5話『バグ』
「玉波ちゃんのご両親、家にいないんでしょ?なら泊まっていきなさい!気がすむまでいれば良いからね!」
「……あ…ありがとうございます!」
あまりの即答に私は呆気にとられながらもなんとかお礼を言う。家内さんとの話し合いからしばらく経ってご帰宅したご両親に家内が説明をしてからわずか数分での決着だった。本当に良い人達だ。私もこんな人達の子供だったらもっと違う人生を歩めたのかしら…いいえ、それだと家内と会えなかったかもしれないものね…今のままが最善だわ。
「良いのよ玉波ちゃん。自分の家のように寛いでね。陽満、あんた玉波ちゃんと一緒に荷物取りに行って来なさいね」
「分かってるよ…」
家内のご両親から許しを得て家内とともにウチに戻った私はお泊まりセットの準備を始めた。と言っても家内には1階のリビングで触ってもらっているけれど。
「うーん、下着も数日分あれば洗濯して使いまわせるしそんなに数は要らないわよね…服はまぁ偶にこっちに戻って来ればいいし…あ、一応これも持って行こっと」
家内を待たせてしまっているけど私の準備はまだ終わりそうにない。そもそもまだ心の準備もできていない。だってこんな事になるなんて思ってもみなかったから…
「…それと……」
自分の部屋を出て、父親が用意した来客時に私を入れておく用の部屋へと移動する。…この部屋の存在は嫌いだった。父が周囲の人間に見栄を張るためだけに用意したものだから。でもこの部屋のおかげで家内は私の境遇に気づいて来れた。それにこの部屋は父も母もほとんど入ってこないので隠しものをするのには最適だった。
薄っすらと埃の積もった勉強机の引き出しを開け、中に入った紙袋を取り出した。
「…使うか分からないけど一応…一応ね!家内は持ってないかもしれないし…私は歳上のお姉さんだから……」
家内を泊まりに誘った際に急いで用意したものだがまさかこんなすぐにチャンスが回ってくるとは…いやでももしかしたら家内に変な子だとか思われたりしないかな…
「まぁ、あの姉がいるし使うタイミングは無いかな…」
家内と一緒になるにあたって最大の障害とも言える存在を想像しながら紙袋を引き出しに戻した。
「ごめんね家内、お待たせ」
「いえいえ…って荷物多いですね…」
「そりゃあ夏休みの課題やら着替えやら色々あるしね」
「はぁ…あ、そうだ。母さんから電話があって今夜はご馳走だから早く帰って来なさいって」
「そうなの?なんだか悪いわね…気を遣わせしまったかしら…」
「いや、多分あの母親のことなんで自分が美味いもん食いたいだけですよ」
「なら良いんだけど…」
そんなことを話しながら家を出た私は振り返って我が家を見る。私にとっては監獄のような場所だったけど、なるほど…たしかにお化け屋敷に見えなくないほどボロボロかも…
「先輩?」
「なんでもない、さ!早くいきましょ」
家内の家に着くなり私はお母様にキッチンに連行されて料理を手伝った。家内さんと真実ちゃんも一緒に作るので少し狭く感じたけど…なんだかとても楽しかった。みんなで囲んで食べる料理も、片付けも…全てが新鮮だった。
「玉波ちゃん、実際のところ陽満とはどこまで進んでるの?もうキスぐらいはしたの?」
「ブッ!?か、母さん!!何言ってんだよ!」
「本当よママ!信じらんない!」
「……」
「何言ってんのよ陽満!こんな可愛い子逃したらあんたもうチャンスないかもしれないよ!?私は心配なんだよ、野美乃ちゃんに玉波ちゃん…ふたりも急に女の子と仲良くなっちゃって…」
「余計なお世話だよ!」
「それで、玉波ちゃん!正直なところこのバカ息子どう?貰ってくれる気はある?」
「母さん!!」
ぐいぐい来るお母様の圧に押されて私は黙ってしまう。こんな人前で何を聞かれているのだろう…恥ずかしすぎて顔がどんどん熱くなる。
「先輩も無理に答えなくて良いですからね、このオバさん変なことしか言わないから」
「ちょっと陽満!あんた母さんに向かってオバさんとはなんだい!?」
言ってしまったら…どうなるのかな……
「別に間違いじゃないだろ!?」
「アナタ聞いた!?」
「…陽満、母さんは今でも綺麗だぞ」
「父さん!?」
野美乃さんとの距離を離せるかな…
「もう!うるさいったら!思緒姉もなんか言ってよ!」
「…」
家内に楔を打ち込めるかな…
「私は……」
私の声を聞いて、家内家の面々が静まり返る。その視線にまたも俯いてしまうが、私の絞り出した思いは止まらなかった。
