05、大聖堂にて
『は……? 何でパルルが迷宮なんかに?』
『そこをどうしても頼むよ! 竜王のお願いだぁ!』
〈大聖堂〉とある一室から、少女の切羽詰まった叫び声が響いていた。
廊下を歩いていた聖法騎士達は何事かと驚く。
「なんだなんだ?」
「一体どうしたんだ」
泣きつくような、噛みつくような叫び声が聞こえてくる扉には『パルルのお部屋』と書かれた札が吊るされている。
「何してるんだパルルさんは?」
「さ、さぁ……?」
一体、中で何が行われているのだろうか。
『た、頼むよ~!』
『嫌よ』
『そこをなんとか!』
『しつこい』
『イダダダダダ! ギブ! ギブだってェ!』
中からはパルルのモノではない女の子の絶叫が聞こえてくる、さては一大事か。もしやもしやの賊が侵入したのではなかろうか。
だとすれば、パルルの身が危ない。
「やばいぞ!」
「パルルさん!」
パルルは大聖堂きっての治癒術士。
整ったその顔に表情こそないが、まるでお人形みたいだと聖法騎士達の間でもっぱらの話題である。
彼女の治癒術を受け、身体的外傷だけでなく『心まで癒される』と言う聖法騎士は少なくない。
そんなパルルの身に危険が迫っている。
「俺がパルルさんを助ける!」
「っバカ! それは俺の役目だ!」
「やめろ放せ!」
「お前こそ!」
聖法騎士達が競うように室内へ踏み入ろうとしたその時だ。
「何事だ!」
廊下の向こうから声が聞こえた。
振り返った聖法騎士達は、声を発した人物を見るや否や慌てて敬礼する。
「お、オルムさん! どうしてここに!?」
「お前達こそ。一体どうしたと言うんだ?」
「い、いえ!」
こちらへと歩み寄ってきたのはサラリとした金髪に、左目に走った一本の傷が特徴の若い青年だった。
しかし若人と見て侮る事なかれ、この男は聖法騎士団長オルムその人だ。
聖法騎士達は事のあらましを説明すると、オルムの表情に冷ややかな薄笑の影が差す。
「なるほど、そういう事か。では君達が邪な感情を持って、パルルの部屋に押し入ろうとするように見えたのは俺の勘違いだったか。すまない」
「め、滅相もありません!」
「断じて違いまする!」
「では持ち場に戻るんだ」
「「は、はい~!」」
逃げるように去っていく聖法騎士達。彼らの話では、何やらパルル以外の者の絶叫が聞こえてきたとのことだった。
オルムはパルルの部屋へと繋がる扉にそっと耳を近づける。
『ひぃいいい~! 痛い痛い痛い!』
「何をやっているんだか……」
間違いなくメルゥの声だった。
リュイとメルゥは装備を新調し、迷宮『火山』へ向かったとオルムはヴェッジから聞いていた。
だと言うのに何故ここに居るのか。
「ったく。あの竜王様は何を考えているのか本当に分からないな」
オルムが扉をノックすると中から返事は無かった。聞こえてくるのはメルゥの悲鳴のみ。
キイィと少しだけ扉を開け、隙間から中を覗いて見るとそこには、
「やめて! やめてくれええええ!」
「しつこいメルゥが悪い」
パルルに卍固めを決められるメルゥの姿があった。
(本当に何をやっているんだ?)
