7話「セイヤク」
「ふーん、君って結構モテるんだ。意外ね」
勇気を振り絞って、震える両足に言い聞かせながら彼を探し回った私はようやく彼を見つけた。一緒に…お弁当を食べようと思っただけなのに、やはり私の前には高い壁が立ちはだかる。彼は中庭、それもかなり目立つ場所で複数名の女子生徒に囲まれて昼食をとっていたのだ。……彼がカッコいいのは知っているけれど、まさかここまで悪い虫が寄っているなんて…
2年半も目を離したのが悪いんだわ。これからはしっかり見ておかないと…もしかしたらこいつら以外にも彼を狙う馬の骨がいるかも知れない。彼に言いよる女が私以外にもいることがわかったことは少しショックだったけど、勇気を出して彼に話しかけたことで一番知りたかった彼の名前を知ることができた。
家内…陽満……。
この名前を声に出さないように、繰り返し口の中で反復する。その度に、心が温かくなって…ずっと彼と…家内と一緒にいたくなる。
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ショックだった。今日も家内と一緒にお弁当を食べようと彼の教室まで行く途中、階段を降りてくる彼を見つけて声をかけたけど彼は私から逃げるようにその場を離れようとしたのだ。やっぱり、ちょっと目つきの悪いところや口調が怖がられているのだろうか…
諦められない私は、彼の腕を掴もうと手を伸ばす。今日は雨が降っていて、床が滑りやすくなっていたのもあり私は階段から足を滑らせそのまま彼の方へと落ちた。衝撃が体に伝わり、少し経ってから目を開ける。
目の前には、家内の顔。私は彼にお姫様抱っこをされていたのだ。……やばかった。もし彼がすぐに私を立たせていなければ、自我を保てていなかったかも知れない。
「それじゃ、先を急ぎます!」
ぼーっとしている私を尻目に、彼が階段を駆け下りる。
「ちょ、ちょっと待ちなさいってば!!!!」
私の声は家内に届くことはなかった。……なにが……なにがいけないのだろう。どうすれば、彼は私のことをもっと見てくれるの…私を……私を見つけてくれるのだろう。
もっと積極的に話せばいいの?
それともいっそ、彼を無理やり自分のものにしてしまった方が…………違う。
『私は…君に見つけて欲しい。』
あの言葉は、今でも私を縛る《ヒミツ》として残り続けている。彼が見つけてくれるのを、私は待ち続けなければならない……どうしても、彼に私を見つけて欲しい。それは私の見にくい欲望。でも、もしこのまま私のことに気づいてくれなかったら…私は……私は…
「あれ?」
気づくと、右目から涙が溢れていた。誰にも見られたくなかったから、急いで部室へ向かう。美術部の奥、本来は他の同好会や部活の部屋として使用されていたものをより使いやすいようにと美術部のものとして与えられた部屋。両親と賞のために描く私の絵が並んだ部室ではなく、この部屋こそが私の安らげる場所。それでも今だけは、この部屋の空気さえも重苦しいものに感じた。持ってきたお弁当をテーブルに置き、一人で食べようかと思ったけどやめておく。これは、家内と一緒に食べるために作ったんだ。一人で食べても意味がない…しばらくひとりで俯いていると、隣の部室から物音がしていることに気がついた。
顧問の先生ですら近寄らないこの場所に来るなんて…一体…静かにドアを少しだけ開けて、部室の様子を見る。そこには、私の作品を見る家内の姿があった。
な…なんでここに!?て、ていうか涙拭かないと!半袖のカッターシャツでゴシゴシと涙をぬぐい、呼吸を整えてから扉を開く。
「誰?」
私に気づいた彼はこちらを向くと私が泣いていたことに気づいたのか少し気まずそうな表情を見せる。……やっぱりこんな顔で出るんじゃなかったな…
「なんだ、家内か…どうしてここに?」
「えっと伊藤さんから玉波先輩のことを聞きまして…」
「そう…こっちに来て」
奥の部屋へと家内を案内する。
彼は部屋の内装を見渡してから、テーブルに置かれた手提げ袋に気づいたみたいだ。
「先輩ここでお昼食べてたんですか?」
「まだ、食べてないわ」
「え?」
「一人で食べたって、美味しくないもの」
