3話『アパートとコウショウ』
「奇遇ですね」
奇遇と言う割には、あからさまに待ち伏せていたような気もするが、莉音は特にその辺りの整合性が取れていなくても気にしていないようなので僕も言葉にはしないでおく。
「莉音、お前の家こっちだったか?」
「いいえ、晩御飯の材料を買いに来た帰りにたまたま陽満君とこうして会えただけです」
そう言って莉音は手に持ったナイロン袋を僕に見せる。
「せっかく会えたんですし、陽満君の家まで送りますよ」
「いやいや、夕飯作らなきゃダメなんだろ?いいよ別に。それにそういう理屈なら送らなきゃいけないのは僕の方だしな」
一緒に下校するのはともかく、家に送ってもらうというのはさすがに男子としてどうなのかと思ったりもする。
「…!そうですね…えぇ、そうです。それがいいですね。では、もし良ければ陽満君が私を家まで送ってくれませんか?」
「え?」
「ダメ…ですか?」
断ることはできなかった。まぁ、そもそも特に用事という用事もなかったので断る理由もなかったのだけれど、先ほど桜花姉に言われた言葉がひっかかっていた僕は、とりあえず暗くもなってきたので家の前まで莉音を送ることにした。
「このアパートの202号室です」
「なるほど」
莉音の住むアパートは僕の家から少し遠い、泉と…ちひろと遊んでいた公園の近くにあった。
「さぁ陽満、どうぞ寄って行ってください」
「え、いや悪いよ」
「大丈夫です。父はまだ帰ってこないので、お茶だけでも飲んで行ってください」
「いやでも…」
「ほらほら、遠慮せずに」
「ちょ、莉音!?」
なんだか強引に、引っ張るように莉音に連れられ階段を登り202号室の前に到着する。莉音が鍵を開け、中に入ってから僕を招く。
「どうぞ」
「おじゃまします…」
生活感に溢れる室内は、玄関に入ってすぐ真っ直ぐに伸びた廊下があり、左に台所、右にトイレや風呂場への扉、そして奥に部屋が見えた。
「狭いですけど遠慮せずくつろいでくださいね」
奥の部屋には机とそれを囲うようにソファーが置かれており、スペースはほとんどそれらに占有されていた。見たところもう一つ右手に部屋があるようだけれど引き戸が閉まっておりそちらまで確認することはできなかった。それよりも、気になったことといえばアルコール飲料の空き缶が入った袋がいくつか見受けられる点だ。ウチの父親、というか母もよくビールを飲むがあまり強い方ではないらしいので一般的に大人がどれくらいの量を飲むのかは分からないけれど、ウチで毎週溜まる量よりも多く思える。莉音のお父さんはお酒好きなのだろうか。
「陽満君、お茶どうぞ」
「あ、あぁありがとう」
莉音がお茶を出してくれた。まだまだ暑いので冷たいお茶が喉によく染み渡る。
「そういえば莉音とこのクラスは学園祭の実行委員どうなった?」
「実行委員…ですか?さぁ…私はあまり興味がなかったので詳しく聞いてなかったのですが、クラス委員長がそのまま担当するんじゃないでしょうか」
「なるほど」
「どうして急にそんな話を?」
「いやな、泉から一緒にしようって頼まれたんだけど僕もあんまりそういうのやりたくないからなあ」
「…泉?」
「ん?あぁ、伊藤さんだよ…」
そういえば、莉音の前で泉と名前で呼ぶのはこれが初めてだったかもしれない。屋上ではそんなに名前を呼ぶことなんてなかったし。
「伊藤さん…そうですか……あ、あの…」
「ん?」
「学園祭なんですけど…私と一緒に回りませんか?空いた時間でいいので…」
「あぁ、いいぞ。回ろう」
断る理由もない。どうせ暇なのだから、知り合いと回れるならその方がいいだろう。
「…よかった……」
莉音が小さく呟く。
「莉音〜帰ったぞ〜〜」
「!?」
扉が開く音ともに、陽気な声が響いた。
「お父さんが帰ってきました!陽満君、こっちに隠れてください!」
慌てた様子の莉音が慌てて僕を隣の部屋に押し込む。ドアを閉められ、たったひとり投げ出された空間は先ほどの部屋とは違い、物は多いがよく整頓されている印象を受けた。なにより部屋の角に置かれた勉強机がこの部屋の持ち主が誰かを物語っている。どうやら莉音の部屋のようだ。よく見ればいくつか人形や小さな頃に描いた絵などが飾られており家具なども女の子っぽい柄のものが揃えられている。
「あ?誰か来てるのか?」
「お父さん、また飲んで来たの?夕飯は?」
「食べて来た。風呂沸かしてくれ。それよりそのお茶誰のだ?知らない靴もあったぞ」
「さ、さっきまで友達が来てたの…靴は…」
「お?まさか男か?へへ…莉音は母さんに似て美人だからな、男も取っ替え引っ替えなんだろ?」
「…へ、変なこと言わないで!」
……なんだろう、家族の会話を聞いてはいけないんだろうけれど気になってしまう。それに結構お父さん酔ってるみたいだけど大丈夫だろうか…
「わかった!自分の部屋にでも隠してんだろ!親に隠れて如何わしいことしてたんじゃないだろうな」
「だから違うって!」
やばい…こっちに来そうだ……どこか隠れる場所…といっても隠れられそうなのはベッドの下か勉強机の下か…あれ?
