6話『シオダイアリー③』
ハル君が幼稚園を卒園して小学生の制服を初めて着た日は、母と共にハル君の写真を撮り続けた。
「ハル君、こっち向いて」
「陽満!カッコいいわよ」
「…はずかしいからもうぬいでいい?」
「…!ま、まだダメ!そのままちょっとお姉ちゃんとお出かけしましょ」
「何言ってるの思緒、入学する前に制服汚れたらどうするの」
「で、でも…!」
「ダメなものはダメよ」
「……」
これから登校するときはいつも一緒とはいえ、ハル君が初めての制服にオドオドしている時にその姿のまま連れ回したかったのに、私の要望は通らなかった。
「ほら3人とも、早くお風呂入ってきなさい」
「「はーい」」
「わかった」
ハル君が小学校3年生になる頃には、私とハル君の二人だけの空間であるお風呂場にまで真実の存在は侵食してきていた。まあ、ハル君はもう自分で頭も洗えるし真実の髪を洗ってあげるようにもなっていたから、世話をして疲れるなんてことはなかったけれど、できればハル君とふたりでゆっくりお風呂には浸かりたかった。
そんなある日のこと、ハル君が突然私とお風呂に入ることを拒否し始めた。
「僕まなみとはいるからおねーちゃん先に入って」
「!!!?!!???」
ショックだった。その日は辛すぎてお風呂で涙を流した。ハル君に拒絶されるなんて初めてのことだった。これが反抗期なのかとも思ったけれどハル君普段の反応を見るにそういうわけではなさそうだった。
「……ハル君」
「なに?」
「お姉ちゃんと一緒にお風呂入ろ?」
「い、いやだ」
「……っ!?……ど、どうして?」
「だ、だって、みんなお姉ちゃんとお風呂入るのはずかしいって言ってたから…」
「……ふふ…ふふふ……」
「思お姉ちゃん?」
「大丈夫よハル君、お姉ちゃんとお風呂に入ることの何が恥ずかしいの?可哀想に…みんな知らないのね、家族は一緒にお風呂に入るものってことを。さあおいで、お風呂行きましょ?」
「え…でもまだ夜ごはんまだだよ?」
「いいでしょ、早くても。お姉ちゃんとふたりで入りましょ」
「…うん」
気づかなかった。ハル君がそういったことを意識し始める年頃だということに。ずっと可愛い子供のままだと思っていたのに、本当に成長というものは恐ろしい。そしてハル君にそんなことを言ってきたクラスメイト達には感謝しないといけない。ハル君の変化に気づかなかった私にヒントをくれたこと、そしてハル君に私を意識させたことを。恐らく、3年次から保健の授業でもそういった知識は得ているはずで、そこに姉とお風呂に入るのは恥ずかしいという話を間に受けてしまったのだろう。全く、私のハル君に世迷言を吹き込むのはよしてほしいものだった。
しかし、ハル君が女子、それも私の裸を意識していることは意外だった。異性といってもハル君から見れば家族に過ぎない私の体。たしかに、あの頃にはもう中学2年生の平均身長を上回っていたし発育も良い方だった。それでもハル君以外に向けることができない私の欲望とは違い、ハル君にはそういった感情は芽生えないと思っていた。でも違った。
ハル君は私に欲情しうる。それがたまらなく嬉しかった。一方通行ではない。家族以上の関係があり得たのだ。私はそれから毎日のようにハル君とふたりでお風呂に入るようにした。保育園や幼稚園の頃のように、なるべく体や髪を洗ってあげ、湯船に浸かる時はハル君を抱き、足の間に挟むようにして座らせる。お湯の中で触るハル君の体は成長していることが確かにわかる。少し筋肉質になってきたお腹周りや太もも、まだ小さい成長途中の背中はやはりいつ見ても触っても幸せな時間だった。
