表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

好奇心

作者: 黒桜

気の赴くままに書いた作品です。ジャンルは多分これでいいはず……?



 ――人を殺すのは、いつだって好奇心だ。


 最後の一筋を読み、僕――赴湘珀人(ふしょうはくと)は手に持つ本を閉じる。A6サイズのそれはいわゆるライトノベルに分類されるもの。『好奇心』という題名の一巻完結型のそれはサイコホラーを描いたものだった。


 あとがきは読まずに、珀人はそれを本棚に戻す。なかなかに面白い内容だったが、多分、何回も読み返すことはないだろう。腕を伸ばし、凝り固まった背筋をほぐす。


 「珀人ー、ご飯よー!」


 階下から母の声が響く。時計を見ると、デジタルな文字で12:32と表示されていた。


 今行く、と返事をしながら珀人は階下へと降りる。リビングのドアを開けると、仄かな味噌の匂いが漂ってきた。


 「……今日も味噌煮?」


 「あら、いいじゃない。美味しいんだから」


 食卓に並ぶ料理を見て、珀人はついそうこぼす。なにせ彼は昨日、一昨日、さらにその昨日と一昨日もサバの味噌煮を朝、昼、夕のいずれかで出されていたのだ。


 いくら好物といえど、ここまで来ると流石に飽きも入る。


 「明日からは別のにしてほしいんだけど」


 「はいはい、わかったわ」


 了承の返事を受け取るも、珀人はそこまで期待していない。彼は昨日にも、彼の母に同じことを言っていた。


 (母さんは時々忘れっぽいところあるからなあ……)


 ため息を一つ吐き、珀人は食卓に着く。そしてテレビをつけ、チャンネルをニュースの番組に合わせた。


 「いただきます」


 ニュースキャスターの声を聞きながら手を合わせ、形式だけの食事の挨拶を。そして木製の箸を取り、サバを一口含む。

 飽きてきているとはいえ、サバの味噌煮が珀人の好物であるということもまた事実。濃厚な甘みとうまみを白米に絡めて、一思いに飲み込む。


 『――――次のニュースです。昨日の夕方坂木市にて、市内の学生が遺体となって発見されました』


 耳がそのニュースをとらえた瞬間、食事の手がぴたりと止まる。


 坂木市――珀人の住む三禅市の、すぐ隣の市だ。


 『警察の発表によりますと、被害者は全身を計22か所、何らかの刃物で刺された跡があるとのこと』


 珀人の正面に座っていた彼の母も、同じく食事を止めニュースに集中していた。


 隣の市で殺人事件が起きたからといって、普通はここまで過敏にはならないだろう。多少怖いとは思っていても、心のどこかではすぐにつかまる、隣の市だから私たちはまだ大丈夫、と安心を覚えるはず。


『この夏に入ってから発生している連続殺人事件と何らかの関係があるのではないかと、警察は捜査を続けています』


 珀人と母が過敏に反応したのは、このことが起因している。


 ニュースで言っていた通り珀人達の住む町、三禅市を含む四つの市で夏の初めから計八回もの殺人事件が起きていたのだ。犯人は未だ不明で、その手口にも対象にもまるで一貫性はない。

 自分がその対象になると怯えてしまうのは、いたって仕方のないことだろう。


 ニュースはすぐに切り替わる。いくら残酷な事件であろうと、報道できる情報が少ないのであれば長い時間を割くわけにもいかないのだろう。


 「やあねえ、三日前にもあったのに……なんでこんなひどいことをするのかしら」


 「……少なくとも、僕には理解できないね」


 そっけなくそう漏らすと、珀人は食事を再開した。


 


 「それじゃあ、行ってきます」


 「気を付けてね~」


 呑気な母の声に見送られ、横背負いのバッグを持った珀人は家を出る。


 目的地は、隣町――坂木市とは逆側に位置する平山市の図書館だ。夏休みになって暇を持て余していた彼は、お金の節約も兼ねて午後はいつもそこに行っていた。


 炎天下、突き刺すような日差しに鬱陶しさを感じながら歩くこと十分。駅に着いた彼は電子マネーで改札を通り、ちょうど来ていた電車で二駅。そこから五分ほど歩けば、地域最大の平山市立図書館に到着する。


