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ヒミツ  作者: 爪楊枝
シャシン
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1話『シュジン』


最近、僕には気になることがある。というか、気になっている人がいる。それは別にその人のことが好きだとか嫌いだとかそういう話ではなく、その人物が一体何を考えて僕のことをどう思っているのかが非常に気になるのだ。


授業もすでに5時間目、昼休みを終えておりなおかつ気温も高い。周りを見ればうたた寝をしている生徒もちらほら見かける。今この教室で一番元気なのは教壇に立った英語の教科担当でありこのクラスの担任、新田にった郁子いくこその人だけである。昨年新任としてこの学校に来た彼女は、まだ若く女性ということもあり男子女子問わず生徒からの人気が厚い。寝ている生徒も何人かいるものの、この時間帯の授業で真面目に起きている生徒の方が多いのは僕のクラスではなかなかないことだった。と、まぁ新田先生についてはこれぐらいでいいだろう。僕が気になっている人というのは別に先生のことではない。


頭を動かさないよう、目を動かして横を見る。隣の席、真面目に授業を聴きながら板書を取っている女子生徒。他の授業ではよく寝ているくせに、なぜか英語の授業だけは寝ている姿を見たことがない。


立花あき。


僕のヒミツを知る生徒の1人であり、クラスメイト。忍び込んでいた部室で知らず知らずのうちに僕が匂いを嗅いでいた衣類の持ち主の1人にしてそれを許容し、その上で僕と契約を結んだ女。彼女が学校側にバラすだけで僕を退学にできるだけの証拠と証言を提示できる存在だ。


ただそんな彼女との関係も今ではほとんど無くなりつつあった。あの臨海学校の一件以降、そして夏休み明けに体育館の窓の鍵が修理されていたこともあり、部室であきと落ち合うこともできなくなったのだ。朝会ったら挨拶する程度、それ以外には特になにかあるわけではない。あきから提案して来た主従関係もすでに解消してしまったのだろうか。と、少しばかり真面目にあきのことを考えている様子の僕だけれど、正直に話してしまえば契約だとかそいうのはどうでも良かったりする。


鍵が治って以降、というより夏休みに入ってから部室に入り込めていない僕は我慢の限界だった。


夏休みが終わって、蝉の鳴き声も弱々しく感じる教室。中庭側、開けられている窓から強めの風が吹き込み、机の上に置かれたプリントや壁にかけられた掲示物、そして新田先生のスカートを巻き上げた。


男子生徒達の歓声と新田先生の悲鳴が鳴り響く教室の中で、僕の目はたったひとりに釘付けになる。僕に気づいた、いや、最初から気づいていたのか…騒ぎに乗じてあきがこちらに顔を向けた。頬杖をつき、目を細くした彼女は…笑っていた。


あの顔だ。僕をまるで玩具かなにかとしか見ていないような、普段の彼女からは想像もつかないほどに歪んだ笑顔。その顔を見ただけで、僕は不思議と口元が緩んでしまう。


ただそれも長くは続かない。風が弱まり、室内が落ち着きを取り戻すという同時にあきもまた表情が元に戻り顔も黒板へと向き直る。…一瞬幻覚を見てしまったのかと思うほど唐突な彼女の変化に、僕は動揺してしまった。ますます授業に集中できそうにない。心臓の鼓動が聞こえるんじゃないかと思うほど早くなっている。それは期待感の表れ、そして彼女に対する不信感だった。


僕があきを気にしている理由は、もう命令だとかそういったことはしないのかという疑問と、なにを考えているかわからないあきへの疑念からだった。


いや、今思い返して見れば僕の周りにいるやつは大体なにを考えているか分からないか?急に胃が痛くなる。そうだ、そういえば思緒姉ちゃんや真実は言わずもがな莉音や泉、果ては桜花姉妹も…本心などではなく、彼女達の考えや行動の理由が分からないことの方が多かった。女心、なんて言葉で済ませてしまえば全て片付く気もするが、彼女達の間には僕にとって恐怖を感じることも多々あったので分からないで済ませてしまうのはいささか無用心が過ぎないだろうか。そして何より、なにを考えているかわからないヤツNo. 1はやはり彼女、立花あきであることもまた確かな事実であった。


考え始めると止まらない。まるで底なし沼にはまったような感覚を覚え始めた頃、僕の思考を遮るように授業終了のチャイムが鳴った。


「はい、今日はここまで!皆さん今日の放課後は学園祭の実行委員とクラスでやることを決めるので教室に残っておいてくださいね〜」


ん?学園祭?


