15、身剥ぎのヴァン・ベルシオン
【身剥ぎ】
その名をヴァン・ベルシオン。
聖都に拠点を置く賞金稼ぎの集団、ギルド《夜更けの星々》に身を置き、Aランクの冒険家【黒の腕章】として活躍していたヴァンは気づいてしまった。
冒険家を殺した方が良い金になると。
賞金稼ぎはその名の通り『賞金首』を狩って得た賞金が大本の収入源となる。しかしギルドに身を置く以上、収入の2割はギルドに収められてしまう。
だからこそ思ったのだ。
そこらの冒険家を殺した方が金になると。
殺めた冒険家の装備を剥ぎ取り、てきとうな店に売れば良い稼ぎになった。おまけで皮なり内臓なりを闇市に売り出せば、これまた良い金になる。
こうして、賞金稼ぎは賞金首となった。
今回もそこらの冒険家を殺し、身包みを剥ぐ。
餌食となったのは迷宮に夢見た哀れな子供。
その傍らで、冷たくなっていく仲間を必死に呼びかける亜人の少女が一人。
どちらも腕には【青の腕章】を巻いていた。
「ひ、ひぃあああああああああ!」
その一方、豪華な鎧を装備した男は、二人を置いてにどこかへと逃げ去っていく。救援に駆け付けたのだろう子供達を置いて、自分だけ。
あの金色の鎧。
売れば良い金になっただろう。
そう思う。
ただ、ヴァンが今、気にしているのは仕留めた少年が腕に着けている『腕輪』だった。
大層な装飾の施された腕輪には穴が3つ空いており、その内2つには既に宝石と思しき石がはめ込まれている。
長いこと【身剥ぎ】としてやっていた経験が言っている。あれは良いものだと。
そして亜人の少女。
彼女が頭から生やす角は、その筋で高値で売れる。
そして顔の造形もまた良い。
やや幼いが、生け捕りして売れば変態共が高値を付けてくれるだろう。あの勇気ある少年が庇ってくれて、本当に良かったとヴァンは思った。
こちらを睨みつける少女の赤い目は涙で霞んでしまっているが、まるで宝石のように綺麗だ。金の臭いがする。
「抵抗は止せ。俺は【身剥ぎ】だ、冒険家をやっているのなら知っているだろう。青の腕章であるお前との実力差は明らかだ。なあに、大人しくしていれば、痛い目は見ないさ」
「…………」
少女は無言だ。
ので、ヴァンも無言で腕に装着したクロスボウを構える。先ほど、子供を一人殺めて見せた凶器だ。
なるべく傷付けない方がいいだろう。
その方が高値で売れる。
抵抗はしてくるだろうが、所詮はただの青の腕章。
「……ん?」
亜人の少女が、少年の胴体に突き刺さった刃を引き抜いた。傷口から噴水のように溢れる血が、服を赤く染めていく。
何をするつもりだろうか。
治療でも施すのだろうか。
「何をしている。無理だ、その少年は直に死ぬ。諦めろ」
少年の傷は見るに明らか致命傷だ。
数多くの冒険者を殺めてきたヴァンには分かる。あれは死ぬ。紫色になっていく唇がそれを物語っている。
もはや治療がどうこうという問題ではな
「黙れよ。人間が私に指図するな」
「――――ッ!?」
戦慄が走る。
無意識の内に、ヴァンは後方へと飛び退いていた。
遅れながら、一拍の間を置いて自覚する。
自分は、あの少女を恐れたのだと。
嫌な汗が大量に噴き出てくる。
「なんだ、俺は何を見た……?」
本能が激しく警鐘を打ち鳴らしている。その原因は全くの不明だった。自分があの少女の何に対して恐れを抱いたのか理解出来ない。
しかし体が、心が、頭が言っている。
あの少女から今すぐに逃げろ! と。
ヴァンは今までにそのような状況に何度か遭遇している。一番近いので10年前、【白銀の腕章】ウーラミュウスと遭遇した時だったか。
あの時はそうだ、彼女の何に対して恐れたのか、原因はハッキリと分かっていた。それはウーラミュウスが操る『触れると消滅する謎の魔法』に対して。
原因が分かれば対処は容易。
ヴァンはウーラミュウスの仲間を人質に取り、毒を塗り込んだ刃を使って白銀の腕章を仕留めて見せた。
けれども今回は、あの少女の何に対して恐れを抱くのか、まったく分からない。
細い手足に力はありそうにない。
現に【青の腕章】を腕に巻いているではないか。
やはり、ただのガキ。
「……なんだ?」
少女が、少年の傷口に両手を重ねた。
興味を覚えたヴァンはしばし亜人の少女の動向を見守る。
「リュイ君、ごめんね。私が居ながら、なんて体たらくだ」
少女は呟き、両手に力をこめる。
するとどうだろうか。優しく暖かな緑色の光が広がり、一瞬で傷が塞がっていく。みるみる内に少年は生気を取り戻していくではないか。
あれがただのガキ?
