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文身(2)

 女は権左の無遠慮な視線に耐えかねたように、虎五郎のほうをちらっと振り返った。


「いいから、教えてやんな」

 彼が鷹揚にそう答えると、彼女の頬にほんのりと朱が差した。


「さくらと言います……」

 俯いて小さな声で答える。


 娘の名もさくらであった。あのまま大きくなっていれば、丁度この娘と同じ年の頃である。

 権左は、ここしばらく感じたことのないような胸の高鳴りを覚えた。


「どうでえ、いい名だろう。俺と結婚したら佐倉さくらになるんだ。俺たちはきっと、前世から余程深い契りを結んでいたに違えねえ」


 権左はそれを無視するかのように、女を凝視したまま尋ねた。

「それでおっかさんの名は何とおっしゃるんだね? そもそも、このことは知っていなさるのか」


「それがあんたと何の関係があるんだ」

 虎五郎がかっとなって言った。


身体髪膚(しんたいはっぷ)之を父母に受くというのを知らないか」

「何でえ、そりゃあ――」


「身体髪膚これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始めなり。親からもらった大切な身体に、無闇に傷をつけるものではないという意味だ」


「余計なお世話ってもんだろう」

「そうはいかねえ。人様の娘の肌に傷をつけようっていうのに、親の意向を確認しないでどうする」


「それにしたって、母親の名まで尋ねることはなかろう」


 権左はしばらく逡巡した後、思い切って答えた。

「……この娘さんは……、昔俺の知っていた人に似ているんだ。だから、なおさら確認しておく必要がある」


「ひゅー。そいつは穏やかじゃないねえ。ひょっとしてその人にほの字だったのかい?」


「バカ! そんなんじゃねえ。ただの知り合いだ」


「ふーん。まあいいや。おい、さくら――」

 虎五郎が優しく見やると、彼女はますます顔を赤らめた。


「いいから教えてやんなよ。さもないと、この頑固親父はこちらの言うことを聞いてくれそうもないぜ」


 彼女は唇を噛み締めしばらく黙っていたが、やがて顔を上げて言った。

「おっかさんの名はマサと言います」


 権左の心臓がどくんと波打った。

 間違いない。この子は、俺とおマサの子だ――。

 

「それで?」

「さきおととしの春に死にました」

 直ぐに答えが返ってきたが、心なしか権左の顔を睨みつけるようにしている。


「ちょうど桜が満開の時期でした。あれ以来、花が散るのを見るたびに、胸が締め付けられるように悲しくなります。だから私は、あの花が大っ嫌いです。この人は私の名を喜んでおりますが、私は呪ってさえいるのです」


 何時の間にか目元に涙が浮かんでいる。しかしそれを拭おうともせず、きっと権左を見据えて言った。


「そうか――。悪いことを聞いちまったな」

 かつて妻を憎んだこともあるが、死んだと聞いては哀れにもなる。


 それにしてもこの子は――。

 意外な気性の激しさを知って、顔は別としてこの子は俺似なのかもしれないと、権左は思ったのであった。

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