新田先生はそう言い残して教室を出ていった。


そうか、もうそんな時期か。そりゃあ10月も来るしそろそろ準備を始めなきゃいけない頃だよな。まぁ今年も僕は体育館裏か空き教室で暇をつぶすことになるだろうけれど。


「陽満陽満!」


休み時間突入と同時に、すこぶる元気な泉が僕の前の席に座る。椅子に対して後ろ向きに座り、大股を開きながら背もたれにもたれかかるというのは女子としていかがなものかと思うが、男子に負けず劣らず元気な彼女ならむしろその座り方の方が似合っている気さえした。


「どうした泉」

「私と一緒に実行委員しよ?」


瞬間、教室が静まる。新田先生のパンツの色の話をしていた男子生徒すら黙るのだから、今泉の放った言葉がどれほど変わった言動だったが分かる。ちなみに新田先生のパンツの色はピンクだった。


「…悪いけど僕は……」

「なんだ、どうせ暇だろ?」


なにも言い返せない。暇なことは確か…というか確実だった。


「なんだ家内、彼女の誘いを断るのか?」


とある男子生徒が笑いながら茶化して来る。誰だ?名前がわからない。というか、いつのまに泉が僕の彼女になったんだ。


「ほら、みんなもこう言ってるよ」


笑顔を一切崩さず泉は僕に追い打ちをかける。臨海学校の時もそうだったけれど、この伊藤泉という女子はなかなか狡猾な一面を持っている。多分、先ほどの男子生徒も彼女が用意したサクラだ。そしてこのクラスのほとんどの生徒が僕と泉が付き合っているという話を信じていたりするのだろう……え?なにそれ怖くない?


ただ、僕としては絶対に実行委員なんてしたくはない。ただでさえ他人と関わること自体に抵抗があるというのに、他学年の生徒と協力なんてもってのほかだ。そうなればなんとかこのニコニコ顔の減らず口を閉じる必要がある。そのために僕が利用できることといえばひとつしかない。それは彼女の僕に対する気持ちだ。僕に対して捻じ曲がったとも言える好意を向ける泉にだからこそ効く方法。


「泉、ちょっと」

「なんだなんだ?」


彼女を連れて教室を出る。かなり注目を浴びてしまったがそれも仕方がない。実行委員と天秤にかければどちらが正解かなんて言うまでもなかった。


「陽満どこに行くんだ?」

「ん?あぁ、ちょっとそこに立ってくれるか?」


彼女を連れてきたのは、よくお昼を食べている屋上へと続く踊り場、その壁に泉を立たせる。そして勢いよく泉の顔の横めがけて手をついた。


「えっ!?えっ!!?」


彼女が困惑の表情を浮かべる。当然だろう。僕も何故自分がこんなことをしなければならないのかわからない。モテ技特集という一時期流行った女子に人気のシュチュエーションを掲載した本に壁ドンすればどんな子もイチコロと書いてあったので実践してみただけだ。こうすれば女子はどんな言うことでも聞くとか、どう考えても嘘だらけの雑誌ではあったけれど、試すだけならタダなのだ。ただ泉の驚いた顔を見るに、全く効果なしということはなさそうだった。


「は……陽満さん?」


口調が変わって…いや、元に戻っている。いける!いけるぞこれ!今までは僕が泣かされる立場が多かったけれどこれなら他にも試す価値がありそうだ!


確か雑誌には壁ドンと併用する技があとひとつふたつ書かれていたが何だったか…内容自体読むのも恥ずかしすぎてあまり真面目に読まなかったのが悔やまれる。…ええいままよ!


