√カヤ&ヒダカ『フタリのナマエ』
泉に連れ回されて模擬店2周目を敢行してしまった僕は、満腹感からかすっかり動けなくなっていた。
「陽満、お腹いっぱいなら言ってくれればよかったのに…」
「いや…大丈夫…ちょっとここで休んどくから……」
今僕がいるこの教室は普段から使っているお馴染みの教室であり、突っ伏している机も自らのものである。クラスのみんなは模擬店の方に行ったりそれぞれ学園祭を見て回っているのでここにはほぼ誰も寄り付かない。まさに休むにはうってつけの場所だった。
「そうか?それなら私は実行委員の仕事に戻るよ…またな?」
「ん……」
心配そうな表情を浮かべたまま泉が教室から出て行った。周囲から僅かに音や声が聞こえてくるけれど、今ここには僕しかいない。警備の係は確か15時30分からだったから…少しの間目をつぶっても……
「家内先輩……先輩……」
「……ん?……」
「家内先輩、あの……」
あれ?この教室は確か僕のクラスだったよな…でもなんで目の前に桜花妹がいるんだ……?
「桜花……?」
「はい桜花ですよ。ちなみに姉さんもいます」
「……ほんとだ」
たしかに、桜花妹の横には桜花姉が立っている。この姉妹はもうセットのようなものだから、いないといないで違和感を感じてしまうことが多くなった。
「いてて…な、なあ桜花…今何時だ?」
「15時20分」
「あ、あぁありがと…」
僕は今、桜花妹に時間を聞いたけれど、その答えを返してきたのは桜花姉の方だった。うん、ややこしいな。でも本人達に桜花姉やら妹と直接言うのはやめたほうがいいだろう。かといって名前で呼ぶというのは…うーん、最近は名前で呼ぶ相手も増えてきたし別に抵抗とかはないんだけれど、やはり桜花姉妹は桜花姉妹なのだ。特に妹、桜花陽京は名前で呼びにくい。それは名前が呼びづらいとかではなく単に後輩だからという理由だった。思えば、僕は玉波先輩や可愛川ちゃんのことも名前ではなく苗字で呼んでいる。まあ、莉音やあきも最初は苗字呼びだったのだけれど、この場合はやはり僕の気分の問題だろう。家族である真実と思緒姉ちゃんとは違う。さらに言ってしまえば同級生でもない。そんな自分と少し離れた存在に対して自然と距離を置いてしまっている。ではなぜ桜花姉に対しては名前呼びではないのかといえば、桜花妹に対して姉は伽夜呼びではなにか不平等ではないのかという訳の分からん配慮からである。結果として今のようにめんどくさい行き違いが発生しているので、やはり桜花姉妹に確認をとってから呼びやすい名前で呼ぶようにした方がいいだろう。
……ん?15時20分?
僕は自分の目でも確かめるために部屋の前方にかけられた時計を見る。ふむ、たしかに時計の針は15時23分を指し示している。
「……やっべ!!!!!」
「「!?!?」」
「ごめん、伽夜!陽京!起こしてくれてありがとな!」
「あっ…先輩!?」
僕は急いで教室を出る。本当に危なかった。もし遅れていたら玉波先輩にひとりで駐車場の警備をさせてしまうところだった。
「「……」」
せっかく家内を見つけたのに、すぐに出て行ってしまった。妹の表情は見えないけど、その肩は少し震えている。
「な、なあ陽京?そう落ち込むことないって!また明日もあるしいくらでも誘うこと……」
「き、聞きましたか姉さん!!!!」
「ひっ……」
グリンと擬音が鳴りそうな回転で、妹の首がこちらに向く。
「な、なに?どうしたの?」
「せ!先輩が!家内先輩が私達のことを名前で呼んでくれました!」
「……あ…そういえば……」
「やりましたね姉さん。これでふたりで仲良く家内先輩を半分こする計画も一歩前進です」
「なにその計画……私知らない…」
私の手を握ってブンブン振る妹の姿は、とても明るい。普段はナヨナヨしているくせに、家内が絡むことになるとすぐこの調子だ。でもまあ、この子が幸せならそれでいいとも思える。
「嬉しいですね姉さん」
「いや、だから私は別に……」
「そんなこと言って、意識してから顔が赤くなってますよ」
「…………」
やっぱり一度上下関係を確認させた方がいいかもしれない。
「それよりいいの?生徒会の仕事がまだあるんでしょ?」
「はい…残念ながら…そして明日はもっと多いので多分家内先輩とは遊べません……」
「……その、陽京…家内のことなんだけど……」
「なんですか?」
「私のことは気にしなくていいからさ、陽京のやりたいようにやりな?」
「……いいんですか?」
「いいもなにも、私は別にあいつのこと好きなわけじゃないから…」
「そうですか、わかりました。では私の好きなようにします」
「うん」
「楽しみにしてください。ふたりで仲良く先輩を分けっこしましょうね」
「……え?陽京?今の聞いてた?」
「はい、姉さんが私のために先輩を諦めるという話でした」
最近、妹と会話が噛み合わない気がする……
「でも安心してください。私たちは姉妹ですから、好きになる人が被ったならふたりで分け合えば解決ですから」
「……あー…もうなんでもいいや」
「では、私が家内先輩を籠絡する手伝いをこれからもお願いしますね」
「…はいはい」
確かに最近のこの子はおかしいところが目立つけど、やはり姉としては妹に幸せになってほしい。今この子があいつを好きで幸せならそれでいい。
それでも本当は陽京とあいつを一緒にしたくはない。
あいつには悪いけど、助けてやることはできないけど、あいつの周りにいる奴らはどう考えてもおかしい。異常だった。私は知らなかった。野美乃さんがあんな顔をすることも……急に一緒に昼飯を食べるなようになった…えっと…伊藤さん?だっただろうか、彼女も異様にあいつにベタベタと…
とにかく、私は妹の幸せのためになんでもするけど……それはこの子が望む幸せのためだけだ。