隠れられそうな場所を探していた僕の目に、あるものがとまる。それは小さな勉強机に置かれた一冊のアルバム。僕はそれに見覚えがあった。というか、僕も同じものを持っていた。
「いいからいいから、父さんに紹介ぐらいしろって〜」
「なにもよくないから!」
ってやばい…こっちに来るぞ!
「……なんだ、誰もいないじゃないか…」
「……?そうだね…」
……良かった。咄嗟にベランダに出て正解だった。でもここにいても見つかるのは時間の問題だぞ…どうしよう。
「陽満……」
「…!?」
「…しっ……静かに…衝立を超えてこっち側に来るんだ」
驚いたことに、隣の部屋のベランダから泉が顔を覗かせていた。訳も分からないまま泉の指示に従い隣のベランダへと移り、室内へ入る。
「だーーーっ…助かった……」
「危なかったな陽満」
「ほんと助かったよ。で、なんで泉がここに?」
「なんでって、ここは私の部屋だぞ」
「……へ?」
小さな部屋がふたつ。違うところといえばこちらは家具が少なくそれほど狭くは感じない所ぐらいだ。そして、莉音とお隣さん。
「まじ?」
「まじ」
「そ、そうか…でもまあ助かった…うん…にしても、なんで僕が隣の部屋にいるって分かったんだ?」
「愛の力だ」
「……」
明らかに嘘だ。なにか僕の居場所が分かるものを持っているのだろうけれど、それに助けられた手前怒るに怒れない。それに多分僕がどれだけ注意深く探しても見つからないような場所に隠してあるに違いなかった。
「で、陽満はなんで隣の部屋にいたんだ?」
「隣の部屋が莉音の家でな?それでちょっとお呼ばれしてたんだよ」
「なに?隣は野美ノさんちなのか?」
「知らなかったのか……」
「あぁ、登校も下校も被ったことないぞ…」
逆にすごい。
「はぁ…とりあえず莉音にメールだけ送って今日は帰ろう。靴は…まぁ明日学校で返してもらえばいいか」
「それなら陽満、私の靴を貸してやろう」
「でもサイズ合わないだろ?」
「大丈夫大丈夫、今出してやるから玄関のところで待っててくれ」
「……うん」
言われた通り玄関まで移動し、莉音にメールを送ったりして少しの間待っていると泉が一足の靴を持ってきた。どうやらもう一つある部屋の方から持ってきたようだ。
「これを使ってくれ」
「おお!サンキューな…あ?」
「どうした?」
「……なぁ、これ……見覚えがあるんだけど僕のじゃないよな?」
「何言ってるこれは私のだぞ?」
「そうだよな…うん。あの靴もうすり減ってたし穴も開いてたもんな!これは穴も開いてないし」
「そうだぞ。だから気にせず使ってくれ」
「おう、ほんと助かったよ。じゃあまた明日」
「あぁ、また明日」
「……」
「危ないあぶない、気づかれるところだった…ふふ、それにしてもわざわざゴミ袋を漁って直した甲斐があったな。私がもう使えないのは残念だけど本人にまた履いてもらえるというのはそれはそれで興奮する…さて」
スマホを取り出して、家内思緒に電話をかける。
「はい」
「私だ。陽満は無事助けたぞ」
「そう…ご苦労さま」
「では、報酬の話に移ろうか」
「……」
陽満の荷物にはどこにいても分かるようにGPSを忍ばせてあるが、まさかこんなことに使えるとは思いもしなかった。陽満を助けたり協力することを餌に、彼の姉と直接交渉できるなんて。
「…それで、何が欲しいの?」
「前回のものよりももっと陽満を感じれるものがいい…できればレアなものが好ましい」
「気持ち悪いわね」
「あんたに言われても嬉しくないぞ」
「…?まぁいいわ。ハル君が小さい時、2歳か3歳の時に履いていた靴をあげる。ハル君の成長を感じられる一品よ」
「…………!!!!貰った!」
前回の歯ブラシも刺激的だったけれど、今回もなかなか悪くない。むしろ良い。
「それじゃあ、よろしく頼む」
「いやぁ…すっかり遅くなったな」
思えば今日はいくつも寄り道をしてしまったが、やっと家に帰えることができる。泉に貸して貰った靴が妙に馴染むせいか、足に羽が生えたように軽く感じた。
