7話「ユメとセイチョウ」
「わたしおおきくなったら、おにいちゃんとけっこんするんだ!」
「そうかそうか!兄ちゃんもまなみとケッコンしてやるぞ〜」
「やったー!おにいちゃん大好き!」
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「……………はっ!?…ゆ、夢か……」
ベッドに寝転がって天井を見つめながら、さっき見た夢のことを思い出す。小さい頃、兄貴にいつもくっついて離れなかった私を兄貴は本当に可愛がってくれた。意味もわからず兄貴と結婚するだなんて毎日のように言っていたけど、流石に兄貴はそんなこと覚えてないかな…もし覚えてたら恥ずかしすぎるし、覚えてない方がいいや。
「………お腹すいたな。」
兄貴と向き合っているのが恥ずかしくて、夕食を途中で切り上げてしまったためかお腹がきゅーっと鳴る。
「コンビニにでも行こ」
ジャージに着替えて部屋を出ると、家の中は静かだった。
「兄貴も思緒姉もまだ帰ってないのかな…まあ、兄貴にメールだけしとくか。」
思緒姉は基本的に出かける時財布のみの軽装なので、とりあえず兄貴だけに連絡をしておく。サンダルを履いて家を出ると、人通りもすでになく静寂な空間が広がっていた。
「うー…暗いの嫌だしさっさと買って帰ろ」
そう思いコンビニに行く道へと急ごうとしたらウチを出てすぐ右に曲がったあたりにある電柱の下で何かが蠢いているのを見つけた。
「なにあれ…猫?」
恐る恐る近づいてみると、それはプルプルと体を震わせた小さな子犬だった。
「な、なんでこんなとこにいるの?どっからきたの?こんなに汚れちゃって…」
身体中泥だらけでやせ細った小さな体は、今こうして生きているのが不思議に感じるほど弱々しく感じた。
「う、うーんどうしよ…ここに置いとくわけにも行かないし…」
近くを見渡すと、電柱に隠れたところに小さなダンボールを見つけた。中には毛布が引いてあり、おそらくこの子が入れられていたものだろうか。
「とりあえず、ダンボールに入れるしかないよね。か、噛まないでね~?」
手を震わせながら触れようとした時、子犬がキャンと弱々しい声で一回吠えた。
「わっ!?」
驚いて思わず尻餅をつく。
「うーん…どうしよう、やっぱりさわれないよ…」
犬が嫌いなわけではないけど、触るのが怖い…子犬が触れず戸惑っていると
「真実?なにやってんだこんなところで」
「ひゃっ!?」
「うぉ!急に大声出すなよ…」
「お、…兄貴!?なんでここに…」
「いや、今帰ってきたんだよ。お前こそ何やって…って子犬?なんだ捨てられちまったのかお前…」
そう言いながら兄貴は子犬を抱きかかえて脇にあったダンボールへと入れる。
「こいつ、ウチでは飼えないぞ?」
「わ、わかってる…でもこのままだと死んじゃうかもしれないし…」
「うーん、だよなあ…よしっ!じゃあとりあえず持って帰って体洗ってやろう」
「ほんと!?」
「おう、俺が洗っておくから真実はコンビニで子犬用のペットフードを買ってきてくれ。」
「う、うん!わかった!」
兄貴と別れて、コンビニに急ぐ。
…………兄貴は…………兄貴は今でも覚えているのだろうか……
あの時の《約束》を………………
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「ほーら、大人しくしてろよ?」
犬用のシャンプーを泡だてて、シャワーで濡らした足先から洗ってやる。それにしても、だいぶ前のやつだけど使用期限とかはあるのだろうか?
「また調べとかないとな。あ、こら動くなって!」
お尻や背中などを順番に洗い、目の周りを濡らしたタオルで拭く。
「それにしても細いなあ、お前…ユメそっくりだ。」
ユメ、それは昔我が家で飼っていた子犬の名前である。確かあの時も、真実が近所で捨てられていた子犬を拾ってきたのが始まりだったな。
「よし!こんなもんかな。」
タオルで体をよく拭いて、ドライヤーで乾かす。乾いたら抱えてリビングに移動して、真実が帰ってくるのを待つことにする。
「それにしても、母さんと父さんになんて説明しようか…」
説明といっても、家の前で捨てられていたからとりあえず保護したとしか説明しようがないが…
「父さんはともかく、母さんは動物苦手だからなあ…」
以前真実がユメを拾ってきた時も、元いた場所に置いてきなさいと真実を叱っていた。それでも最終的には子犬のつぶらな瞳にやられたのか、触れないながらも率先してペット用品を買ってきてたな…
「まあ、なるようになるか。」
ダンボールの中で新しく敷いた毛布の上で丸まって眠る子犬を見て、思わずほころぶ。
「お前がもしユメの生まれ変わりなら…きっと真実は喜ぶだろうな…」
