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カクテル

 速い。速い。ビルも人もどんどん後ろに消えてゆく。曲がり角だろうが坂道だろうが、構わず突っ走る。


 自分は助手席に座っていて、革製のゆったりとしたシートに包まれていた。ふと気づくと、シートベルトを締めていない。


 慌てて装着すると、運転席の男が言った。

「これで遠慮せずにぶっ飛ばせる」

 運転席は左側だったので、この車は外車に違いない。


 橋の手前で、男は更にアクセルを踏み込む。

 一気に突っ切ると、急な下り坂だった。そのままダイビングするように、道路に着地する。


 車は大きくバウンドし、自分の身体も上下に激しく揺れる。シートベルトが肩に食い込む。


 自分はたまらず言った。

「おい君。そんなに急いで、いったいどこへ行こうと言うんだ」


「そんなことは、私の知ったことじゃありませんよ」

 運転手は、バックミラーの中でこちらをチラリと見て言った。


 前方に大きな水たまり――。そこにもためらうことなく飛び込んだ。両側に大量の水が跳ねる。すぐに後ろを振り返ったが、幸い歩行者はいなかったようだ。


 車はやがて山道に差し掛かる。ここでもビュンビュン飛ばす。しばらく行くと、看板が見えてきた。黒地に赤い文字で、「座楽愚安右」と記されている。


 看板に従い右に曲がると、両側は杉林である。と言っても、決して暗くはない。すっきりと間伐されていて、梢の合間には青空さえ見える。道路も広く、きれいに舗装されている。

 

 そのうち視界が開け、砂利道に入ったと思ったら、緑の鮮やかな日本庭園に着いた。大きな池には青空がくっきりと映っている。周りには庭石の大きいのやら小さいのやらがゴロゴロ転がっていた。


 運転手は代金を受け取ると、いぶかるようにこちらの顔をじっと見た。それから黙って車を発進させ、すぐにいなくなってしまった。


 敷地内には移動販売車が停まっていて、若い女性が一人でファーストフード店を切り盛りしている。おそろいの赤いベレー帽とエプロンを身に着けていたが、青洟(あおばな)を垂らしていたので、せっかくの制服が台無しだった。


 車のサイドには狭いテーブルが据え付けられていて、簡易式の椅子も置かれている。自分はそこに座って、お好み焼きを注文した。


「かしこまりました」

 女は、透明なプラスチック製の容器にお好み焼きを手際よく詰めると、自分の前に置いた。容器に添えられた箸を見ると、象牙製のようである。


 箸のせいばかりでもあるまいが、すこぶる美味かった。

「ごちそうさま。これは回収していただけますか?」

 プラスチックの容器と箸を差し出すと、「箸はお断りします」と言う。


「えっ?」

「規則でございますから」

「どうしてそんな規則を……」

「だって、それで人を刺すことも可能でございましょう?」


 女は鉄板の上で忙しくスクレーパーを動かしながら、それっきり口を利かなくなった。自分は仕方なく、携行していた旅行鞄に箸をしまった。


 久し振りに腹を満たしたので、館の中に入ることにした。

 小学校の靴脱ぎ場のような場所に、下駄箱がずらりと並んでいる。どこもすでに靴がいっぱいで、スリッパは一足もない。


「スリッパが見当たらないが、裸足のまま上がっていいんだろうか」

 そばで立ち話をしていた男に聞くと、

「そこに書いているのが見えないのか」

 と、あごをしゃくる。


 その先を見ると、柱に「土足禁止」の貼り紙がされてある。

「裸足なら土足じゃないからいいだろう」

 と、男は言う。


「でも僕はここまで裸足で歩いてきたんだ。このとおり泥で汚れている。土足ということにならないだろうか」

「だったら、そんな足なんぞ切り落としてしまったらどうだ」

 男はそう言うと、連れの男と一緒にからからと笑った。


――なるほど。そう言えば、ナタかノコギリが入ってなかったかしらん……?

 そう思って、旅行鞄を開けてみた。


 しかし、さっきの箸のほかに入っていたのは、大量の靴下ばかりである。一足ごとにきちんとそろえてある。


 自分は仕方なくグレーの靴下を履いて、フロアに上がった。それを見て、男がふふんと言うような顔をした。


 畳敷きの観客席はすでに満席のようで、外まで人があふれている。入口の襖は一杯に開け放されていて、その付近にも人がいっぱい座っている。


 自分は遠慮して、入口のそばから少し離れて座を占めた。すると、誰かが自分の尻を蹴って、前に押し出した。すぐ前には若い女たちが座っている。


 誤解されたらいい迷惑だ。後ろを振り返って睨んだら、誰も素知らぬ顔をしている。それよりも舞台そっちのけで、それぞれ三々五々、輪になって談笑したり、弁当を食ったりしている。中にはトランプに興じたりしている者も居る。


