何処より(3)
「ずいぶんケンカしたのよー」
幻でも見出しているのか、宙を睨む目にさらに力が込められた。
「女の子用の可愛い洋服買って持っていっても、『余計なことはするな』って涼しい顔して全部捨てられたりしてさ。何言ってもほんっっっと聞く耳持たず! クールぶっててホント頑固!」
ありありと目に浮かんで、やはり心から代わりに謝りたくなってくる。
今と変わらず昔からブレなかったのだということもあらためて知り得た。
「でも、あなたのことは本当に大事に想ってるし、頑張って育てようとしてたのもわかるから。最終的には『親』の決めたことに強く口出しできないわけよ。ただの『伯母』としては」
それでもチョーやり合ったけどねっ、と頬をぷっくり膨らませ、路代は両の拳にググッと力を込める。
かと思うと。
一瞬後には、何を思い出したのか、ぷはっと一気にその空気が抜けた。
「一般常識その他諸々についてはかなり気合い入れてレクチャーしたんだけど、あなたのことに関してはもともとよほどのことがない限りホントに頼ってこなかったの。――でもね」
「? うん」
睦月が三歳か四歳のころ、だったかしら……。
何やら楽し気な気配を滲ませながらも、記憶をたどって一言一言噛みしめるように話す路代。
その様子に、睦月もいつの間にか身を乗り出して聞き入っていた。
同じ年頃のお友だちを作ってあげたいと、思ったんでしょうね。
たぶん、だけどね。
髪をしっかり黒く染めてあげて、男のコ用だけどちゃんと今どきの洋服着せて。
なんと、あいつ自身も珍しく和服脱いで私が買ってあげた新品の洋服に袖を通して……。
で。お教室の無い夕方の空いた時間に睦月の手を引いて、公園に向かってるみたいだったの。
あら珍しいーとか思って、こっそり後をつけて様子を見てたらね……ぷぷっ。
『かっわいい男の子が来た!』って七、八人の子供たちに押し寄せられてあなたはびっくりして泣いちゃうし、父親は父親でやたらママたちにモテて……ベタベタ寄って来られて固まっててね。
今思い出してもホントおっかしー、と目尻の涙を拭いながら路代は笑って締めくくる。
「散々な公園デビューで、もういいやって思ったみたい」
「……モテてたんだ。なんで再婚しなかったんだろ」
「そうねえ、勧めてみたこともあったけど……。奥さんに一途だってことじゃない? 睦月がいればそれでよかったのかも知れないしね」
「……」
「私にとっても同じ」
ふいに、がらりと調子を変えて路代が真っすぐ見つめてくる。
睦月の頬にそっと両手をそえて。
「血は繋がってなくてもあなたは大事な大事な姪っ子。だから――――無事でいて。何があっても。二人ともよ?」
「……」
「だから、白状しなさい」
「え」
すごく言いづらいことでしょうけど……と言って数秒黙ってしまった路代のほうが何やら言いづらいことでも抱えていそうだ、が。
「あなたのその様子からすると、おそらく未遂だろうとは思うけど……。大丈夫よね? じゃなかったら今から病院いくわよ」
憤りや悲しみ、憐れみの色が混じり合ったような目が、やはり斬り裂かれた胸元へ向けられていた。
ということは――
「へ……? あ、いや……っ、こ、これは」
だから手当より先に着替えたかったのに……と派手に後悔した。
ケガを心配した路代が許してくれなかったのだ。
未遂ってそういうことか、とようやく合点がいったものの。
「普段男のコのふりしてようが、すごく怖かったわよね……? どこかの欲求不満の馬鹿野郎に乱暴されそうになるなんて」
どう説明したものか……。
ある意味激しく間違った方向から心配されている。
伯母の目には強姦未遂(違うけど)に怯えたか弱い少女のように映っているのだろうか?
