クラスメート(1)
「失礼しま――」
職員室を出るなり、至近距離で待ち構えていた友人二人の顔にギョッとして、睦月はわずかに身を引いた。
にへらと笑ってそこに立っていたのは桜井哲哉と佐藤洋海。昨年度から同じクラスにいる男女だ。
「…………何やってんの? こんなトコで」
ドアを後ろ手に閉めながら、あえて、これ以上はないというくらい冷ややかな目線を向けてやる。
「いや、睦月が遅いからさ」
「お迎えに上がりましたあ!」
「……ほんっと暇だな、おまえら」
迎えが必要な幼児でもあるまいし。せっかくの昼休み、ゆっくりメシでも食ってればいいではないか。
言ったところで聞かないのはわかりきっている。
おもいきり眉をしかめて、ため息をついてみせた。
去年、出会った当初から彼らはこうなのだ。
気が付くとこうして寄ってきている。二人して。
いや二人揃っているのが問題なのではない。
もともと幼馴染だという彼らは、付き合っているわけではないらしいがいつも一緒で仲も良い。
それならそれで仲の良い二人だけでいればいいのに……。
何が楽しいのか睦月にやたら構ってくる。
よりによって愛想の欠片もない、むしろ他人と一切関わりを持ちたくない感満載のこんな自分になぜだ?
コイツら何が目的だ?
と疑心に拍車はかかり、それまで以上に徹底的に無視し目も合わせず、ひたすらスルーしていた。
…………はずなのだが。
なぜか……今ではすっかりこうなってしまっている。
(調子狂うんだよな……)
「ちゃんと出してきた? 進路希望」
小柄な洋海が大真面目な顔で見上げてくる。
セーラー服の肩の上で切り揃えられたまっさらなストレートが微かに揺れた。
「それ提出に来たのに出さねーで戻ってくるほど、オレ間抜けに見える?」
今朝のショートホームルームが提出期限の進路調査表。
朝のドタバタで結局遅刻してしまったため、この昼休みに担任に提出しに来たのであるが。
「マヌケじゃないけど、睦月平気でスルーするから」
「……ほっとけ」
「で。やっぱ進学しねーの? 睦月」
フンと鼻息荒く教室に向かってズカズカ歩き出す睦月のペースに合わせ、隣に頭半分身長の高い哲哉が並ぶ。
お、また前髪軽くパーマ当てたなこの洒落男め……と気付いたが、わざわざ口に出してやらない。
よくぞ気付いてくれた!と喜んでじゃれつかれても困る。
「うん。しねえ」
「えー、でも柾貴さんどっちでもいいって言ってるんでしょ? 大学は行っといたほうがよくない?」
「んー……いや。必要ない」
反対側の隣に洋海がパタパタと駆け寄って来て追いつき、いつもどおり三人並んで廊下を歩くことになる。
結局、こうなってしまうのだ。
いくら追い払っても蹴散らしてもまるで響かない奴らには、かける労力も惜しい。
いつの間にかそんなことまで学習し、この二人に限ってはバレたら大変という危機感よりもあきらめのほうが勝ってしまっていた。
「そもそもオレ、高校だってイラネ状態だったのに大学なんて……」
この先また大勢の人間に接して(というかシカト一択だが)面倒くさい思いをして銀々を隠して、苦しい思いをしながら女であることをも隠して……?
