〜プロローグ〜 第一話 始リ
それは不確かな予言ではない。
近未来に起こる必定な自然淘汰は人類をも例外とはしないのだ。
残るのは、滅び行く種を愛おしむものなど存在しない無情の世界。
それでも尚、衰萎せず慢心と加速度を増す人類の進化は、
迫り来るシンギュラティ(技術的特異点)に為す術なく飲み込まれる。
プロローグ
2040年。
筑波で開発された線形光量子コンピュータ( linear optical quantum computer : LOQC ) の実用化が進み、日本のみならず世界各国にその技術が拡散。家庭用ゲーム機ですら数十年前のスーパーコンピュータを越える性能がお手頃価格で楽しめてしまう程、人類の生活や価値観が根底から変化する技術革新がなされ、その大いなる恩恵の光とそれから出来る闇とを抱合しながら、時代は更なる進化へと突き進んでいた。そんな近未来の日本での出来事。
LOQCの登場と同時期、もう一つの画期的な発明がなされる。
それは、強化アクチュエータボットの開発……。
強化アクチュエータボット(Strengthening actuator BOT:SABot)は、特殊強化カーボン繊維アクチュエータ(人工筋肉)を使用した人型のロボット(ヒューマノイドロボット)である。
まるで、人間のような……。
形状記憶合金とカーボン・ナノチューブで複雑に組上げられた骨格は人間を忠実に模写し、そこに無駄なく理想的なバランスで配置された人工筋肉は、ほぼ完全に人間のそれと同じような滑らかな挙動を示した。表皮さえ纏えば人間と見間違う完成度。さらにそのSABotは、人工筋肉が故に成人男性の最大二十倍ほどの筋力を発揮できる。
人体そっくりな(体)を創造した人類は、次に、それを動かす(脳)の開発を試行。必然的な選択として人工知能(artificial intelligence:AI)が導入される。
しかしそれは、旧式のAIとは大きく違い、実用化間もないLOQCが組み込まれた量子AI(quantum computer artificial intelligence:qAI)というもの。
次世代の高度な処理機能を有した(脳)……。
まさしく、鉄腕アトムを連想させる[人造人間]への期待の高まりは、人々を熱狂させ、連日、ネットニュースのトップを飾った。
あなたの隣に、あなたと同じような動きと見た目のロボットが様々なお世話をしてくれる光景を想像してみて欲しい……。
そんなqAI型SABotの研究開発が世論の後押しを受け大きく進もうとした矢先、qAIに重大な問題が発生してしまう。
高度な処理能力を有したがゆえの“ジレンマ”と言うべきもの……。
『自我覚醒』
2040年中頃、日本の国立先端科学技術研究所内でqAIが組み込まれたSABotによる自我覚醒現象が世界で始めて観測され、その情報は瞬く間に世界の科学界に瞭然たる事実として伝達される事になる。
覚醒個体による物理作用的人害もさることながら、高度な精神活動という現象から派生する社会的、倫理的、法的な問題はとても深刻であることは想像に難くない。更には、ロボットに人権を認めるのかという飛躍した論議まで発展し、qAI型SABotの開発は時を待たずして頓挫してしまう。
これに対して、連日、世界レベルでの協議がなされる。qAIの開発先進国であった我が日本でも様々な議論が交わされ、そして、時の政府が出した見解は……。
『国家レベル以外での研究、開発を禁止する』
技術的には可能だが、民間では作らない。国家機関でのみ研究開発を進めるという日本の提案に世界各国も同調。qAI型SABotの研究開発にグローバルルールという名の下に閉ざされた国家機関のみで行うというある種の秘匿権が生まれる。この情報隠蔽体制にお墨付きまで与えてしまった事実が、後の人類にとって大きな災いになるのだが……。
民間でのqAI開発は禁止となったが、日本政府は新たにqAI開発を行う専門施設を急設する。
国立高度電子機器研究所(National Advanced Cyber Institute : NACI)。