私はなにを言っているんだろう…これじゃあまるで私が寂しかったみたいじゃない…
「ぼ、僕とわざわざ食べなくても…それこそ同じ美術部の人やクラスメイトと………………」
彼が言葉に詰まったのを見て、私はさらにどうしようもなく私の中で大きく膨らんだ感情をそのまま吐き出す。
貴方が欲しい。
貴方の全てが。
私を…
「………………家内」
「あなたは、私を見つけてくれる?」
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その言葉を聞いた瞬間、僕は中学2年生のホワイトデーに起きたとある事件のことを思い出した。朝早くからバレンタインにめでたく成立したカップルどもがチョコのお返しを渡したり、イチャイチャしてとても居心地が悪かったことを覚えている。どうせ、バレンタインやクリスマスといった行事に合わせて急造されたカップルなんて長続きしないんだ。僕はちっとも悔しくなんてなかった。その日、2年生は6限目までだったので足早に下駄箱へと向かい靴を取り出そうとした僕はあるものに気がついた。それは可愛らしい封筒と丁寧に包装されたチョコレートと思しき箱型のもの。
「ま、マジで!?」
一瞬驚いた僕は周りを見渡し、誰もいないことを確認してから封筒を開けて中に入れられた便箋を取り出す。そこにはなんとも綺麗な字でこう書かれていた。家内陽満君、私は貴方のことがずっと好きでした。恥ずかしくてバレンタインデーに渡すことができなくて、今日渡すことになってしまったことをお許しください。もしよろしければ放課後お会いしたいです。校舎裏の桜の木に6限目が終わった後に来てください。差出人不明のその手紙を3回読み込んだ僕は天にも登る気分だった。6限目後を指定したということは、この娘は僕と同じ2年生か〜
あ〜楽しみだな~………………それから2時間、僕はチョコの差出人を待ち続けたが一向にそれらしい人は現れなかった。雪も降ってきて、体はガチガチと音を立てるかと思うくらい震えている。
その時だった。
僕の背後、頭上の窓が開いていてその中から女の子の鳴き声が聞こえた。決して大きくはない、鼻をすする程度のか細いものではあったけれど確かに聞こえたのだ。もうチョコの差出人が来ることを半ば諦めていた僕は鳴き声の主に声をかけてみることにした。その窓の先が女子トイレだと気づいたのは声をかけてからだった。まじまじと見るわけにもいかず、校舎に背を向ける形で地面に座った僕に鳴き声の主が話しかけてきた。
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そんな、ある意味笑い話として数少ない僕の印象に残ったとも言えるホワイトデーの出来事は時が経つにつれて僕の中で風化し、埋もれ詳細に思い出すことが困難になっていた。しかし今ならハッキリと思い出せる。
あの時、彼女も
今、玉波先輩が僕に言ったことと似たセリフを僕に言ったのだ。
「君に…私を…見つけて欲しい……」
その言葉を発した瞬間、玉波先輩は口を開く。
「その言葉…どこで……」
「中学2年生の時…ホワイトデーの日…」
「「学校の女子トイレ」の裏で」
僕と先輩の声が重なった。
「やっと、見つけてくれた…………」
相変わらず不器用だけど、確かに嬉しいんだと伝わる笑顔で両目から涙を溢れさせた先輩は、僕の元へと駆け寄りそして抱きつく。あまりの勢いにバランスを崩した僕は、先輩とともにそのまま倒れた。
「先輩が…玉波先輩があの時の?本当に?」
「うん……」
「…そっか…先輩はあれからも頑張ってたのか……」
「……違うよ」
先輩の否定に、僕は首をかしげる。僕の顔に、先輩のふわふわとした白髪が垂れてなんだかくすぐったい。僕の目を真っ直ぐ捉えた先輩は続けて言う。
「私ね、あの時からずっと…君を騙してた友達と別れるのが辛かったわけでも、卒業が嫌だったわけでもない…」
先輩の髪の毛を伝って、熱い涙が僕の頬を濡らす
「私はただ………あの時からずっと家内……君が…君だけが欲しかった……」
先輩が吐き出した、僕に対する思い。
「友達も、家族も、絵だって要らない。家内だけでいい。だから……ね?私と…私と結婚して…」
…………け?
