2話『キズ②』
3.4時間目、寒い体育館で明日に控えた卒業式の練習を行う。練習といっても、延々と起立と着席、礼…そして合唱の練習を繰り返すだけの退屈な時間だ。サボろうとしていた沙耶ちゃんの気持ちも少しわかる。
ただ、私はなるべくこういう他のクラスも参加する行事には出席したかった。内申に響くとかそういう理由ではなく、ある男子生徒がいるからだ。3列ほど前の椅子に座った男子生徒、幼稚園…そしてクラスは違ったけど小学校も一緒だった家内陽満君、私の好きな人だ。朝下駄箱に入れた手紙は読んでくれただろうか…恥ずかしくて名前は書いてなかったけど、今日の放課後…校舎裏に来てくれるかな…不審がられて来てくれなかったら…………そ、それでも良いかも…
最悪の場合を考えると、今回想いを伝えることができなくても良い気がして来た。……ってダメダメ!変わるって決めたんだから、逃げちゃダメ!
首をブンブンと横に振りたくなるのを我慢して、視線を下げる。
「莉音……莉音ってば……」
「え?」
右斜め後ろに座った沙耶ちゃんが小声で声をかけてきたので振り向くと、私以外の生徒が立っていたことに気がついた。慌てて起立して俯く。耳が熱い。
周囲からわずかにクスクスと笑い声が聞こえ、前を向くと数人の生徒がこちらを見ており、彼も…家内君も私のことをチラリと見ていた。
「……っ…!」
家内君と目があった気がして、再び視線を下げる。
その後は特に何もなく、練習も終了して昼休みになった。
「ぼーっとして、なにかあった?」
「え、な…なにも…」
「ほんとぉ?なにもない?」
「うん」
「じゃあいいや、莉音、給食食べ終わったら佐々木んとこ行くからついてきたよ」
「え、ええ…ひとりで行ってきなよ」
「いいじゃんいいじゃん、他のクラス行くの心細いんだよ」
「……わかった」
朝も名前が出ていた佐々木君とは、沙耶ちゃんの彼氏さんのことだ。なんでも小さな頃からの幼馴染とかで物心ついた時にはもう互いに意識しあっていたらしい。……沙耶ちゃんからこの話を聞かされるたびに、私は羨ましく思ってしまう。私も…ハルちゃん……家内君とは幼稚園から一緒なのに…幼稚園以降はほとんど話もしていない。本当はもっと話したい。一緒にいたいのに…
給食を食べ終えて、歯磨きを済ませた私と沙耶ちゃんは佐々木君のいる2組の教室へとやってきた。ちなみに私と沙耶ちゃんは1組だ。
「げ…何しに来たんだよ」
「げとはなによげとは!ほら、今日はなんの日でしょうか」
「なんの日……?あ……」
「…あ?まさかあんた忘れてたんじゃないでしょうねー!」
「わ、悪い!また今度返すから…」
「なにそれ!」
どうやら佐々木君はホワイトデーのお返しを忘れてしまっていたらしい。ふたりが彼氏彼女というか、夫婦のような感じで言い合っていると、教室の奥から一人の生徒が歩いて来た。
「悪い、ちょっと通りたいんだけど」
「ん?おお、家内悪いな」
「ん…………なに?」
「ひゃっ!?」
見ていたのがバレてしまい、家内君に声をかけられてしまった。
「な、な……なん…」
緊張してしまい、呂律が回らない。こんなにも近く、そしてこんなにも真っ直ぐ彼を見たのが久しぶりすぎて体が震えてきた。
「こ、ここ…こんにちは!」
「……え、え?」
「ちょ、ちょっとあんたどうしたの!?」
話しかけられたのだから、なにか返さなければならないという自分でも意味のわからない意思が働き、挨拶をしてしまった。
「…こんにちは…?…じゃ…」
家内君は戸惑いながらも私に挨拶を返してその場から離れる。
「莉音?ほんとにどしたの?熱でもあるの?」
「だ、大丈夫だよ沙耶ちゃん…」
「佐々木、今誰?あんなやついたっけ?」
「家内のことか?いたもなにも有名人だぞ。近寄りがたいあの態度、目つき!あれがいわゆる不良ってやつだ!」
「えぇ〜ただ根暗なだけでしょ。友達いなさそうだったし」
「ふん、お前にはあの良さは分からないだろうな!きっと俺たちとは関わる必要すら感じてないんだぞ」
「別に分からなくていいわ…莉音?やっぱりどっか調子でも悪い?」
「えっ!?う、ううん大丈夫だよ…」
「以上で帰りの会を終わります。皆さん、明日は卒業式なので遅刻しないようにしてくださいね。それじゃあ起立、気をつけ、礼…さようなら」
挨拶を終えて、私は急いで支度を整える。緊張で先程からお腹が痛いのでトイレにも行っておきたい。
「莉音、じゃあねー」
「うん、沙耶ちゃんまた明日」
佐々木君を待っている様子の沙耶ちゃんにも挨拶してからまずはトイレへと向かった。廊下を行き交う生徒たちは心なしかソワソワしているというか、男女で一緒にいる子たちをパラパラと見かける。
「……」
胸が高鳴る。もしかすると今日、私に初めて彼氏が…それも初恋の男の子と結ばれるかもしれない…
下駄箱に比較的近く、利用数の少ない特別教室のある塔1階のトイレ、その個室へと入る。しかし、よく考えれば私が指定した校舎裏というのはこのトイレからほとんど離れていないことを思い出し、もう家内君が待っているかもしれないと考えると急にお腹の痛みが引いて、代わりに胸が痛くなってきた。
「……どうしよう…」
もう引き返すことはできない。そう頭の中で自分に言い聞かせていると、扉が開き、誰かがトイレに入ってきた。足音からするとひとりのようだ。
……泣いてる?
すんすんと鼻で泣くような声が聞こえる。音を立てないようにしていると、隣の個室に入った音が聞こえてまた小さな鳴き声だけが聞こえるようになった。
気まずいので、静かにドアを開けてトイレから脱出した私はなぜか少し鳴き声の人物が気になりながらも下駄箱を目指した。
下駄箱につき、もう一度だけ深呼吸する。
これで、最後。お昼みたいに緊張して変なこと言わないようにしなくちゃ。
「野美乃!良かったまだいたな!」
「ひっ!?…先生?どうしました?」
急に声をかけてきたのは担任の先生だった。
「い、いま野美乃のお父さんから学校に電話があってな…その…入院中のお母さんが……」
「……え?」
「……はっ!?……はぁ…はぁ……夢……」
随分と懐かしく、そして辛い夢を見た。夢を見て泣いていたのか、枕元が濡れている。
「……ハルちゃん」
次回更新は明後日です