 自動ドアをくぐると、冷気が疲れた体に吹き込む。


 (さて、今日もあれを読むか)


 小説全般が好きな彼がここで読むのはもちろん小説――ではない。


 エレベーターに乗り、文学作品の階の上、学術書の階のボタンを押す。鳴れた浮遊感を感じながら、珀人は目的の階へとたどり着いた。


 エレベーターから降りた珀人は、迷うようなそぶりを見せず学術書の一角、医学書のコーナーへと歩んでいった。


 棚から分厚い一冊――人体の構造に関する専門書を取り、読書コーナーへ。平日の今日人は全くおらず、お気に入りの窓から二番目の席を取ることができた。


 情報を与えるためだけの文章に若干の読みにくさを感じながらも、珀人はゆっくりと読み進めていく。


 「あれ?珀人くん?」


 不意に後ろから声がかけられた。振り返ると、そこにいたのは淡い色のワンピースを着た、いくつかの単行本を抱えた一人の女子。


 「あ、上井さん」


 「やっぱり、珀人くんだ」


 上井葵。珀人の属す2年B組の学級委員長をしている大人しめの子だ。レンズの大きい丸眼鏡をかけ今どきでは見られないおさげパッツン女子であるが、その整った顔立ちと丁寧な態度、それらと対照的なグラマラスな体型に男子の中ではひそかに人気があったりする。


 「終業式ぶりだね……もしかして、珀人くんはお医者さんを目指しているの?」


 珀人の手の本から推測したのだろう。珀人の横に座ると、葵はそんなことを聞く。


 「いや、そういうわけじゃないさ。ただちょっと興味があってね……そういう上井さんは、見かけによらずライトノベルを読んだりするんだ」


 葵が机に置いた本を見て、珀人はいたずらっ気にそう聞く。完全に頭から抜けていたのか、葵の顔は見る見るうちに赤くなっていった。


 「え!?こ、これはその……」


 「……冗談だって、誰にも言わないからさ」


 しどろもどろな葵は珀人の言葉でさらに顔を赤くする。口をパクパクさせたかと思うと、両手で顔を覆いながら机へと突っ伏してしまった。


 ……あれ?これもしかして、僕やらかした?


 


 五分後


 「うう……今まで誰とも会わなかったからすっかり忘れてたよ」


 やっとのことで葵は顔を上げる。顔の火照りはすっかり収まっていたが、その両目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


 「ごめんごめん。……しかし上井さん、文庫本って確か下の階だったよね?」


 「来るのが遅くなっちゃって、下の席は全部満席になってたの。この階なら人は少ないかな?って思ってきたんだけど……珀人くんがいるとは思わなかった」


 「あはは……」


 苦笑いをするしかない。珀人は特に何か悪いことをしたわけではないのだが、この状況を引き起こしたのは彼の一言なのだから。


 「別に隠す必要はないと思うけどなあ。僕だって読んでるんだし」


 なので珀人は、話題の転換に尽力する。


 「そうなんだけど……え?珀人くんも読んでるの?」


 「うん、まあ気になったものを片っ端から読んでいくだけだけど」


 「そうなんだ。……あ、珀人くん、ソードアットオンラインって知ってる?」


 「一応全巻読んだよ」


 「ホント!?じゃあ、幼年戦鬼は?」


 「つい最近アニメ化したあれでしょ?全部じゃないけど、数巻程度なら」


 「じゃあさじゃあさ、少しマイナーだけど東京鴉組はどう!?」


 「あ、あれは結構面白かったなあ。僕のお気に入り作品の一つだよ」


 質問と回答を繰り返していくうちに、葵の表情はどんどん明るくなる。学校で見る姿からは想像できない、新しいものを見た子供のような快活としたものだった。


 「珀人くん!語ろうよ!私、趣味を共有できる友達が居なくて寂しかったんだ!」


 「え?……うん、わかった」


 周りの迷惑にならないかと一瞬心配するが、珀人はこの階には今は人がいないことを思い出す。


 (ここ最近全然人と話をしていなかったし、たまにはいいかな)


