戻りこそすれ(3)
「ちっきしょー……あんのクソ親父ぃぃ」
もらしたつぶやきに、輪唱か?というタイミングで腹の虫が鳴った。
親父がその気ならこっちだって!
話してくれる気になるまで口聞かん! 命令も聞かん! 修行だってもう知らん! メシも(目の前では)食うもんか!
――という思いをすべて込めたかなり人相悪な一睨みを柾貴にかまして風呂場に直行し、出るなり今度は大仰にシカトして二階の自室に立てこもり、早二時間。
最後に固形物を口にしてから約十時間ではさすがに腹の虫が痺れを切らすというものだ。
「うう……腹減ったあぁ」
引き止める哲哉と洋海の言うこと聞いて(親父ではなく!)素通りせず何か一口だけでも食ってくりゃよかった、とは思うが後悔先に立たず……である。
張り切って用意してくれたのだろう夕食の品々(スペシャルバースデーメニューと称されただけあって、そういえば普段より豪勢に見えた)を思い返し、またもや腹の虫を触発してしまった。
「あいつらにも悪いことしたな……」
急に無理やり引っ張って来ておきながら、飯を作らせるだけ作らせておいて相手もせず、親父が気に食わんと拗ねて半立てこもり状態――。
な、なんて最低なんだオレ……と自己嫌悪と空腹でガックリ項垂れた頭部は、しかしすぐに浮上した。
でもまあ、洋海は親父に会えてウハウハだろうし。
哲哉は…………それなりに旨いもん食えたことだろう、よかったじゃねーか、うんよしとしてもらおう、と半ギレ状態の頭で無理やり自らをも納得させておく。
先ほどまで聞こえていた階下での談笑が、いつの間にか止んでいた。
さすがに遅い夕食はお開きにして、風呂なり寝支度にでも入ったのかもしれない。
大きく息を吐き、戻ってくるなり敷いておいた布団にごろんと仰向けになった。
「…………」
低レベルな反抗だと、わかってはいる。
が、今度ばかりは絶対何があっても先に折れるつもりはなかった。
何が何でも柾貴の口を割らせねばという決意は、意味不明な先ほどの修行後、さらに固くなっている。
何といっても命が懸かっているのだ。
この期に及んでまだ隠し通せると思われているのも腹立たしい。
家から出なければ済む問題なのか、本当に?
もしここにまで押し寄せて来たら?
さっきの連中ばかりでなくもっと数を増やして襲って来たら?
不安がよぎるのは力が足りないから。
そして何もわからないから。
先ほどの立合でも何を望まれ、何が至らなかったのかも結局わからなかった。
……本当に何もわからない。
なぜ教えてはくれないのだろうか。
どれだけ危険でヤバそうなのかは身をもって知った。
かくなるうえは全部ぶっちゃけて防御策対抗策とやらもガッツリ仕込んで、心して備えよ!としてくれたほうが……よほど自分を守ることに繋がるのでは?と思ってしまうのだ。
守りたいという想いだけは、相変わらず伝わってくるものの――
取り付く島もない後ろ姿を思い返し、ため息がこぼれる。
知ってるけど言わない理由とは何だろう。
言いたくない?
――言えない……?
