4話『シオダイアリー①』
とある日、その放課後。
「な、なああき…」
「ごめんね、今日は部活あるから…すぐ行かなきゃ…」
「あ……」
先週から今日まで、なんどかあきと莉音に接触を試みるものの今のように何かしらの理由をつけられて避けられている。強引に引き止めるようなことは避けたいけれど、流石にこのままではラチがあかない。
「はぁ…とりあえず帰るか」
ふたりにどのようにして口を開かせるかまた考えなければならないけれど、多分今日ももうじき思緒姉ちゃんが迎えに来る頃だ。あの日から毎日、思緒姉ちゃんは僕をわざわざ迎えに来る。まだまだ教室にクラスメイトが残っている状況で「迎えに来たわ。さあ、お姉ちゃんと手を繋いで帰りましょ」などと言われた時は恥ずかし過ぎて死ぬかと思った。恐らくすでに僕の知らないところでシスコンと認定されているに違いない。
「……」
まだわずかに残っている生徒たちの目が痛い。すぐに教室を出てしまいたい所だが、勝手にいなくなると思緒姉ちゃんが拗ねてしまう…最近僕のことを子供扱いしてくると思っていたが、どちらかといえば思緒姉ちゃんの方が子供っぽくなっている気がする。
「…………遅いな」
おかしい。授業が終わってもう15分が経とうとしている。いつもなら授業が終わって5分もしないうちに教室に来るのに…うーん、仕方がないので思緒姉ちゃんの教室まで行ってみるか。
3年生の教室のある2階へと降りて廊下を見渡す。時間が経っているからかやはり生徒の数は疎らだ。
「家内?なにしてるのそんなところで」
「あ、玉波先輩」
ちょうど部室に行くところだったのか、玉波先輩が教室から出てきた。
「いや、ちよっと思緒姉ちゃんを迎えに…」
「家内さん?珍しいわね。最近は授業終わりにすぐ廊下を歩いて貴方のところに行ってるのを見るのに」
「…なんで僕のところに来てるって知ってるんですか」
「なんでもなにも、家内さん毎晩メールで私に自慢してくるわ今日もハル君と一緒に帰ったって」
「……あぁ…」
一体玉波先輩になにをしてるんだ思緒姉ちゃん…
「そうだ家内、今週末暇かしら」
「…?一応予定は無いですけど」
「…そ、それなら…」
「先輩?」
「貴方のお家に泊まりに行ってもいい?もちろんお母様とお父様に許可を頂けたらだけど」
「え…あー…」
どうだろう。すでに一度先輩は我が家で半ば居候状態だったし、母さんととうさんが反対するとは思えない。でもこれ以前とは状況が違うというか…
「あ、もしかして思緒姉ちゃんとお泊まり会仕しよう的な話になったんですか?」
さっき毎晩のようにメールをしていると言っていたし、ありえないことではない。
「…?いや、私貴方と一緒に居たいから提案してるんだけど」
「……あぁ…はい、今日母さんに聞いときますね」
「よろしくね、じゃあ私もう部室に行くから。そうそう、家内もたまには顔を出しなさい。一人だと寂しいから」
そう言い残して、玉波先輩は鼻歌を歌いながら去って行った。
「相変わらずだなあ先輩…」
玉波先輩の言葉には思緒姉ちゃんとはまた違う強制力を感じるというか、なにか断れない感じがする。まあ、それも先輩の良いところだと思うけれど。
「…おっと、思緒姉ちゃんの教室に行かないと」
「おじゃしまーす…」
やはり上級生の教室に入るというのは緊張してしまう。恐る恐る扉を開けて中を覗くともうほとんど生徒は残っておらず、思緒姉ちゃん含めてふたりだけだった。
「ん?あっ!おーい、家内く〜ん、こっちこっち」
「……」
思緒姉ちゃんの机の隣の席に座って、僕に手を振る剣崎先輩の姿が見える。あの人なにしたんだ?
「…あれ、思緒姉ちゃん寝てるんですか?」
「そうなの、最近よく授業中にも寝てるんだ。なにか疲れることでもあったのかな…家内君なにか知ってる?」
「…い、いえ」
「そっか…」
思緒姉ちゃんはいつも僕を起こしてくれるし、確かに早起きしているかもしれないけれど、その分寝るのも家族の中で一番早い。それに決して授業中寝るようなことはなかったと思う…やはり、先日のことが原因でなにか疲れが溜まっていたりするのだろうか…
「ま、弟君が来たことだし私は行くね!バイバーイ」
「お疲れ様です」
軽快な足取りで教室を出て行った剣崎先輩を見送り、僕は今しがた剣崎先輩が座っていた席に座り少し猫背で頭をコクリコクリと動かしながら眠る思緒姉ちゃんを少しの間観察することにした。…剣崎先輩の座っていた場所にわざわざ座ったのは先輩が椅子を机の下にしまわず行ってしまったためであり、先輩の温もりを感じたかったとかそういう、気持ち悪い理由ではない。断じてない。
「……」
すーすーと寝息をたてながら眠る思緒姉ちゃんは起きる気配がない。教室の外や校庭から聞こえる部活動や帰宅する生徒達の声が僅かに聞こえ、誰もいないこの教室というのはとても不思議な空間で、思緒姉ちゃんを見ている僕まで眠たくなってくる。
「……」
それにしても、本当に僕と思緒姉ちゃんは似ていないな。というか、思緒姉ちゃんだけ家族から浮くほど顔やスタイルが整いすぎだと常日頃から思っているけど、本当にどうしてこんな完璧な姉があの両親から生まれたのやら…
「……ん…」
私としたことが、つい眠ってしまったのかいつのまにか教室内が暗くなってきている。時計を見るとすでに下校時刻まで残り20分をきっており、もうじき鍵をしめるため担当の教師が各教室を回り始める時間帯だ。
……やっぱり夜更かしはダメね。
最近、ハル君が寝たギリギリのタイミングですぐに部屋に忍び込んでずっと隣に寝転んで観察するのにハマってしまい、睡眠時間が足りていない。それに授業の内容は大体知っていることの復習のような感じになってしまっているから、余計に眠気を誘う。
「それにしても、剣崎さんくらい起こしてくれれば良かったの…………に…」
誰もいない教室を見渡して、ふと自分のすぐ横の席に目を向けた私は言葉を失った。いつからいたのか、この3年生の教室にハル君がおり、そして気持ちよさそうに眠っている。
「…ハル君」
呼びかけてみても、起きる気配はない。…このまま起こすのは忍びないし、なにより勿体ない。私は椅子ごとハル君の近くに寄ってその頭を、頬を撫でる。
「私が眠っていたから、起こさず側にいてくれたのね」
こうしていると、思い出す。いや、毎晩、毎日のように思い出しているけれど。ハル君が生まれてから今日までほぼ毎日ハル君の寝顔を見てきた私にとって、この子の寝顔はまさに誰にも渡したくない宝物だった。
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「ほら陽満、今日からみんなで一緒にお家で住みましょうね〜」
母さんに抱かれて、私の弟はやって来た。まだ目もほとんど開いておらず、その体は当時の私からしてもすごく小さく感じたけど、家族として共に過ごすこの家に陽満はやって来た。




