7話『ヨクボウ』
臨海学校2日目、結局周囲の目もありあきからなにか命令が下されることもなく1日目を終えた僕たちは現在ある意味メインイベントである海水浴を楽しんでいた。まぁ、といっても僕はそれほど泳ぐのが得意とか好きなわけではないのでこうして浜辺から女子の水着姿を眺めるだけで良いのだが。
「ハル君、あまりジロジロと眺めるものではないわ。そもそも、水着姿を見たいなら私を見ればいいじゃない」
「……いや、姉の水着見たって別に嬉しくねーし…」
「照れているのね……全く素直じゃないんだから」
「わっ!?」
思緒姉ちゃんが急に抱き寄せてくる。いくら姉弟とはいえ、ほぼ裸も同然の美女に抱きつかれるというのはある意味で生きた心地がしない。
「ちょっと、あんたたちなにしてるのよ!」
特にこういう場面を他人に見られると取り返しのつかない事態に陥りやすいのだ。
「玉波さん、これは家族のスキンシップよ。邪魔しないでもらえる?」
「貴女のスキンシップは過剰なのよ!ほら、家内を渡しなさい!」
「うおっ!?」
玉波先輩が僕の腕を引っ張る。……苦しい。
「ハッハッハ!相変わらず賑やかだな3人とも」
「伊藤……さん…助けて……」
爽やかな笑顔の伊藤さんに助けを求めると、伊藤さんは少し考えるそぶりをしてから先輩と思緒姉ちゃんに話を切り出した。
「あー…すまないがシロ先輩とお姉さん、ちょっと今から今晩のレクリエーションのことで相談があるから陽満を貸してはもらえないか?」
クラス行事の相談となると、流石の2人も邪魔するわけにいかないのか僕はなんとか解放されて伊藤さんとその場を離れる。
「いやぁ…助かったよ伊藤さん。あの2人なかなか離してくれなくて…」
「モテモテで羨ましいじゃないか」
「いや、玉波先輩はともかく片方は実の姉なんだが?」
「そうか?陽満案外女子からモテると私は思うが」
「うーん、どうだろうな」
莉音と玉波先輩から告白されたということを考えれば、たしかに僕は案外モテたりするのかも知れないがこれまでの人生で女子とのお付き合いの経験がない以上自惚れるのは良くない。それに誰かと一緒に過ごすようになったのだってごく最近のことなのだ。それまではほとんど友人と呼べる存在はいなかった僕は決して人に好かれるような人間ではないと言えた。
「そうだ陽満、今付き合ってる子はいないのか?」
「……へ?」
「私なんかどうだ?部活のおかげで結構体も引き締まっているし案外優良物件だと思うんだが…」
そう言って伊藤さんは程よく実った胸部を強調させるように手を這わせながら僕をみる。……な、なに?もしかして今僕は告白されているのか?え?伊藤さんが僕にそんなことを言う理由が分からないが…
「私ではダメか?」
「いや、だ…ダメとかじゃないけど…急にどうして?」
「……ぷ」
「ぷ?」
「ぷははは!陽満!少し真剣に考えたな!?冗談だ冗談」
「なっ!?」
してやられた!伊藤さんがこんな冗談を言うとは思っても見なかった。いや、案外言いそうなタイプではあるのか?
「ははっ……ふぅ…でも好きな人がいるのは本当だ。すまない、君で練習してしまって」
「……」
どう返せばいいんだろう、気軽に誰が好きなんだなんて言う場面ではない気がする。
「うん、もうそろそろあの2人も落ち着いたかな?陽満、なにか飲み物でも買って2人のところへ戻ろう」
「ん?あぁ、そうだな」
「よし、なら競争だ!行くぞ!」
「へっ!?ちょっと!」
なぜだろう。伊藤さんとはつい最近までほとんど喋ったことがなかったはずなのに、少しだけ懐かしい感じがするのは…
「はーい、それでは皆さん予め決めてもらったペアに分かれて並んでくださいね。私が持っている時計で3分ごとにスタートしてもらうので遊歩道の先にある展望台まで各自で進んでください」
夜、肝試しをするためにホテルの近くにある散歩用の遊歩道へとやってきた。本当にふつうの遊歩道なので幽霊が出るなんてことは万一にもないだろうけれど、生い茂る木々や風音、なによりあたりを包む湿った空気がそれなりの雰囲気を醸し出していた。
「ははっ、なかなか楽しみだな」
「そうかな……」
伊藤さんはいつも通り明るい。彼女がペアで案外助かったかもしれない。ちなみにあきは僕たちより結構前に並んでいる。ペアは名前が分からん男子だ。…どっちが誘ったんだろう?少しばかり気になるな。なんだか楽しそうにおしゃべりしているし……
「陽満?」
「わっ!な、なに?」
横を見ると、少し不満そうな顔の伊藤さんが僕をジッと見ていた。
「なんだか上の空といった感じだったんでな、もしかして私とじゃ不満だったのか?」
「違う違う!そういうことじゃないって」
「本当か?」
「本当!」
「……ふん、まあいい。とにかく楽しもうな」
「う、うん!」
それからも伊藤さんと会話しながら列が進むのを待ち、とうとう僕たちの順番が来た。適当に進んでも30分あれば目的に着く距離なのでそう危険はないだろうし、なにより伊藤さんがいるのだから安心して進むとしよう。
伊藤さんと談笑しながらしばらく歩いていると、分かれ道へと差し掛かった。確か先生が両方最後はつながっているがどちらの道は遠回りになるだけでなくあまり整備されていないため危険だと言っていた気がするがはて、どちらだったかな?