――訂正。
ただのガキではない。
ヴァンは認識を新たにする。
「っち。厄介そうなガキだな」
一瞬で傷を塞ぐ魔法。
聞いた事がない。
それもあれは無詠唱だった。
聞いた事がない。
ヴァンが毒が塗られた刃を装填すると、鋭い音と共に凶器が放たれる。
発射されたのは4本の刃。
倒れた少年を巻き込むそれを、亜人の少女はどう捌く。
「邪魔をするな!」
「なッ……!?」
少女の叫びと共に、突如として地中から突き出したのは氷の盾。それは容易にヴァンの刃を防いで見せた。役目を終えた途端、一瞬にして宙に霧散していく。
あれは魔法なのだろうか。
だとしても、あれを魔法だと言うべきなのだろうか。
少女はこちらを睨みつける。
「人間、楽に死ねると思うなよ」
「っち。こいつぁ生け捕りなんて考えてる場合じゃないな!」
一旦、距離を置く。
無詠唱で放たれるアレを相手に、接近戦は無謀だと考えたからだ。
しかし、判断が遅い。
亜人の少女は一瞬にして間合いをゼロにする。何をどうやってか恐ろしく早い。気が付けば赤い眼光が目の前で光った。
「っく……!」
ヴァンは腰の挿してある鞘から短剣を引き抜く。この距離でクロスボウはない、なら短剣で奴えお
「ブルゥアッ!?」
視界が爆ぜた。
少女の拳が真下から放たれ、ヴァンの顎を鋭く打つ。
くらりと揺れる視界が定まらない。
「っ……!」
まるで支えを失ったかのように倒れそうになる。対処せねば、対処せねば、対処せねば。次の攻撃が……!
「おゥッ!?」
視界の端に少女の尻尾が流れた。
腹に衝撃を走った次の瞬間には、ヴァンは木の幹に叩きつけられていた。休む間もなく氷の雨が横から降り注ぐ。
「くぁ!?」
次々に繰り出される速攻に手も足も出ない。
「ああああああああああああ! 痛ってえええええええええええええええ!」
氷は致命傷を避けていた。
ただ苦痛を与える事だけに特化した魔法。血に濡れたヴァンはあまりの激痛にのた打ち回り、絶叫を上げる。
一つ一つの攻撃が、とてもあの少女から放たれたモノとは思えない。
「ぐおおおおおおおおおお!」
攻撃を受けたのは久しぶりだった。
普段なら獲物の前に姿を見せる事無く、視覚はおろか冒険家が持つ能力の及ぶ範囲外から致命的な一撃を持って、即座に殺していた。
相手が【青の腕章】だと油断したのが運の尽き。
「うあああああ! こんのバケモノがああああああ!」
「お前に言われたくはない」
こちらを見下ろす少女にクロスボウを向け、刃を放つ。が、少女はそれを掴み、投げ返してきた。
命中したヴァンの左腕から血飛沫が上がる。
クロスボウが地に落ちる。
「うおぉ、うおぉぉぉおお!?」
「痛いか? でもリュイ君はもっと痛かった」
「こんのクソ野郎がァ!」
ヴァンが残った右手を少女に向ける。
展開された魔法陣から、光の弾丸が放たれる。
少女は片手でそれを払う。
魔法は彼方へと飛んでいく。
「クソがァ!」
「どうした? それで終わりか?」
少女はこちらを見下ろしている。
全く敵わない。
大体にして身体能力が違い過ぎる。
魔法を手で払うってなんだそりゃ。
魔法を無詠唱で使うってなんだそりゃ。
クロスボウで撃った刃を掴むってなんだそりゃ。
「あああああああああああ! てめぇ! 身体能力強化の魔法を使ってやがんな! そうに違いねぇ! ああ、そうさ!」
「は?」
ヴァンが右の手の平に魔力を集めると、魔法陣が展開されていった。そして、その手で取った短剣を少女へと投げつける。
短剣は当然のように空を切った。少女には当たらない。だがそれで良い。それは揺動、本命は魔法陣から放たれる魔法だ。
「『魔を払う』!」
その魔法は対象に掛かったあらゆる魔法を打ち消す性質を持つ。
例えれば敵が自身に使用した『強化効果』の強制的な解除、仲間が受けてしまった『弱体効果』を打ち消したりと、その用途は幅広い。
今回の目的は『強化効果』の解除。
あの少女の異常はそこにあるとヴァンは考えた。
その予想はどうやら当たったようで。
確かな手応えがあった。
「うッ……?」
少女が苦しそうに胸を抑える。
「は……ははは。やっぱり身体強化を使ってやがったか。だが、それももうこれまでだ!」
「ぐ……、うぅ!?」
少女がうずくまる。
「へはは! こ、今度こそ殺してやる!」
少女の体が光に包まれる。
その光は巨大化していく。
「俺を傷付けた罰だ! てめぇをどんな拷問に掛けてやろ……うか?」
光はやがて形を作った。
角を突き出し、翼を伸ばし、尾を生やしていく。
「おぉぉぉぉ? は、はぁ!?」
