1話『ツカのマ』
「ふーんふーん」
「……」
昼休み、校舎3階廊下の突き当たり、他の教室とは漂う雰囲気の違う美術部の部室その奥。玉波先輩が個人的に使っているという小部屋に僕はいた。
なぜここにいるかといえば、つい先日先輩に顔を見せろと言われたからだ。先輩に面を出せと言われればすぐさま飛んで行く。それが良い後輩の姿といえる……と、そんなわけはなく、あきと同じ教室にいるのは気まずいし、以前のように屋上に行くのもまた別の気まずさを感じるというか、まあ、とにかく僕は逃げてきたのだ。ここ数日、あきと莉音のふたりに色々と接触を試みて見たけれど結局それといった成果は得られなかった。挨拶を返してくれるあきはともかく、莉音はもう目すら合わせてくれない。そんな状況に流石の僕も耐えきれず、ここにやってきたわけだ。
「はい家内、お茶ね」
「ありがとうございます」
上機嫌に鼻歌を口ずさみながら白い髪とスカートをフリフリと振りながらお茶を入れていた先輩が僕の前にコップをふたつ置く。備品か、それとも先輩の私物かは分からないけれど形のよく似たコップの中には緑茶?のようなものが入っており、湯気が立ち昇っている。
この部屋、僕の思っている以上になんでもものが揃っており、このお茶だって先ほど玉波先輩が慣れない手つきで電気ケトルを使って沸かしたお湯を使っている。玉波先輩はイメージ通りというか期待通りというか、どうやら電化製品の操作があまり得意ではないようだった。ほとんど複雑な操作を必要としないはずの電気ケトルに対してはぐはぐする様子は失礼ながらとても和ましいものだった。
「はい、これ箸。それと家内のお弁当」
「あ、はい」
お茶を入れるのとは打って変わって、なめらからな動きで先輩が机の上にお弁当やお箸、果てはどこか外国産のお菓子を並べて行く。……今日、ここを使わせてもらうことをお願いはしたけれど、まさか先輩がこんなにやる気になってわざわざ弁当まで作ってくるとは思わなかった……
なにやらガスコンロまで出して鍋を作り始めようとした段階で止めたが、今日はそれだけやる気を込めたということだろう。
「さ、食べましょ」
「いただきます」
小さいとはいえ、少し細長い部屋。その中央に置かれた長机ふたつの上に並べられた弁当類。僕の左側に陣取った玉波先輩はその手に持った箸でおかずをひとつつまみあげてなんの迷いもなく僕に向けた。
「はい、あーん」
「なんでですか!?」
「なんでですか?……なにそれ黙って私にあーんされなさい」
「えぇ…」
「ほら、あーん」
「……あーん」
口を開けると、先輩が優しくおかずを口の中に運んでくれた。……なんだか、あきや莉音とは違う意味で気まずい…。どんな顔をすればいいのかわからないでいる僕を見ながら先輩は呟いた。
「おいしい?」
「…おいしい…です」
ただおいしいだけでなく、この場の雰囲気も相まってそれはもう絶品なのだが、やはり恥ずかしさが若干買ってしまう。
「そ、良かった」
不器用にはにかんで見せる玉波先輩。
「……あれ、この箸と先輩の箸細かいところは違いますけど似てますね。コップもそうですけど」
妙にドキドキしてしまうので他の話題を探そうとした僕は気づいた。今日使っている箸やコップは先輩が用意したものだけれど、他にも同じようなデザインだけど細部の装飾などが違うものが多々ある。わざわざレンジを使って温めたものを移し替えたこのご飯の入ったお茶碗もそうだ。先輩のものの方が少し小さいことと模様の細部に違いがあるもものよく似ている。
「どう、使い心地は」
「使い心地?まあ、いいですけど」
「じゃあ、このままで問題ないわね」
「……?」
「夫婦茶碗、私が作ったのよ?放課後や休みに教室に通って」
「えっ…」
「お嫁さんにしてもらう準備は着々と進んでるから家内も残りの高校生活を存分に楽しみなさい」
計算高い、普段の教室での玉波先輩は恐らくこんな顔をよくしているんだろうと思える表情で、先輩は笑った。




