ずっと見守って(2)
※下衆警報
官能表現はもちろんありませんが、下衆が出没します。
苦手な方は回避を。
派手なTシャツの上にワイシャツを引っ掛けただけだったり何連ものピアスをしたりと、各々自由すぎる制服の着こなし方をした、ある意味有名な三年生たちだ。
「あー? 二年じゃね? おまえ」
「おまえもサボり? 一緒に吸う?」
屋外倉庫をサボり場所――いわゆるたまり場にでもしていたのだろうか。
見られたのが貧弱そうな二年と知って、それぞれ平気でたばこを咥えだす。
勝手に吸ってろバーカ、関わりたくもない。
心の中でそう吐き捨てながら立ち上がり、表面上はオドオドした体を装って「い……いえ結構です。すみません、失礼します……」などと述べてみる。
下手に盾ついて絡まれでもしたら後々面倒だし、何より目立ってしまう。
笑われようが見下されようが、とにかくさっさとこの場を立ち去ろうと踏み出しかけた。
――その行く手を。
「何もそんなあわてて逃げることねーじゃん。取って食おうってんじゃねーんだから」
と、一人が下卑た笑いを浮かべて阻んだ。
「おまえさあ、金もってる? ちょっとばかし恵んでくんねえ?」
おまえー、ビビッてんじゃねーかよお。
ほどほどにしとけよー。でも出せるだけもらっちゃって!
などと、残る二人も背後で品なく笑いながら心にもないことをほざいている。
ほどほどに……穏便に済ませようと思ったのはこちらなのに。
「……」
すんなり立ち去らせてもらえないのであれば、どうしたものか。
気付かれないよう細く長いため息を吐いて、睦月は徐々に冷えていく視線で三人の男子生徒を見据えた。
「こら何してるんだ、おまえら」
突然、全開になった扉からジャージ姿の中年男性教師が姿を現した。
「げ。福山……センセイ」
「んだよお、見回りなんかしてんじゃねーよお!」
高身長でガチムチなうえに強面のこの教諭――福山は、三年の体育担当だ。そして確か生徒指導を担っていたはず。
なるほど、こんなふうにサボっている素行不良な生徒がいないか巡回していたということなのだろう。
「『げ』じゃない。おら、さっさと授業に戻れ」
不満をこぼしながらも、各々重い腰を上げ始める三年生たち。
意外に素直に退散するのだな、と思ったらわずかばかり目を見開いていた。
普段からわりと良好な関係だとか、あるいは……逆によほど恐れられてでもいるのだろうか。
ついでとばかりにたばこを没収されてスゴスゴとこの場をあとにする彼らを見ながら、いつの間にかかなりホッと胸を撫で下ろしていたのを自覚する。
どう凄まれようが集られようが怖くはないし、最悪暴力沙汰になったとしてもあんな奴らの動きなど容易く躱せたとは思う。
が、やはりできるだけ面倒ごとは避けたい。
ここにきて福山の登場はありがたい限りだった。
「ほら行ったぞ。おまえももう教室戻れ。えーと……二年の……確か体育一切禁止なやつだったよな?」
「あ、はい」
学年が違っても同じ教科指導担当内では共通認識されていたのだろうか。
「おまえもなあ、サボってこんなとこにいるからあいつらに絡まれるんだぞ」
「……す、すみません」
「あいつらに目ェ付けられるようなことがあったら職員室来いよ?」
強面ながら、面倒見がいい教師なのだろうか。
ハイ、ありがとうございます……と乾いた笑いを浮かべながらそそくさと福山の脇を通り過ぎようとする。
――――安心からの油断だった。
「つっ……!」
踏み出した右足に激痛が走り、大きくバランスを崩したところを横から支えられる形になってしまった。
「お、なんだ。ケガしてるのか。気をつけ――」
「……!」
しまった、と思った時にはもう遅かった。
あわてて後ずさりはしたものの、目の前では福山が眉をひそめて自身の腕と睦月の顔とを見比べている。
あり得ない、一瞬触れてしまった柔らかい感触を訝しんでいるらしい。
「…………おまえ」
そんなバカなといわんばかりの奇妙に歪んだ表情で再度つめよってきた福山。
そんな彼が突然、追い込んだ壁際に睦月の肩を押さえ付けてネクタイごとワイシャツの胸元を鷲掴みにかかる。
「せ、先生……! ちょ……待っ」
制止も間に合わず乱暴にはだけさせられ、ワイシャツのボタンが二つ三つ飛んだ。
そのまま引きちぎる勢いでTシャツの襟ぐりまで引き伸ばされてようやく一連の動きが停止する。
「お、おまえ……な、何でこんな……。お……女?」
上ずった声をあげてはいるが、さらしの胸元まであらわになった白い肌を福山がなお食い入るように見下ろしている。
「……とりあえず、離してください」
沸き立つ怒りを極力抑えこんで、睦月は要請してみる。
疑念を抱いたからといって、これが教師のすることだろうか。
後でどんな処分が下されようと抵抗するなりぶん投げるなりするべきだった、と心の底から後悔する。
こうなってしまった以上は後の祭りだが。
「あの……保健室の倉田先生を呼んでいただけますか? そこでお話しします……」
何かあったら親戚でもある自分の名前を出せと、常々路代から言われていた。
とうとうその日が来てしまった。
しかもこんな胸くそ悪い形でバレてしまうとは……。
このあと路代や柾貴を入れて学校側とどんな話し合いが持たれるかはわからないが、すべてを明かすことができない以上、おそらくこの地は去ることになるだろう。
ここの生徒でいるのももう終わりか。
そう思うと、望んで意気揚々とここに進学したのではないにせよ、何やら複雑な思いが湧いてくる。
深いため息とともにすっかり宙を仰ぎたくなってしまった。
――――と。
今の今まで目を見開いていた福山が、なぜか不可解な行動に出た。
出口まで歩を進めて外をひとしきり見渡していたかと思うと、
その扉を、おもむろに閉ざした。
陽の光が遮断されて薄暗さの増した空間に、奇妙な静寂が訪れる。
空気が、変わった。
「……先生?」
振り向いて、いやにゆったりと戻ってくる顔は無表情。
(いや……笑ってる……?)