 珀人の午後の読書タイムは、葵との語りタイムへと変わっていった。


 


 『閉館の時間になりました。またのご来館、お待ちしております』


 響き渡るアナウンスを聞きながら、珀人と葵は図書館から外に出る。時が経つのは速いもので、夏の日差しも朱色に染まりきっていた。


 「珀人くんごめんなさい!つい話し込んじゃって……本を読む邪魔をしちゃったね」


 葵の言う通り、珀人達は閉館時間直前までずっとラノベについて語り続けていたのだ。万人受けする有名どころから好みのわかれるマイナーな作品まで。広く浅く読む珀人の守備範囲は、葵の打球をしっかりと受けきることに成功していた。


 「大丈夫だよ。本はいつでも読めるし……それに、僕にとってもなかなか新鮮だったよ」


 珀人と違い、葵は一つの作品をじっくりと読み込むタイプ。そのため珀人は話をする中で、いくつもの新しい解釈を発見していた。


 二人は並んで歩き、平山駅へとたどり着く。


 「そういえば、上井さんはどこに住んでるの?」


 「私は……坂木市」


 「坂木市……そういえば昨日、殺人事件があったらしいね」


 「ええ……だから、今ちょっと怖いです。そうそうないと思うんだけど、もしかしたら私が標的になるんじゃないかって……」


 葵の顔は青く、心なしか手も少し震えている。


 ここで珀人が求められていることはただ一つだろう。


 「……よかったら僕が送ろうか?」


 「え!? いや、そんなの珀人くんに悪いよ」


 「僕なら大丈夫。三禅市に住んでるから方面も同じだし」


 「……なら、お願いしてもいい?」


 上目使いに頼む葵を、果たして断れる人間はいるのだろうか。恋愛とかに興味を持たない珀人でさえ、どきりと感じるものがあった。


 「も、もちろん。僕でいいな――」


 突然、少しくぐもった軽快な木琴音が鳴り響いた。


 「あ!ごめんなさい!私のスマートフォンです!」


 葵が慌てて手提げバッグを漁り、画面に表示されている緑のボタンをタッチ。待っててといいたげなサインを珀人に示すと、人のいない駅の隅っこへと走っていった。


 「……ら、そ………うん………」


 何を話しているか、珀人は聞こえない。葵も珀人から離れていったのだから、電話の内容を聞かれるのが好きじゃないんだろう。


 「……珀人くん!ごめんなさい!急な用事が入っちゃって……ちょっと遠くに行く必要があるから、送ってもらうのはまたの機会でいいよ」


 「一人で大丈夫?」


 「うん。お母さんも来るから、帰りの心配は必要ないよ」


 「……わかった」


 少し残念がる珀人であったが、本人がそういうのでは仕方がない。


 「それじゃあ、またね!」


 元気よく手を振り、葵は僕に背を向けて歩き出す。


 しかし珀人は見てしまった。珀人から視線を外した彼女が、飢えた獣のように獰猛で妖艶な笑みを浮かべていたのを。


 好奇心が、ささやく。


 ついて行けば、面白いものが見れるかもしれないぞ?


