戻りこそすれ(5)
今さらですが、睦月くん(ちゃん)の自分呼び。
「俺」じゃなく「オレ」です。変換ミスじゃありません。
…………気付いてましたよね? ですよね。
脳内で、男の子役してる女性声優さんをあててお読みください。
「いや、だから…………興味ねーって」
あえて視線を合わせず、睨むように睦月は天井を見遣る。
自分的には女にフラつくことなどあり得ないし、そもそも今は本当にそれどころではないのだ。
いつまた先ほどのように狙われるかと思うと、ふわふわ色恋の気分に浸っている場合ではない。
そう。数時間前の。
あの三人の黒ずくめや、四人目のあの男にまた会ってしまったら……。
もしまた彼らが襲って来たら――
(そうだ、最後のあいつ……)
伏し目がちに、だが真っすぐに見下ろしてきた静かな瞳や、大きな手のひらで喉元を覆われた感触がまざまざと蘇ってくる。
やはり……彼も自分を殺す気だったのだろうか?
そう思うと、なぜかどうにも気持ちがざわついてしょうがない。
自分のことなのによくわからない。この不可解な感情をどう処理したらいいのかわからない、というべきか。
我ながら、どうかしてるとしか思えないが。
(確かに首に手は掛けられたけど……。でも、あんな辛そうな眼で? 本当に――?)
「お? お? その表情は今誰か思い浮かんだな? 誰だ? 誰、誰?」
「は、違……っ! う、うるせーよ、哲哉こそどうなんだ!」
「俺? 俺はねぇ――――秘密」
「あっそ。ま、いーけど」
「ええええ、反応薄っ! そこはツッコんで訊いてくるトコだろ!」
「いや実はどうでもいい。さ、寝るぞ」
秘密と言っておきながら訊いてほしかったのだろうか。
なんと面倒くさい男だ。
時間的にも気分的にも余裕がある時なら、してやらないでもないが。
睦月クン冷たい……などとつぶやいて泣き真似する友人を軽くあしらい、今度こそ背を向けてやる。
もうこれ以上の長話はいよいよ睡眠に支障が出ると判断してのことでもあった。
「――けどおまえの話は別だからな?」
「――」
ふいに落とされた静かなセリフに、身動きせぬまま目を瞠る。
「何かあったら言えよ? ちゃんと見てっからな、俺も洋海も」
「…………」
「え、嘘……もう寝た? 早すぎじゃね?」
こっちも寝つきよすぎ……と苦笑いしてモソモソと布団に潜り込む気配を、洋海の向こうから背中に感じる。
そのまま微動だにせず数分をかけて――
やがて。
二人分の寝息が規則正しく暗がりに響き渡るようになってから。
そろりと首を持ち上げて彼らが完全に眠りに落ちているのを確認し、ようやく仰向けに戻した体で布団いっぱいに伸びをする。
「……」
ごく小さく安堵の息をつきはしたものの、
(オレのことなんて――――言えねーんだよ……。隠しごとも殺されそうになったことも、ワケわかんなすぎて。……危なすぎて)
頭の中では今日の――保健室に逃げ込む前に感じたような罪悪感と居たたまれなさが、しつこく駆け巡っていた。
◇ ◇ ◇
確かに、哲哉が言うように「いい親父」だとは思う。
それについては異論はない。
だがしかし……と、鼻息荒く睦月はコンロの火を消した。
味噌汁の鍋からふわりと湯気が立つ。
あれほど頼んでもこんな重大事に直面しても結局何も教えてくれず、言うに事欠いてか「危ないから学校へもしばらく行くな」というのはあまりに横暴ではないのか。
一夜明けても当然イライラと不信感は収まらず、予定どおりしっかり(?)言いつけに背いて登校することにする。
見つかるとうるさいだろう二人はもちろん自分の部屋に残したまま。
おそらくまだ夢の中だろうが。
まあ……性格的に自分がこう出るだろうということは、あの父親には当然お見通しかもしれない。が。
これは絶対折れてなんてやらん、という意思表示でもあるのだ。
気付かれているだろうからと逃げるように予定を変えるのも癪ではないか。
(これで――親父はどう出る? 今度こそ話してくれる気になるだろうか? それでもダメなら…………次はどうする?)
