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ヒミツ  作者: 爪楊枝
学園祭準備
67/109

1話『シロバラ』


週末、僕は玉波先輩に呼ばられ先輩の自宅前へとやって来た。


「……うーん…」


しかし、かれこれ5分ほど玄関の前で足踏みをしている。なぜかと言われればやはり先輩の両親の存在が大きい。話を聞く限りでは少なくとも良い家族関係とは言えず、そんな中へと僕が足を踏み入れてもいいものかと考えていた。いや、言ってしまえば勇気がないのだ。自分の娘を部屋に閉じ込め、金儲けの道具としてしか見てこなかった父親に相対する。そして何より、そんな人間の前で正気でいられるかどうかが分からなかった。


「…っし、悩んでも仕方ないよな」


意を決して、ドアノブに手をかけようとしたその時、扉が勝手に開いた。


「誰だ、君は」

「あ……どうも…」


ドアの向こうに立っていたのはいかにも厳しそうな父親というイメージ通りの白髪の男性、しかしその黒い毛も混じった白髪は玉波先輩のようなアルビノではなく、年齢を重ねた結果のもののようだった。


…玉波先輩のお父さんだよな?なんだか随分と高齢に見えるというか…っといけない、不審な目で見られてる。


「僕玉波先輩の後輩で家内って言います…今日は先輩に呼ばれてて…」

「姫に?分かった。少し待ってなさい」


怪訝な顔をしたまま、先輩のお父さんは家の中に入っていった。それから数分と経たず慌ただしい足音とともに扉が開かれ嬉しそうな顔をした玉波先輩が現れる。その顔を見て僕はなんだか少し安心した。


「いらっしゃい家内、さあ上がって上がって」

「は、はいお邪魔します」


玉波先輩に手を引かれて案内されたのは1階にある比較的大きな部屋。テーブルを挟んで向かい合う形で置かれたソファーに玉波先輩のご両親と僕達がそれぞれ座った。……ん?なにこれどういう状況?


先輩のお父さんの横には奥さん、つまりは先輩のお母さんが座っている。なるほど先輩によく似ている。黒髪黒目の玉波先輩が目の前に座っているような感覚だ。似ていない所といえばその体型だろうか。先輩は控えめな体格というか少し痩せ気味だけれど先輩のお母さんは健康的な印象を受けるし胸も大きい。


……先輩が睨んでるからこれ以上のことは考えないでおこう。


「お父さんお母さん、彼が家内君よ。いつも話してるでしょ?」

「ど、どうも」


いつも話してる?


「いつも娘がお世話になってます。姫の母です」

「……」

「いえ、こちらこそ……」


先輩のお母さんが深々とお辞儀をしながら挨拶をしてきた。お父さんは…どうやら僕の印象はかなり悪そうだ。……というかなんか結婚の挨拶みたいじゃないかこれ…なんでこんなことになってるんだ…


「じゃ、私達は上で遊ぶから行くわよ家内」

「え!?あ、はい」


まるでやることは終えたと言わんばかりに玉波先輩が立ち上がり、僕もそれに続く。


「あの先輩、さっきのなんなんですか。すごい気まずいんですけど」

「気にしないでいいわ。それより早く早く」


以前通された来客用の部屋、ではなく玉波先輩が日頃から使っている小さな部屋に入いる。前回と変わらず薄暗い部屋の中はやけに肌寒く感じた。


「さ、そこに座って。こっち向いて動かないでね」

「分かりました…」


部屋にふたつだけ置かれた丸椅子の一つに僕が座り、それに向かい合って玉波先輩が座る。先輩の側にはキャンバスとイーゼル、油絵に使われる一式の道具が置かれていた。そう、今回先輩に呼ばれた理由はこれである。なんでも学園祭で出す美術部の展示品に僕の絵を出したいとのことだった。正直絵を描かれるという体験が無かった上に展示すると聞いた僕は最初断ったのだがしつこく頼み込んでくる先輩に根負けする形で了承した。


