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文身(3)

「おい、おい。そんなことは聞いたこともなかったぜ。そいつあ、可哀想なことをしたな。しかし、何故もっと早く教えてくれなかったんだ」


 虎五郎がそう尋ねると、

「だって、あんたがあんまり有頂天になってるものだから」

 と答える。


「そうだったのか。いや済まねえ。悪かった。もう二度と名前のことは言わねえからな」


 肩に手をかけ優しく話しかける虎五郎に、彼女は小さく頷いた。

 虎五郎はその様子に安心したのか、今度は権左のほうを振り向く。

 

「で、どうなんだい。やっぱりおやっさんの知り人だったかい?」

「いや、人違えのようだ。しかし――」


「しかし、何だってんだ」

「お父っつあんのことですか?」

 すかさず、彼女が口を挟む。


「う……うむ」

「お父っつあんなら、本当の父親じゃないから、身体髪膚なんて関係ありませんよ」

 吐き捨てるように言う。


 やはりそうだったのか――。男と駆け落ちしたとの噂が、耳に入ってはきていた。これまで必死に心の中でそれを打ち消してきたが、やはり嘘ではなかったのだ。


 権左の心の中に、15年前にそれを聞いた時の悔しさと、おマサに対する憎しみが再び甦ってくるのだった。


「私の本当の父親は、とうの昔に死んでしまったと母から聞いております。だから私が文身をしようと、それを咎め立てする人間などおりません」


 なるほど、そういうことになっているのか。あの時点で、俺という存在は消えちまっていたんだ。おマサからも、娘からも……。


 だとしても、今現にここに俺はこうして存在している。してみると、今まで生きてきたこの俺という存在は、いったい何なんだっていうんだろう。


 これまで彫り物一筋に打ち込んできた。我が身も家庭も顧みなかった。女房子供がいなくなってからは、なお一層全身全霊を込めて取り組んできた。


 その甲斐あったのか世間では喝采されたが、考えてみればこの俺自身が満足できるものはただの一つもできていない。


 そんな権左の思いをよそに、虎五郎が言う。

「そのお父っつあんってのが、ひでえ奴だったんだ。なあ、さくら――」

 さくらはそれには答えず、黙って唇を噛んでいる。


 虎五郎の話によれば、継父はおマサを働かせておいて、自分は呑む、打つ、買うの放蕩三昧(ざんまい)だったという。


 挙句に大変な借金をこさえ、置屋にさくらを売り飛ばしてしまう。心労が祟ったのか、大病を患った末におマサは死んでしまったのだった。


 権左は、そのことを聞いて、激しい後悔の念に襲われていた。おマサへの憎しみの気持もどこかに消し飛んでいた。


 全ては俺のせいなのだ――。


 誰もが息を呑んで言葉も出せないような作品を、己の手で完成させたいという欲望に取りつかれるあまり、何の罪もない女房子供をこの俺は犠牲にしてしまったのだから。


「で、そのひどいお父っつあんってのは、今何をなさっているんだね?」

 権左は、体が震えるほどの怒りを抑えながら尋ねた。


 場合によっては、そいつを直接、自分の手で殺してやろうと思っていたのである。

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