けっ……と思いながらも、ちゃちゃっと用意した三人分の朝食にしっかりラップをして、睦月はそろりと家を出た。
◇ ◇ ◇
「え? ……うん。……それは構わないけど……。はあ?」
学校に着くなり直行した保健室の前で。
何やら機嫌の悪そうな話し声がもれ聞こえてきて、睦月は思わずノックしかけた手を止める。
話し声、というよりは……。
どう耳を澄ませても女の声が一人分。
それも変に間を挟んで、時折ため息まで織り混ぜて。
ということは……と、そろりとドアを引き開けると、やはり室内には白衣姿の彼女ひとり。
この高校の養護教諭であり睦月の伯母にあたる倉田路代である。
電話で誰かとやりあっているらしい。
そして十中八九その相手は――
「だから……それはいいけど理由くらい教えなさい――……って、あーもー!」
一方的に通話を切られたのか、忌々しげに携帯電話がベッドに投げ込まれた。
盛大な舌打ち付きで。
やれやれと肩をすくめ、今度は堂々と音を立てて入室すると、いつもどおりけろりとした伯母に振り返られた。
「ああ睦月、おはよう」
「……もしかして、親父? 今の」
「そう。何よケンカでもしたの? 『今日もしかしたら泊めてくれって行くかもしれないからよろしく』って」
「――」
そこまでお見通しということか。
というか、他に泊まれる所なんてないが。
そうかもとは思っていたが、あまりに予想どおりすぎる手の回され様にイラッと度がさらに上昇した。
「ついでに夜は絶対一人にするな、目を離すな、って……。何なのアレ?」
「…………。いや、ちょっとね。ってワケで行っていい? 伯父さんの邪魔になんないかな?」
「大丈夫よ、今日も帰って来ないから。それは全然構わないけど……。問題はあいつよっ! 事情を話してやろうっていう親切心とかなんで湧かないのっ? 説明義務なんかあるはずがないとでも思ってんのかしら?!」
「お、落ち着いて……」
「偉そうにひたすら秘密主義に走るとこがムカつくのよっ! 姉を何だと思ってんのよー! 少しは心から頼れー!!」
「……不肖の父ですんません……」
思った以上に腹に据えかねているらしい。
代わりで済むならいくらでも謝罪してやろうと心底思った。
どうしてる?ちゃんと食べてるの?などと、すでに嫁いで家を出ているのにもかかわらずこうして事ある毎に自分たち二人を案じてくれているような伯母だ。
それどころか、色々な資格やツテを総動員してか中学、高校と上がる度にこうして――他者に多くの秘密を抱える自分をより近くで見守ってくれている。
子供がいない分、なおさら可愛がってくれているというのもあるのだろうが。
路代には本当に頭が上がらない。
「そうだ伯母さん」
「何だと?」
「すいません……路代さん」
久しぶりの失言にヤ、ヤバい……というつぶやきまでもらしてしまい、さらにひと睨みされてしまった。
「響きが気に食わない」と、昔からそう呼ばせてもらえないのだ。
本人の前以外では普通に「伯母」呼びしているため、ついうっかり出てしまった。
「え、えーと何か知ってるかな? よ……さ、三人くらいの男でオレに――うちに用があって訪ねてきそうな誰か――って。心当たりとか、あったりする?」
「三人……? いいえ、知らないけど。……何かあった?」
「あ、いや……じゃいい、うん。オレの勘違いなだけかも」
「ちょっとお、何か危ないことしてんじゃないでしょうね?」
「んー、オレはそんなつもりないんだけど……」
ちょっと一方的に命を狙われてさ――などとはやはり言わないでおく。
ただでさえ心配性な伯母だ。
「秘密のお稽古もほどほどにしときなさいよ?」
普通ではない裏の「修行」のことだ。
哲哉と洋海の他にこの路代だけが知っている。
「そうだ。こないだ誕生日だったわよね。十七歳か、あっという間ねえ。おめでとう」
「……別にめでたく」
「おめでとう!」
「…………ハイ。アリガトウゴザイマス」
レンズ越しにキラリと光る眼と笑顔が恐い。
なぜだろう。
「ところで、睦月まだなの? アレ」
「え……ああ、うん」
アレとは、あれだ。
女性に約二十八日毎にやってくるという例のお客様のこと。
どうにも心配らしく、中学を卒業するころから頻繁に出てくるようになった質問だ。
「ちょっと遅いわね……。こんな格好してんのが何か影響してんのかしら」
おもむろに眉根を寄せて路代が制服のズボンをつまんでくる。
要は「こんな男の格好をしてるから、精神的に何か影響が?」と心配しているのだ。
そう。
つまり――今月が遅いとかいう話ではなく、一度もそのお客様とやらを迎えたことがない、いわゆる初潮がまだという状態を、こうして最近は特に顔を合わせる度に露骨に心配してくる。
「いや……でもいいよ別に。むしろ始まっちまったら、うざったくて大変そうだし」
「そういうわけにいかないでしょ。どんな格好してようが女の子なんだから」
(いや、だから……対外的には男なんだってば……)
言っても路代の心配が収まらないのは目に見えているため、いつもこうして心の声だけでつぶやくことになる。
今後も男として生きる以上、必要ないものであると思っているし、それどころか確実に邪魔な部類に入ると踏んでいる。
どうにか人目にふれないよう棟や階を変えて駆け込んでいるトイレ(用心を重ねてちゃんと男子トイレの個室を使っている)も、今よりもっと面倒くさいものになるだろう。
なんと言っても男子トイレには汚物入れがない。
生理の度に学校を休むというわけにもいかないし、心配なら見張っててやるからそこの職員用トイレに来いと路代は言ってくれてはいるが……。
いや、絶対誰にも怪しまれず目撃もされずに毎月毎月そんなこと――――できるわけがないではないか。
いったいどんな噂が取り沙汰されるかと思うと、考えるだけでどんよりと頭が痛くなってくる。
……やはり「まだ」どころか、「永遠にナイ」ままでいい。
腹が痛い辛い不快だなどという声もたまに聞こえてくるし、ごまかす手間も増えないに越したことはない。
それはさておき。
現時点での頭痛の原因をまず何とかせねば。
直接命の危険にさらされてる問題と対処のほうだ。
せめて狙われる理由でもわかれば、どうにか手を打てないだろうか。
そう睦月は考えていた。
もしかしたら一戦も交えずに回避できるかもしれないし、と。
そんなたまたま浮かんだご都合主義的な思いが、自身の中では次第に現実的なものとして大きくなりつつある。
柾貴は教える気ゼロ。
路代は知らない。
となると残る手段は――
(……あれしかないか)
危険な賭けだとは思う。
知る前にあっけなく命を落とすことになるかもしれないが。
始業時間が近付き、生徒や教職員たちの気配が校舎内に漂い始めたころには。
睦月の中でひとつの、無謀としか思えないような覚悟が固まりつつあった。