 もちろん僕の見間違いかもしれない。見えたのはほんの一瞬だけだし、もしくはそんな笑みが彼女にとっては普通である可能性もある。

 普通の人なら、不思議に思いながらもそのまま帰路に着くだろう。しかし珀人は一秒に満たない思考の末、彼女の去った階段と同じ階段を上っていった。


 赴湘珀人という人間は、好奇心を行動原理とする人間だった。




 電車に揺られること20分。『桜浜町』とかかれた小さな駅で、葵は電車から降りた。


 ばれないように、距離を開けて追跡する。珀人の記憶が正しければ、この辺には多少の飲食店以外何もない。


 外食の予定でも入ったのだろうか。そんな珀人の予想に反するように、葵は飲食店のある方向とは違った方向へと進む。


 だんだんと人気が少なくなっていく。民家も減っていき、工場が増えてくる。


 そして葵は一つの、寂れた廃工場の中へと入っていった。


 (一体こんなところに何の用事があるんだろう)


 鼓動が速くなるのを感じる。音をたてないように、珀人は錆びた鉄の門をくぐった。


 物陰に隠れて、そっと葵の様子をうかがう。


 待ち人がいるのだろう。工場の端で葵は眼鏡をバッグにしまい、おさげをほどく。

 そこにいたのはほとんど別人といってもいい、大人びた雰囲気の女性だった。


 十分後、一人の男がやってきた。


 身長は180センチを超えるだろう。体格もがっしりとしており、肉も脂肪もない珀人とは大違い。


 男の姿を認めた葵は、笑顔で手を振る。そして男の方へと歩み寄り、何やら話始める。遠くて内容は聞こえないが、彼女が待っていたのはこの男で間違いはないのだろう。


 (財布から何かを取り出したな……あれは、諭吉さん?)


 男が差し出すそれを、葵は受け取るとハンカチで拭いてから財布へと仕舞いなおす。

 汚いもののように扱われた男は少し不快そうに顔をしかめるが、葵がその首に手を回すと途端にだらしなく表情を崩す。そして高さを合わせるように膝を少し曲げ――


 (……これ、援助交際ってやつじゃん)


 二人の唇が重なり合った。


 「んぐ……はあ……」


 静かな工場内、喘ぎ声がオレのところまで届く。珀人に見られているとも知らずに。二人はそのまま濃厚なキスを続けた。


 (清楚系委員長、裏の顔は淫乱だった!ってか?)


 なんだろう……驚くべきことなんだろうけど、普通過ぎて好奇心が満足しない。もっとこう、飛び上がるようなものを僕は求めていたのに。


 興味が失せた。


 (帰りに本屋によって新しい本買おっと)


 そう思い珀人が立ち上がった瞬間


 「キャ!?」


 葵の悲鳴が聞こえた


 (なんだ?)


 歩こうとする足を止め、珀人は再び二人を覗き込む。


 葵が地面に倒れこんでいる。殴られたのだろうか、その右頬は赤くはれていた。


 「い、一体何を……?」


 「お前、ふざけてんのか!? 3万も払ってキスだけとかありえねーだろ!!」


 怯えたような声の葵に対し、男の方はひどく興奮しているようだ。


 「そ、それは電話で説明しましたよ!? 本番はなし、と……」


 「だからってキスだけはおかしいだろ!!」


 「ひっ……!」


 吠える男に、葵はまた悲鳴を上げる。


 「はーあ、もう我慢ができん」


 男がそういうと、転がる葵の首元に手を伸ばす。そしてワンピースを掴み、強制的に立ち上がらせた。


 「恨むなら自分のうかつさを恨むんだな、っと!」


 ワンピースを掴む男のもう片方の手が勢いよく引き抜かれる。

 布の避ける音とともにワンピースが引き裂かれ、葵のきめ細かな肌が夕日の元に晒された。


 「……ほう、なかなかいいのを持ってるじゃねーか」


 男の言う通り、葵のブラが支える純白の果実は、今にも零れ落ちそうなほどたわわに実っていた。


 「やめて、ください……」


 「あン?」


 「言う通りに、します……だから、乱暴しないでください……」


 もはや抵抗は敵わないと悟ったのだろう。大きな瞳に涙を浮かべ、震える声で葵は懇願する。

 

 「おうおう、やっと立場ってのがわかってきたか……そうだな、ならお詫びのしるしとして、ナマでヤらせてもらおうじゃねーか」


 「そ、それだけは……せめてゴムだけでも……」


 「言う通りにするんだろ!?」


 「ひ……!わ、わかりました……」


 葵の言葉に、男は下品な笑いを浮かべる。その手はジーンズのベルトへ回され、今にも不浄なピサの斜塔が姿を現すだろう。


 葵にはもはや立ち上がる気力もないのか、虚ろな目でぐったりと座っている。


 ……流石にこれ以上はまずいかな?


