3話「タマゴとイズミ」
「り、莉音?どうしたんだ…?」
…………。
普段誰も使用しない空き教室、その一室に現在莉音と2人。
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昼休みの後、5限目が終わり本日の授業もあと一つというところでスマホが揺れた。
【3階の空き教室に来てください。】
正直、嫌な予感はしていた。昼休み明らかに様子がおかしかった。とりあえず教師には腹痛だと言っておいてくれとメールであきに頼んだら、だいぶ苦い顔をされたがなんとか抜け出せた。3階にいくつかある空き教室のうちのひとつに莉音はいたが、僕が教室に入るなり腕を掴んで引き込まれドアに鍵をかけられた。
「……莉音…さん?」
こちらの問いかけに答えず、ただ僕のことをじとりと睨むだけの莉音に僕は少し恐怖を覚える。
「や、やっぱり…昼休みのことだよな?」
その瞬間、彼女に押し倒され廊下側の壁を背に尻餅をつく。そして、案の定莉音は僕に対面する形で座り手を壁についた。
「うぉ!?」
び…びびったあ!!!
両手で僕の顔すぐ横を押さえつけた莉音。これは所謂壁ドンと言えるのだろうか…普通は男子がドンする方なんじゃないか?女子がドンするのは色々おかしいんじゃ…
「ん?あれ…莉音?口になにか含んで…」
僕の声に応えるように、小さな口をんあっと開けた莉音の口内には見覚えのある黄色い物体が確認できた。
「そ、それってもしかして玉子焼きじゃ!?」
気付いた時にはもう遅く、頭を左右から抑えられて莉音の口は僕へと繋がる。
「ん!?んん!!」
彼女の口から押し出される大きめな玉子焼きがぬるりと僕の口内に入ってくるが、ここでひとつ人体の不思議について触れておこう。人間というのは不思議なもので予期せぬものが口に入り込んだ場合、きちんと身を守るための機能が備わっているのだ。
そう、えずくのだ。
「うぇあ!?」
莉音への口に逆戻りした玉子焼きに驚いたのか、莉音はたまらず僕から口を離す。
「ゲホッ…うぇ…ビックリした…こら!食べ物で遊ぶんじゃありま…せん……」
説教をかまそうとした僕の頬に添えられた手は先程とは違い非常に優しく、向けられた眼差しは真剣そのものだった。そして、再び繋がった莉音の口から今度は咀嚼され小さくなった玉子焼きが流し込まれる。優しく添えられていたはずの手はいつのまにか僕の後頭部に回されてガッチリと抑えている。
………これは、逃げられないな…
観念して莉音が流し込んでくる玉子焼きをそのまま飲み込むが…なんだろう…玉子焼き自体は美味しいのだが、目の前にある彼女の大きな瞳が原因なのか不思議な感覚に陥る。まるでこれは、親鳥が子に餌を与えている様だ。しばらくして、玉子焼きが尽きたのか今度は莉音の舌が侵入を試みてくるが流石にこれ以上は限界だった僕は力一杯唇をつぐんで抵抗した。その様子を見て観念したのか、莉音は若干不服そうに頬を膨らませてから体の力を抜いて僕にもたれかかる。
……やわらけぇ〜
っといかんいかん、あまりに心地よい感触に我を忘れるところだった。どうやらこのまま寝る気らしい…莉音の腕にガッチリホールドされてスマホを見ることもできないので教室の時計を見ると、すでに授業が始まっており終了まであと30分ほどだった。
「……僕も寝るか。」
テコでも動く気は無さそうな莉音とともに、僕は夢の世界に……………………
「いや!無理無理!暑いって!」
それもそのはず、この空き教室は誰にも使われていないのだから冷房が効いているはずもなく室温と湿度は考えたくもない数値を示しているはずだ。
「こんなところで眠れるわけないだろ?莉音?」
……寝ている。健やかな寝息をたてながら、莉音は幸せそうに眠っていた。
「…まあ、いいか…30分の辛抱だ。」
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30分後、莉音を起こして誰にも見られていないことを確認してから教室を後にして荷物をとってそのまま一緒に帰宅する。3年生とはカリキュラムが違うので、思緒姉ちゃんとは別々だ。待っておこうかと聞いたが