「結婚……?」
驚いた。まさか告白を飛び越して結婚とは…さすがはドジっ娘というべきなのか?
「ふーっ…ふーっ…」
なんだか先輩の息が心なしか荒くなった気がする。このままだとまずいと思った僕は先輩への返事を考える。……まさかこの短期間に二度も告白されるなんて…いや、先輩の場合は3年前か?
とにかく、莉音からの告白への返事もできてないからには先輩からの求婚を受ける訳には…
「今…」
「え?」
「私以外の女のことを考えたわね?」
「え!?」
ぐわっと先輩の顔が近づいたと思ったら、右目に痛みが走る。
「ぎっ!?」
何が起こったか理解したのは先輩の顔が離れた時だった。玉波先輩の色素の薄い唇の隙間から顔を覗かせる綺麗な舌。そう、僕の右目を先輩は舐めたのだ。
「先輩!?何を…!」
「私ね、家内の全部が知りたい…家内の味も、家内の匂いも、感触も……もちろん家内には私の全部を知ってもらいたい…」
そう言いながら、先輩は僕の左手を持ち上げ自らの胸へと押し当てる。
「なっ……」
このままじゃまずい……どうにかしないと…
「ねぇ…いいでしょ?」
僕の腹上で、玉波先輩がモゾモゾと動くどうにか…………どうに…………
先輩の顔が再び僕に近づいて、今度は耳を舐め始めた。
「私だけを見て」
!!!!!つい最近わかったことだけれど、僕は耳が弱いらしい。
キーンコーンカーンコーン〜
「…!」
あと少しで抵抗心を削がれるところだった…危ない危ない。昼休みを終えるチャイムが鳴ってくれてなんとか助かったぞ………………あれ!?
「……離さないよ」
またも耳元で囁く声に体を震わせながら、先輩を見ると態勢はそのまま…僕を押さえ込んでいる。
「先輩…授業が…」
「…そんなの知らないわ」
確か先輩委員長だったよな!?……てかこんなキャラだったか!?あぁ……違うな…これが本当の先輩なんだ。それも多分、ほんの一部分。今までどうしてきたのかは僕なんかじゃ到底計り知れないけれど、本当の自分に蓋をして偽りの性格とキャラクターを演じてきたのだ。それが分かったからか、ほかに手段が無かったからかは今も分からないけれど僕は両腕を伸ばして、先輩を優しく抱き寄せた。
「…………家内?」
「玉波先輩…ごめん。今は先輩の気持ちに答えることはできない。」
それを聞いた瞬間、先輩はものすごい力で僕の手を振りほどいて後ろに飛び跳ねた。
「…先輩?」
「ご……ごめんなさい…私ったらこんな…こんな汚いこと…………」
今までにないほど震えた先輩の声。目は泳ぎ僕の方へは向かない。長い白髪に体を隠すように包まれて小さく座っている。これも、先輩の本当の姿。他人と関わることを極端に恐れて、失敗したことをいつまでも引きずってしまう。自分を卑下し、相手に嫌われることを避けようと必死になる。
「先輩。」
ゆっくり腰を下ろし、先輩のほうへ手を伸ばす。先輩は伸ばされた手を見て逃げるように身をよじった。
「私、なんでもするよ!?家内のためならなんだって…………!」
「先輩!」
もう一度、さっきと同じように優しく先輩の肩を抱く。ガクガクと震え、涙でぐしゃぐしゃになった顔からはあの威厳たっぷりの先輩の面影は一切感じられなかった。
「なんで…なんでわだしじゃダメなの?なんで……なんで……」
今度は子供のように泣き出す。これも、今まで押さえ込んでいた感情の一部なのだろうか…一体…どれだけの我慢をし続ければこんなにボロボロになってしまうのか…今の先輩に僕ができることなんて…
…………言わないと…
先輩は今まで隠してきた《ヒミツ》を今少しずつ僕に吐き出している。それなら、僕だって先輩に言わなければならないことがあるだろ?
