何処より(2)
父も気がかりだったけど、もう片方――住所不定、詳細不明のなーんか浮世離れした子連れの若い男も、うーん……何でかしら? やけに気になっちゃってねえ……。
そう言って眉を寄せ首を傾げながら、路代が急須と湯呑を手に戻ってくる。
聞けば、役所や警察に届け出て、失踪人扱いされた人物が居ないかなど調べてもらったりもしていたらしい。
が、そこはやはり一朝一夕で判明するものでもないらしく――。
おまけに柾貴は驚くほど色々とものを知らず、これはいきなり街中に放り出すわけにはいかない!と路代に判断されたのだという。
「『知らない』……って?」
一般常識とか社会情勢に疎い……とかだろうか。
横文字に弱いとかあまり有名人を知らない(というか興味すらない)とかなら今もだが。
小首を傾げて問うと、路代は首を横に振った。
「それ以前の問題よ」
大真面目な顔で、目の前に湯気の立ち上る煎茶を差し出してくれながら。
「着いた時から驚いた顔で病院内を歩き回ってたり、窓から見える夜景にぽかーんと口開けて固まってたり」
「え」
「それから……あ、そうそう。看護師が美野さんに体温計向けただけで睨まれてねじ伏せられそうになってたし。……そういえば公衆電話とか自販機も凝視してたわね」
「――」
何だそれは。
路代の口から語られる柾貴の様子が想像の遥か上をいきすぎていて、うまく思考がまとまらない。
見るものすべて新しいとか……それは、まるで……。
(まさか……)
路代が嘘をついているようには見えない。
そんな必要もないだろうし。
やたら誇張して語って聞かせているわけでもなく、もし本当にそんな様子だったのだとしたら……。
いつの間にか手元へと目線を落とし、睦月はすっかり考え込んでしまっていた。
聞いたままの動きを本当に柾貴がしていたのだと、すると。
それは、まるで……
物語でよくある、突然異世界に飛ばされてしまった系の……人間の反応……?
「――――」
一瞬にして眉と口の端がぐにゃりとつり上がり、奇妙に歪んだ。
いやいやそんなバカな。あるわけないない!と自身を叱咤しつつ一度大きくかぶりを振る。
あれはフィクション。こっちは現実。
よし。
心の中で謎の指さし確認を終えて、あらためて路代に意識を戻す。
「路代さん。その、運ばれてきた時の親父たちの格好ってさ……どんな?」
「え? あー……和装、だったような……。シンプルな。あー……でもどうだったかしら、よく覚えてないわ」
(中世洋風、中華風とかの異世界じゃなく、タイムトラベルのほうだったか……)
…………冗談はさておき。
とりあえず冗談を思いつけるくらいには、まだ自分は精神的に大丈夫らしい。
ひとまずそこだけは無理やり安心しておく。
一応言葉も通じて服装も――――路代が「覚えてない」ということは、そんなに奇抜な形状のものではなかった、のだろう。たぶん。
だとしたら、柾貴も美野も少なくとももともと日本国内にはいたということであり……。
だが、それでは。
実際のところ、どういうことなのか?
自分の両親は、どこか『現代』から取り残された山奥の小さな村からでも出てきたのだろうか。
外の世界の発展や進歩をまるで知らず、知らされず――
(いや……けどそんな場所、あるか? 今どき……)
「そんなワケだったのよ」
訝しみ、頭を抱えて唸りたくなっている睦月とは対照的に、すっかり慣れたもの、とばかりに平然と茶を啜って路代は続ける。
行くあても無さそうだし、何より一人で乳飲み子を抱えて大変そうだったし。
で、とりあえず当面は面倒みるか、のつもりでなんとなく家に連れて帰ってみたの、と。
息子を亡くして気落ちした父親の話し相手にでもなってくれれば。
可愛い赤ちゃんを見て、父が少しでも元気を出してくれれば……と、そういう類の期待も込めて。
ところが――。
「そのくらいの淡い軽ーい望みだったのに……。もう、びっくりよ。とんでもなく剣の腕が立つんだもの、あの人。どこの流派かもわからないし見たこともないような形だけど、父が惚れ込んじゃって」
「じいちゃんが……」
睦月が二歳のころに他界したと聞いている。
血は繋がっていないが、可愛がってもらったのだと。
「そう! すっかり気力を失って今にも死にそうだったのに突然活き活きしだして。大喜びで『養子にする』って。『戸籍の手続きやら世間体やらもどうでもいい!』って。もう即決もいいとこ」
祖父に関しての記憶はほぼなかったが、熱く語る路代の様子からありありと想像でき、つられて少しだけ笑うことができた。
そして。
祖父に師事してあの道場で力を積んだというわけではなく、柾貴はそこに来る前から凄かった。
新たに知り得た事実に、誇らしいような気恥しいような何とも言えない思いが湧き上がる。
「結局父も死んじゃったけど、出来のいい息子が出来て、可愛い孫の顔も見れて……。生徒さんもずいぶん増やしてもらったし、満足して逝けたんじゃないかな。本当に感謝してる」
「……」
涙ぐんで微笑まれ、胸が詰まった。
結局、記憶喪失モドキについては柾貴は絶対口を割らないな……と早々にあきらめたらしい。
生後数か月で判明しだした睦月の髪と目の色についても、なぜか柾貴が頑として受診を拒んだらしく手出しできなかったのだという。
それでも生後まもなくの乳児検査で何も異常がなかったからこそ、放っておけたのだと。
あ、これは柾貴に言ってないんだった。内緒ね?とウインク付きのいたずらっぽい笑みを向けられた。
語り始めた時から少しだけ、かしこまった……というか他人行儀ともとれるような印象を受けていたのだが。
「あの人」からすっかり「あいつ」呼びに戻っている。
安心から思わずくすりと笑みがもれていた。
遠慮なく言い争ったり静かに酒を酌み交わしたり、という姿はよく見てきたのだ。
血が繋がっていなくとも仲の良い姉弟であることは昔から感じていた。
髪や瞳の色に関しては「遠いどこかのご先祖さまに、そういう方が居たんじゃない?」と、そういえば以前から路代は語っていた。
ま、大丈夫よ、健康的には何も問題ないみたいだし。とも。
染められるのが嫌みたいで一日で色が落ちる、と伝えたことはあるのだが、路代にとっては「大丈夫。問題ナイ」と豪快に言い切れる程度のものらしい。伸びないことさえも。
頼もしくあっけらかんとしたこの伯母にずいぶんと救われてきたのだと、あらためて思い知る。
気は楽になったからといって、周囲に対する秘密がなくなるわけではないのだが。
路代は結局、実習を終えて資格試験にも通ったものの、医者の道へは進まず養護教諭になるべく方向転換した。
自分のためにごめん、と成長してから謝ってみたことがある。
すかさず「何言ってんの? 色んな資格取るのが好きなのよ。資格マニアだからね!」と豪語していたが。
優しい嘘だと……そればかりではないことくらい、わかる。
多くの秘密を抱えた姪を常に近くで見守ってくれるためだ。
血縁でもないのにそこまで心配をかけて申し訳ないという思いは未だにあるし、受けた恩は本当に計り知れない。
「なんであなたを男として育ててるのかは……うーん。頑として未だに教えてくれないけどね、柾貴。意味不明な秘密のお稽古とやらについてもね」
哲哉たちにまで見せてしまったあの裏の『修行』のことだ。
それに関しては、顎に人差し指を当てて首を傾げている路代に心の底から同意したい。
娘にさえ何も教えてくれずに何をやっているのだ、あの親父は。