 音をたてないように注意しながらだぼだぼのズボンのポケットからスマホを取り出し、110と入力。そして通話を開始する緑の電話をタッチしようとしたとき――


 「ぐえ?」


 間抜けな声とともに、何かが噴き出すような音。


 ピサを召喚した男の首から、真っ赤な花が咲き誇っていた。


 (へ?)


 男はわけがわからず、首元へと手を伸ばす。感じるのは、生ぬるくドロッとした液体の感触。

 それが自分の血だと理解した男は、絶叫の声を上げようと口を開く。が、細く白い五本の指によって、それは遮られた。


 さっきまで呆然自失だったはずの葵が男に飛び掛かったのだ。予想外の反撃に男はなすすべもなく押し倒され、馬乗りになった葵は全体重をかけて両手でその口をふさぐ。


 もがきだす男。しかし一度取られたマウントは例え相手が女性でもすぐには覆らない。そしてそうこうしているうちにも血は流れ続け、やがて男は動かぬ死体へとなり果てた。


 むせかえるような鉄の匂いが、珀人の鼻孔を鈍く突き刺す。


 葵は立ち上がる。ボロボロになったワンピースを残念そうに見つめると一言


 「珀人くん、見てるんでしょ?」


 鎌をかけたわけではない。葵の視線は、しっかりと珀人の隠れる壁へと注がれていた。


 どうやら、珀人の素人尾行はバレバレだったようだ。


 両手を上げ、何もない掌を見せながら物陰から出る。


 「いつから気が付いたの?」


 「駅を出たときくらい、かな。手鏡で化粧を確認したときに、後ろにいるのが見えちゃった」


 語尾にハートが付きそうな語調と刺激的なその格好に、やはり昼間に会った葵とは別人なのではないかと錯覚を覚える。


 「珀人くんは、なんで私の後をついてきたのかなー?」


 「なんでって言われても、ただの好奇心だよ。別れるときの、君の笑みが気になっちゃったんだ」


 「……結構よく見ているんだね」


 葵の珀人を見る視線が鋭くなる。


 「珀人くんは、『好奇心』を読んだことがあるんだよね。覚えてない?最後に『人を殺すのはいつだって好奇心だ』って書いてあったの」


 「覚えているさ。だけど、そんなんじゃあ僕の好奇心は抑えられない」


 「……私が怖くないの?」


 「怖いさ。今にも殺されるんじゃないかとびくびくしてるよ……だけど今の僕はそれ以上に楽しいんだ」


 今さっき目の前で起きたのは、まさしく飛び上がるような光景。それを見れただけで、珀人の好奇心は満たされていた。


 「……随分と変わった人ね。珀人くんって」


 「お互い様でしょ。……殺すために援交した上井さん」


 「ふふ、流石にわかっちゃうよね」


 隠す気など最初からさらさらなかったのだろう。血だらけのボールペンを弄びながら、彼女は怪しく笑う。


 「私ね……人の裏切られたときの顔が好きなんだ。状況を理解できずにきょとんとするあの表情。裏切られたとわかって怒り狂うあの表情。死ぬとわかって必死にもがくときのあの表情……私はそれらの表情が、たまらなく好きなの」