真実とユメはいつも一緒だった。それこそ、朝から晩まで一日中。しかしある日、まだその頃幼稚園の年長さんで犬に対しての知識もほとんどなかった真実は、母と初めて一緒に作ったオムライスを母や父の目が離れた隙にユメへと与えてしまったのだ。ユメにも自らが手伝って作った料理を食べてもらいたいと思った心優しい真実の行動も、犬にとっては毒となってしまう…オムライスの中に含まれていた玉ねぎが原因でユメは体調を崩し、動物病院で診てもらったがそのまま息をひきとった。自分の作った料理がきっかけでユメを死なせてしまった事実は、まだ小さかった真実の心に大きな傷を残したことは間違いない。あれから真実は少しずつ特訓しているようだが未だに料理に対して苦手意識を持っているようだし、動物を怖がるようになってしまった。
「それでも、お前を拾ってやろうとしたのはやっぱりお前が一瞬ユメに見えちまったのかもな。」
丸まった子犬を優しく撫でながら時間を潰していると、玄関が開く音が聞こえてしばらくしてからひとりの人物がリビングへと入ってきた。
「ハルくん、ただいま。今帰ったわ…?」
「あっ、し…思緒姉ちゃん…お帰り?へへへ…」
ああ…そうか…もうすぐ帰ってくる両親の前に、説明すべき人がまだいたな…
「そう、それじゃあ今真実はこのコのエサを買いに行ってるの」
「う、うん…」
先程の出来事を思緒姉ちゃんに簡潔に説明した。
「そのまま放置していたら、このコは長くもたなかったでしょうし…あなた達の判断は間違っていないわ」
「そ、そうだよな!」
「けれど、ウチで飼うのは無理ね」
「確かに母さんと父さんを説得するのは簡単じゃないけど、で…でも!真実だってもう大丈夫だと思うし…」
「母さんや父さんはともかく、そもそもこのコは捨て犬じゃないわ」
「は…はぁ?」
突然姉がおかしなことを言い始めたので困惑する。子犬が捨てられていないなら、あのダンボールやタオルはなんだったのだろう…
「これ、商店街の方で配られてたの」
そう言って思緒姉ちゃんが一枚の紙を見せてきた
「迷子の子犬を探しています?」
その紙には今ダンボールの中で眠っている子犬と瓜二つの犬の写真と、飼い主の連絡先、いなくなった場所等の情報が書かれていた。
「確かに…似てるな」
「私の同級生のウチで飼われていたコでね、散歩中公園で少し目を離した時に幼稚園の妹さんがリードと首輪を外してしまったらしいのよ」
「なるほどなあ…それで思緒姉ちゃんも一緒に探しに行ってたってことか」
「えぇ、たまたま出かける用があったんだけれど用事が終わった後に商店街で会ってね」
「じゃあ、このダンボールとタオルはなんなんだ?」
「恐らくだけれど、あなた達が見つかる前に誰かが拾って何かしらの事情で捨ててしまったのか…もしくは拾ってはやれないもののなにか出来ることをしようとしたんでしょうね」
「そっか、でも飼い主がいるならちゃんと帰してやらないとな…」
ガタリと後ろから音がして振り返ると、ビニール袋を片手に持った真実が立っていた。
「ま、真実…帰ってたのか。じ…実はな」
「いい…聞いてたから」
「そ、そうか…」
「これ、買ってきたからそのコにあげて」
そう言って真実は僕にビニール袋を預けて上の階へと逃げるように登っていった。
「やっぱり、落ち込むよなあ…」
真実は普段の態度の割にはかなりの寂しがり屋だ。ユメを自分のとった行動が原因でで死なせてしまって以降、ふさぎがちになった真実は常に家族にべったりでそれ故に両親も真実のことを甘やかしてきたふしがある。なにかを失うことへの強い恐怖感とトラウマが今も真実の中には大きく存在しているのだ。
それでも、少しずつ真実は変わろうとしてきた。
夜、暗い中を一人で歩けるようになったのだって結構最近のことで…それこそ僕とよく喧嘩をするようになったのと同じくらいの時期だろうか。
「…ハル君、このコは私が見ておくからハル君は真実の様子を見てあげて」
「わかった…」
思緒姉ちゃんの言葉に甘えて、真実の様子を見てくることにした僕は2階に上がって真実の部屋のドアをノックする。
「真実ー?大丈夫かー?」
返事はない。
「入るぞー?」
ドアノブを回そうとすると、どうやら鍵はかかっていなかったらしく扉は簡単に開いた。暗闇に包まれた部屋の奥で、ベッドがこんもり膨らんでいる。
「真実、気持ちは分かるがあの子犬には帰る場所があるんだ。落ち込んでもしょうがないだろ?」
「大丈夫…分かってるから…」
嘘である。声が震えている。
「それに…思緒姉の同級生の妹?ちゃんが寂しがってると思うから…」
……自らの行動の結果ユメを失った真実自身と、自分の行動の結果子犬を失っていたかもしれないその子とを重ねているのか…
確かに、たった一度の過ちが真実自身の心を傷つけはしたが……真実は着実に成長している。その感じで兄に対しても優しい妹へ成長してくれればもう言うことなしなんだがな…
「あぁ、そうだな。朝になったら母さん達も帰ってくるだろうしみんなで届けてやろう。」
優しく、慰めるような手つきで膨らんだ掛け布団を撫でる。
「なっ!?」
どうやら真実も突然のことで驚いたようだ。
でも、今ぐらいは兄らしく妹を甘やかしてもいいだろう。
「どこを…」
「え?なんて?」
「どこを触ってんのよーーーーーー!」
勢いよく布団から飛び出した真実の拳が目の前に現れたと思ったと同時に僕は意識を失った。