「……」

「……」

「……あの」

「なに?」

「どれくらいかかるものなんですか?」

「そんなに大きくないし学園祭までのあと3週間あれば余裕で終わるわ。それまでは何度か家内に協力してもらうけど心配なくてもそう頻繁に呼んだりしないから安心しなさい」

「それならまあ…いいですけど」

「よし、準備終わり。じゃあ家内、始めるわよ」

「…はい」


諸々の準備が終わったのか、先輩が立ち上がり僕の前に立つ。すると先輩は「ふむふむなるほど」とわざとらしい声を上げながら僕の顔を触り始めた。先輩の言い分では確か


「モデルの細部まで確認する大事な作業だから、ほら私左目ほとんど見えないし!」


とのことだったが本当にこの行程は必要なのだろうか?しかもなんだか先輩の顔がやたら近い気がする…というか近い。いやまあ皺やほくろなんかの細部まで確認するために目を凝らすのは分かるけれど、これほど近いと逆に見にくかったりしないか?肌と肌が触れるまであと5センチほどもないぞ多分。


綺麗な紅い瞳を細くし眉間に皺を寄せた先輩は両手の手のひらを僕の顔に押し付け、その位置を変えながら僕の顔を造形を確認する。時にその細い指で瞼や頬を優しく撫でられるとなんだか途端に恥ずかしくなってしまう。


続いて先輩は人差し指をそれぞれ僕の右耳と左耳に這わせる。耳たぶから少しずつ耳の肩を確かめるように上がっていき、その部位を弄るようにして最後は耳の穴に耳栓の要領で指の先を当てた。


「………ね…ち」


先輩がなにか口にしたがほとんど分からなかった。すぐに手は離れて先輩も椅子に戻る。


「…玉波先輩最後なんて言ったんですか?」

「……内緒よ」


先輩は僕に優しく微笑みかけるのみで、その答えは教えてくれはしなかった。





「じゃあ家内、気をつけてね。送らなくて大丈夫?」

「これでも僕も男なんで大丈夫ですよ。というか立場が逆じゃないですか普通」

「家内は歳下なんだから私が守って上げなきゃね」

「……なんですかその理論、まあ今日は楽しかったです。また月曜に学校で」

「えぇ……そうね」


先輩の家を後にした帰り道。


「待ちなさい」


事件は起こった。


「家内君、少し話をしよう」

「先輩の……お父さん?」


暗い夜道、家路を急ぐ僕に話しかけてきたのは玉波先輩のお父さんだった。その表情からはやはり厳しそうな人に見える。


「は、話っていうのは?」

「なに、姫のことだ。君はあの子とどういう関係なんだね?」

「関係?」

「君はあの子と付き合ってるのか?」

「えっ、いや…付き合ってはないですけど…」

「ならなぜ君はあの子と共にいる。あれが友人を…それも男を家に連れてくるなんて初めてだ」


……。


「君にはあの子がどう見える?一緒にいて不都合はないか?周囲の人間の目が気にならないか?」


…。


「最近姫が絵を描く頻度が減った。君の存在があの子を縛ってるんじゃないか?あの子の絵は私にとってとても大事なものなんだ。わかるだろ?あの子は私の娘だ。悪いが君ごときに触れて欲しくない」


ふざけている。


「なに…言ってるんですか……?」

「ふん、あの子も昔から私のいうことを理解してこなかったが、選ぶ男も似たようなものだな。良いか?私の家族に関わるなと言ったんだ」


腐っている。


「君もあれと結婚でもしたらどうなるか想像くらいつくだろ?確実に周りから浮いた目で見られる。君はそれに耐えられるか?なにも知らないくせに病気だなんだと噂され、終いには娘自身ではなく我々の社会的地位まで貶められるんだ。あんな子を産んだことを両親から疎まれる……この気持ちが……この気持ちが君に!!!」

「分からねえよ!!!」


それ以上、彼の言葉を聞きたくなかった。聞くに耐えなかった僕は思わず手が出ていた。思えば、初めて人を本気で殴った。


「なっ!?このガキ……!」

「あんた…自分の娘をあんな部屋に閉じ込めて金儲けの道具としか見てこなかったくせに…随分と調子のいいこと言うんだな。そこまで先輩のことを嫌ってるくせに手元から離れるのは嫌なのか?」

「……当たり前だ。あれは私のものだ」

「あれとかものとか先輩を人として見ない。……お前みたいな奴があの人を娘だなんて言うんじゃねえ!」

「お前には分からんだろうな、あれがどれだけ!どれだけ恐ろしいか!」


叫びながら、殴りかかってきた先輩のお父さんの拳を僕は避けることができなかった。もともと喧嘩は弱い方だ。真実との喧嘩もだいたい負けるほどに。見事に顔面パンチをもらった僕は一瞬目の前が暗転し、次に目を開けた時には地面に背をついていた。しかし、後頭部はやけに心地の良い柔らかさに包まれていた。