関わるとめんどうそうなので、音もなくオルムは扉を閉める。
『オルム! 見たぞ、見たぞ私は! 助けてくれえええええ!』
気付かれたかと舌を打ったオルムは再度、扉を開けた。
「……で、どうしたと言うんだ二人とも」
「メルゥがしつこいのよ」
「パルルが私のお願いに耳を傾けてくれないんだ」
メルゥとパルルの喧嘩(と言うには余りに一方的な状況)の仲裁に入ったオルムは、取り合えず二人を落ち着かせて椅子に座らせた。
メルゥは痛む腰に手を当てダクダクと嫌な汗を流している。相当いい所に決まったらしい。パルルは相変わらず無表情だった。
「喧嘩の理由はなんだ?」
オルムは二人の事を昔からよく知っている。
長い付き合いの経験に基づいて判断するに、先に手を出したのは恐らくパルルの方。それだけを見ればメルゥは被害者である。
しかし、メルゥもまた曲者。
一概に判断は出来ない。
何が彼女達をそこまで駆り立てたのか。
そこが気になった。
スッと手を上げ、オルムの問いに真っ先に答えたのはパルル。
「メルゥが、リュイと一緒に『迷宮』へ行ってくれって。パルルはそれを断ったの、でもしつこかったから……」
「卍固めを決めたと?」
「そ」
パルルは淡泊に返事をする。
続いて今度はメルゥが手を上げた。
「裁判長!」
「誰が裁判長だ」
「いくら何でもパルルは横暴過ぎると思います!」
「そうだな。いくらなんでも卍固めはやり過ぎだよな」
チラっとパルルに視線を投げれば、無表情で一点を見つめており、話を聞いているのか聞いていないのかまるで分からない。
「お前は力が強いんだから少し手加減しないとだな」
パルルの前に立ち、ビシッとオルムは言ってやる。
「手加減してるわ。私が本気を出せばメルゥの背骨をへし折ることなんて、そこらに落ちている小枝よりも簡単よ。朝飯前ね」
恐ろしい返答が戻ってきた。
『なんなら確かめて見る?』と言うパルルの言葉に、メルゥが『ひぃ』と小さく悲鳴を上げた。オルムは頭を押さえて嘆息する。
パルルはその小さく華奢な体からは考えられない怪力を有している。それは頑丈なメルゥにダメージを与える程。
そんな者が繊細で高度な治癒術を操るというのだから世の中分からないもんである、とオルムは他人事に思った。
「で、メルゥのお願いって具体的にはなんなんだ?」
「うん、私は『リュイと一緒に迷宮へ潜ってくれ』とお願いしたんだ」
「どうしてまたそんな頼み事を?」
「リュイ君はほら、ランクアップしただろ? だから『火山』に挑もうって事になったんだけどさ……」
「ああ、なるほど。そういう事か」
メルゥは熱に弱い。
それを理解しているオルムは話しの内容に察しが付いた。
「リュイ君が言ってたんだ。他のパーティに急遽入れて貰うには、その人達に大きな支障が出るって」
「だろうな」
緑の腕章になりたての者が、既に『火山』へ潜れるレベルの者達のパーティに入れて貰う――それはパーティの大幅なレベルダウンを意味する。
そのパーティはこの場合、リュイのレベルに合わせた迷宮にしか潜れない。そしてリュイの体力に合わせて迷宮の滞在時間も減るだろう。
必然的に稼げる額も減ってくる。
リュイが気にしているのは大方この辺りだろうとオルムは考える。
「じゃあ、今まで通り『森』に潜れば良いじゃない」
「うぐ。冷たいこと言うねぇパルル」
「確かにその通りだが『火山』へ挑めるようになった以上、冒険家としてはそうはならないだろう」
オルムがそう言うと、メルゥとパルルは頭にハテナを浮かべて首をコテンと倒した。
オルムはゴホンと咳払い。
冒険家が火山へ向かう理由を説明していく。
「緑の腕章達、彼らは次のランクアップの為に『火山』へと挑戦する」
そう、ランクアップ。
その条件とは、迷宮、エリア2『火山』の最深部にしか存在しない『黒銀鉱』と呼ばれる鉱石を一度でも持ち帰ること。
黒銀鉱を持ち帰ること自体が『火山』の最深部に到達出来る実力を有している証明にもなる。
それらを説明すると、パルルが手を上げた。
「はい先生」
「誰が先生だ」
「じゃあ、そのネクロイト? を誰かに採ってきて貰えばいいじゃない」