「そらにしても莉音大丈夫だったかな…メールは送ったけど急にいなくなって心配かけてしまったか…」
…莉音といえば、彼女の部屋で見たあのアルバムのことを思い出す。僕も持っていたというあのアルバムは確か幼稚園の卒園アルバムだった気がする。つまり僕と莉音は同じ幼稚園を卒業しているということだ。まあそもそもこの辺りに幼稚園なんてそんなに数があるわけじゃないし同じところに通っていたとしても不思議はない。それにクラスだってふたつあったから話したことがある可能性だって低いだろうし…
「…うーん、あんまり覚えてないな」
あんまり、というか全然覚えていない。人間どうでも良いことは割と覚えていたりするのに、思い出したいことは思い出せないのだ。
「ハル君、遅かったわね」
「あれ、思緒姉ちゃん?」
家に帰る途中、なんと思緒姉ちゃんと鉢合わせた。
「どっか行くのか?」
「えぇ、少し友人の家にね」
「そっか、気をつけてな」
「分かっているわ、それよりもう遅いから早くお家に帰りなさいね」
「分かってるよ、というか思緒姉ちゃんもな」
「えぇ」
あの思緒姉ちゃんが夜間に外出とは珍しいこともあるものだ。…男だろうか?いや、まさかな…思緒姉ちゃんや真実に彼氏ができると僕泣くかもしれない…
家に着き、速攻で風呂に入って晩御飯を食べ終わると母さんに思緒姉ちゃんの部屋に新しい寝巻きを置いてきてくれと頼まれたので僕は思緒姉ちゃんの部屋にやってきた。
「相変わらずものが少ないな」
とりあえず寝巻きをベッドの上に置いて、部屋を見渡す。シンプルな部屋の内装は物静かで常に冷静な思緒姉ちゃんらしいとも言えるがもっと女の子らしくしてもいいんじゃないかとも思う。
「ん?」
そんな姉の部屋で、僕の目を惹くものが一つ。それはつい先ほども目にしたアルバムだった。
「思緒姉ちゃんのか?…………って、これ僕のか!?」
なぜ思緒姉ちゃんの部屋に僕の卒園アルバムが?いや、まあ思緒姉ちゃんは昔から僕の写真をよく撮っていたりしたからな。これも母さんに頼んで収納から出して貰ったのか?そんなことを考えつつ、懐かしさからつい手にとってパラパラとページをめくる。最初の数ページは当時の担任や園児の名簿、僕が描いた両親の絵なんかがプリントされている恥ずかしいページもあったが、大部分はアルバムらしく写真が入れられている。多分、それぞれの園児が写った写真をピックアップして作っているのか、ほぼ全ての写真に僕が大なり小なり写っていた。
「なんか少ないな…」
僕は写真があまり好きではなかったので多分ほかの園児のものと比べるとアルバムに収録してある写真の数が少ないのではないだろうか。
「……あ、これ誰だろ」
いくつか写真を眺めているうちに、ある一枚の写真が目にとまる。それは僕を真ん中に2人の少女が並んでいる写真。2人の少女は僕と手を繋いではいるものの、ひとりは仏頂面で不機嫌なご様子。もうひとりは困ったような顔で目をそらしてしまっている。そして何よりこの2人はとても似ていた。髪の長さこそ違えど、姉妹のようにも見えた。
「思い出せねえな…」
名簿を見ればなにか分かるかもと思い、初めのページに戻る。小学校や中学校のように、一人一人の顔写真があるわけではないので名前と顔は一致しないだろうけれど見覚えのある名前がひとつくらいあるはずだ。特に莉音、彼女の部屋にこのアルバムがあったということは少なくとも莉音の名前は載っているはず。
「……野………野…野美…………………え?」
園児の名簿を見た僕は固まってしまった。
そこには知っている名前がふたつ書かれていた。野美乃莉音、そして立花あき。
なにかの偶然だろうか、それとも必然か。僕は昔、すでに彼女たちと出会っていたのだ。僕と直接の関わりがあったかどうかは分からないけれど、少なくとも同じ幼稚園に在籍していた。そして僕はそれが決して偶然なんかじゃないと、なぜかはわからないけどそんな気がしてならなかった。