 口に指をあて、恍惚とした表情を浮かべる葵。


 「なるほどね……殺す手際がいいし、躊躇も全くしていない。三日前と昨日の犯行は君の仕業だね」


 「その二つだけだけじゃないよ。一週間前のも、二週間前のも……私こそが、夏を騒がせる連続殺人犯だ!」


 両手を広げ、宣言をするように言い放つ葵。


 好奇心が、またささやいた。


 「ねえ上井さん、一つ提案あるんだけどさ」


 「何かな?珀人くん」


 「僕と君は気が合うんだ……今日のことは誰にもしゃべらないからさ、見逃してくれないかな?」


 珀人の提案に葵は一瞬きょとんとした表情をするも、すぐに屈託のない笑顔を向ける。


 「もちろん!そもそも私、元から珀人くんを殺すつもりはなかったよ?」


 「あ、そうだったの?」


 「うん、珀人くんとはいい友達になれそうだし、珀人くんが私を信じる限り、私は珀人くんを信じるよ」


 葵の返事に、珀人は安堵したようにため息を一つつく。


 「ありがとう。僕はそろそろ去ったほうがいいよね?」


 「そうだね、警察が来た時に珀人くんがいるとちょっとまずいから……それじゃあまた明日、図書館で会おうね」


 「うん、また明日」


 上げ続けていた両手をポケットに突っ込み、珀人は踵を返して歩き出す。


 (珀人くんって、頭がいいのか悪いのか……私を信じちゃったんだから、悪いほうかな)


 その背中を、ボールペンを振り上げた葵が音もなく襲い掛かった。


 珀人の細い首に、ボールペンが頸動脈へと突き刺さり、抜いた瞬間噴水のように血が噴き出す。先ほどの男同じく、驚き、憎しみ、絶望の入り混じった表情で珀人がこちらに振り向く――葵の眼には、そんな光景が浮かんでいた。


 「――やっぱりね」


 ボールペンが虚空を斬る。同時に葵の右肩口に、鋭い痛みが走った。


 「え?」


 右手が動かない。いやそもそも、右手の感覚がない。


 状況を理解できずにいると、左肩にも同じ痛みが。見ると刺さっていたのは、木の柄のついた太い針――アイスピックと呼ばれる、氷を割るための道具だった。


 「ほっ!」


 腹部に衝撃を受け、葵は後ろに仰け反る。バランスをとるための手は動かず体勢を崩し、受け身を取る手も動かないので思いっきりしりもちをついた。


 「――なるほど、状況が理解できないとこんな表情をするんだね」


 珀人の声だ。その両手には、アイスピックが一本ずつ握られている。

 どうやらぶかぶかのクロップドパンツのポケット内に、アイスコックが仕込まれていたようだ。


 読まれていた――葵はそのことにやっと気が付く。そして両手が動けないという状況に、彼女は今更ながらに猛烈な危機感を覚えた。

 