「確か左に進むんだったな」
伊藤さんが自信ありげに言う。
「そうだったっけ?」
「うん、そうだったぞ」
まぁ伊藤さんがここまで自信満々に答えるのだからそうなんだろうと思いながら、僕たちは分かれ道を左へと進んだ。
……
…………
…………………………あぁ…これは…
「伊藤さん?」
「ん?どうした?」
「なんかさっきより草が生い茂ってきたというか…なんか道が悪くなってない?」
「そうか?私はあまりそう感じないが、まあ遊歩道とはいえ山だしな」
「そんなもんかなあ…」
いや、これは明らかに道を間違えたのでないのだろうか?もしかして伊藤さん自分が間違っていたことを認めないつもりか!?
「……ふむ、この辺りでいいかな?」
「え?」
伊藤さんが立ち止まり、手に持っていたライトの灯りを消した。
「い、伊藤さん!?なんでライト消したの!?」
生い茂る木々に阻まれて月明かりも届かず、伊藤さんの姿どころか足元すらまともに見ることはできない。
「陽満…」
伊藤さんの声と足音が少しずつ近づいてくるのがわかる。しかし正確な距離までは分からない。しかしゆっくりと、確実に彼女は僕との距離を詰めている。
「昼に話したこと覚えているか?私には好きな人がいると言ったあれだ」
「お、覚えてるけど…」
「その好きな人というのが結構鈍感で私は結構困っているんだ。だから友である陽満に私の告白を手伝って欲しくてな」
「告白を手伝う?」
「こう…私も女だから……恥ずかしいんだ。好きな人に気持ちを伝えるというのは…だから君に手伝って欲しい」
……驚いた。まさか伊藤さんにこんなに乙女な部分があるなんて…普段の活発な性格からは予想できない純情っぷりに僕は感動すら覚えていた。そして何より友という言葉、これ以上に僕のやる気を上げてくれる言葉なかった。
「う、うん!手伝うよ!」
「本当か!?」
「あぁ、それで好きな相手ってのは同じクラスだったりするのか?」
「あぁ、同じクラスだ」
「へぇ、伊藤さんの好きな人か〜誰だろうな〜」
「その人は優しくてカッコいい。それに小学生の時にひとりぼっちだった私を救ってくれた大事な人だ。」
「小学生?ということは伊藤さんと同じ小学中学出身のやつか」
「いいや、そういうわけではないよ」
「そうなのか?」
「うん、ほかに特徴を上げるなら最近少し女の子といる時間が増えたかな」
「それって、伊藤さんという人がいながら別の女と仲良くしてるってことか!?なんだそいつ許せんな!」
「あぁ、そうだろ?許せない。私だけの陽満に寄る奴らが……私は心底許せない……」
「……え?」
いつのまにか、僕の目の前までやって来ていた伊藤さんの顔が暗闇にぼんやりと浮かぶ。紅潮した頬にいつもの活発なものとは程遠い笑顔。その目は暗い闇のような…いや、底なしの沼のように深い。
「私が好きなのは……陽満…君だ」
その言葉とともに、僕は彼女に押し倒された。
「い…伊藤さん?」
「私のことは泉と…名前で呼んでくれ」
「き、急にどうしたんだよ…」
「ごめん、もう限界なんだ。私自身この溢れる気持ちを抑えることができない」
伊藤さんは息を荒げながら僕にだきついてきた。いや、倒れた僕に対して彼女が体を押し付けていると言った方がより性格だろうか……って、こんなことを冷静に言っている場合ではない。
「ちょ、ちょっと伊藤さん!?落ち着いて!」
「私は冷静だよ。ただ我慢できないだけだから…満足したら離れるから少しだけじっとしてて」
「いや、じっとしててって言われても!ダメだって!あんま変なところ触らないで!」