「それだ!」
メルゥが声を上げてパルルの主張に賛同する。
すかさずオルムの手刀がそんなアホの脳天を叩いた。
「馬鹿を言え、不正は出来ない。最深部に到達するその意味、メルゥなら分かっている筈だろう」
「痛てて、冗談だって。分かってるよ」
痛む頭を押さえて目尻りに涙を浮かべるメルゥ。本当に分かっているのかとオルムは不安になった。
「まあ私情もあるが俺としては、リュイに是非とも最深部に到達して欲しい。だからパルル、リュイに助力してやってくれ。俺からも頼む」
「え、嫌よ。何でパルルが」
意地でも嫌がるパルル。
そこでオルムは切り札を切る事にした。
「パルル、メルゥに借りがあるんじゃないか?」
「え」
僅かにギクッと体を揺らすパルル。
そこに一点の隙を見たりと、オルムは『追撃を加えろ』という意味を込めてメルゥに目配せを送る。
メルゥはコテンと首を傾げた。
「え、なんだい?」
「ばか、アレだアレ。本だよ」
「ああ~」
納得した様子でメルゥがポンと手の平に拳を落とす。
するとどうでしょうか。
メルゥの口が悪魔の様に曲がっていくではありませんか。
「パルルぅ~、そういえば君、私が貸した治癒術の教本、まだ返して貰ってないんだけどな~」
「うっ……、卑怯よメルゥ」
「そろそろ返して欲しいんだけどな~、あれ高かったんだけどな~」
いつも通り無表情のパルルであったが、罪悪感を感じているのか視線を落とす彼女の頬に、つつーと冷や汗が流れる。
それをメルゥは見逃さない。
「どこにやったのかな~、まさか失くしたんじゃ~?」
「……、そこに、あるわ」
震える手でパルルは本棚を指す。
そこには『ゴブリンでも分かる治癒術の初歩』という題名の本があった。しかし開いてみると黒い染みが至る所に散見される。
「あらら、これじゃあ読めないよパルル。一体どうしたと言うんだい」
「……、コーヒーを溢したの」
「これ高かったんだぜ。それにもう絶版だ、なにしろ60年前の本だからね。弁償という訳にはいくまい」
「わ、悪かったわ……」
冷や汗をだくだくと流し、おろおろとするパルル。表情こそ変えないものの、焦りが手に取るように伝わってくる。
メルゥはなんだか、か弱い女の子を虐めてるような気分に陥った。
「お、オルムぅ」
「そろそろ止めよう」
それはオルムも同じく。
しかし、メルゥの貸した本が駄目になった事実は変わらない。それはパルルの落ち度。
それにだ。
「俺は、パルルが迷宮に潜りたがらない理由を十分に知っている。もちろんメルゥもだ。だからこそ、その理由も含めてお前にお願いしたんじゃないか?」
「…………」
オルムとメルゥは、パルルという少女が抱える物を知っている。何故、本をメルゥから借り、治癒術を覚え始めたのかの理由も。
この少女は、多数の冒険家を殺めている。
「パルル、そろそろ踏ん切りを付けても良い頃合いじゃないかい?」
メルゥの言葉に、パルルは伏せていた顔を上げる。
「……、そうね」
「君が望んでやったことじゃないにしろ、犠牲になってしまった冒険家はもう戻ってこない。だったら今度は、冒険家を助けてみようよ」
「でも、私の力でリュイが『火山』の最深部に辿り着くのは、彼の本望ではないんじゃ――」
「――だからオルムはこう言ったじゃないかい」
メルゥはパルルの言葉を遮り、彼女の頭をやさしく叩く。
「助力してやれってさ。君の力はもう暴力じゃない」
「……、うん、分かったわ」
返事は簡素なものだった。
けれども彼女は今日初めて表情を変える。
釣られてメルゥも思わず頬が緩んでしまった。
「メルゥ。私、頑張ってみる」
「ああ、こちらこそお願いするよ。それにしてもだ、くふふ。やっぱり笑顔のパルルが一番さあね!」
「もう、茶化さないで」
照れ隠しなのかメルゥをポカポカと殴り始めるパルル。
「ははは、先ほどまで喧嘩をしていたというのに」
そんなじゃれ合う二人をしばし眺めたオルムは紙にペンを走らせる。
『喧嘩の仲裁、一つ貸しだぞ竜王様』と書置きを残し、そっとパルルの部屋を離れてオルムは職務に戻った。