5話「アヤシイニオイ」
放課後、野美乃莉音との衝撃的な出会いを経験した僕は、掃除道具を片付けまた教師からこってり怒られてから家路についた。それでも僕はあまり気落ちしていない。
最近、なんだか人生が楽しくて仕方がないのだ。
もちろん勉強やクラスの連中と話したりするのは御免だが、立花と野美乃さんとの出会いはなかなか新鮮味のある出来事だと思う。
上機嫌に家に帰った僕だったが、ひとつ肝心なことを忘れていた。そう、先日妹にムフフな本が発見された件である。当初はすぐ忘れるだろうと思っていたけれど、もうじき1週間が経とうというのに未だに妹は口を聞いてくれない。
「ここはひとつ、素直に謝るか。」
ブツブツと呟きながら家に入る。
玄関から正面の廊下を進むとリビング、キッチン、風呂、トイレ、そして両親の寝室があり玄関に入ってすぐ左手の階段を上がり2階に上がれば妹、姉、僕の順にそれぞれの部屋がある。
自分の部屋に行くついでに一言謝っても良かったけれど、どうやらまだ妹は帰ってきていないようだ。
仕方ないから、そのまま自分の部屋へと入った僕を待っていたのは僕のベットの上に座った美女。もっと簡潔に紹介するのなら、僕の姉だった。
家内思緒は完璧人間である。学業優秀、容姿端麗、才色兼備、基本何をやらせても上手くいくと言われるぐらい非の打ち所がない自慢の姉だ。身長は一家の中で最も高く、スタイルも抜群。見るものを魅了するほど深い黒髪は膝あたりまで伸びており、正直重く無いのだろうかと心配になるほどだ。ひとつ、問題点があるとすれば病気がちなため高校を休学していることだろうか。実際は一昨年卒業のはずだったが、僕が姉と同じ高校を受験すると打ち明けた後に急に体調が崩れたのだ。
しかし、僕は姉が辛そうにしているところを見たことがない。もしかしたら家族には迷惑かけまいと強く振舞っているのかもしれないが、病人は病人らしく大人しくしておいてほしいものだ。とにもかくにも、部屋に居座られても困るので姉に質問をなげかける。
「姉ちゃん、人の部屋で何やってんだ。」
「…しお」
落ち着き払った、僕にだけ聞こえる程度の大きさで姉は言った。
「…え?」
「しお」
「し、思緒姉ちゃん…」
「よろしい。」
姉はなぜか、僕に必ず名前を呼ばせたがる。
果たしてそれになんの意味があるのか、姉ちゃんだけではダメなのか偶に疑問に思うがもはやこれは小さな頃からのお約束とも言えるので、あまり文句を垂れ流すのはやめておこう。
「ていうか、ここで待ってたってことは俺に用があるんだろ?」
僕が家族に対して、俺と使うのは単に家族の前で僕と言うのが恥ずかしいお年頃だからだ。気にしてはいけない。
「仲直りはしたの?」
単刀直入だった。
恐ろしいほど切れ味のある一言にたじろいてまった。
「まだだよ…」
「そう、なるべくはやく仲直りしてね。それと…」
そう言いながら、ベットから立ち上がった姉はゆっくり僕に近づく。頭ひとつ分背の高い姉が近くに来ると見上げなければならないし、なによりその全てを見透かしたような綺麗な目の威圧がすごい。
スンスン…
姉は僕の首元で鼻を2度ほど鳴らし、耳元で囁く。
「2匹…」
「…なにが?」
「なんでもないわ。あぁ、ハル君お風呂にはやく入りなさい。汗臭いわよ」
「う、うん…わかったよ。」
長い髪をたなびかせ、思緒姉ちゃんは部屋を出ていった。僕はそんなに臭いだろうかと自分の匂いをチェックするがあまり実感が湧かず、とりあえず風呂にだけはいっておくことにした。
晩御飯の時に、母から妹が友達の家に泊まることを聞きなんだかホッとした気持ちと問題が先延ばしになったなんとも言えない気持ちによるジレンマでなかなか寝付けなかったのだが、その夜問題が起きた。メッセージアプリの通知音がおよそ10分おきに鳴り響くのだ。
もちろん相手は野美乃さんである。そもそも僕のスマホに登録されているのは、家族以外では中学の時の友人か野美乃さんしかいない。しかし、女子はSNSとかが大好きだと聞いたことがあったがまさかここまでとは…
メッセージの内容は単純な世間話程度のもので今何をしているだとか、ご飯はなにを食べのだとかそういう類のメッセージがひっきりなしに送られて来る。僕は数十分おきに返すにとどまっているが、その間も御構い無しに鳴り続けるスマホにある意味恐怖を感じ結局朝まで怯えて過ごしたのである。
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野美乃さんからのメッセージの嵐のおかげで、ほとんど寝ることはできなかった。ぼーっとしながらトーストを食べて、制服を着る。家の外からは蝉の鳴き声がちらほらと聞こえ始め、早朝にしては高い気温が今年の夏の厳しさを教えてくれる。
「あんた、たまに早起きしたと思ったらダラダラして〜はやく学校行きなさいよ」
そう言いながらニュースを見ているのは僕の母親、容姿については特に言及することもないだろう。強いて言うなら、なぜこの母親からあんな娘が生まれるんだ?という感じだ。
ピンポーン!