「むーつきっ」
「おーい、入っていいかあ?」
悶々とした思考に喝を入れるタイミングで、廊下から明るい声がした。
「おー……開いてるぞ」
開いてるも何も、ただの襖だが。
低いテンションのまま仰向けの姿勢を変えずに応えた声が聞こえなかったのだろうか。
襖一枚隔てた向こうは静まり返ったまま、何の反応もない。
「?」
どうしたというのだろう。
初めて部屋に入るわけではないし、今さら遠慮してるわけでもないだろうに。
というか「おまえら絶対『遠慮』って言葉知らねーだろ」と確信をもって言えるような二人なのに。
待てどもなかなか開かない襖を、思わず身を起こして見遣る。
「睦月、開ーけーてー」
「? おまえら何――」
立って行ってカラリと開けてやると、両手の塞がった二人が満面の笑みで立っていた。
「はーい、ご飯のデリバリー! ケーキもねっ」
じゃーんと洋海が効果音付きで掲げたのは、おにぎりと色とりどりのおかず、飲み物、ショートケーキが所狭しと並べられたトレイ。
「ごめんね遅くなって。お腹空いたでしょー」
重いんだから早く置かせてと言わんばかりに、ぽかんとしたままの睦月を押しのけて洋海が入ってくる。
後に続いて当然のように目の前をすり抜け入って行く哲哉を何気なく見送りかけて、
「ちょ……待て待て……っ! デリバリーはともかく、哲っ。おまえが持ってんのは何だっ?」
「ふとーん」
「ふとーん、じゃねー! 待てこらっ……な、なんで」
あわてて高い位置にある首根っこをひっつかもうと手を伸ばすも、嬉々とした軽男にひょいとかわされた。
「俺らもここで寝ようと思って。なー?」
「ねー?」
唖然とする睦月をよそに、二間続きの客間に確かに出してきたはずの布団を広げ、各々セッティングに取り掛かっている。
「はああああ……っ!? お、おまえら何バカ……ま、待て、敷くなこらっ!」
「えー、いいじゃーん。せっかく初のお泊りできるんだから。別々の部屋なんてナイナイ。修学旅行みたいで楽しーい!」
「楽し……って、そんなつもりで泊まれつったんじゃねえ!」
「もぉ睦月うるさーい。何か困ることでも?」
「ふ……ふ、ふ普通に困るだろ! お、洋海、女だろーが!?」
そう言う自分も女なので実のところまったく問題はないのだが、状況としてはあり得ないだろう、普通は。……普通は!!
声が裏返りそうになるほど驚きあわてふためく睦月を、ふいに、シーツを折り込む手を止めて哲哉が見上げてくる。
「じゃあ俺だけならいいか?」
「う…………だ、ダメだ……っ」
客観的にはアリでも実情としては一番よろしくないパターンかもしれない。
「じゃ、あたしだけならいい?」
「……いいわけねーだろ」
「ほらね、三人が一番。決まりっ」
「…………っ」
少しも腑に落ちない、えらく納得のいかない洋海の言葉で、なぜか締め括られてしまった。
「信じらんねぇ……」
何だ、このあり得ない思考の生き物たちとワケわからん状況は?
何やら楽しそうに枕カバーをセットしている後ろ姿に、がっくりと肩が落ちる。
(……しょーがねえ。二人が目ェ覚ます前に起き出して染めに行くしかねーか……)
そもそも気が張って寝られやしないだろうな、とは思うが。
あと数時間は黒色を保っていてくれるであろう髪の毛をグシャリとかき上げ、意識は首から下にも向かう。
(っていうか……風呂の後も念のためさらし巻いたままにしといてよかった……)
なんとか苦肉の打開策を打ち出すとともに心から安堵のため息を吐き出し、睦月はのろのろと襖を閉ざした。
「睦月たちでも親子喧嘩するんだね」
八畳弱のスペースに無理やり三組敷いた布団の上で、体育座りをやや崩した姿勢の洋海がつぶやいた。
寝間着代わりにと渡してやった中学時代のジャージに身を包んで、遅い夕食にありつく睦月を眺めている。
「ちょっと意外」
「そーか? 普通だろ」
布団を避けたわずかな隙間で、運んできてくれた食事を平らげ、さてケーキはどうするかと悩む。