しかし、ただそうしているだけではハル君が恥ずかしがってしまうし、なによりいずれやはり周りと違うことに気づいてしまう恐れがあったから、私は毎日湯船に浸かりながらハル君に言って聞かせた。まだ私の名前を覚えて呼んでくれるようになった頃から繰り返している、催眠術なんかの要領で。効果があるかどうかではなく、言い続けることが大事だった。なによりハル君は私が育てているも同然だったから。私の言葉に逆らうことは、ほぼ無かった。まあ、それでもやはり一緒にお風呂に入れるのはハル君が小学校を卒業するまでだった。帰宅時間の影響で一緒に入ること自体減っていた私が高校1年生、ハル君が中学1年生の頃。久しぶりにハル君とお風呂に入ろうとした私を両親がやんわりと止めたのだ。邪魔してほしくなかったけれど、このままではハル君と引き離されることも考慮してそれ以降は一緒に入ることはほぼ無くなった。偶に、ごく偶に偶然を装って侵入することはあっても私がハル君にお風呂に入ろうと言うことはなかった。まあ、偶然鉢合わせた結果ハル君からとっとと出て行けと言われることがほとんどだったからそのショックで卒業したと言った方がいいかもしれない。
中学1年生の夏、ハル君が小学4年生の時。ハル君にクラスメイト以外の友達ができた。ハル君はその子と良く一緒に遊ぶようになり、学校から帰って私と過ごすはずの時間をその友達に割くようになった。
私はたまらずハル君を尾行してその友達を確認した。
女だった。ハル君は男の子だと言っていたのに。確かに服装は男児用で容姿も中性的だったけれど、どこからどう見ても女だった。でも不思議なことに確かに男の子だと思える日もあった。ハル君に再度確認しても男のだと言い張るし。それでも、どこかへ引越しするまでの間のほとんどの期間ハル君を見つめっぱなしでなんとも不快な子だった。
ハル君の中学三年間は…特に言うこともない。私と在籍期間が被らなかったし、なによりハル君は自ら周りと距離を置いているようだったから。私にとってはそれが好都合だったしハル君に鬱陶しいハエが寄らなくて良かったとすら思っている。
しかし、問題は高校。私が卒業する年に起きた。
「思緒姉ちゃんは高校卒業したらどこ行くんだ?」
「…?私はずっとハル君の側にいる予定だけど」
「い、いや真面目な話してるんだけど…」
「……将来の夢とかそういう話なら…まだ決まっていないとしか言えないわね」
「えぇ!?思緒姉ちゃん頭もいいしどっかすごい大学とか行かないのか?」
「大学…まだ受験までは時間があるし、そういうのも考えて見てもいいかもしれないけれど、一応私は就職希望ということになるかしら」
「なんで…」
「お金が必要だから」
「直球だな」
「安心しなさいハル君、ハル君が引きこもっても私が面倒を見てあげるわ」
「いや、引きこもらねーよ…そっか、思緒姉ちゃんもまだ将来のこととか決まってないのか」
「ハル君は…なにかなりたいものでもあるの?」
「ん?あぁいや、そういうことじゃなくて一応ほら今年高校受験だしどこ受けようかなと思ってさ。それで思緒姉ちゃんが卒業する学校ならなにか見つけられるかもしれないとか思ったり思わなかったり…」
「…………」
…………私はふと想像した。してしまった。ハル君との高校生活を。一緒に勉強して、一緒にお昼ご飯を食べて一緒に部活動なんかに励んで、一緒に下校する。郊外実習にだって一緒に行けるかもしれない。
「思緒姉ちゃん?」
「……ハル君」
「なんだよ」
「将来の夢の話だったわね」
「う、うん」
「とりあえず、そんな未来のこと考えても仕方がないし目の前の高校受験に備えるようにした方がいいわ。勉強は私が教えてあげるから」
「え?あ、うんありがとう?」
「それから、私の将来の夢はやっぱりハル君と一緒にいることよ」
「……なんだそれ」
その日、私は決めた。ハル君との高校生活を送ることを。