「はぁ〜…逞しくなったな陽満……」
ダメだこの人聞いてない!!!こうなったら力ずくで引き離すしか……っ!?なんで手が動かないって…これってまさか…
「伊藤さん!?これってもしかして手錠?」
「……ん、暴れられても困るからつけさせてもらったよ私も流石に男に力で勝てるとは思ってないからな」
「な、なんでこんなこと…」
「確か鍵を見つけるんだっか?体のどこかから」
「……!?」
「陽満が私の身体中を調べ尽くして鍵を見つけるというのも良いものではあるが、他人のアイデアを自分がやるのはあまり好きではない。だからこうしよう」
伊藤さんはジャージのズボンのポケットから一本の小さな鍵を取り出して口の中に入れた。
「なにを…」
僕の上に乗る形で座った伊藤さんは僕の上半身を起こし、そしてじっと見つめながら口を開ける。彼女の舌の上には先ほどの鍵がある。
「……自分で取れってことか…」
先ほどから状況への理解が追いついていない。わからないことが多すぎて正直少し気持ち悪くなって来たまである。
「んっ……」
このままなにもしなければ、彼女の気分を害してしまうかもしれない…今の伊藤さんはどことなく危険な雰囲気なのでできればそれだけは避けたい。催促するよう声を出した伊藤さんに従い、僕は彼女の口に自らの口を近づけた。……が、やはりそれは間違っていた。僕が口を近づけようとするやいなや、彼女は鍵を吐き出してそのまま僕へと口づけをした。
「!?」
不意を突かれたこともあり驚いたが、なんとか口を結んで伊藤さんの舌の侵入は防ぐ。
「こら陽満!これじゃあ満足のいくキスができないじゃないか!」
「いや、いきなりすぎて意味わからないんだけど!伊藤さん一体どうしたんだよ!」
「だから私のことは泉と呼べと……」
急に伊藤さんが黙る。
「……?」
「そうだ、泉がダメなら…ちひろって呼んでもいいよ」
「…………は?」
彼女の声色が、表情が変わった。
「私と陽満さんが2人きりの時だけだけどちひろって呼び方なら陽満さんも昔を思い出せていいでしょ?だから…」
「ま、待って!!!なんで君が…伊藤さんがちひろの名前を…」
全てを飲み込む、暗い目をした彼女は不気味な笑顔を浮かべて笑う。
「なんでって……それは私がちひろだからだよ」
「…なに言って…だってちひろは…」
「男…じゃないよ。あの時…小学四年生の頃陽満さんと遊んでいたちひろは私なんだよ」
「……」
……伊藤さんが、彼女がなにを言っているのか僕には理解できなかった。そもそもなんで急にちひろの名前が出て来たのかすら分かっていないのに、ちひろが伊藤さんだった?でも確かに彼は男だった。一緒にプールに行ったことだってあるのだ。それは間違いない。でもなんで彼女がちひろのことを知って…
「うーん、信じてくれてないみたい…そうだなあ…あっ、ふたりで虫取りに行ったこと覚えてる?あの時は雨に降られて困ったよね…でも陽満さんが私をおんぶしてくれて…実はあの時私陽満さんの背中でオナニー……してたんだよ」
「……なに…言って…」
「それだけじゃなくてね、ふたりでお昼寝した時だって私勝手に陽満さんの体を触っちゃったりして…」
「なに言ってんだよ!?」
逃げ出したいほどの恐怖が僕を襲っていた。彼女の瞳が怖い。彼女の笑顔が怖い。彼女の声が、彼女の手が、彼女の存在が怖い。
「……ちひろは私のお兄ちゃん。でももういないよ。死んじゃったの。だから私がちひろとして陽満さんと遊んでた。最初はただのいたずらのつもりだったんだけど…陽満さんと遊んでるうちに好きになったの」
ちひろが…死んだ?