「私は…家内君のことが好きです…告白もしましたしき、キスもしました…」
「き…きゃぁぁぁあ!!!聞いた!?アナタ!ついに陽満にも春が来たわ!」
「…陽満……」
「兄貴どういうこと!?本当なの!?」
「いや、ちょっと待って!せ、先輩!?」
顔を上げることができない。恥ずかしすぎて。そして…彼女の顔を見るのが怖すぎて。
ガタンと音を立てて誰かが立ち上がった。恐らくは家内さんだろう。
「し、思緒姉ちゃん?」
「……ごちそうさま…玉波さん、さっきも言ったけど後で私の部屋に来てね」
「う、うん…」
「あの子ったらまたこんなにご飯残して…ま、それは置いといて玉波ちゃん、告白の返事はどんなのだった?ちなみに私は孫は3人くらい欲しいわ!」
「母さん!」
「い、いえ…まだ具体的な返事は貰ってなくて…付き合ってはいない…です」
「はぁ?なにそれ陽満アンタそれでも男なの?母さん信じられないわ〜」
「うるせぇ!こっちにもいろいろ事情があるんだよ!」
「バカ兄貴サイテー…」
「真実まで!?」
こうして、家内家での最初の夕食は私にとって騒がしくも久し振りに楽しい食事となった。
そしてその後、お湯をいただいてから家内さんの部屋へと向かう。正直なところ、今彼女と会いたくはない。先ほどのこともそうだけどまず彼女とはソリが合わないのだ。
「家内さん、私だけど」
「どうぞ」
返事をもらい、ドアを開ける。私の部屋と比べると違う意味で殺風景な部屋の真ん中、小さな机を挟んで向かい合った2つの座椅子うちの奥側に彼女は座っていた。その長い黒髪を床に垂らして。
「座って」
「えぇ、失礼するわ」
家内さんは一瞬たりとも表情を崩さず、ほぼ無表情のままで私を見るのでそれに対抗するように私も表情を固める。
「それで、話って何かしら?できれば私はもっと家内と一緒にいたいんだけど」
「…すぐに終わるわ。それに貴女にとっても今からする話は重要だと思うのだけれど」
「……?」
本当に…この女は分かりづらい。何を考えているのか…その表情からは何も読み取れないし、なによりその抑揚のない声が得体の知れなさを醸し出している。
「貴女、ハル君のことを本当に好き?」
「……は?はぁ!?急になによ!」
「良いから答えて。ハル君のことが好きなの?」
「す……好きよ」
「そう、それなら頑張ってね。私は応援しているわ」
「……」
嘘だ。清々しいまでの嘘だ。それならあんな顔はしない。
「よく言うわね。昼間はあんなに怒っていたのに」
家内とふたりで彼女に事情を説明した時に、家内が言った私のことが大切だからと言う言葉を聞いた時、この女…家内 思緒は表情を崩した。多分、それが私が初めて見た彼女の表情の変化だ。あの言葉を聞いて、家内さんは私を睨みつけていた。驚くでもなく、悲しむでもなく…血が馴染みそうになる程唇を噛み、その美しい顔を歪ませてまで私を睨んだのだ。そこにあったのは怒りの感情のみだった。
「…そうね、私は貴女が嫌いよ。ハル君が私以外に少なからず大切に思ってる女がいるなんて考えたくもないもの」
「…」
「まぁ、そのことはもう良いわ。お母さんがああいうノリな以上、貴女とハル君の関係は家族公認となったわけだし…ただ問題はそこじゃない」
「問題?」
「貴女、ハル君のために死ねるの?」
…何を聞いてくるかと思えば、そんなことを決まっている。
「死ねるわ。私はもう家内のものだから」
「何があっても、ハル君を裏切らない?ハル君が他の誰かを選ぶことになってもハル君を好きでいられる?ハル君の幸せのためだけに生きられる?」
「……え、えぇ…」
目の前に座る家内さんの変化を感じ取って私の体が小刻みに震える。
「誰よりもハル君を優先できる?ハル君のためならどんな汚いことでもできる?」
「……」
異常だ。
「ねぇ、玉波さん。野美乃莉音にも立花あきにも…そして伊藤泉にもハル君を渡しちゃダメよ?私は貴女を応援してあげるから」
「なによ…それ…」
「本当は私がハル君とひとつになれれば良いんだけど…貴女にそれは譲ってあげるから…」
狂っている。
「そうだ、貴女はもしハル君との間に子供ができたらその子供も平等に愛するのかしら?」
「あ、当たり前でしょ!?」
「ふぅん……」
…?少し笑ってる?
「やっぱり貴女で正解ね。もう良いわよハル君の部屋に行って」
「…そう」
気持ちが悪いので急ぎばやにドアへと向かう。
「玉波さん」
「なに?」
「頑張ってね」
「……」




