√ヒメ『恋』
「玉波さん、その格好で行く気?」
「変かしら?教室では評判良かったんだけど…」
屋上へと続く階段、その最後の踊り場。重力に逆らって浮いているようなミニスカートの端をつまんで少し持ち上げる。家庭科部のクラスメイトが合わせてくれたので似合ってないことはないと思うけれど、無表情がデフォルトの家内さんの眉がピクピクと動いているので少なからず思うところがあるようだ。普段、膝どころか太ももがこんなに出る衣服を着たことがなかったのであまり実感が湧かなかったけれどいざ、これから家内の前に立つとなると途端に緊張してきた。
…変じゃないかしら……
「まぁ、いいわ。結果がどうあれ、貴女に協力するのもこれで最後だから」
「私は別に協力してくれなんて頼んだ覚えはないわ」
「……そうね、これは私の目的のためにやっていることね」
「…言っておくけど、私は私の人生を家内にあげる気でいるけど、家内の人生も私が貰うわ。私は私と家内、2人で幸せになるから」
「そう、ハル君を幸せにしてくれるならそれでいいわ」
「……」
なにも気にしていない、興味がないような態度で家内さんは手をひらひらと振る。
「……家内さん、貴女はいいの?自分の気持ちを伝えなくて」
「…気持ち?」
「好きなんでしょ、家内のこと」
「私はハル君の姉よ、そんなことあの子に伝えたら気持ち悪がられちゃうわ。ハル君に嫌われるなんて私は嫌よ」
「あいつが貴女のことを嫌いになるとは思えないけど…」
「なに、玉波さん。貴女私に譲ろうとしてるの?もしここで貴女が譲ってくれるなら私はハル君を力ずくで自分のものにするわよ」
「……はぁ…邪魔が入らないようにして。じゃ、行ってくるから」
「……えぇ」
ドアを開くと、壁に寄りかかって中庭を見る家内の背中が見えた。
瞬間、足が重くなる。
心臓の鼓動がが破裂しそうなほど早くなる。
顔が熱い。
息ができない。
視界が…滲む。
もし今日ここでもう一度想いを伝えたとしても、彼とは一緒にいられないかもしれない。断られたらどうしよう…そうなれば私は家内ともう話すこともできないほどに拒絶するかもしれない。耐えられない。彼が私以外の誰かを選ぶなんて……
涙が浮かぶ。左右の目に。左目はではもう彼の姿を見ることができない。それでも涙は溢れてくる。
涙を拭って、息を吐く。多分目が腫れてる…まあ、それは最初からだから大丈夫か。
最後に一度、小さく深呼吸をしてから足を踏み出す。
泣いても笑っても、上手くいってもいかなくてもこれが最後だから。
悔いが残らないようにしたいから。
「家内」
頭にカチューシャをつけ、白黒のメイド服に身を包んだ玉波先輩が僕を呼ぶ。玉波先輩のメイド服を誰が選んで着せてくれたのかは知らないけれど、その人物の趣味嗜好はかなり良いものだと判断できた。玉波先輩の白い肌と髪をより強調するように、先輩のメイド服は白のエプロンや装飾がかなり抑えられておりニーソックスとガーターベルトも黒色である。どちらかといえばゴスロリ系の衣装に近い印象を受けるが最低限エプロンだということがわかる範囲なのでなんら問題はないだろう。
しかしそこはあまり重要ではない。本当に重要なのは先輩の目が腫れているということであり、僕はその理由を知っている。衣装は身の次。僕はまず先輩に謝らなければならない。
「せ…先輩…その…メイドカフェ、行けなくてすみません…」
そう、僕は結局玉波先輩のクラスのメイドカフェには行けなかった。朝から長蛇の列ができており、人が少なくなった頃に出向こうかと思っていたのだけれど、その列が解消られることはついになく。莉音達との予定が全て終わった時には既に料理に使う材料どこら飲み物すら売り切れメイドカフェは閉まってしまっていた。
「もういいわ…素直に受付の子に言ってくれれば特別に入れたのに…変なところで家内真面目だから…」
「やっぱり、特別扱いは先輩にも迷惑かけると思って…」
「そうね、そう考えてくれるところも貴方の良いところね。でも私、嫌われたのかと思って泣いちゃったのよ」
「……」
目の腫れはやはりそういうことなのか。……こんなことになるならば莉音に多少無理を言ってでも一緒に列に並んでもらっていたら…いや、流石に一緒はまずいか…
「ねえ家内」
「はい…」
「私の絵、見てくれた?」
「…見ました」
「そ、嬉しい」
本当にそれだけ聞けて満足したのか、玉波先輩は笑顔をこぼす。けれどそれもすぐに変化し、先輩は悲しげな表情を浮かべる。
「…私はずっと1人だった」
「先輩…?」
「友達もできないし、親も私を見てくれない。私には絵を描くことしかなかったの」
「……」
「それでも貴方が見つけてくれた。中学の卒業式のあの日、私を見つけてくれると言ってくれた」
ホワイトデー、雪の降る中。先輩と僕が初めて出会った日。女子トイレの壁を挟んでという、ロマンも何も感じないあの場所で彼女は泣いて、僕はそれを聞いていた。思緒姉ちゃんにも言ったことがない、僕と先輩だけが知る出来事。
「白が一番好き…雪を見てあなたが呟いた一言で私はあなたをもっと知りたいと思えた。きっと僕みたいなやつが先輩を見つけてくれるから…その一言で私は貴方に恋をした…」
玉波先輩が一歩、また一歩と僕に近づく。
「自分でも驚くくらい簡単に初めての恋に落ちた。でもしょうがないわ。私もまだ中学生だったんだから。私にチョコをくれたのも、優しく話しかけてくれたのも……貴方が初めてだったもの」