……ざっと想像するだけで吐き気を催してくるほど、冗談ではない。
もういい、もう……とウンザリ宙を見据え、制服の下のさらにTシャツの下、キツめに巻いてあるさらしに密かに思いを馳せる。
「じゃあ、そのまま親父さんの道場継ぐのか?」
「ばっ……哲っ!」
周囲を見回しながらあわてて哲哉の口を塞ぎ、同時に胸ぐらを掴みにかかる。
「誰にも言うな、つったよな……!? こんなとこで――」
「大丈夫だって。ほれ誰も居ねーし」
「て、てっめえ……」
廊下の壁に押さえつけられても悪びれなく宣い続けるこの軽い男に、このまま鼻の穴も一緒に塞いでやろうかと限りなく本気に近い殺意と引きつり笑いが浮かんだ。
生まれつき体が弱いと大嘘ぶっこいて、体育をはじめ様々な行事さえ見学やら欠席やらしている身だ。
実は家の剣道場を継げるくらい健康体だと、誰にも――身内を除いてこの二人以外には――絶対に知られるわけにはいかない。
知られたら最後……とまではいかなくとも、今免除されている体育実技や様々な行事関係は出席必至となるのはまず間違いないだろう。
それがひいては本来の性別を白日のもとに晒すことに繋がり、もっと悪くすると、何かの拍子に不可思議で意味不明なこの銀色一式まで発覚し、何の怪異だ突然変異だと様々な方面に取り沙汰されたあげく、どこかの研究機関にでも放り込まれて生体実験を繰り返されることに……
(……いや、やっぱバレたら最後だな)
我ながら乏しい想像力だとは思うが、こんな程度でもゾッとしてしまうのだから、現実に何が待ち受けているのかは計り知れないし空恐ろしくて考えられない。
はっきりしているのは、健康体がバレた時点でもう今までどおりここには居られなくなるということ。
隠さなければならないことが多く、しかもなかなかワケありらしい身の上だ。
それならいっそ初めから人付き合いそのものをしなければいい。
そう心に決め、ずっとそうして生きてきた。幼いころから。
そんな睦月の前に、哲哉と洋海が現れた。
入学当初からちょっと他よりうるさい、しつこい奴らがいるな……とは思っていた。
けどまあ、いつもどおり無視しておけばよほどの馬鹿ではない限り空気を読んで離れていくだろう、とも。
あきらめてシュンとおとなしくなるのか、幻滅して嫌って避けまくってくれるのかはわからないが、近付いて来なければどちらでも構わないのだ。
が。
二人は…………よほどの馬鹿だったらしい。
どんなにシカトしようが撥ね付けようが懲りずに纏わりついて来たあげく、とうとう家にまで押しかけて来られた日には――
思わず開いた口が塞がらなかった。
剣道の「稽古」やその他諸々の「修行」でできてしまった体の痣をいつの間にか見られていたらしく、家で虐待でもされてるのでは?と勝手に誤解し心配しての突撃お宅訪問だったという。
体育さえ見学の虚弱体質を装っていたため無理もないかもしれないが……余計なお世話にも程があるというのだ。
そうして生意気にも一介の高校生に一方的に疑心をぶつけられたあの父親――柾貴は、怒るでも狼狽えるでもなく虚弱云々は嘘だとなぜかあっさり認めたうえ……
こともあろうに、これまで他人には一切明かしてこなかった「普通ではない修行」の一端までも、彼らには明かしてしまったのである。
自棄になっていたわけでもなさそうな落ち着き払った様子からすると、思い込みではあったが我が子を心配して駆け付けてくれた友人モドキにほだされでもしたのか、とその時は納得しておいたが。
(苦労して隠してんのオレなんだっつの……。他のコトまでバレたらどうするつもりなんだ、まったく)
「稽古」「修行」時以外の父親のお気楽さには慣れっこだし今さら言っても仕方ないが、あのオン・オフのギャップの激しさはどうにかならんか、とため息も大きくなる。
以来、この二人は何かと柾貴に歓迎され、学校でも――周囲からは奇異と羨望の眼差しを浴びながらも――それまで以上に纏わり付いてくるため、何となくこうして三人でいる時間が増えた。