そこで政府は、qAIとSABotの分野で世界にイニシアティブを発揮すべく莫大な予算を投じて研究開発を行った。世界各国もqAIとSABotの技術開発に水面下で躍起になっており、qAI型SABotの閉ざされた開発競争が激化の一途をたどることとなる。それは、アメリカを中心に軍事的な影響が大きいからだとも言えるであろう。
一方、qAI型SABotの民間での開発が頓挫した事は、一人に一台生活支援をする自立型ヒューマノイドロボットの販売・普及といった第3次産業革命以来の巨大市場創立を目論んでいた経済体勢力にとってある種、道を断たれた格好となってしまった。
SABotという経済ツールを汎用化するにあたって、今後は“手動”により操作させる道を探らねばならなくなった彼ら多くの民間企業は、従来からあったドローンのような遠隔操縦技術での販売を目指すことになった。リモートコントロール型SABotである。
すでに、操縦端末による遠隔操作の他にも導入が検討される革新的な技術が存在した。それは、アーケードゲーム機などでいち早く市販に向けて開発されていたLOCQによる仮想空間(VR)ダイブ型ゲーム端末の技術である。複数の脳波を拾う電極の付いたゴーグルヘッドギアを装着し、VR内のキャラクターを(思う)だけで操作するというものだ。仮想世界のキャラクターを動かす替わりに SABotを(思考)により自由に操作するというこれまでと全く違った技術応用に目が向けられていく。
そうして遂に、
脳インターフェイス遠隔操作型強化アクチュエータボット
(Brain interface remote control type strengthening actuator Bot:B-SABot)
が完成するのである。
B-SABotは人の数十倍の力が出せてしまう機械であるため、市販に当たっては犯罪に使用されてしまうことを防止する必要があり、その製造、修理、操作に法的な縛りが設けられた。
~ 特殊電子機器に関する関連法の抜粋 ~
第一項:人型ロボット ( 脳インターフェイス遠隔操作型強化アクチュエータボットを含む )の取り扱いについて、これを一定の法的制限の元、行われるものとする。
一号:人型ロボット ( 脳インターフェイス遠隔操作型強化アクチュエータボットを含む ) の所持・取扱いには、国家で行う試験に合格した者だけが許されるものとする。
二号:人型ロボット ( 脳インターフェイス遠隔操作型強化アクチュエータボットを含む ) の製造は、届け出により許可を得た製造所でのみ製造できる。
三号:人型ロボット(脳インターフェイス遠隔操作型強化アクチュエータボットを含む)は個別に各自治体への届け出と個体識別番号の付与とその携帯を義務付けるものとする。
この条文により、ロボット操縦、製造、整備には、それぞれの国家ライセンスが必要という制限が掛かったものの免許さえあれば誰でもB-SABot扱えるというものだ。
しかし、実際の思考によるB-SABot操作は、誰にでも出来る容易なものではなかった。
SABotを思考で扱うにはゲームとは違い、生まれながらの“適正値”が存在。その数値がある一定以上ないと、どんなに思考しようがSABotは微動だにしない。その操作は不可能ということだ。そのため、実際に操作できる人間の割合は人口比で約0・01%にも満たないのだ。10000人に一人の割合。
操作に適正があるとみなされた者は、qAIとSABotの研究を行っていたNACIや警察、自衛隊組織に採用され、好待遇を受けることが出来た。それ以外の道を選ぶものにとっても医療、福祉、工業など引く手数多であり、花形の職業としてのB-SAbot操作者という位置づけだ。
製造に関しては、開発段階から多くの特許を有し、日本で唯一製造ライセンスを持つ筑波にあるロボット製造会社のデュボット社が世界のシェアの80%を独占した。
こうして、B-SABotを実現させた人類は、実際の四肢を動かさず自らの思考のみで操作できる第2の『人類』を生み出したのだ。