壁についた手を上にスライドさせ、そのまま体を近づけるようにして肘をつく。


「ちょ、ちょっと!近い……」


泉が目を瞑る。


……なんだか怖がっていないか?これで本当にあっているのだろうか…不安になってきた…い、いや!ここでビビるから僕はいつまでたっても童貞であり彼女もできない変態クソ兄貴だと真実に笑われるんだ!そうだ!勇気を持て家内陽満!


確か雑誌には他にもこう書いてあった。まず相手の容姿を褒め、次に内面を褒める。ただし容姿に関してはあまり過激なことは控えるべし、ただしイケメンは別だと…つまり僕の場合は細心の注意を払って泉のことを傷つけない程度に容姿を褒めなくてはならない。もちろんセクハラ発言なんてもってのほかだろう。…泉の過去の話を考えれば多少のセクハラ発言も許してくれる気もしないでもないけれど、ここはまず彼女の髪型に言及しておこう。やはり女子といえば髪型を褒められると喜ぶものだろう。童貞の僕だってそれぐらいは知っている。それにどうやら泉は最近髪を伸ばしているようなのだ。そんなチャンス問題逃すわけにはいかないだろう。


確かこうやって…耳元で囁くように、だったか?


「髪、伸ばしてるんだな」

「ひぅ!?」


泉からよく分からない反応が返ってきた。ひう?


ちなみに、僕は髪は長い方が好きだ。これはまあどうでも良い話だけれど。


おっと、褒めなくてはならないのだから続きを早く言わなければ。


「楽しみだな」

「……あり…ガトウゴザイマス…」


早口でお礼を言いながら、泉はその場に座り込んでしまった。




教室に帰ると、やはり周囲からの視線が集まる。普段は僕のことなんて気にも止めないくせに、こういう時に限って注目するのはやはり泉の力なのだろう。もともと彼女はクラスの中心的な立ち位置だし、なにより、明るい性格を…まるで僕と遊んでいた頃のちひろのような性格を演じていた彼女ならクラスメイトをまとめ上げ尚且つ利用する方は簡単だったはずだ。ただ1人を除いては。


席に着こうとした時、あきと目があった。一瞬だったのでそれがどんな意図だったのかまでは分からないけれど、なにか言いたげな表情だった気がする。


僕に遅れて泉が教室に入ってきた。あれからすっかりおとなしくなってしまい、戻ってくるときも俯いたままほとんどなにも喋ってくれなかった。……あの雑誌、効果あると思ったけれどやっぱりダメだな。僕の目的は相手を怖がらせることでないのだ。あくまで平和的関係を結ぶことにあ「陽満」


「…ん?」


僕の席の横で立ち止まった泉が僕に話しかけてきた。俯いたままで、表情はよく見えない。しかし伸びかけのショートカットから出ているその耳が真っ赤になっていることは確認できた。


「あ、ああいうことをする時は今度から事前に言ってくれ…じゃないと私…恥ずかしいから……」

「……へ?」


スカートをつまみ、もじもじと足先を動かし、涙目で彼女は僕にそう言った。その瞬間、周囲に騒めきが起こる。え、ちょっと待って、確かに恥ずかったかもしれない。なんなら僕だって恥ずかしかった。でもそれを今ここで言う必要……は……


泉は笑っていた。クラスの端、一番後ろの席、僕の横に立ち僕の方を向いた彼女の顔は僕にしか見えない。ざまあみろと、そんな声が聞こえてきそうな表情だった。


しかし、その表情に見とれている暇は僕には与えられなかった。それは騒めくクラスメイトたちもまた同じだ。教室に響く声や音をかき消すように椅子を引く音が響き、ひとりの生徒が立ち上がった。


「どしたの、あきっち……」

「気分悪いから保健室行ってくるね」

「あ、うん…」


立花あき。僕の主人。そして僕のヒミツを知るひとり。


歩き出した彼女の目はしっかりと、僕を捉えており、僕はそんな彼女から目を話すことができなかった。


そして6時間目が始まって少し経った頃、ポケットの中のスマホが揺れた。

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