されどバチャ豚は推しゾンビを想う
「こんばんリンリン~!バーチャルアイドルの愛沢凛華です♪」
私は最近流行っているVtuberと呼ばれる活動をしていた。きっかけは、小さい頃から普通に生きてきたのに、社会に出て急に没個性だと言われたことで沈み切ったこの自己肯定感を持ち直すためという、何とも現代的でありがちな理由だった。
かなりの金を出して名の知れた絵師にガワを依頼し、依頼人である私の売れる属性オンパレードのオーダーも相まって、その界隈ではかなり有名になっては来ていた。しかし、可愛さだけでは視聴者を維持できないということは数字に如実に表れるし、自分のトークスキルに限界を感じているのもまた事実だった。
その上、企業でやっている所のように界隈を超えた活動などはできる筈も無く、所詮は個人勢の範疇で収まっていた。
最初こそ、見てくれる人や熱心に投げ銭をしてくれる存在に充足感を感じていたものの、いつからかその人たちは”私”ではなく”愛沢凛華”を見ているんだと感じ、ぶつける当てもない虚しさを抱えていた。
そんな時、世界中にゾンビウイルスの感染者が現れパンデミックとなったのは、せめてもの神からの慈悲だろうか。
原因はまったくもって不明で、いつの間にかゾンビが人類に多数決で勝てる世界に変わってしまった。
でも、私はそんなことどうでもよかった。逃げ道ができたことをうれしく思った。
結局私はVtuberになっても、何も変えられなかったから。ゾンビにでもなってしまえば、少しでも現状が変わるかもしれなかったから。
だから、この出来事は必然ではないか、世界は私中心に回っているのではないかとさえ思ったのだ。
当然私も御多分に漏れずゾンビとなっていた。正確には世間の様子を知ってすぐに外に飛び出したという表現のほうが近い。某SNSでの情報により噛まれることによる経口接触で感染するというのは知っていたのだった。
全身の腐食が進み、ただ「人を食べたい」という欲求が課される、というのがウイルスによる影響のようだった。幸いなことに痛みはなく、ウイルスに侵されても意識や記憶はあるようだが、私にとってそれは不幸極まりなかった。
何度か身を投げたりしてみたがどうやら死ねないらしく、感染前より逃げ場を失ったことで途方に暮れていた。
「ヴェァァ…」
自分ではため息をついたつもりだったが、口を通して出た声は過去に見たゾンビ物のアニメそっくりで、アニメかよと思ってしまった。声帯やその周りの筋肉が腐食することで喉が絞まり、アニメさながらのうめき声の完成、ということらしい。
不意にお腹が空き、人間を思い出すと食欲が沸くようになったのを感じて、漸くゾンビとしての自覚が芽生えてきた。
当てもなく歩き続けたが、自分のように現実から逃げたかった奴らはとうに我らの仲間となっているし、こんな状況に外に出るやつがいるわけもなく、今後のゾンビライフは食糧難が続くことを確信した。
その時だった。
「ヴェア(いた)」
人間の罠なのではないかと思うほど都合がいいところに、いい感じのデブがいた。昔だったら同じ電車に乗り合わせたら移動するレベルのものだが、現時点目の前の肉には食欲しか感じない。
「ヴェヴェヴェ~」
そんなものあるか知らないが喜びのうめき声をあげて近づくと、男は唐突に口を開いた。
「凛華たそ……?」
驚いた。目の前にファンがいるということより、活動中に自分の顔を出したことがないにも関わらずバレたということに驚きを隠せなかった。心当たりがあるとすれば、かなり前に泥酔したままニ〇生で顔を出したことだが、少なくとも私が最後に見た時までそのことはリークされていなかった。
「その声は凛華たそだよね!?まさか生きてるうちに会えると思ってなかったよ~ゾンビだけどw」
うるせぇよと思ったが、腐った声帯から発される声でも推しを識別できるオタクの特殊能力は称賛に値する。もし私の腹が満たされていれば、の話だが。
だがなぜか私が近づくと同時に彼も近づいてきた。これから襲われるというのに、ただただ疑問でしかなかった。
しかしその疑問は3m先の口から次に発せられる言葉を、私が予測できていなかったからだった。
「僕を食べて~~♡♡」
「昔から夢だったけどウイルスのおかげで本当に食べられるなんて思いもしなかったぁ♡♡」
「これからは凛華たそのお肉として生きるんだぁ♡♡」
先に足が動いていたのは人間の頃の生存本能がまだ残っている証拠だろう。そういえば”踵を返す”の”踵”はかかとを意味するって聞いたな、などの雑念が舞い起こる中、私は後ろも振り返らず走っていた。
「ヴェェェ…(食べたくなさすぎる)」
だが思いつめたオタクの運動能力は見た目のそれを遥かに凌駕していた。
「待ってよ凛華たそ~どこ行ったの~」
猛スピードデブを引き離し、咄嗟に路地裏に隠れた。バレてはいないようだったが、そろそろ空腹が我慢できそうにない段階まで来ていた。ついに彼は真横まで来ていた。
私の上がる心拍数と逆に、彼はひとり、徐に口を開く。
「凛華たそが生きがいだったんだ…」
「クラスでは腫物として扱われ、学校に行けなくなった僕を支えてくれたのは凛華たそだったんだ!」
「無理して可愛い声を出そうとする所も、配信切り忘れたりする所も、ちょっと現実の愚痴を漏らしたりする所も!」
「そんなあなたが好きなんだ!」
「だからあなたになら、食べられてもいい」
声が出なかった。声帯のせいではなかった。愛沢凛華ではなく、他でもない自分を見てくれていた人がいたことに気づいたからだった。
もし、もしもこんな私を応援してくれていて、少しでもその人たちの支えになるのなら。
「ヴェア…(私だって)」
「もっとみんなのアイドルやってやるよ!!!」
気づいたら彼の前に立っていた。声が出た。うめき声ではない声が、自分の口から。
「凛華たそ!?!?なんで!?!?」
私のほうが知りたかった。でもなんとなく、強い意志によってウイルスが完治したのではないかと感じていた。
そこからは早かった。自分の使命を理解し、それを早く全うするために、彼に深く感謝してから今度はゾンビに見つからないように急いで家に帰った。
「こんばんは!元Vtuberのゾンビ系アイドル〇〇です!」
今度は自分を偽らないことに決めた。本名で顔出しで活動するにあたって今までのファンが離れるのではないかという心配は杞憂だった。彼らはちゃんと最初から”私”を見てくれていたのだ。
外は相も変わらず世紀末。だが私は今日も元気に配信し続ける。
どこかの誰かを救うために。