一か八か(2)
「我らが父よりの厳命である!」
突如、左後方から響いた猪突猛進男の野太い声。
(え――我ら……って)
つまりこの黒ずくめたちは三人兄弟、ということだろうか。
それともあの青年も入れて四人ともが?
いや、そんなことよりも……と睦月は思わず眉をひそめる。
(彼らの父親がオレを殺せって命令した?)
事情の一端を聞き出せはしたものの、ますますわけがわからない状況に陥ってしまった。
「……なんで? オレ、あんたらの父親に何かした? つか、誰?」
当然のことながらまるで身に覚えがない。
「兄上!! このような者は構わず斬り捨て――!」
「待て」
今にも襲いかかって来そうな後ろの猪男を制して、兄と呼ばれた目の前の男が静かに見下ろしてきた。
「ならばこちらも問う。そなたは何者なのだ?」
「……は」
もう少しで、目を見開いて「はああっ!?」と叫んでしまうところだった。
父親の命令とはいえ、殺そうと付け回し刃を向けていた相手を「実はよく知らない」とはどういうことだ。
「何故そなたのような者が、あの方と共にある?」
「――」
静かだが畳み掛けるような彼の問いに、今度こそ言葉を失った。
(『あの方』……?)
ともにいる、ということは――――柾貴のことを指しているのだろうか?
なぜ、と言われても「親子だから」としか答えようがない、が。
そういう意味の質問ではないのだろうか。そもそも『あの方』が指すのは柾貴以外の別人という可能性も……あるかもしれない。
「『あの方』……って誰だよ? っていうか『オレが何者か』って、そもそもどういう――」
「そなたは『我らを滅ぼす災いの種』」
「…………は?」
「滅びの元は抹殺すべし、との仰せだ! そして汝を討ち果たした者こそが次代の長となる!」
リーダー格の男に続いて鼻息荒く語る背後の猪男。
汝とは何だ……。話の流れからして"you"と同義なのだろうな、とは思うが。
(『滅ぼす』? 『災い』? 『長』……って)
「あんたらいったい何の話を――」
「昨夜はまんまと奴に掻っ攫われたが、今宵はそうはさせん! まったく、兄を立てるということを知らぬ奴め! さあ観念して我らの手に掛かるがいい!」
「……そう言われてもな」
混乱する頭を抱えて思わず唸りたくなってしまった。
ますますわからない。
……いや、一つだけわかった。
昨夜現れた四人目――――武器も持っていなかったあの静かな目をした男も、この男たちとは兄弟(三男か四男?)であり、やはり父親の命令で睦月を葬り去ろうとした。
つまりは同じ目的で動いていた、ということらしい。
別行動だったのは、猪男が叫んでいたとおりだとすれば、誰がこの身を手に掛けるかという点で争っていたため……?
次の『長』とやらになるために。
「……」
もしや助けてくれたのでは?という微かな期待があえなく潰えたものの、それほど衝撃は受けなかった。
やっぱりか……という思いとあきらめにも似た感情がじわじわと身体中に浸透していく。
一瞬もの言いたげに細められた瞳は、今もなお鮮やかに脳裏に焼き付いているというのに。
――が。
わからないことはわからないままだ。
そもそもこの男たちは、いったい何の話をしているのか。
どこの世界のどれだけ時代錯誤な連中なのだろう?
「それ故、解せぬ。微かな気配をたどってそなたを――災いの種を追ってきたところに、何故あの方がおられる?」
一人で喚きたてている猪突猛進男とは違い、リーダーたる年長者は先ほどの疑問にまだこだわっていたらしい。
「オレも……アンタらが何言ってんのかさっぱりわかんねえんだけど」
(災い? 誰が――? オレが? 滅ぼす? ……何を?)
堂々巡りすぎる疑問に頭痛さえ起きてきた。
「兄上、訊ねるだけ無駄かと。その者なにも答えられぬようです」
すっかり訝しげな表情をつくってしまっていたところに、それまで一言も発していなかった三人目の男が興味無さげに言葉を発した。
「早く片付けねばまた奴がやって来ます」
屈強な体格をしているわけでも、今にも突っ込んできそうな荒々しい空気を纏っているわけでもない。
おとなしげな――というよりは、ともすれば億劫とも取れるような――若い声と瞳。
おまけに線の細い体。
やはりこの黒ずくめたちは全員兄弟で、今の物言いからすると覆面ナシだったあの四人目が一番下の弟、ということになるのだろう。背は一番高かったような気がするが。
いずれにせよ、「滅びの元」だか「災いの種」だかを討ち果たして次の「長」とやらになるのが彼らの目的らしい。
討ち果たした者こそが次代の長? 兄弟間で跡目争い?
ではなぜこの三人は揃って仲良く現れるのだろう?
揃って……ということは、この三人の間においては先を争って抹殺に乗り出している、というわけではないのだろうか?
それなりに協力体制にある? 末っ子だけ仲間外れ?
それとも兄たちも我先に、と争ってはいるが行動を共にしている?
……何だそれは。意味がわからない。
(っていうか、他所ん家の跡目争いになんでオレを巻き込む……?)
そもそも抹殺の対象がなぜ自分なのか。
自分がどこの誰に何をしたというのだ。
「……で? 殺せって言われたからって何の疑問も持たずに言うこときくワケだ? オレが誰かも知らねえのに? どんだけ偉えの、あんたらの父親って?」
「我らに仇なす化け物を討つことに疑問を抱く余地などないわ!」
「化け物って……」
わけがわからないながらも地味に突き刺さる言葉だ。
やはり、この銀色が何か関係しているのだろうか。
ワイシャツの襟元を鷲掴んで、黒色に染めた髪の毛とカラーコンタクトレンズの下の瞳に意識を向ける。
微かな気配を追ってきた、と言っていた。
こうして本来の銀色を隠していても彼らには見透せる何かがある、ということなのだろうか?
