襲撃(1)
あれは中学に上がる前だったか、後だったか――。
時期こそ定かではないものの、突然、体に痣が残るほど「稽古」にも「修行」にも厳しさが増したのをおぼえている。
『違う』
容赦ない一言とともに柄で打ち据えられ、激しい音と衝撃を伴って道場の床に倒れ込む、自分の目の前に。
『駄目だ。それでは命がいくつあっても足りない』
普段とは程遠い、低く硬質な声のみを投げかけて父――柾貴は立ちはだかった。
幾度となく床に叩きつけられて、すでに自力で起き上がるのも困難になっている我が子に手を差し伸べようともせず。
汗でにじむ視界。疲労は頂点に達し、荒い息もすぐには収まりそうになく……。
腕一本さえ思いどおりに動かせない自身に、苛立たしさばかりが募った。
『立て』
それでも――立て、と。
生き延びたければ立ち向かえと、柾貴は剣をかざした。
『これまでの「修行」をすべて無駄にするつもりか』
物心ついた頃には、「修行」と称してそれは始まっていた。
表向きの剣道の「稽古」とは別に。
道場生が帰った後から夜半にかけて、親子二人きり、誰の目にも触れないように。
閉めきったその空間を素速く駆け抜け、敵の襲来をかわすように瞬時に地に伏し、また高く跳び上がる。
そんな素速く身軽な動きを、とにかく徹底して叩き込まれた。
道場内が手狭になると、広い庭や人気のない廃屋、真っ暗闇の木立を「修行」の場として選んだ。
遥か頭上の木の枝や塀を跳び越えたり跳び移ったり、そんな足場の悪さをものともせず一瞬で駆け抜けたり、と。
疑問がまるでわき起こらなかったわけではない。
道場の後継者教育の一環と考えるにはさすがに無理があり、どう考えても護身術の域を越えている――そんな忍者紛いの一連の「修行」の理由を、なぜか柾貴は頑として教えてはくれなかった。
何度訊ねても、この身を守るためには必要なのだと単調な答えが返るのみで――。
拭い去られることのない疑問が常に胸の奥で燻ってはいたものの、それでも、剣道や体術の「稽古」と並行して課されていたそれは思いのほか自分に合っていたのだろう。
風に乗って自由に、思いのままに素速く飛び跳ね動き回るのは楽しく、毎晩心地よい疲れと充実感をもたらした。
そんな人目を忍んでの「修行」に言われるままに身を投じ、身のこなしだけは父親に匹敵するほど――常人の感覚では考えられないほど――速くなっていったある日。
中学入学祝いだと、ずしりと重い真剣を手に取らせたかと思うと、
『真の襲撃に型通りの動きなどない。常に命が危険にさらされていると思え』
そう言い置いて――突然、斬りつけてきた。
「修行」の成果か、素早く殺気を察知し迫り来る白刃を何とか躱すことはできたが、ここで人生終わりかと本気で考えたほど。
理由を訊ねてもやはり応えはなく、猛攻の手が緩められることもなかった。
反発して剣を投げ捨てようが座り込もうが容赦なく斬りつけてくるため、否が応でも再び武器を拾って迎え討つか身を翻して逃げるしかなくなる。
『父はいつまでも一緒には居られない。おまえが自身で身を守り、打ち克たねばならんのだ。生き抜くために』
刃を合わせながら真剣な表情で「生き抜け」と言われたら……
『――』
反発もあきらめも、自分の中でとたんに意味を失った。
(身を守るって何から? 誰に勝てって……?)
考える間もなく刃が迫り、そしてまた思考は中断される。
その繰り返しだった。
実は親子ではないとか、憎まれてでもいるのではないかと思ったこともある。
それか、何か事情があって本当に殺す気なのではないか、と。
でなければこんな、文字どおり命懸けな「修行」をさせる親なんているわけない……と。
だが「修行」が終わるといたって普通で、母親がいない分むしろ優しすぎるほどの、少しとぼけたいつもの父親に戻っていて――。
そうして、わけがわからないまま痣やちょっとした切り傷が日に日に増えていった、そんなある日の真夜中。
後ろからそっと頭を撫でられ、目を覚ましたことがあった。
『……力のない父ですまない。だが……あきらめるな。生きろよ睦月……』
眠っている我が子に静かに語りかける、そんな愛情のこもった囁き声を聞き、優しく包み込む温かい大きな手に触れられたら……
そっと目を閉じて寝たふりをし続けるしかなく――。
しばらく頭を撫でられながら、悟ってしまった。
(本当に必要なんだ……)
ワケがわからないが、全然納得はできていないが。
多分いつか……そんな危険な目にあう日が来るのだ。
それはいつ? なぜ自分が? この銀色が何か関係あるのだろうか?――と。
何だかわからないが命が危険にさらされている。
そんなに危ないなら……だったら、なおさら誰も巻き込むわけにはいかない。
徹底して他人と距離を置くようになったのも、そのころからではなかっただろうか。
そしてそんな自分を守ろうと、何らかの事情を知っているらしい柾貴は何も言わぬままあえて厳しく、身を守る術を叩き込んでくれて――。
「……」
ここを上れば家まであとわずかという、緩やかな坂道が伸びるT字路で睦月はふと立ち止まる。
学校を出た時にはまだぼんやりと曖昧な輪郭を覗かせていただけだった月が、夜空にくっきりと浮き彫りになっていた。