗に心を奪われたこともきっちり見抜いてらっしゃいました。あれは名シーンですね。怪盗と比べればアイドルから心を取り戻すことなんてたやすい仕事です。ご安心ください」
「あの、そういう問題なんでしょうか?」
「はい、そういう問題です。それに時間が経てば状況も変わると思います。とりあえず今は様子を見てみましょう」
「わかりました。そうですね、ちょっと様子を見てみるようにします。ありがとうございました」
診察時間が終わり、医者が入り口の鍵を閉めていると1人のお婆さんがやってきた。
「先生、今日もお疲れさん」
「ああどうも。ありがとうございます」
「相変わらず先生のところにくる患者は元気そうな人が多いわねえ。診察を断ったらどうだい」
「いやいや、皆さんいろいろ抱えてらっしゃいますよ。最近は皆さん『推し』について悩まれている方が多いですね」
「あーよく聞くねえその『推し』ってやつ。先生には『推し』はいるのかい?」
「それがいないですよ。推しがいる方は羨ましいなと思います」
「推しがいないくせによく相談なんか受けられるね。私にはできないよ。おや、先生その大きな紙袋はなんだい?たくさんひっさげちゃって。いっぱい手紙やらなんやら入ってるね……プレゼントかい?」
「はい、いただき物です」
「先生いつからそんなに人気者になったんだい?」
「それが先日SNSを始めてみたところ私のファンクラブができてしまいまして。ファンの皆さんからこうして毎日贈り物が届くんです」
「なんと先生にファンがいるのかい!本当にこの世の中何が起こるかわからないねえ」
「はい、そうですね。私も驚いています。実は今日はこのあとファンミーティングがあるんです。私のために100人以上の人が集まってくれるなんて思ってもいませんでした」