結局バースデーケーキの予約はできず、この際ホールなら何でもいいと駆け込んだケーキ屋のショーケースもほぼ空だったため、コンビニのショートケーキを四人分買ってきたということらしい。
「つってもオレが一方的に怒ってるだけだけどな。…………うっ」
折角だからと一口だけ含んだ生クリームは、思った以上に甘かった。
「…………これ、親父食わなかったろ?」
「やっぱり柾貴さん甘いの駄目なんだ? 無理して食べそうだったから、取り上げて哲くんに押し付けた」
甘いもの――に限らず、濃いめだったり刺激の強すぎる味なども好まないのだ、昔から。
カレーも極甘にしてようやく食べられるといった具合だ。
父親のそんな味覚に合わせて食事を作っているうちに、何となく睦月自身も薄味嗜好になっていた。
「睦月も無理そうなら残して?」
「いや……無理ってほどじゃ……」
絶対に受け付けないというわけでもないので、可能な限り生クリームをよけてスポンジだけを口に入れてみる。
激しく後悔した。
「……………………やっぱ甘ぇ。哲、任したっ」
すでに洋海の向こうに寝そべり、上半身だけ布団から出して枕に頬杖を付いている哲哉の前に、カチャンと小皿を押しやる。
えええぇ俺様ブタになったらどーするよ、と唸りながらも哲哉はフォークを手に取った。
行儀悪く横たわったまま、片付けてくれるらしい。
「けど、キレてハンストに走るなんて見かけによらずワイルドだね睦月クンは。俺様びっくりーい」
「本気じゃねーよ」
口直しに大量の水を飲み下し、憮然と哲哉を見下ろす。
後でこっそり食いに降りるつもりだったのだ。
「……親父、何か言ってた?」
「『心配いらない。腹が空いたら降りてくる』って、そりゃもう穏やかなお素敵な笑顔で」
甘さをものともせず三口でケーキを完食した哲哉の言葉に、お見通しかよ……とついげんなりと宙を睨む。
確かに、いくら事の真相を知りたいからとそんなこと(ハンスト)に及んでも、あの調子では柾貴もそう簡単には折れないだろう。
そのまま貝のように口を閉ざされては、再び襲撃で危険が及ぶより先に空腹で倒れかねない。
フラフラでろくに修行の成果も発揮できず、結果的に何も知らされないうちに敗れてあの世行き――ということにでもなったら本末転倒もいいところだし、これまでの苦労と努力の一切が水の泡だ。
それこそ死んでも死にきれないというものだろう。
何としても体調だけは万全に調えておかなければならない。
(そうだ……死にかけたんだよな)
時折ふっと忘れそうになるが、そう言えばいつまた刺客に襲われるか――殺されかけるかわからない身だったと思い出す。
一応そう自覚はするが、まだどこか他人事のようにも思える。
ぼんやり視線を宙に彷徨わせたまま微かにため息をこぼした。
月明かりに照らされて不気味に輝いた刀も。
鞄越しに斬りつけられた衝撃も。
あの青年に抱えられて駆け抜けた風の感触も……。
つい数時間前、すべて実際この身に起こったこと。
心の奥底でよほど柾貴の存在を頼りにしてしまっているのか――それはそれでかなり癪だが――、本来ならば無事家に帰り着けたからといって、こうして呑気にケーキなど突付いていられない状況のはず。
脳天気でしつこくて意味不明な二人のおかげで気が紛れているというのもあるだろうが、案外自分は図太いのかもしれない。
よく言うと冷静ということか。
いずれ危険な目に遭う、と前々から覚悟ができていたことも確かにこうしていられる要因の一つなのだろうが。
それとも、今日一日でいろいろありすぎて頭のネジ数本飛んだか。
知らず笑みを形作っていた口元を隠すように、さらに一口水を含む。
どちらにしても、今さらビビってあわてふためいたところで状況は何も変わらない。
かと言って、あきらめて何もせず素直に殺されてやる義理もない。
どうしたものか。
柾貴が教えてくれないのならば、他にどんな方法があるだろうか……と神妙な顔つきで宙を仰ぐ。
――と。
「あーまた顔に傷つくってるー」
洋海が、目ざとく見付けた頬の傷を指差してきていた。