ずっと見守って(3)
耳鳴りが続いている。
どのくらい長く……?
いや、静寂がそう思わせているに過ぎないのだろうか?
次第に消えゆく銀白色の光の中で、目を閉じたままそう睦月は自問する。
(何が…………起こった?)
元の暗がりにようやく慣れてきた目を、ゆっくりと開けてみる。
光は完全に消えていた。
全身に残っているのは言い様のない疲労感。
「――!」
ひやりとした空気に太腿を撫でられて、急激に状況を把握した。
飛び起きて倉庫内を見回すと、三メートルほど離れた所に中年男性教師の姿。
吹き飛ばされて激突でもしたのだろうか。
だらりと項垂れて気を失っているらしい福山は、入口近くの壁を背に座り込んでいた。
周辺には崩れ落ちて散乱しているスコップや水撒き用ホース、その他の備品類。
(吹き飛ばされて? 誰に? オレ……に?)
――どうやって?
両手で額を押さえ込んで考えてみる。
憶えてるのは、凄まじい嫌悪と強い光。
まるで自らの内側から膨らんできた何かが爆発でもしたような――
「……」
ダメだ。
まるで憶えていないし、あの巨体を吹き飛ばすほどの何かができたとは思えない。
為すすべなく伸し掛かられてもがいていただけだった自分には……。
ふいに訪れた小刻みな振動にびくりと反応してしまった。
(あ……哲の携帯)
そういえば取り落としたままだったと思い出し、あわてて周囲の暗がりに目を凝らす。
散らばった鉢やシャベルを振動音を頼りに退けていくと、煌々と明かりが点ったディスプレイが見えた。
とりあえず壊れてはいなさそうだとホッと息をついて、それを拾い上げる。
画面には、未だ点滅を繰り返す緑色の受話器マークとともに、洋海からの着信を知らせる表示。
まだ六時限目真っ最中のはずなのに――
もしかしたら……洋海の携帯を借りて哲哉が探しているのかもしれない。ひょっとすると、二人で一緒に。
ハッとして自身のいでたちを見下ろす。
引きちぎられていくつかボタンが飛んだ上に、肩の縫目からぱっくりと口を開けたワイシャツ。
中のTシャツもあり得ないくらい襟ぐりが伸ばされ、さらしが見えるくらい破かれてもいる。
あげくの果てにズボンも脱がされ太腿はあらわになったまま……。
こんな、いかにも「襲われました」なズタボロの姿を見られるワケにはいかない。
今度こそ本来の性別が知られてしまう。
とりあえず電話に出て、何ごともなかったフリでもしてみようか。
早退して帰っている途中だとでも……。
(ダメだ……外靴もカバンも残したままじゃ、嘘だってすぐバレる)
あれこれ考えながらも、目と手は必死にズボンを探していた。
福山に剥ぎ取られた後、片方の内履きとともにどこに追いやられたのだろうか。
おそらく備品類に紛れ込んでしまっているか福山の下敷きに――――?
苛立たしい思いで向かおうとした矢先、着信の振動が途切れた。
あきらめてくれた……のだろうか?
……いや。
いや、そんなはずはない。あの二人に限って。
もしそんな性格ならば今ごろこんな関係は築けていなかった。
少しでもおかしいと思ったら探し続けるはず。見つかるまで。
もうこうなったらズボンはあきらめて帰ろう。靴も荷物も気にしている場合ではない。
まだ陽は高いが、超スピードのほうでなるべく屋根の上や路地を駆け抜けていけばきっと人目にも――
「――」
錆びついた扉をザリザリと嫌な音を立てて開いた瞬間、呼吸の仕方を忘れた。
すぐ目の前に二人が――哲哉と洋海が、いた。
ずいぶんと走り回らせてしまったのだろう。すっかり息は上がり、額には玉の汗が浮かんでいる。
ちょうど外から開けようとしていたのか、中途半端に持ち上げられていた哲哉の腕がゆっくりと下ろされる。携帯を操作しようとしていた洋海の腕も同様に。
そして。
探し当てた喜びや安心感といったものから程遠い、さらに大きく瞠られた二人の目。
「あ……っ」
驚いて立ち竦んでいる場合ではなかった。
今さら遅いかもしれないが可能な限り胸元を隠して駆け出す。
足の痛みを堪えて二人の間をすり抜けた瞬間――
「逃げんな睦月! もうわかってる!」
(!?)
哲哉の制止に、凍り付いたように足が止まる。
「わかってたんだよ、女だってことは。おまえがずっと隠したがってたことも。だからもう……逃げんな」
「――」
茫然と目を見開いたままゆらりと振り返ると、怒ったような泣きそうな表情で二人が見ていた。
「足だって痛むんだろ? ……無理すんな」
幾分和らいだ表情で、二歩ほど踏み出して哲哉はそう言うが。
(知っ――ていた? ずっと……って……え?)