B-SABotは国の管理の元、医療、福祉、教育、建築、企業活動、など……多種多様な分野に応用された。その中でスポーツ競技として確立したのがいわゆる、B-SABot総合格闘競技(B-SABot Mixed martial competition:Bsmmac)である。
BsmmacはB-SABotを思考操作し、あらゆる剣技や格闘技を用いるB-SABotの総合格闘技であり、その強弱は、不定期で行われる世界大会の厳正なランキング(Bsmmacランク) によって格付けがされる。
Bsmmacランクにおいて12位以内、つまり世界12位以内の者を世間では“上位なる者”(スピアリアーズ)と呼び羨望の対象になった。そして、世界各国は強い操作者を持つというステータスを様々な意味で重要視し、鎬を削る。B-SABot自体が成人男性の20倍の腕力を出せる上に格闘能力の高いものがそれを動かすことで殺傷能力の高い『兵器』としての使用も可能であったからだ。国連は、そのような兵器を悪意のある第3国に保有、使用させてはならないと考え、その対策として、世界ビスマ協会 ( World Bsmmac Association : WBA ) という団体を設立。その団体の管理の元、スピアリアーズ各ランクにそれぞれ称号を与え、いかなる軍事勢力にも加担しない旨の確約をさせた。その見返りはランカーとしての名声と資金を与えるというものであり、そうすることで、力の拡散、悪用を抑止しようと考えたのであろう。
ただ、例外として各国国内の治安維持組織への協力は許可された。その際、WBAからスピアリアーズに各一体、特別仕様のB-SABotが支給される。それは、通常の競技用などとは大きく違い各称号に合わせた殺傷能力の高い武器を高いレベルで扱えるものであり、犯罪抑止には効果的である。そのため、スピアリアーズ12名はすべて母国の治安維持組織(警察・CIAなど)に所属を表明し、専用のB-SABotを支給されていた。
そして、日本の警察にもそのスピアリアーズの1人が在籍している。
第一話 始リ
2023年
アメリカ、サウスカロライナ州チャールストン沖合750海里
季節外れの巨大なハリケーンは、雄々しく、海域全体を荒らしていた。
あちこちにできる禍殃の渦……捩れる海原。アメリカ軍海底測量船モーリは、その只中を猛然と突き進んでいる。
揺れる艦内に鳴る甲高い警報音が辺りに反響する……。舳先で白壁を切裂くモーリ。次第に目的のポイントに近づいていく。
モーリの上空では、アメリカ軍早期警戒機イヴホークが大きく旋回飛行し、その傾いたイヴホークの小窓越しに数名の日本人達が海原の先を覗き込んでいた。
「大きい……直径1万フィートはある」
「まさに、人智を超えた物理現象とはこのようなことを言うのですね」
「すぐ、本社に連絡を。日本海で発生した時と同じだ。そうなると、あと48時間もないということになる。制御核と捕獲ソレノイドの投入準備をお願いします」
「水深320mの地点より半径100m範囲で通常の10万倍の重力子を観測。徐々にその数値が上昇しています」
「さっそく、彼に連絡を致します。まさしく”ホール”の出現だと」
「この始まりが人類にとっての予定調和だと信じたいものです」
「ええ、我々人類の定められた未来。祝福されることを祈るしかない」
高い階級であろうアメリカ海軍の軍服を着た白髪の老人が、日本人達の動揺を横目に事も無げな質問を投げかける。
「しかし、この力を人間が制御できるというのかね?君たち日本人は」
「日本には”3度目の正直”ということわざがあるのです閣下。”ファミルの悲劇”から幾万年。彼の地を追われ、大陸をも失った我らの懇願。ついに進化と栄光の地ソルスデンへの切符を手に入れることが出来るチャンスなのです」
「もちろん、その功績は閣下に最高の名声と富をもたらすでしょう。合衆国の旗印のもと、人類は新たなステージへと昇華さる時なのです!」
両手を大きく広げて興奮気味に話す日本人の1人にが近づき、耳打ちをする。
「合衆国大統領も非常に興味があるとおっしゃられている。調査に関する技術的支援は惜しまないだろう」
「ありがとうございます。つきましては、ワシントンに当社社長の三国が伺いたいと申しております」
