7話『シオ④』
「ハル君、そろそろ起きて」
「……思緒姉ちゃん?」
「もう下校時刻よ。帰りましょ」
「やべっ!俺寝てたか!?」
「えぇ、気持ちよさそうに寝ていたわ」
「な、なんで起きた時に起こしてくれなかったんだよ……」
「ハル君も私を起こさなかったでしょ」
「それは…はぁ…まあいいや。帰ろう思緒姉ちゃん」
「ええ」
ハル君と教室を出ると廊下の向こうからちょうど鍵を持った教員が歩いてきているのが見えた。
「ほらハル君、手を繋いで」
「え、ここ学校の中だぞ。それに前から先生が…」
「いいから」
「…わかったよ」
「うん、いい子ね」
「お、家内弟と一緒か?気をつけてなー」
「ありがとうございます。先生もお気をつけて」
「担任か?」
「ええ」
「ふーん」
「そうだハル君」
「ん?」
「今日は一緒にお風呂に入ろうか」
「はっ…はあ!?」
「久しぶりにふたりで入りましょ」
「なに言ってんの!?」
「照れてるの?」
「いやそういうことじゃなくて!」
「……ふふ、冗談よ。さあ、はやく私達の家に帰りましょ」
「……」
ハル君の手を引いて歩く廊下は、とても長く、そしてとても嬉しく感じた。
「ふぅ……」
晩飯を食べ終わり、思緒姉ちゃん、両親、真実の順に入った後に僕がお風呂に入る。後に誰かがいると急かされているような気分になるので一番風呂ではなく最後に入るのが最近のマイブームだ。
「かぁ〜…生き返るなあ」
風呂というのは人類が生み出してきた物の中でも上位に入るほど良いものだと個人的に思う。世界的に見ればシャワーが主流だったりそもそも風呂ではなく水浴びをするような国もあるけれど、そのどこでも一緒だ。体を洗い身を清めるという行為はそれだけで心も浄化してくれる。
最近あった色々な事件も、この時間だけは忘れられる気がするのだ。
「ハル君、やっぱり私も入っていい?」
「………へ?」
ガラガラと音を立てながら、なにも隠すことなく堂々と浴室に入ってきたのは最初にお風呂に入ったはずの思緒姉ちゃんだった。
「う、う……うわぁあ……」
「しーっ…静かに。母さん達にバレたらどうなるか分かるでしょ?」
「いや、多分状況的に思緒姉ちゃんが怒られるだろ!」
母さんも父さんも思緒姉ちゃんが最初に風呂に入ったことは知っている。それなのになぜこうも堂々としていられるのか…いや、もしかしたら僕が怒られるのか?そんなまさか…
「それじゃあ、お邪魔するわね」
「い!いやいや!ストップストップ!」
「……?」
僕の制止も効果なく、思緒姉ちゃんは左足から湯船に入り、僕に向き合う格好で肩まで浸かった。
「……」
「どうして顔を逸らすの?」
「どうしてって…」
「こっち見て」
「……」
なるべく顔だけ見るようにして視線を動かすと、思緒姉ちゃんはいつもの無表情で僕のことをじっと見つめていた。
「ハル君」
「なんだ」
「呼んだだけ」
「…」
調子が狂う。本当に最近の思緒姉ちゃんはどこかおかしい。なんかこう…うまく説明はできないけれど、とにかく僕との距離感が今までと違うというか…
「ハル君」
「……」
返事はしない。きっとさっきみたいにからかわれるのがオチだ。
「ハル君」
「…………」
「……陽満」
「…!」
心臓がひときわ大きく跳ねた。
「お姉ちゃんがずっと守ってあげるから……ね」
今の今までほとんど崩すことのなかった表情が和らぎ、僕に微笑む。
「………わかったから、出てってくれよ……」
突然の言葉と状況に恥ずかしくなり、そっぽを向いて顔を湯に沈めた。
「…せっかく一緒に入れたのに……」
やれやれと言った感じで思緒姉ちゃんは湯船から上がって脱衣所に戻って行った。
………久しぶりに思緒姉ちゃんが笑った顔を見た気がする。あんな風に僕に対して微笑んでくれたのは小学校の頃以来ではないだろうか…
懐かしいとか、そういう感想が湧くと同時に自分自身に対する不快感も覚える。姉に…思緒姉ちゃんに対してこんな感情を抱くのはどうかと思うけれど、一瞬思緒姉ちゃんと母さんを重ねてしまったのだ。……これが所謂バブみを感じるというやつなのか…?うーん、なにか違う気もするけれどとにかく久しぶりに見た姉の笑顔は僕にとってとんでもない破壊力を誇っていた。
次章更新は明後日です。