「目が覚めた?」

「先輩……どうしてここに」

「お父さんが出て行ったってお母さんに聞いて、不安になって追いかけてきたのよ。そしたら家内が倒れてるんだもの…もしかしてあの人にやられたの?その顔」

「いえ、石に躓いて転んじゃいました」

「……バカね」


流石に嘘だとバレている。玉波先輩が僕のおでこを優しく撫でる。夜風になびく先輩の白髪は月の光に照らされてとても神々しかった。


「あ、家内。あなた唇が切れてるわよ」

「ん…ほんとだ。鉄の味がしますね」

「…じっとして」

「ん!?」


キス……ではない。切れた下唇に着いた血を玉波先輩が舐めとったのだ。


「き、急になにするんですか…」

「あの時言ったでしょ?私は家内の味も知りたいって。それとこれも造形を知るのに必要なことなのよ」

「……先輩嘘下手ですね」

「…そうね、私は嘘が下手ね」


クスクスと先輩が笑う。いつも見せる驚くほど下手な笑顔ではない。


「いてて…ありがとうございます。多分大丈夫ですから…先輩ももう家に帰りましょう」

「えぇ、気をつけてね。ちゃんと消毒するのよ」

「分かってます…って、先輩裸足じゃないですか!」

「…?あぁ、急いで出てきちゃったから」

「えぇ…僕の靴履きますか?」

「…それも良いけど、家が近いからこのままで大丈夫よ。それより家内の方こそ早く帰ってお姉さんに診てもらいなさい」

「……正直思緒姉ちゃんには見せたくないですけど…」

「ふふ、とにかく…今日はありがとね」

「…はい」


玉波先輩にお礼を言われることなんて僕はなにもしていない。できていない。結局、先輩のお父さんと先輩の関係をより険悪にしてしまうキッカケになってしまったかもしれない。そんな無力感に苛まれながら、僕は帰路につく。もちろんこの後、思緒姉ちゃんに石に躓いたと嘘をついて説得するのに苦労した。





「ただいま」

「……おかえり…姫」


私を出迎えたお父さんは手にタオルを持っていた。私は黙って片足を上げて跪いたお父さんに足を履かせる。


「ど、どうだ姫?お父さんちゃんと役割を果たしたぞ?だからな?早く次の絵を描いてくれないか?もう金が…生活費が底をつきそうなんだ…」

「……役割?」

「あの男にお前から離れるよう言うことだよ!ほら、見てくれ!殴られたんだぞ?ここまでしてやったんだ!頼むから絵を描いてくれ」

「ふざけないで」

「え?」

「誰が家内に怪我させていいなんて言ったの?誰が家内を殴ったの?」

「そ、それは…」

「図星をつかれたからって高校生相手に逆上しちゃうなんて本当に憐れね。最低だわ」

「す、すみ……ません」

「お父さんの自尊心が傷つこうがどうなろうが私はどうでもいいの。ただ家内を傷つけたのだけは許せない」

「……!な、なんでもする!なんでもするから父さんを許してくれ!な!な!」

「……それなら、教えて」


乞食のようにすがりついてくる父親を見下ろして私は聞く。


「家内は私のことなんて言ってた?」

「……私の言葉に対して…かなりキレていた。お、お前のことを本当に大事に思っている…と思う」

「ほんと?嬉しい!ありがとお父さん。でももう家内に近づかないでね。不快だから」

「あ…姫、絵は?絵は描いてくれるんだろ?」

「1枚だけね」

「そ、そんな…それじゃあ足りないじゃないか…」

「…」


2階に上がると、廊下でお母さんとする違う。会話もなければ視線も合わない。家族だけの場合、お母さんは私のことをいないものとして扱っている。結局、彼らにとって私はお金を楽に得る道具でしかない。私を見てくれるのは彼しか…家内しかいない。


「……傷…大丈夫かな……」


可哀想に……でも嬉しいな。家内が私のために怒ってくれるなんて。きっと彼にとって大切な人…今は複数人いると思うけど……そんな人達に家内は優しくできる人間だ。


「いつか…いつか私だけを見てくれたらいいな…」


部屋に置かれたキャンバス、途中になった絵を見る。まだ家内だと分かるレベルには到底達していない。それでも私の目、右目にはたしかに家内の絵の完成図が浮かんで見えた。


「きっと私はあなたにふさわしい。だから私だけを選んでね……家内」



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