襲撃(4)
背中までのクセのない黒髪を後ろで一つに束ねただけの、目鼻立ちの整った青年――。
三人と同様、時代劇に出てくるような忍者ばりの黒装束を纏ってはいるが、一見したところ刀も何も――武器となりそうな物は――持っていないように思える。
(じゃあやっぱり……助けて、くれた?)
自分を狙ってきたわけでは――奴らの仲間ではない、ということだろうか?
だが、その見た目と常軌を逸した身のこなしはどう考えても連中と同じ類いの――
「……誰……?」
思わず声にしてしまっていた。
訝しげに、探るような顔つきで。その漆黒の青年を見上げたまま。
無理やり振り絞ったような微かな睦月の声に、ようやく状況を思い出したとばかりに青年が正面の高い位置からゆったり見下ろしてくる。
真っ直ぐに見交わされた視線。
髪と同じ黒々としたその瞳が、なぜかわずかに伏せられ細められたような気がした。
痛々しげに。
そう思った時には――
「え……」
黒装束と手甲に覆われた青年の右手が、ゆっくりと睦月のワイシャツの襟元に近付いてきていた。
ごく微かに、震えているようにさえ見える。
見上げた先には、静かな……だがわずかに翳りを帯びた瞳。
(まさか……)
そのまま塀に身体を押しつけられ、二の腕を掴む左手にも力が込められる。
同時に、大きな手のひらが包み込むように喉元を押さえ込んできた。
「ちょ……っ、何す――!」
「え、睦月?」
ふいに、聞き覚えのある脳天気な声が遠くで響いた。
背にしたブロック塀の、さらに向こうから。
「うそー哲くん、どんだけ妄想ー?」
「マジか……。声したと思ったんだけどな」
まだ距離はあるがこちらへ向かってくる人間の気配に、別段驚いた様子もあわてた様子もなく、黒ずくめの青年はそっと喉元から手を離す。
続いて、二の腕を鷲掴んでいた左手を。
そして。
未だ信じられない思いで目を見開いている睦月に、一瞬だけ、感情の読み取れない静かな視線を向けてきたかと思うと――
青年はそのまま……現れた時と同様、瞬時に闇夜に姿をかき消した。
ただ一陣の風を残して。
「――」
解放されたポーズのまま、凍りついたように動けずにいた自分にハッとする。
暗い敷地内にすぐさま視線を彷徨わせてみるものの、目の前で消えたも同然のあの速さを当然追えるはずもなく……。
ブロック塀にもたれかかったまま、気付けばずるずると座り込んでいた。
(首、を……?)
結果的に、力を込められ絞められるまでには至らなかったが、もし哲哉たちの声がしなかったら……誰も通りすがらなかったら――。
そう思うと今さらながら身震いが起き、強く下唇を噛んでいた。
(方法は違っても、結局は……今のヤツもオレを――?)
震え出した両手を抑えこむようにネクタイごと襟元を鷲掴み、そのまま思わず自分の肩を抱きしめる。
助けてくれたのではなく、あの青年も……この命を狙って現れたということだ。
どこか信じ難い、納得しきれない要素も残されていたものの、状況的に見てもそれは明らかなはずであり――。
(でも…………でも、え? あんな表情で?)
静かに見つめてきた漆黒の瞳を思い返すと、疑う気持ちがぐらつく。
先に現れた殺意もあらわな三人とは対照的な表情だった。
一瞬辛そうに迷うように歪められていた。
……そう見えたのも、気のせいだったのだろうか……。
眉根を寄せて考え込みながら、未だ包み込まれた感触の残る喉元にいつの間にか震える右手がたどり着いていた。
「あれっ! 睦月ホントにいた!」
角を折れて姿が見えるなり、洋海がぱたぱたと駆け寄ってきた。
「だから俺サマ言ったじゃねーかよ、声聞こえたって。…………つか何やってんだ、こんなトコで?」
路面にへたり込んですっかり目を見開いている睦月を、追いついた哲哉も腰を屈めて覗きこんでくる。
「……おまえら、なんで来るんだよ……」
「えー、お家行くって言ったじゃん! さっきだって『待って』って言ったのに睦月が」
「駄目だ、帰れ」
スーパーの袋を高々と掲げて口を尖らせる洋海を、顔も上げずにピシャリと遮る。
「えー……」
「今すぐ帰れ。頼むから」
「待て待て待て。どーした睦月? 落ち着いて順番に話せ、なっ?」
つれないのはいつものことながら、「頼む」などと殊勝な言葉が出るほどどこか余裕のない睦月の様子に、哲哉が思わずしゃがみこむ。
「とにかく……危ねーんだよ。落ち着いてなんか――――!」
同じ目の高さから間近に顔を覗き込まれていたことに気付き、あわてて視線を振り切るように立ち上がった。
色を変えて隠しているとはいえ、暗闇に助けられてるとはいえ、こんな状況でも間近に見られると……少なからず不安になる。
どこか見透かされているのだろうか、と。
性別や他とは違いすぎる容姿のことが、バレてやしないかと。
(いや……違う。それよりも……そんなことよりも、今は――)
よりによってこんな危ない状況下になぜこいつらは……と、混乱しきった頭を抱えるようにぐしゃりと前髪を掻き上げ、踵を返して歩き出した。
「お、おい睦月?」
「危ない……って何が?」
とにかく離れなければ、という一心で、振り返ることもせず無言のまま速度だけをあげて。
哲哉たちの声と気配に、最後のあの青年は姿を消したが……。
その前の――三人の黒ずくめの男たち。
もしまた彼らが現れたとしたら、同じように身を引くとは限らない。
そうだ。
すんなり引き下がるとは……とうてい思えない。
三人とも刀を手にしていたし普通の目撃者の一人や二人現れたところで、さして痛手にはならず身を引く必要もないはず。
それでなくとも――仲間割れか何か知らないが、もう少しで仕留められそうだった獲物を四人目に突然横から掻っさらわれたも同然な状況だったのだ。
きっと躍起になって、今ごろ……。
「――――」
思わず歩みを止めて、周囲に目を凝らす。
もしかしたら今現在も、殺気をみなぎらせてこの自分を探しているかもしれず。
それどころか……。
ふと思い当たった可能性に、一瞬で血の気が引く。
「……いや、いや待て。駄目だ」
今さら中途半端に離れて、もし二人にまで危険が及んだら――。
彼らの力を計りきれていない以上、ここまでも後をつけられていないと断言できる状態ではなかったはずだ。
何をのんびり呆けていたのだろうか、自分は。
またしても悟ってしまった失態におもいきり顔をしかめ、足早に二人の元へとって返す。
「駄目だやっぱ一緒に来い。帰るぞ。今すぐ。超特急で親父ンとこに。そんで今日は泊まれ」
「え、ええええええ! どうした突然!?」
「うそーーーーー! 今日どうでもいい下着で来ちゃったのに!」
「妙な期待も心配もすんな。寝るのは全員別々の部屋だ」
「そ、それって……泊まる意味とかアリ?」
「いいから、早く」
引ったくるように洋海のポリ袋を引き受け、厳しい顔付きで辺りを見回しながら進み行く睦月に、およ?と哲哉が目を向ける。
「ところで睦月、鞄は?」
「落とした」
「……はあ?」
そうだ、もう使い物にならないだろうがアレも拾って帰らなければ……。
意を決して、睦月は鋭く前方を見つめた。