戻りこそすれ(1)
「やあ、いらっしゃ――」
庭先ににぎやかな気配を察した柾貴が、子等の帰宅を出迎えようと玄関に顔を出してきた。
が、言葉半ばでその目が瞠られる。
「こ……っ、こん、ばんは。お、おじゃま、し……ます!」
「す、すいません、夜分……にっ」
ばたばたと駆け込んで来るなり、息も絶え絶えに上がり框に突っ伏す友人二人。
その後に頻りに背後を気にかけながら睦月が滑り込み、ピシャリと引き戸を閉じる。
施錠してようやくわずかに安堵の息をついたものの尚も固い表情を崩さずにいる我が子に、父親は静かにその顔付きを変えた。
「――何があった?」
「…………」
「あ、あのっ」
応えようとしないばかりか心なしか怒っているような表情を柾貴に向けるだけの睦月に、まずいと思ってか洋海があわてて間に入る。
「よ……よくわかんないんですけど、睦……月が、とにかく走れ……って、けほっ」
「なんか……危険がどうの……って。っていうか、終いには『今日は泊まってけ』とか、言ってますけど……い、いいんスか?」
咳き込んでしまった洋海の代わりに哲哉が後を引き継ぐが、バテ具合では大差無く、同様にまだまだ息は荒い。
これでもかと急かされ追い立てられ、これ何かの特訓!?と幾度も叫び抵抗しながらもかなりの距離を走らせられたのでは無理もないが。
「――『何があった?』じゃねーよな、親父?」
「……」
二人に比べたらまったくと言っていいほど息もあがっていない睦月だったが、帰り着くころにはすっかり不機嫌になっていた。
もちろん自覚もある。
結局とんでもなく危険な目にあっただけで、誰の声も一言も聞いていない。あんなに人数いたのにどういうことだ! 狙われる理由もわかんねーままじゃねーか!
……と理不尽極まりないことに気付いてしまったのである。
一番身近にいて絶対に何か知っているはずの柾貴が勿体ぶらずに話してくれていたら、避けようもあっただろうし反撃もできたかもしれない。
どこまで通用したか、はわからないが。
暗くなったら送れ云々とだけ――しかも自分にではなく友人にだけ――言い置かれて、危うくわけもわからないまま殺されるところだったのだ。
これで怒り狂うなと言われても無理な話だ。
それでよく生き延びろあきらめるな、などと言えたモンだな、えぇ?!という思いを込めまくってのガンくれだったのであるが。
「洋海。悪いけどメシの仕度頼んでいいか? ちょっと親父と道場籠るわ」
もう今日こそは何が何でも聞き出してやる――
静かな表情で視線を返す父親を睨みつけながら、決意を新たにする。
「ま、まっかして。スペシャルバースデー……メニューのつもりで、買って、きたから……むしろ睦月には見られてない、ほうが」
「悪い」
「じゃあ……ほらっ哲くん。始めよー」
「えぇ? 俺も?」
「何か言った? 『働かざる者ー……』?」
「食いますやります働きますうぅぅぅ」
両手に鞄とポリ袋を提げ、二人がにぎやかに勝手知ったる奥の台所へと踏み入っていく。
それを完全に見届けてから、おもむろに柾貴が口を開いた。
「来たのか?」
「――」
やはり……。心当たりがあるどころではなく、すでに相手の見当もついているのだ。
睦月はそう確信する。
そしておそらくは、急襲そのものについての予見さえできていたはずで――。
微かに目を細め、挑むように柾貴を見上げた。
「『来たのか』って……――誰が?」
「……」
「まだ言えねーか? コレでも?」
静かな表情で黙りこむその眼前に、帰り途で回収してきた革鞄をずいっと突き出してやる。
切り口を見せ、とんでもない事態に見舞われたことを即座に知らしめるために。
何によって切り裂かれた跡か、この父親がわからないはずはないのだから。
「……こんなに危ねーのに、なんで二人に一緒に帰れなんて言ったんだよ?」
「逆だ。あの子らが居れば手は出さない」
穏やかな口調のまま言い切った柾貴に一瞬言葉を失い、ますます眉をしかめる。
「…………何を知ってんだよ、親父? あいつら誰なんだ? もう今日こそは全部話――」
「幾人来た?」
「え……」
静かに切り返され、思わず上ずった声をあげてしまう。
「よ……さ、三人……」
四人目の――最後のあの青年はやはり違うのでは?……と、どこかまだ信じ切れない自分がいる。
苦しげな、あんな辛そうな表情で自分を手に掛けようとしていたとは、どうしても思えなかった。
なぜかと問われてもわからないが。
「それだけか? どんな者たちであった?」
「顔は……隠してたからわかんねえ。黒ずくめの忍者みてーな男たちで……みんな刀持ってて……。んで、動きがやたら速かった」
ぽつりぽつりと慎重に言葉を紡ぎだす睦月の話に、怪訝そうに眉根を寄せていた柾貴が、何かに思い当たったのか静かに踵を返した。
「行くぞ」
「え」
「時間がない。とにかく――話は後だ」
「親父……!」
静かだが低く抑えられた声が言い知れない緊張感を呼び起こす。
すでに足早に道場へ向かっている父親のどこか切迫した空気を感じさせる後ろ姿に、食い下がりかけた言葉を飲み込んだ。
確実に何かが動き出しているのだ。未だ自分には何も知らされぬまま――。
何か尋常ではない事態が起きていることだけは感じられた。
(確かに……今のままじゃ駄目だ)
進み行くその長身の背中を目で追いながら、不意打ちとはいえ為す術もなくあっさりと三人に囲まれてしまった先ほどの失態を思い返して、強く唇を噛みしめる。
そうだ……今より少しでも力をつけておかなければならない。
次に襲撃を受けたときのために。
彼らにまた遭った時のために――。