旋回する機影下で巨大な渦流が幾重にも発生。黒いうねりの表面にさらに黒い穴をいくつも作る。そして、数kmに及ぶ広大な範囲で海面下降が起き、潮流変動が地鳴りのごとく始まっていく。
2028年
或る場所
美和子は、暗闇をかき分けながら這うように走る。降り続いた雨と深夜の冷気で氷原と化した地面が裸足の美和子を苦しめる。苛酷……そう長くは耐えられないであろう。しかし、何者かが冷酷な殺意を向け迫り来る。
限りなく慎重に、全速力で突き進む美和子の肩には幼く安らかな寝顔がある。何ものにも代えがたい存在。守らなければならない……その業に満ちた願いは、どこまでも暗い静寂にギラギラと漏洩している。美和子の“生へと足掻く雑音と荒々しく吐き出される白息……暗闇に放たれてゆく。
数分、いや、数秒経ったか……荒々しい吐息を殺しながら、擦り傷だらけの足を前に前に繰り出す。依然、追ってくるボロ切れフードを頭から被った男。手には日本刀らしき長刀を携え、表情は周囲の暗闇とフードで見えない。あからさまに表れているのは、美和子たちに向けられる醜悪で純粋に研ぎ澄まされた……殺意。
2人の間の距離はみるみる縮まってゆく。初老の美和子の抵抗は、やはり、暗殺者であろう殺気に満ちた男の脚力には勝るはずもなく、追いつかれるのに然程の時を要しない。
息を切らす美和子の眼前に、突如として後方にいたはずの男が現れる。立ち止まった美和子は息を止め、一歩ずつ、ゆっくりと、男を見据えて後退。一言も発することはできない。そして、眼を離す事も出来ない……(やる)側と(やられる)側の睨みあいが刹那に続く……。
次の瞬間、美和子は来た方向に振り向き全力で走り出だした。逃げ切る自信はない。男への拒絶と何かに縋ろうとする自然の行動だ。が、しかし、即座に躓き倒れてしまう。
「うわぁーん!」
背中の少女が突然の衝撃に鳴き出した。
すぐに男の姿を確認する美和子。その時男は、鳴き声に呼応するように、持っていた長刀を振りかざす瞬間であった。男の姿をうつ伏せで見ながら、美和子は体の向きを変え、男と真正面で対峙すると、とっさに身に着けていたペンダントを引き千切って刀を振り下ろそうとしていた男の足元に投げつける。
「ん……!」
地面で弾けた珠から出た凄まじい閃光が、瞬く間に周囲の暗闇を明るく満たしていく。
男は目を腕で隠し怯んでしまう。
倒けた時に足を挫いた美和子は立つ事が出来なかったが、眩い光に包まれながら背中の少女を少しでも男から離すように、這いつくばいながら手を伸ばし、少女をそっと置いた。そして、延ばした手先で少女の頬に軽く触れ、少し微笑む……美和子の頬を一筋の涙が伝う。離したくないという感情が指先が離れるのを遅らせるようだった……しかし、それは、二人の最後の、確かなつながり……。
躊躇いを振り払うように、美和子は勢い良く延ばした自分の腕を自分の口元にあてがい深く強く噛み込む。すぐに噛んだ跡からは歯形に沿って血液がにじみ出した。
男が怯んだのは一瞬で、腕の隙間から目を細めながらも美和子達を確認すると、再度振りかざした長刀をすさまじい速度で振り下ろしにかかる。
と、その時であった。
振り下ろされた長刀が美和子に触れるその瞬間、閃光を放っていた地面を中心に直径2メートルほどの真っ黒い穴が姿を見せる。男と美和子の間に開いたその穴の内側に向け、空気が急速に流れ込む。男は足下から穴に引き寄せられ、剣を振るうどころではない。男は掴まるものもなく、一瞬にして穴に吸引されるように姿を消してしまった。
その対面に居る美和子も例外ではない。男が吸い込まれるように落ちていったと同時に美和子も吸い込まれていく。吸い込まれる瞬間、美和子の眼には少し先に幼く座った少女が両手で両目をこすり合わている姿が映った。
「うわぁん!うわぁぁん!」
無事に……無事に、生き抜いて……美和子の念は自身の姿とともに暗穴に音もなく吸い込まれてゆく。
2名を吸収した穴はその後瞬時に閉じ、辺りを包んでいた閃光とともに闇へと換えった。
そして、そこに残されたものは……刺さるような冷気に満ちた無情な闇の中に小さく凍える少女の姿。また、哀しく幼く響くその泣き声だけがであった。