この自分が。
嘘だろ勘弁してよ……とムズ痒くなってきたこめかみを掻きつつ、うっかり口走ってしまった。
「いや違……あれは、そういうアレじゃなくて、ただ殺されそうになった時にたまたま」
「はああっ!? こ、殺……っ」
「やべ……。いや、いやいやいや大丈夫だから。落ち着いて路代さん! そこは親父も知ってるから安心し――」
「!? できるわけないでしょ! あんたたち何やってんのよーっ!?」
一声叫んだ路代が本当に気絶寸前にまでなってしまったのは、言うまでもない。
気絶こそしなかったものの、路代が魂が抜けたようにその場にへたり込んでしまったのは事実だった。
一転して心配する立場になった睦月があわてて彼女を寝室まで連れていき、有無を言わせず休ませた。
『……ごめんごめん。大丈夫。ちょっとびっくりしちゃっただけよお』
いつもどおり軽く笑っているつもりで、冷却シートを額に乗せた彼女はそう言うが……。
さすがに「殺されかけた」などという非日常的なことを、うっかりだろうと何だろうともらすべきではなかった。
ずっとそばで見守ってきてくれた母親代わりとも言えるひとに。
猛省するが、後悔は先に立たない。
『私のことは放っといてお風呂でも……あ、湿布と包帯ぐずぐずになっちゃうか。ビニール袋かぶせてさ、うまーく気を付けて入れば――』
『うん、わかった』
『あ、睦月ご飯は? お鍋温めて、冷蔵庫の中の――』
『大丈夫。いつもみたいに食いたくなったらちゃんとやるから』
今はとにかく休んで一刻も早く元気を取り戻してほしい。
いつものように。
『もう……睦月が何と言おうと、これはきっちりアイツに報告するからね』
報告だけじゃなく一声ぶちかましてやるわ、などと威勢のいいことを付け加えて路代が笑う。
一声じゃ済まないだろうなと思いながら、やはり弱々しい笑いに胸が締め付けられる。
『ん……わかったから。それは明日にして、今日は寝て』
頼むから、と心の声が懇願する。
いつもどおりパワフルな伯母として復活したら、いくらでも報告でもケンカでもしていいから、と。
心配とひたすら申し訳ない思いから、風呂やら飯やらはそこそこに済ませ、結局ゆうべは路代の隣で休ませてもらった。
見学を始めてから何度目かのホイッスルを聞き流し、睦月は授業中のグラウンドではなく背後の――遠く校舎内にいる路代に思いを馳せた。
今朝目が覚めた時には、先に起きだして何でもない顔をして朝食を作っていた伯母。
義弟にすでに連絡を入れたのか、これからなのかはわからないが、どちらでも構わなかった。
普通に笑い合ってそれを食べ、学校までも一緒に来たが。
今も大丈夫だろうか。
本当にもうすっかり回復しているなら、いいのだが……。
大きな衝撃を与えてしまった手前、未だ心配が腹の底で燻っている。
そしてそれは、おそらく相手も同様だろう。
一夜明けて路代は何も触れてこなかったものの、思いはきっと変わっていない。
それどころか強くなっているはず。
――『何があっても無事でいて。二人ともよ?』
なるべく心配をかけまいと思って生きてきたのに、結局こうした状況になっている。
申し訳ないという思いは抱きつつ、だが、別方面ではじわじわと苛立たしさがこみ上げてきた。
そう。きっかけはあいつらだ。
ひっそりと暮らしていたところに、突然命を狙って現れた黒ずくめたち。
今回のことに関して言えば、自分たち親子にはまったく非がない――はずだ。身に覚えなどこれっぽっちもないのだから。
だが……と、宙を睨む睦月の目が困惑に歪む。
明らかに何かを知っていそうなのに、なぜ柾貴は何も教えてくれないのだろうか。
路代によって、いくつかの事実を知ることはできたが……。
謎は依然、謎のままだ。
柾貴も美野も――おそらくはあの襲撃者たちも――彼らは何者で、一体どこから来たのか。
服装も言葉も何やら時代がかった黒ずくめたちが、柾貴を『あの方』と呼んでいた。
単なる知り合いというわけでも年長者というだけでもなく……ともすれば目上の、敬われるような存在に向けられたような物言い。
それでいて睦月のことは何も知らないとはどういうことなのか。
子である自分にまで礼を尽くせとは言わないが……。
(礼を、どころか……暗殺対象って何だ?)
どういうことだよおおお、と虚しさとやり切れなさのあまり、わしゃわしゃとショートヘアを掻き乱していた。
恐怖でも動揺でもなくまず虚しさが来るあたり、「だいぶ肝が据わってきたな、偉いぞオレ」と己を褒めてやりたくなる。
この数日で奴ら黒ずくめたちにずいぶん鍛えられたのかもしれない。
――『我らを滅ぼす』
――『災いの種』
――『抹殺すべし』
――『化け物』
息子たちに睦月の暗殺を命じたというその父親とは、いったい何者だ?
まあ、誰だろうが簡単に思いどおりになんかさせないが。
宙を睨みつける目がすっと細められた。
刹那。
「――!」
突き刺さるような視線を感じて思わず振り返る。
今日、体育の見学者は自分だけだ。
他には誰も……。
そう、誰もいなかったはずの背後。
冷たい色のコンクリートが途切れた東棟の端に、微かに動く気配を捉える。
その一瞬で、視線から逃れるように校舎裏にまわりこむ黒い影が見えた――気がした。