他愛もない話をしたり、家に押しかけて来て試験勉強をしたり、共に夕食を囲んだり……。
すべてを明かすことができない以上さすがに泊めることはないが、彼らと居ることに対して違和感が薄らいできているのは確かだ。
そして時折、そんな自分にハッとする。
こんな――普通の高校生のように過ごしていていいのか、と。
どうしたって普通ではないことを、逆に思い知ってしまう。
知られたのはあくまでも健康体であることと、なぜか普通ではない「修行」に毎晩身を投じているということだけ。
お気楽さに感化され危機感を鈍らせてる場合ではない。
まだまだ隠さなくてはいけないことだらけなのだから気を引き締めなければ、と自身を叱咤する。
危うく緩みかけた心にしっかり蓋をして――。
「お……大谷先輩……!」
職員棟を折れて生徒昇降口に差し掛かった所で、ふいに、か細い声に呼び止められた。
見ると一年生女子が二人。もちろん知らない顔だ。
「あ、あの……っ」
頬を赤く染めてうつむき、片方はセーラー服の胸に大事そうに何かを抱え込んでいる。
幸か不幸か見慣れてきつつある光景。
「……」
返事もせず冷めた視線で軽く顔を向けるだけの睦月に代わって、ああもう……と言わんばかりに哲哉が大股で一歩戻り彼女らに近付いた。
「どうしたの? 睦月に何か用?」
「き、昨日、お誕生日だったんですよね? おめでとうございますっ」
「――」
誕生日なんて誰かに言っただろうか?
驚きを通り越して微かに訝しんでさえいる睦月に気付かず、女生徒はますます顔を赤らめてうつむいた。
どこでそんな情報を仕入れてくるのだろう。
手段も気力も謎だ。
そもそも、よく知りもしない人間についてなぜそこまで一生懸命になれるのか理解できない。
まともに「女」として育ってきてないからだろうか?
「あ、あの……これ」
うつむき加減のまま女生徒がおずおずと差し出してきたのは、ふんわりとやわらかそうな素材で綺麗にラッピングされた水色の包み。
「受け取ってくださ――」
「要らない」
か細く震える声をピシャリと遮り、用は済んだとばかりに背を向けて歩き出す睦月に、場の全員が呆然と顔を見合わせる。
「お、おい」
「む、睦月、待って」
あわてて後を追ってくる哲哉と洋海の気配がする。
そんな二人のさらに後ろから。
「あ、あのっ! やっぱり……さ、佐藤先輩と付き合ってるんですかっ?」
今にも泣き出しそうな友人を慰めながら、もう一人の一年女子が声を張り上げていた。
あまりの脈絡の無さに思わず立ち止まってしまう。
「…………は……?」
「だ、だから受け取ってくれないんですかっ?」
面倒くさそうに振り向く睦月に怯みながらも、友人女子は勇気を振り絞って頑張っているようだ。
……が。
(何でそういう話になるんだか……)
はっきり言ってどうでもいい。
側では『え、あたし!? やっぱり、って何!?』と面食らって洋海が口をパクパクさせている。
そりゃいつも一緒にいると思われてる唯一の女子だからだろ、と心の中ではすかさず声が上がり、だとしたら同じように一緒にいる哲哉はどう見えてんだ?三角関係の邪魔者か?オマケか?見えてすらねーのか?と逆に突っ込み満載の反論も浮かび上がるが……。
やはり面倒くさいことになりそうなので、それもこの際置いておく。
洋海が好きなのはうちの親父でオレではなく、実はそもそも自分は女であり同性とどうこうなるなんて自分的には天地がひっくり返ったってあり得ないし冗談ではない――――と、もちろん口が裂けても言えないし、また教えてやる義理もない。
「……」
どうしたモンか、といつも思う。
……が、結局正解は無さそうだし考えているうちにまたさらに面倒になる。
一言「違う」と言えば済むのはわかっているのだが、こういうシチュエーションに二度と訪れてほしくないため、あえて冷たい、できるだけ辛辣な言葉を選ぶ。
悪い噂となってなるべく拡散してくれ、と願って。
いつもどおりに。
「…………仮にそうだとしても、アンタらには関係ないよね?」
馴れ初め(?)は『Steel Eyes』にて。
哲哉視点ですが。