「でも大丈夫、陽満さんと遊んでいたのはほとんど私。だからちひろの存在なんて関係ないよ。陽満さんの友達は私だけなんだよ」
「…ち、違う…そんなわけ…」
「双子だからね、見分けがつかなかったのも仕方ないよ。私は気にしてないし、陽満さんが気にすることでもない。私と陽満さんが遊んでいたって事実は変わらないんだから」
苦しい。
「それにほら、あの時私のこと好きだって言ってくれたでしょ?今でも私は陽満さんが好きだよ。大好き。ずっと変わらずあなただけが好き」
苦しい。
「できれば私は泉としての私を好きになってもらいたいけど…陽満さんが望むならちひろの真似だってするよ?」
苦しい。
「なぁ、陽満。俺のこと…嫌いになんてなってないよな?」
その瞬間、僕はせり上がって来たものを吐き出した。耐えられなかった。目の前の恐怖に。
「……陽満さん、吐いちゃったの?」
僕の吐瀉物にまみれた伊藤さんはジャージにかかった体液を指で絡め、そのまま口へと運んだ。
「にがい…」
「や、やめろよ…汚いだろ…」
「陽満さんの吐いたものなら汚くないよ、だから大丈夫」
「そ、そういうことじゃなくて…」
「ねぇ、立花あきと野美乃莉音、玉波姫とはどういう関係なの?」
「……急になにを…」
伊藤さんはポケットから黒いなにかを取り出してボタンのようなものを押した。
『私の言うことをなんでも聞いて、私だけのおもちゃになって』
……え?
「あ……立花の声?」
「…音声だけってわけじゃないんだけど、陽満さんの身の回りにいくつか仕掛けさせてもらったんだ。色々調べるために」
「し、調べるって…」
「だって…陽満さんのことは全部知っていたいし。私以外の誰かが陽満さんと一緒にいるのは辛かったから…だからこうして情報を集めて注意しなきゃ」
もう、僕は逃げ出したかった。とりあえずな家に帰って真実と一緒に一眠りしたい気分だ。
「それで、陽満さん。この3人の中で誰かと付き合ってるの?」
「……いや、付き合ってるとかそんなんじゃない…」
嘘ではない。が、彼女に対してどこまで本当のことを言っていいのかもわからない。いや、先ほどの音声のことからして誤魔化すだけ無駄なのかも知れない。
「そっか!良かったぁ…それなら私と付き合ってなんの問題もないね。いや〜安心安心」
「……」
「それじゃあ……続きしよ…」
そう言って、彼女はまた僕を押し倒す。
「まさか初めてが外でなんて考えもしていなかったけど、陽満さんもいいでしょ?関係ないよね愛し合ってるんだから」
「さっきから、伊藤さんなに言ってるんだ…僕たちは付き合ってすらないだろ……」
「えへへ…照れてる陽満さんも可愛い。大丈夫、私が全部してあげるから……あ、ゲロ臭いのは嫌?でも案外こういうほうが興奮が高まるかもしれないしこのままでもいいよね」
「だから!僕たちは……」
「あぁぁぁぁあぁぁぁあぁあああぁぁあああ!」
「!?」
急に奇声を上げた伊藤さんは、すぐに黙って俯いた。その表情は見えない。
「……だ」
「え?」
「私のなにがダメなんだ!?私の全てを陽満にあげるよ?体も心も全部だ!あの頃のように私だけのものであってくれよ!他の誰かと一緒にいる君を見たくない!私は君が好きだ、君も私が好きだと言ってくれた!君だけが私に優しく接してくれたんだ……だから…だから……」
感情が溢れ出した。大粒の涙を流しながら伊藤さんは言葉を吐き出す。
「私のことを…泉と呼んでくれ……そして昔のように…私の側にいてくれ…」
その声は寂しく、そして悲しい。力なく震えていた。
「……伊藤さん」
「……」
「ごめん、まだ君のことを名前で呼ぶことはできない…なんていうか…僕も心の整理がついていないんだ」
「……そうか…」
「だからまた聞かせてほしい。ちひろと君のことを…君が今までどんな風に過ごしてきたのかを」
「……きっとそれを聞いてしまったら、陽満は私のことを嫌いになるぞ…」
「……ならないよ」
「……」
「僕にできた初めての友達の妹のことを、嫌いになんてならない」
「……」
「それに君の言うことが本当なら…君は間違いなく僕の友達だから」
「友達……か…」
自分でもなにを言っているのかあまりわからないが、とにかくこの場を切り抜けるとともにできるなら伊藤さんともこれ以上の関係の悪化は避けたい。
「ダメだな……やっぱりダメだ」
伊藤さんは呟く。
「ちひろとしてでもなく…私は……私自身として……」
そしてまた、僕へとキスをした。先ほどのようなものでなく、それは優しいものだった。
「陽満のことが好きだ」
それまでの表情と打って変わって、笑顔に戻る。それは普段の活発なものでも、先ほどの歪んだものでもなく…涙を浮かべながらも可愛らしい笑顔だった。