 「ね、ねえ珀人くん。私、両腕が動かないんだけ――」


 「上井さん、嘘はいけないな」


 葵の言葉を遮って、珀人は言い聞かせるように口を開く。


 「殺人の手際はいいけど、隠ぺいが雑すぎる。こんなところにいた理由とか、攫われたって言っても車も何もなければ疑われる要因にしかならない」


 「え?い、一体何を……?」


 「そんな雑な後処理じゃあ、八回――いや、もう九回目なのか、そんなに殺人を繰り返せるわけないよ。多分、四回目あたりでばれるだろうね」


 戸惑う葵など眼中にないかのように、珀人は言葉を続けていく。狂気の渦巻くこの場でのその冷静な様子に、葵は今更ながらに恐怖心を抱き始めた。


 「は、珀人くん……君は一体、何者なの……?」


 「まだわからないかなあ、偽物サン――――僕が、連続殺人犯張本人さ」


 援交殺人鬼の前に現れたのは、狂気そのものだった。


 「……私を、私をどうするつもりなの……?」


 夏に起きた連続殺人の手口は、どれも残酷極まりないものだった。それこそ葵の行った滅多刺し殺人がかわいく見えるほどに。


 あるものは生きたまま解剖され、ある者は頭に何十本もの錆びた釘を打たれ、またある者は瞼を切り取られた状態で餓死させられていた。


 葵が怯えてしまうのも仕方がないだろう。


 「どうする……うーん、どうしようかな。今は別に試してみたいことはないし」


 よかった、どうやら珀人はすぐに自分を殺す気は無いようだ。ここぞとばかりに葵は命乞いをする。


 「お願い珀人くん!私を見逃して!まだまだやりたいこともいっぱいあるから、私はまだ死にたくないの!」


 珀人は口元に手を当てている。生かすか殺すか迷っているのだろう、そう考えた葵は次の手を打つ。


 「もし助けてくれたら……好きなだけ、私のことを抱いていいわ」


 そう言いながら、葵はゆっくりと足を開く。殺しの為の手段に援交を選択するだけあって、彼女は女としての自分の魅力をしっかりと理解していた。


 (手が動かないのが残念だけど、今の格好なら色気は十分。初心そうな珀人くんならきっと落ちてくれるはず!)


 内心自信満々の葵。しかし彼女は気が付いていない、珀人の視線が一切彼女にそそがれていないことに。


 「……あ!そうだ!」


 突然珀人は手をポンと打つと、葵を通り過ぎてその向こう――詰まれた廃材へと足を進める。


 「これは太すぎるし、これは短すぎるなあ……お、これちょうどよさそうかな」


 引っ張り出したのは、中指程度の太さの鉄パイプ。長さは50センチほどあり、珀人の“試したいこと”には十分なものだった。


 「は、珀人くん?それで一体何をしようとしてるの?」


 「昔テレビで見たんだけどさ、何かのバラエティー番組で、口の中から脳天に向かって穴が開いているのに生きている人がいたんだ」


 子供のようなさわやかな笑顔は、しかし葵には死神のほほえみのように見えた。


 「まさか……」


 「そう、上井さんを使って試してみようかなと思うんだ!」


 「やめて!ねえ珀人くん!私の体で好きなだけエッチなことしていいから、お願いだからそんなことはしないで!」


 必死の形相で葵は懇願する。ここで説得に成功しなければ、待っているのは悲惨な死のみだ。


 「珀人くんも男の子なんだから、私の体、興味あるんでしょ?」


 「いや、ごめんそこまでかな」


 「え?」


 予想だにしなかった返答に、葵の思考が止まる。


 「なんていうんだろう、上井さんの殺人衝動に興味があったんだけどさ、試したら全然楽しくなかった。上井さんのきょとんとした表情を見ても、命乞いする姿を見ても、どこが楽しいのか理解できない。だからなのかな、上井さんの体には、好奇心がわかないんだよ」


 赴湘珀人は好奇心を行動原理とする。その彼が好奇心を持たないということは、説得の余地がないということだった。


 葵の心が絶望に染まる。


 「いや……いやああもご!」


 「ちょっと、静かにしないとばれちゃうじゃん」


 大声で助けを求めようとするも、いつの間にか取り出した布に口をふさがれる。


 「あ、ちょ、逃げちゃダメ!」


 逃走を図ろうとしたところ、膝裏にアイスピックを撃ち込まれる。


 葵には、抵抗の手段はすべて失われていた。


 「安心してよ、上井さん」


 珀人が鉄パイプを地面に固定する。そして身じろぎしかできなくなった葵を抱き上げ、涙と鼻水にまみれた頭を鉄パイプの上へと乗せる。


 「成功すれば、一躍有名人だから」





 『それでは次のニュースです。昨日未明、桜浜町郊外の廃工場にて行方不明になっていた十代の学生二人が、遺体となって発見されました。被害者は死後数日経過しており、一人が頸動脈切断、もう一人が鉄パイプによって頭部に穴をあけられたことによる出血多量での死亡。警察は、連日の連続殺人事件との関係があるとみて捜査を続けています』


 ――私ね、人が裏切られたときの表情が好きなの――


 相変わらずのアナウンサーの声を聞きながら、僕はふと上井さんの言葉を思い出す。


 実験が失敗した日から、今日で三日。三日経っても僕には、上井さんの気持ちを理解することができなかった。


 僕が人を殺すのは、いつだって好奇心だ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