(ほんっっとにワケわかんねえし……むかつく)
すっかり投げやりの色を帯びてきた疑問とともに、ふつりと頭をもたげたのは怒り。
十七年、謎の修行に明け暮れはしたが、父親と共にひっそりと生きてきた。
極力、他人とはかかわり合いを持たずに。
誰かに暗殺されるほどの恨みを買った覚えはないし、これから先どこの誰を害するつもりもない。
なぜ「災い」だの「滅びの種」だのと言われなければならない?
この銀色だって……と、睦月はきゅっと唇を噛みしめる。
好きでこんな風貌に生まれたわけでももちろんない。
そのせいでこんなふうにつけ狙われなければならないのだとしたら、理不尽この上ないではないか。
意味不明すぎて、どうしようもないほどイライラが膨れ上がっていた。
「……もういーわ」
冷めた目で黒ずくめたちを眺め、睦月は口を開いた。
それとなく重心を落としつつ、いつでも飛び出せるように足先に意識を向けて。
「いくら聞いてもサッパリなことがよーくわかった。じゃーな」
「!?」
「おのれ! 逃げるか!」
「事情が変わったんだよ。悪いな」
吐き捨てるなり、強く地面を蹴ってその場から飛び出していた。
そのままカムフラージュにあちらこちらの草むらに石を投じ、あえて木々の幹を踏みつけながらマックスのスピードで暗闇を走り回ってやる。
「むっ! ど……どこへ……!?」
意外なことに――
柾貴にはまだまだ穴だらけだと指摘されるこの程度の陽動でも、彼ら三人の目では捉えることができなかったらしい。
「待てえい! 卑怯者めが」
忽然と姿だけを消したも同然の空間に、猪男の咆哮が響き渡る。
聞くだけ聞いてさあ殺せ、とはいかなくなっただけだ。元よりおとなしく殺されるつもりもなかったが。
反撃しないとは言ったが逃げないとは言っていないし。
自分ごときのこんな撹乱に軽く翻弄され右往左往する黒ずくめたちを見つめながら、日々の修行の厳しさと緻密さを思い返し、あらためてその精度の高さに感じ入っていた。
(やっぱり……)
見えるのだ、彼らの動きが。
彼らもまた普通の人間とは違った尋常ではない動きをするが……。
とうてい柾貴には及ばない。
甘い見識かもしれないが、ひょっとしたら自分にさえ――と思ってしまう。
彼らの動きは見切れているし、足だけなら勝てる。こうして落ち着いてさえいれば。
(――これなら逃げきれる)
確信が瞳に力を宿す。
とりあえずはこの場を確実にしのぎ、何がなんでも生きて柾貴の元へ戻らなければならない。
抹殺するという相手の目的がはっきりとわかり――しかもいくつか謎も増えたこの状況で、呑気に捕まってなどいられるかというのだ。
――『何故そなたのような者があの方と共にある?』
「…………」
無事に帰りついて、そして――。
今度こそすべてを柾貴から聞き出さねば、という思いだけが脳裏を駆け巡っていた。
煌々と照る月明かりが、廃屋や木々の影を色濃く作り出している。
吹き抜けるそよ風がただやわらかに、数分前の諍いの余韻さえ拭い去っていこうとしていた。
(もう大丈夫……だよな)
どこへどう追っていったのか、三人の暗殺者たちは完全に姿を消していた。
わざわざ大回りして必要以上に四方の木々を揺らしてきた甲斐があったというものだ。
周囲にもう誰の気配も感じられなくなったことを充分に確認して――廃屋の上、じっと身を潜めていた睦月がそっと息をついて上半身を起こす。
路代の家に向かおうとしていたことなど、すでに頭の中から掻き消えていた。
(早く帰って親父に――。……けど、何からどう訊いたら……?)
逸る気持ちを無理やり抑え込みながら一歩足を踏み出し、宙に身を踊らせる。
刹那――
「!?」
地面にたどり着く寸前、横殴りに感じた凄まじい風圧。
既のところで身を翻して避けたその場所に、長い髪を後ろで束ねた背の高い影が悠然と姿を現していた。
顔を伏せ気味に佇むその男は――
「あ、アンタ……昨日の――」
昨夜と同様、頭部のみをさらけ出した黒装束の青年。
睦月の上ずった声に呼応するように、彼は落としていた目線を静かに上げた。
(四人目……!)
油断していたわけではない。
なのに――――
自身のゴクリと唾を飲み下す音がひときわ大きく響く。
(こいつ……完全に……)
姿を現す直前まで、完全に気配を消されていた――。
どこから、と見極めることさえできなかった。
息を呑んだまま、睦月は知らず後ずさっていた。本能的に体が逃げ道を探しているのだ。
気付いてたら降りてきてなんかいない。
いや……あのまま身を潜めていてもこの相手には長く通用しなかっただろう。
刃を合わせなくてもわかる。わかってしまう。
あえて殺気を纏わせた柾貴を目の前にした時のような――
そこにある圧倒的な、歴然とした力の差を感じずにはいられない。
握り込んだ甲斐もなく拳が震える。
にじみ出る汗を拭くことさえできず、ただ睦月は目の前の男を睨み付けた。
(この男はまずい……)
どんなに静かな目をしていようとも、先ほどの三人のようにはいかない――。
纏う空気が違う。
逃げなくてはいけない、のに……。
意に反して目は釘付けになる。
昨夜は手にしていなかった刀を握る青年の右手。
月明かりを映した白刃の輝きから目をそらせないまま、脳内では危険を告げるシグナルがけたたましく鳴り響いていた。