「…玉波先輩!」
「……っ……なに……?」
「先輩の気持ちに今答えることができないのは本当です」
「イヤ!ヤメテ……!」
「でも!それには理由があります!」
「りゆう……?」
……黙っていたってしょうがない…今ここで言わないと先輩はこのまま壊れてしまうかもしれない…
「実は…今、先輩と同じように僕のことを好きだと言ってくれた人がいるんですが、その子に対する返事をまだできないままでいるんてます……」
先輩はポカンとした表情で僕を見ている。
「な、情けないヤツですよね…そ、それに僕は先輩の思ってるようないい人なんかじゃないんですよ!?ほ、本当はムッツリだし女の子の汗の匂いがす…好きだったりするし…………」
しまった。勢い余って余計なことまで言ってしまった。まあ、先輩が僕みたいなヤツを諦めてくれればそれでもいいか。
「それ……ほんと…………?」
途切れ途切れな、今にも消えてしまいそうな声で先輩が訪ねてくる。
「…本当です…」
先輩は少しの間顔を伏せ、その表情が完全に隠れた。
「………家内」
「は、はい」
顔を上げた先輩の顔にはすでに涙は流れておらず、不器用で下手っぴな笑顔だけが残っていた。
「それじゃあ…私も……私にもまだチャンスはあるのね?」
「えっ!?」
チャンス?それは僕が先輩の求婚をokするチャンスのことか?え?先輩は僕の話を聞いていたのか?こんな優柔不断で特殊性癖を持った童貞に対してまだチャンスはあるかと聞いたのか?チャンス……あるか?莉音への答えを出すこともそうだけれど、先輩に対しての答えも同時に考える…いけるか?
「ねぇ、あるよね?」
僕の耳元で囁くその声は、今まで聞いてきた先輩のどの声よりも甘くそして優しいものだった。
「……はい…」
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それから、5限目の授業をサボった僕と先輩はお互いに今まであったことや互いに言わなければならないことを教えあった。玉波先輩の家庭環境や左目のこと、友人関係について果たして僕になにかできることがあるのか…先輩と向き合っていくには、まだまだ問題が山積みであることが窺い知れた。玉波先輩のほうはと言うと、なぜか僕の性癖や好きな食べ物、好きな異性の仕草や服装、髪型…しまいには好きな部位の話を聞いてきた。それも目を輝かせ鼻息を荒くしている。
なんか…おかしくね?
莉音やあきとの関係についても話しておきたかったのだが、先輩は僕以外の名前が出るとあからさまに僕の話を妨害しようとしてきたので詳しく説明することはできなかった。5限目も終わり、先輩はどうやら今日の授業が全て済んだようだったので僕は6限目に出るべく部室を後にしようとする。奥側の部屋から部室へと続くドアに手をかけドアノブをひねって開ける。
「ねぇ、家内」
突然声をかけられ後ろを向いた。陽の光に照らされ、綺麗な白髪が輝いているようにも見えるその姿に僕は見蕩れる。ゆっくりとこちらに歩いてきた先輩は、僕の右手をとりそれを自らの頬に当てた。
「行ってらっしゃい。」