僕の目の前で立ち止まった先輩は、いつもの下手くそな笑顔で笑いかける。その細められた目尻には、涙が浮かんでいた。
「ありがとう。嬉しかったよ、他の誰でもない…貴方が見つけてくれて」
チャイムが鳴った。それは下校時刻を示すチャイム。今日はまだテントや備品の片付けのために残っている生徒たちが大勢いるけれど。18時30分、いつも通りの時間に鳴るこのチャイム、生徒達の間でまことしやかに囁かれる噂の対象。
僕の手を取り、指を絡める。爪先立ちで寄りかかった先輩は、短くキスして僕から離れた。
「ずっとずっと大好きです。私と一緒にいてください」
今この時この言葉が、玉波先輩にとってどんな意味を持つのか。どれだけの勇気を振り絞ったのか……僕でもわかる。
「…………せ、先輩!僕は……」
「…………言わないで…」
「え…」
「…卑怯だけど…私、弱虫だから…もし貴方に断られたらと思うと…怖いの。だから、言わないで…」
「でも……」
「お願い…私を拒むとしても、受け入れてくれるとしても…今はこのままでいさせて…」
玉波先輩はそう言って僕を抱きしめる。その細い体は、小さく震えていた。
「家内…私、もう少しでこの学校を卒業する…」
「…はい」
「東京の美術大学に行くわ」
「…はい」
「だからね…もう一度…もう一度だけ私を見つけて欲しい」
「…え…」
「まだ家内には考える時間が必要でしょ…将来のことも…他にもたくさん、だから私待ってるわ。貴方がもう一度私を迎えに来てくれることを…もし貴方がまた私を見つけてくれたならその時は……」
先輩が僕から離れる。
「その時は私と、結婚を前提に付き合ってください」
美術部の部室で、最初に玉波先輩に押し倒された時も、彼女は僕に結婚してと言っていた。あれは混乱から思わず口走ってしまったものだとばかり思っていたけれど、それは僕の間違いだったようだ。両親から愛を感じなかった先輩は、心のどこかで家族というものに憧れを抱いていたのかもしれない。現に母さんや真実と接する時の先輩はとても嬉しそうだった。そして…だからこそ結婚という言葉を…家族になるために使うのだ。
玉波先輩は、あの日から今日まで…最初から目的を変えず、僕のことを想い続けていた。ただ慰めるつもりでチョコを渡した僕のとこを、確証もないのに…誰かが見つけてくれるだなんて言った僕のことを。
僕が先輩とこの学校で出会ったのだって、偶然だ。結果的に先輩は僕が見つけてくれたと言ってくれているけれど、僕が見つけようとしたわけじゃない。それなのに…
「ま…まだ…」
こんなものは……
「まだ僕は悩んで…います」
こんな言葉は意味がない。
「でも絶対、先輩に伝えに行きます。先輩を見つけます。」
問題を先延ばしにしているだけだ。
でも今は…玉波先輩がそう望むなら、僕は先輩の告白に答えない。その結果がどうなったとしても…
今僕が先輩を好きな事実は…恋をした事実は変わらない。
この気持ちが、恋だというのなら。先輩に今伝えることのできない僕は弱虫どころではない。
「うん、待ってる。だから卒業式まであと少し、あと少しだけ私の可愛い後輩でいて欲しい…」
「……はい…」
アルビノの少女は悲しげな表情なまま器用に笑う。また僕に見つけてもらうことを信じて。
「終わったの?」
「…えぇ」
校内に入ると、家内さんが待っていた。
「ハル君は?」
「少し…ひとりで落ち着きたいって…」
「………ダメだった?」
「…わからない。私逃げちゃったの…答えを聞かずに…」
「そう…でも告白はできたんでしょ」
「うん」
「あくまでも噂はチャイムが鳴った瞬間に告白した女子の想いは成就するというもの…今回の告白が成功しようが失敗しようが気に病むことはないわ。告白した時点で目的は達成、ハル君にも私が噂を教えてあるから貴女のことを意識するしかない筈よ」
「…慰めてくれてるの?」
「そんなわけないでしょ。私は貴女のことも嫌いよ」
「…誰か来た?」
「えぇ、チャイムが鳴る前に立花あき、それから鳴り終わってから野美乃莉音が来たわ」
「あの子達には悪いことをしたわね」
「それこそ、考えるだけ無駄よ。私はあの2人だけにはハル君を渡さない」
「…貴女達の間に何があったか知らないけど、そのいざこざに家内を巻き込むんじゃないわよ」
「……わかってる」
「そ、なら良いわ♪」
軽やかなステップで階段を降りる。
「…?玉波さん、随分とご機嫌ね」
「分かる?」
「えぇ、気持ち悪いもの」
「失礼ね…私、今日は逃げちゃったけど確信してるの。家内は必ずまた私の元に来てくれるって」
「…」
「それにもう私の想いは伝えきったから、明日の代休が明けたら私は卒業式の日まで一歩も引かないわ」
「……」
「家内が私抜きでは生きていけなくなるまでアタックしてアタックしてアタックしまくるの!さしたら絶対、卒業しても私のことを忘れないでしょ」
振り向き、家内さんの顔を確認するとなんとも虫酸が走るとでもいいたげな表情を浮かべていた。
私の初恋は今日で終わった。今日からは彼から私に恋をしてもらうんだ。また見つけてもらうんだ。あぁ、想像しただけで死ぬほど嬉しい。待ち遠しいな…卒業して…もう一度彼と会った時、今度は彼から私に言ってもらおう。
「僕と結婚してください」って。