じゅうぶんに近付いて初めて、その口の端だけわずかに吊り上がっていることに気付く。
反応がないばかりか不可解な表情を浮かべる福山に、違和感はますます募る。
そして、伸ばされたムッチリとした手を、今度こそ遠慮なく思いきり振り払っていた。
「触らないで――もらえますか」
湧き上がってくる言い様のない不快感。
もはや怒りを隠そうともしない睦月に、それでも中年体育教師の巨体はのっそりとさらに近付いてくる。
再度迫りくる手を叩き落としてやるも、まるで動じず福山は下卑た笑みを浮かべた。
「いいのか? 騒いだところで不利なだけだぞ?」
「は……? どういう――……痛っ!」
痛めた足首に足を掛けられ、一瞬のうちに引き倒されてしまった。
レスリングの技か何かだろうか。
「はい、静かにするー。先生の言うことは聞くモンだ。なあ?」
驚き叫ぶ間もなく、上にのし掛かってきた福山が嬉々として肉付きのいい手で口を塞ぎにかかってくる。
取られた手首も力任せに床に押さえ付けられ、その拍子に哲哉のスマートフォンも取り落としてしまった。
「……!」
壊れたりしなかっただろうか、と目だけで追うも、脂ぎった中年顔を密着する勢いで寄せられ、否が応でも意識は遮られてしまう。
「秘密にしてたってことはバラされたくないんだろう? 言うこときいたほうがいいぞお」
据わっているのにどこかギラついた眼。
次第に荒くなる息遣い。
重いうえに体臭もキツく、頬にかかる息が生暖かくて気持ち悪い……!
不快極まりない拘束からとにかく逃れようと頭や腕を振りもがいてみるが、のしかかった巨体はびくともしない。
もう少し……もっと、どうにかなると思っていた。
日々稽古に明け暮れ特異な修行に身を置く自分は、どんな下衆野郎が迫ってきても軽く返り討ちにしてやれるものだと。
(こんなケガさえしてなかったら……)
丸腰で先に押さえ込まれてしまうとどんな抵抗もまるで通用しない事実に愕然とする。
(せめて剣が…………いや何でもいい、身を守れるものがあったら……!)
口も体も押さえつけられ、くぐもった声を上げながら鋭く睨み上げるしかできない。
そんな睦月を正面から見下ろし、福山はニタリと満足気に笑った。
伸びたTシャツの襟ぐりをさらに引かれ、布の裂けた音がした。と同時に食い込んだ首の後ろにわずかに痛みが走る。
「誰にも知られたくないことなんだろう? 皆には黙っててやるから……だから、な?」
「!?」
ほどけかけのネクタイの下。
中途半端に空気にさらされた鎖骨から首筋を汗ばんだ手でなぞられ、嫌悪感がピークに達する。
ならば、と比較的自由で無事な左脚を振り上げようと力を込めたとたん、
「――っ!」
右足首を激痛が襲った。
支点となる反対側の足――痛めた部位に必要以上に力がかかってしまい、びくりと体が跳ね上がる。
「おお、そうだったそうだった。ケガしていたんだったな」
異変に気付き口から手を放してくれたかと思いきや、福山の関心は制服のズボンへと移っていた。
「大丈夫か? どうれ、診てやろう」
「せ……先生、やめ……っ!」
もがく睦月を巨体で難なく組み敷いたまま、片手で器用にベルトを外し始める。
どくり、と自分の鼓動がひときわ大きく響いた。
(な……んで、オレ……)
「なあに、心配しなくていい。この手当ても二人だけの秘密だ。――この先ずっとな」
「――」
恍惚とした表情でベルトを引き抜きズボンを剥ぎ取っていくこの生き物に、何を遠慮していたのだろうか。
身震いとともに、くらりと重々しい目眩に襲われる。
愕然と見開かれた眼が捉えているのは、プレハブの低い天井と…………目の前の獣。
腹の底でゆらりと首をもたげたのは、失望。
そしてどす黒い嫌悪感――
(このまま、こんなヤツに――?)
「さあて、痛いのはどこかなああ?」
不気味に脈打つ自らの鼓動――
矛先を求めて荒れ狂う怒り――
足首の包帯には目もくれずに、あらわになった太腿にひたりと手のひらが這わせられた瞬間。
自身の中でカチリと何かが噛み合った。
脳裏に――全身に響く脈動とともに、瞬時に増幅され肥大化した怒りが
銀白色の光波となって爆発した。