まさかの展開に思考がついていかない。
完全に隠し通せていると思っていただけに――
「……洋海、も……?」
掠れた声でそれだけ絞り出すと、無言でこくんとうなずかれた。
「さすがに、その銀髪はびっくらしたけどよ」
「え……」
哲哉が指し示す方向に従って出てきた倉庫を見遣る。と。
「!?」
小窓に映り込んだ自身の頭髪の――染めた黒色がすっかり落ちてしまっていた。
そうなって初めて気付く目の違和感。
いつの間にかカラーコンタクトレンズも外れてしまっていたらしい。
まるで気付かなかったことに愕然としつつ、体中から一気に力が抜けた。
「なん……で……」
「睦月!?」
その場にへたり込んで膝をついてしまったところに、二人があわてて駆け寄ってくる。
コンタクトはともかく、髪色が戻るまで時間的な猶予はかなりあったはずなのに……。
なぜ? いつの間に……?
少なくとも福山には銀色のことまでは知られている感じではなかった。いくら暗がりだったからとはいえ……。
とすると、これも先ほど落ちてしまったのだろうか。
額に手を当てて考え込んでいると――
両肩を包み込むようなふわりとした感触。
哲哉が、着ていたワイシャツを脱いで掛けてくれていた。
「目の色まで隠してたのか。だからずっと、よそよそしく逃げてたんだな……」
いつもはヘラ男の哲哉が、見たこともないくらい優しげに悲しげに微笑んだ。
「……先生、大丈夫だったかな」
そういえばちゃんと確かめて来なかった。
微かに肩が上下していたような気はするが……。
やや後悔をおぼえながら、睦月は倉庫の裏手に積まれた空洞コンクリートブロックに腰を下ろす。
「息はあったよ、残念だけどっっ」
「死んでよし。ケダモノ教師め」
すぐ隣に腰かけて息巻いている洋海と、やや離れたところに立ったままなぜかあらぬ方を向いて宙を睨んでいる哲哉。
何やら当事者以上に怒りを燃やしてくれている二人に、思わず苦笑いが出る。
いくら正当防衛とはいえ、殺人はさすがに……寝覚めが悪い。
まずは気持ちを落ち着けて、いろいろ考える必要があった。……が。
事細かに説明できない以上、こんな姿で校内に戻るわけにはいかない。
再びあの空間に入るのは死んでも嫌だったため、二人の勧めもあり、とりあえず場所を移して暗くなるのを待とうということになって今に至る。
とはいえ――
(説明できない、つってもな……)
福山の意識が戻ったら、今まで懸命に隠してきた性別がさすがに皆に知れ渡るのだろう。
そう思うとひたすらため息がもれる。
高校とはおさらばか……。
ついでに遠くに引っ越すのかな?という疑問も浮かんだが、あえて考えるのをやめた。
すでに自分だけでどうにかできる範疇を超えている。ここからはもう大人の判断や決定に従うしかない。
まあ、あとは柾貴と路代がいいようにしてくれるだろう。
少し落ち着いたらもう一度借りたいという旨を伝えて、スマートフォンを哲哉に返す。
落としてしまったことを謝り、丹念に土埃を払いながら。
「……二人とも、いつから知ってた? オレが……その」
静かで歯切れの悪い問いかけに、一瞬顔を見合わせる哲哉と洋海。
薄手Tシャツ一枚にズボンという、洒落男にしてはどこか寂しい姿になった哲哉が、うつむいてこめかみを掻き始める。
バツが悪そうに目線もズラされたままだ。
「去年……あー、わりと入学してすぐのころ……。悪い」
「――そんな早くから?」
というか、彼はなぜ謝っているのだろうか。
「て……哲くんが先に気付いたんだよ?! あ、あたしは何も……全然っ! 哲くんがあのとき保健室でね」
「ばっ……待ておま――バラすんじゃない!」
双方なにやら罪悪感めいたものを抱えているらしい。
……が、わからない。
ずっとひた隠しにしていたこちらにこそ非はあれど、なぜ彼らが急にあわてふためき出すのか。
「洋海なんて故意に抱き付こうとしてやがったくせに」
「み……未遂だったし同性だからいいんですーう! 哲くんのほうこそあれ完全に覗――」
「ば、バカ! 言うなおまえっ!」
ますます激しくなる謎の攻防を目の当たりにしながらも、あたたかく穏やかな何かが胸の内を占め始めているのを自覚する。
今さらながら知り得た事実に、不思議にも嫌な感情はまるで湧いてこなかった。
(嫌、どころか……)
知っていながら、何も言わず何も聞かず。
「……ありがとな二人とも」
すぐ近くで、ただ見守ってくれていた――
「んで……ごめん」