やがて、それは、こう言い表せるモノへと巨大化していった。
――竜
「ま、まじかよ……」
ヴァンの眼前で竜がこちらを見下す。
全身に生え揃う白銀の鱗は、ヴァンの頭にとある名を思い起させた。
「くふふ。まさか『人化の術』を解除させられてしまうとはね……」
竜王、白竜のメルフィーヌ。
間違いない。
聖都で言い伝えられる竜王。
「おいおいおいおい……なんだよそりゃあ。反則じゃあねぇか」
竜王の口から漏れる冷気が、辺りを凍りつかせていく。
凍結していく地面、木々に草々。
世界が凍てついていく。
どうやら、あの少年だけは例外なようだ。
少年だけを避ける氷はやがて、ヴァンの足元へと到達した。足が動かない。感覚が奪われていく。
「まいった。ははは、許してくれねぇかな」
降参と手を上げる。
竜王はただこちらを見下ろしている。
「知らなかったんだ、お前が竜王様だったなんてよ。だってそうだろ、人の姿してんだから、分る筈なんざねぇって……」
竜王はただこちらを見下ろしている。
氷が腰まで上って来た。
「なあおい、聞いてんのかよぉ」
竜王はただこちらを見下ろしている。
氷が全身を覆いつくそうとしている。
「おいてめぇ、トカゲ野郎! 許せつってんだろうが! 知らなかったって言ってんだろうがよ! つーか死ねよマジで!」
竜王は顔を近づけてきた。
開く口からは鋭利な牙がこちらを睨みつけている。
「……、もう何を言っても遅い。お前は、私のリュイ君を殺そうとした」
「な、なんだよ。あのガキがそんなに大事か……」
「あの子は、私を召喚した召喚術士だ」
「おいおい、まじかよ……っは、あっはははァ! じゃあ守ってみせろよォ!」
「なに?」
ヴァンは高らかに笑った。
この絶望的な状況、確かにもう無事ではいられない。
どうせ死ぬのなら、同じだ。
爆弾でこの身が木っ端微塵になろうが。
ヴァンの右手が発光する。
その光は手の平に埋め込まれた石から発せられていた。
「くっくくく! これは極限まで魔力を凝縮させた爆弾だぁ! 起爆すればこの場一帯が吹き飛ぶ代物さ! 飛んで逃げようとも無駄だ!」
「この魔力は、貴様……!」
歪んだ竜王の表情を見て、ヴァンは晴れやかな笑声を惜しみなくもらす。そして、直ぐに対処しようとした竜王を止めた。
「おっと、何もするな。衝撃を与えても起爆、魔法を使っても起爆するのが俺特性の爆弾だ。おめぇはただ、そこのガキを守ってればいい」
「くそっ!」
「はっはァ! 流石のお前でも、確実に体のどっかは持ってかれるぜ!」
ヴァンが右手にはめ込む爆弾から発せられる光が強くなる。
直に爆発する。
それを悟った竜王は翼を広げた。
「……、リュイ君!」
あの竜王の、慌てる姿が愉快で堪らない。
耐えようにも耐えられず、笑みが口角に浮かんでくる。腹筋がひくつく、舌が躍る、心も踊る。
何をしても無駄。
この爆弾は衝撃を与えても起爆する。
魔法で吹き飛ばそうにも魔力に反応して起爆する。
もう、どうにもならない。
竜王の白い翼が、少年の体を覆いつくそうとしたその時だ。
眩い光が一直線にヴァンの右手を捉える。
「っな!?」
ヴァンは以前にも、この光を見たことがあった。それは10年前、同じく迷宮エリア1『森』で遭遇した【白銀の腕章】ウーラミュウスが使用していた。
消滅魔法。
気を失っていた筈の少年が、こちらに杖を向けている。
「『果が行く光』!」
「うォっ!?」
「メルゥに、手を出すな!」
魔法がヴァンの右手を貫いた。
爆弾が起爆する様子はない。
それもその筈。
消滅魔法は何もかもを消し去る魔法だ。衝撃にも魔力にも反応する起爆装置さえも、消滅させられてしまったのだから。
「うおあああああああああああ! てめぇクソガキ! なんで、なんでお前がその魔法をおおおおおおおおおお!」
お陰で爆弾が台無しだ!
くそうくそうくそうくそう!
ちくしょうちくしょうちくしょう!
「死ねよ! 頼むからもう死ねよクソガキ共がァ!」
暴れるヴァン。
しかし下半身が氷ついていて動けない。
竜王と少年は叫ぶヴァンを気にもとめない。
「り、リュイ君! 大丈夫なのか!?」
「無事で、良かったです。メルゥ……」
再び、少年は意識を失った。
カランと音を立てて杖が倒れる。
「リュイ君、また、助けて貰ったね。ありがとう」
安心したように竜王は翼を折りたたんだ。そして、ぐるりと首が回り、赤い眼がヴァンを覗き込む。
殺意の籠った目に、背筋が氷つく。
「ほ?」
「許しは乞うな。もう、終わりだ」
竜王がろうそくを吹き消すように、息を吹く。
「お、おぉぉぉぉ……」
ヴァンは、完全に凍結した。