 すると横から話しかけてきた者がある。

「僕のこと、どう思う?」

 見ると、よだれ掛けをした幼児である。これも二本の青洟を垂らしている。


 自分はその子が憐れな感じがしたので、

「お前は可愛いよ」

 と言って、その坊主頭を撫でてあげた。


「嘘だい」

 男の子はそう言って、ズズーッと鼻をすすった。

 二本の青洟が、瞬時に消える。まるでおもちゃの吹き戻しのようだった。


 自分はそれを見て、あの青洟が鼻の奥のどこにどうやって収納され、次にどのようなタイミングでまた顔を覗かせるのか、少し気になった。


「君の言うのは嘘だ。親からも誰からもそんなことを言われたことはない」

 男の子はなおもそう言う。口の利き方は、少しも幼児らしくない。


「お姉さんからも?」

「そんな者が居たかどうか、今ではも忘れちまった。居たとしても、僕が生まれる前の――、いや父も母も生まれる前、いやいやそれよりもずっと以前のことだろう」


「ふーん。ところで、お前のお父さんとお母さんはどこなんだい?」

 自分がそう聞くと、男の子は、「あっち」と後ろの方を指さす。


 指された方向に目を向けると、それらしい男女が壁に寄り掛かって、いずれもスマホの画面に見入っている。どうやらモバゲーに熱中しているようである。


 自分は何も言えなくなって、顔を元に戻した。すると丁度そのタイミングで、舞台にぱっと明かりがつく。


 すぐに芝居が始まり、若い男と女が両袖からそれぞれ登場した。男は西洋の貴族のような服装(なり)をしていたが、女は和服姿で髷を結っている。


 大げさな身振り手振りで、女が台詞を言った。

「おお、ギムレット。どうしてあなたの名はギムレットなの?」


 男は答えた。

「おお、ブラッディメアリー。飲むべきか飲まざるべきか、それが問題だ。どうして君の名は血まみれのメアリーなんだ?」


「どうぞ、その名をお捨てになって」

「名を捨ててどうする」


「御覧になって」

 女は髷を取って、坊主頭になった。

「これでもう私はメアリーじゃない。マルガリータよ」


「尼寺へ行け」

 男が立ち去ろうとすると、女は追いすがった。

「どうぞ、あなたもその名をお捨てになって」

 すると、男は何を思ったのか、唐突に大きな口を開けて歌い出した。女もそれに和す。いや、和すどころではない。大不協和音ハーモニーだ。


 自分は、男が何と改名するのか気になった。しかし、いつまで待っても、二人で奇妙な声で喋ったり歌ったりしてばかりいる。すっかりいやになって、帰ることにした。


 すると男の子が言った。

「君、その鞄の中に僕を隠して、ここから連れ出してくれないか?」

 チラリと後ろのほうを振り返ると、父親も母親も、相変わらずスマホをにらみつけているばかりで、子供のことには豪も関心を示していないようである。


「いいだろう」

 そう返事をすると、男の子はさっさと鞄に潜り込み、中から自分でチャックを閉めた。


 自分はさっきの靴脱場に行くと、他人の靴を履き、何食わぬ顔で外に出た。

 すると、男の子の両親が追いかけてきた。

「人さらい!」

「誰かあいつを捕まえて!」


 自分が池の辺りで躊躇していると、

「靴を脱ぐんだ」

 という声がした。


 鞄の中からのようである。

「えっ?」

「早くしたまえ! 靴を脱いで、池の中に放り込むんだ」


 言われたとおりにすると、すぐに三四人の人間が駆け寄ってきて、その場で取り押さえられた。


 男たちが鞄を開けると、中に入っていたのは小さな庭石だった。

「庭石でも泥棒は泥棒だ」

 着物に羽織姿で足袋を履いた男が、縁側からこちらを見ながらそう言った。自分は使用人たちに散々打ち据えられた末、ようやく解放された。


「君は、また靴を履き間違えたね」

 横たわったままの自分のすぐ耳元で、庭石が言った。

 それで自分は忽然と思い出した。


 遠い昔に父と母が買ってくれた大切な靴を、自分は失ってしまったことを。その靴を探し求めて、自分は裸足のまま旅をしているのだった。



――了――

別に掲載している、「わらわんわらわ~落目欽之助のあやかし日記」の中にほぼそのまま転用させていただきました。こちらのほうを削除しようかなとも思いましたが、サーバーを圧迫するようなのでやめました。使いまわしのようで申し訳ありませんが、どうしても「わらわんわらわ」の中で使いたかったので、ご理解をいただけたら幸いです。

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