襲撃(3)
いつもと変わらない、静かな月夜のはずだった。
何の変鉄もない近所の見慣れたT字路に――
漂うのは驚愕と張りつめた緊張感と、向けられてくる明確な殺意。
なぜ自分を?と訊ねたいのはやまやまだったが、どうせ応えは返ってこない。
民家も街灯も乏しい夜闇の中、黒ずくめの男たちはいやにゆっくりと迫り来る。何かを用心してでもいるのだろうか。
頼みの綱は月明かりのみ。
家はもうすぐそこだというのに……。
悔しさに、じりじりと後ずさりながら睦月は鋭く襲撃者たちの目を睨みつけた。
「……あと何人来んの? 三人で打ち止め? まあ三人でもじゅーーーぶん卑怯だけどな」
鋭い視線はそのままに、あえて口の端を持ち上げて吐き捨ててやる。最悪の予感を振り払うように。
が、そんな挑発めいた物言いにもまったく動じる様子を見せず、三人の刀の先はピタリとこちらを向いたままだ。
(どうする……?)
スピートは互角だった。
いや……もしかしたら勝てるかもしれない。
連中に比べたら父親の柾貴のほうがむしろ速いくらいで――――
いや……。いや、駄目だわからない。
一人目の動き以外定かではないし、しかも相手は男三人。その上こちらは丸腰ときてる。
盾となる物がもう何もない以上、踏み込まれたら次は終わりだ。
思いのほか動揺している自分に気付くが、だからといって状況が好転するわけでもない。
キツく下唇を噛み締め、どこかに隙は残ってないかと視線を巡らせた。
(帰れば親父がいる。今……今だけ、ここをどうにかして逃げ切れば――。だけど、どうやって……!)
逡巡する思考と焦り。
背中が静かに固い石壁に突き当たった。
はっとして、遥か頭上まで伸びる石積の擁壁に意識を向ける。
(――上、に……?)
素早い身のこなしだけではなく、並外れた跳躍力においても昔から厳しく叩き込まれては――いる。
受け継いだ道場もそのために建て直したのだと何度も柾貴に聞かされたほど。
けれど、確か防災面での役割も担っていたはずのこの石垣はそれ以上――軽く三階建住宅クラスの高さはありそうだ。
(こんな高さ……跳べるだろうか? いや……でも、跳べなきゃホントにもう)
――後がない。
失敗して少しでも体勢を崩そうものなら一貫の終わりだが、一か八かでもやってみる他はなさそうだ。
(でも――)
目の前の黒ずくめ三人に意識を戻し、きつく唇を噛む。
(こいつらも同じように――いや、オレ以上に跳べたら……? 速さも相当のものだったし……あり得ないとは――)
少なくとも普通の人間の動きではなかった。
「普通」ではないということは――
これまで血のにじむような思いで必死に耐えてきたこと、自分が柾貴に叩き込まれてきたことが、この襲撃者たちにとっても軽くこなせてしまう……のだとしたら?
それどころか、遥かに上回る速さと力で囲まれてしまったら?
だとしたら、本当にもう――
焦りと恐れが小さく脆い決心を鈍らせ、あきらめが思考の出口を容易に閉ざしかける。
(どうしたら……)
いつの間にかしっかりと三方から取り囲まれ、退路は絶たれたも同然だった。
冷たい汗が流れ落ち、わずかな望みも薄らいでいく……。
ふいに全身に――感覚的に、揺らぐ空気の兆しを捉えたのはその時だった。
間合いを詰められつつあった三人との間に、突如、人間大の渦を巻いて発生した猛烈な突風。
「!?」
吹き付ける強風からとっさに庇っていた目をおそるおそる開けると。
さらに別の黒装束の背中がすぐ目の前に現れていた。
(――四人目?)
ひときわ背の高い、その人物のシルエットを見て取るや――
「え……うわっ!」
突然、凄まじい速さと勢いで睦月の身体が石垣の真上まで跳び上がっていた。
もちろん自力でではなく、新たにこの場に現れた男の腕に抱えられたまま――。
(この高さ……軽々と……)
愕然と目を見開いている間に、腰から半分に折り曲げるようにして睦月を抱え込み、四人目の黒ずくめは猛烈な速さで駆け出していた。
流れる景色が目まぐるしく変わるのは、決して視界が逆さになっているせい――だけではないだろう。
一瞬でどれだけの距離を稼いでいるのか、先の三人の姿はすでにどこにも捉えることはできなかった。
もしかしたらあの石垣を越えられずに、あのまま下に留めおかれているのかもしれなくて――
(このスピード…………え、親父?)
もしかして――と一瞬その動きと背の高さに柾貴が助けに現れたのかもしれないと考えるも、すぐさま違和感に気付いて瞠目する。
(違う……もっと速い?!)
ひと一人抱えながらも、風の抵抗をものともせず夜闇を駆け抜ける人物。
翔ぶように空間に溶け込むように――。
その速さと力強さに、ただただ目を瞠るしかできなかった。
(――って、それどころじゃなく!)
呆然と腰を抱えられて運ばれている状況に、唐突にハッとする。
全身真っ黒な装いからして、連中の四人目の仲間と考えるほうが自然ではないか。
だとすると、この状況はかなりマズいのでは……?
「は……放せっ!」
そんな呆けてる場合じゃなかった!と黒ずくめの背中を逆さから睨み付け、今さらながら手足をばたつかせ、あわてて身をよじろうとしたとたん――。
暴れられると面倒、と思われたかどうかは定かではないが、超高速で行き過ぎる景色が目に見えて緩やかになった。
やがて。
どこかで足を止めたらしいと気付いた時には、固いブロック塀に背中から寄り掛からせるように降ろされていた。
(うわ……っとと……)
自分で思いのままに駆ける「修行」時とは勝手が違って、急な視界の回転にわずかにふらつきが残る。
上半身逆さ吊り状態だったため無理もないが、なんとも情けなく忌々しいことこの上ない。
――が。
覚束ないながらもなんとか両足がアスファルトにたどり着くまで、意外にも黒ずくめがしっかりと片腕を支えてくれていた。
(どういうつもりだ……?)
荷物のように担がれて運ばれたことに関しては文句の一つも言ってやりたい気もするが、あのままでは確実に三人にやられていた。
これは助けてくれたと見るべきだろうか……?
警戒は解かないまま、ぼんやりと一つだけついた照明を頼りに薄暗い辺り一帯に目を凝らす――――と。
何となく見覚えのあるその場所が、通っている高校近くに位置する月極駐車場の一角であることに気付いた。
ごく僅かな時間で、かなりの距離を逆戻りしてきたということだ。見知らぬ人間に抱えられたまま。
(こいつ……何者だ?)
今さらな感が否めないが、柾貴と同等かそれ以上のスピードを持つ人間に当然危機感を覚えないわけはなく――。
とっさに後退って逃げようとしたが、それも叶わなかった。
そっとブロック塀に寄り掛からせておきながら、相手の手は未だしっかりと睦月の右腕を掴んでいて振り解けそうにない。
緩やかな拘束に眉をしかめ、不信感丸出しで目の前の相手を振り仰いでやる。
「てめえ……いい加減、これ放しやが――!」
――が。
最後まで要求させてもらえず、睦月は言葉半ばでさらに瞠目した。
黙るように、とばかりに男が軽く手のひらで制してきていたのだ。
初めてまともに見上げたその相手。
月明かりを受け、じっと耳を澄ますように周囲の様子を窺っているらしいその長身の人物は――
連中と服装こそまったく同じ黒ずくめだが、首から上は何にも覆われていなかった。