「私のせいでハル君の時間を無駄にするわけにはいかないわ」
とのことだったので気にせず帰ることにした。荷物を取りに行った時に、残っていた数人の生徒に怪訝な顔をされたがなにも気にすることはない。ひとつ驚いたことといえば、机の上にあきからの書き置きがされていたことだ。
内容は【貸し1】。
怖い…恐怖でしかない…しかしこればかりは仕方がなかったと諦めるしかなく、明日以降実行されるであろう罰を甘んじて受ける他ない。
「おや!そこを行くは陽満と…えーっと?」
ハツラツとした雰囲気で話しかけてきたのは確か伊藤さん?だったか。
「こっちは野美乃莉音っていうんだ。」
横に立つ莉音の紹介をする。
「野美乃?ふむ…それでその野美ちゃんと陽満はどういう関係なんだ?恋人か?」
「急にくるな!?友達だよ!!!」
「なんだ、仲良さげな様子からすでに将来を約束した仲かと勘違いしてしまった!すまん!」
伊藤さん、良くも悪くも人との間に壁を作らなさすぎる…そういえば、教室であきや小倉さんのことを立花ちゃんとか杏子ちゃんと呼んでいるところをたまに目にするが、本当に誰とでも仲良くなってしまうのだろう。
僕とは真逆のタイプだ。
莉音の様子をチラリと見ると、恋人発言に対してまんざらでもない様で顔を染めて俯いている。目線を伊藤さんに戻すと同時に僕は息を飲む。
今まで崩れたことのなかった伊藤さんの笑顔が消えていたのだ。なんの感情も無い、あそこまでの無表情を作れると逆にすごいかもしれないと思うほど、色の濁った目で僕…というよりは莉音を見ていた。
しかし、それもほんの一瞬のことで次の瞬間には笑顔に戻っていた。さっきの無表情が嘘の様な変わり身に、僕はそれについてあまり考えない方がいいような気がしたので、黙っておく。
「そ、そういえば、伊藤さんはこれから部活?」
「ん?ああ、そうだぞ!」
そう言って、くるりと回って自分の姿をくまなく見せる伊藤さん。
「どうだ?似合っているか?」
「う、うん…似合ってるよ…」
似合っているもなにも、伊藤さんが現在着ているのはスリッパと黒タイツ、ハーフパンツにTシャツと至って普通の運動着のように見える。しかし、身体の起伏が少ない彼女はそれを見事に着こなし短い髪も手伝って美少年然とした雰囲気だ。
少し主張する胸部と、くびれたウエスト。健康的な太腿と可愛らしさの残る顔が彼女がまさしく女性であることの証明をしてくれているので、性別を間違えたりはしないだろうがどちらかといえば女子にモテそうな感じである。
「む?陽満!今失礼なことを考えていただろう?」
「え?そ、そんなことは…」
「嘘だな!私はこれでも勘がよく当たる方だ」
「なるほど?」
「まあいい、さてでは質問だ!私は何部でしょう!」
急にクイズが始まった。…服装的に運動部だろうが…外で活動する部活にはちゃんと部室が屋外に用意されているしスリッパで廊下を歩いているなんてことは無いか?いやしかし、なにか用があって校舎に入っていた線も考えられるし…
そもそも、この学校にある女子運動部の数は…
「フブー!時間切れ!」
「な!?早いぞ!もうちょっとだけ!」
「ダメだ。私もそろそろ部へ顔を出さなければ、ただでさえ活動時間が短いうえに日にちも限られているからな!」
そこまで聞いて、僕はある答えにたどり着く。
「正解は、女子新体操部でした!どうだ?少しは少女らしい一面を感じたろ?」
「う、うん…」
僕はその答えに、彼女の想像を絶するほど驚いていた。伊藤さんが新体操部ということはあきと同じってことだよな?それはつまり、彼女もまたあの部室を使用している人間のうちの一人ということになる。
そしておそらく、僕は幾度となくその恩恵を受けている……ダメだ……直視できねぇっ!!!!
「ハッハッハ!では私はこれにて失礼する!また明日だ2人とも!」
「あ、うん…」
莉音と2人で走り去る伊藤さんを見送り、見えなくなってからまた下駄箱を目指す。
【今、陽満君いやらしい顔をしていました。】
「え!?」
ジト目を向ける莉音に対して僕は笑って誤魔化すしかなく、その足は少し足早になっていた。