「あら、誰かしらこんな時間から」
チャイムの音が聞こえ母が出て行く。
「眠い…休みたい…」
文句を垂れながら準備を整え、リビングを出て玄関の方を見ると母と誰かが喋っていた。いや、母が一方的に喋りかけているだけのようにも見えるな。
あれはうちの制服だろうか?
姉の友達…な訳ないか…
「ちょっと、陽満!あんたこんな可愛い彼女がいるんだったら早く紹介しなさいよ!」
僕の方へ振り返り母がわけのわからないことを言い始めた
「なんだよそれ、俺に彼女なんて……」
その時、母の陰からひょこりと顔を出しにこりと微笑む美少女の存在を確認し、僕は絶句した。
「野美乃…さん…なんでここに」
「あら〜野美乃ちゃんって言うのね〜、うちのバカ息子のこと頼むわね〜〜」
相変わらず意味のわからんことを言う母に対して、ぺこりとお辞儀をする野美乃さん
「うんうん!じゃあ邪魔者はとっとと退散としますかね〜」
「うっせ!」
ニヤニヤしながら部屋に戻る母を見送り玄関に立つ野美乃さんに向き合う。
「えっと…おはよう?」
ポン!
とりあえず挨拶をすると、やはり野美乃さんはメッセージで返事してきた。相変わらず返事を打つのが速い。
【はい、おはようございます。】
とりあえず、僕はすぐに準備をして野美乃さんと学校へ行くことになった。
【それでは、学校に行きましょう。】
玄関を出るやいなや、野美乃さんは腕を絡めて来る。
え?恋人かな?
女の子と2人で並んで登校なんて始めての経験にドギマギしながら、家を出てすぐ左に曲がったあたりでふと二階を見る……姉が見ていた。じっとこちらを凝視していたのだ。野美乃さんは気づいていないようなので急いでその場を後にした。
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「ふーん、じゃああの子とはそういう関係じゃないんだ。」
「ふぁからふぉうひっへるふぁろ?(だからそう言ってるだろ?)」
昼休み、いつもの部室で僕は立花たちばなから尋問を受けていた。
「だっていきなり家内くんが可愛い女の子と手を組んで登校して来るんだもん、びっくりしたよ〜」
そう、結局あのまま登校した僕は学校の玄関口で一度野美乃さんと別れようとしたが彼女は離してくれなかったのだ。それどころか親切にもそのまま僕の教室まで送り届けてくれたのである。
「ふぉろろいうぁのふふぉひふぁふぉ(驚いたのはこっちだよ)」
ちなみに、今僕の顔には立花の足の裏が押し当てられている。ちょうど鼻を足の親指と人差し指で挟みこみ、足の裏を口元いっぱいに擦り付けるように立花が動かす。一体なにをやっているんだろうと思うよりも、立花の足の臭い、それも親指と人差し指の間という最も臭いのキツくなるだろうところから醸し出されるその香りに舌鼓ならぬ鼻鼓を打って堪能しているあたり僕はもう後戻りできないのだろうと、将来に対する大きな不安と今現在の状況に対する絶対的な幸福感を満喫していた。
「忘れちゃダメだよ、家内君…君は私の所有物なんだから」
あれ?立花と結んだ契約はそんな内容だっただろうか?そんな疑問を消し去るが如く立花がさらに強く足を擦り付けるので足が動くたびにヒラヒラと危なっかしく揺れるスカートへと集中する。
「ちょっ…ど、どこ見てんの!?」
「ふがあ!?」
立花が急に足を力強く伸ばしできたので、僕はそのまま後ろに倒れた。
「今日はもう終わり、また明日ね‼︎」
急いで立花が出て行く。
なんだろう、パンツを見られるのがそんなに嫌だったのだろうか…こんな状況で恥ずかしがるとは思っても見なかったので呆然としているとポン!最近よく聞くメッセージアプリの着信が響く。
【放課後、屋上で待ってます。】
それだけ書かれたメッセージ
「なんだか…怪しいニオイがするな…」
鼻周りに残った香りを堪能しつつ僕は呟く。