第一話 <大会社の勢力争いなんて勝手にしてれば!>
中崎は中井部長に連れられ、四ツ橋の第一フラワービルへ向かった。
初日であるにも関わらず、いろいろ話が錯綜し、昼一時に来てくれという事になった。
この八階建てのビルは、カスミフラワー商事という上場会社の自社ビルで、カスミフラワーは明治時代に花屋から創め、今は花とは全く関係なく、機械やプレハブから食品までの卸売りと物販で、年間五千億円ほどの売り上げを計上する一部上場企業だ。
ビルの外観は真っ白いタイルで昼の太陽を跳ね返し輝いていた。正面の自動扉から中に入り、警備員に会釈して大理石の玄関ホールを見渡すと、十メートル先の正面に受付けカウンターがあり二人の受付嬢がいた。
中井は受付嬢と何やら話し、手続きを済ませると、「訪問者」と書いた名札を二つ持って来て一つを胸につけた。
中崎も残り一つを受け取って胸に付けると、そのまま奥にある四基のエレベータホールへ向かって三階へあがった。
「やあ中井部長さん、待ってましたよ」
エレベータの扉が開くなり、三十代後半くらいの中肉中背の男が中井を出迎えた。
「いやぁ、お待たせしました。最近暖かくなって来ましたね」
中井はニコニコ笑いながらそう答えた。
「いやホントですね。どうぞ、こちらです」
男は微笑み、そう言いながらいくつもある会議室の間を通って行った。
ここは一フロア全て商談フロアのようで、テニスコートが六面~八面ほどとれそうな位のフロアに、パーティションで分かれたいくつもの会議スペースが用意されており、中には、完全にフロアと区切り、扉が付いている会議室もあった。
通過する時に見える左右のパーティションの間隔から、商談の声や雑談の笑い声、熱心に話をしたりノートパソコンを広げて何やら見ている人々の姿が見えた。
中井らはその中で、「E-11」と札の貼られている、立てば頭が出るくらいの高さのパーティションで区切られた、四人がけくらいのテーブルがある小さなスペースへ通された。
「私、カスミフラワー商事、情シス保守の小倉と申します」
名刺の役職は情報システム部保守運用課課長となっていた。
明るい感じの人物ではあるが、少し得体の知れない感じもした。
中崎は早々に名刺交換を済ませて席についた。
「早速ですが、今日これから、ついてもらうSEに合ってもらおうと思います。」
小倉が切り出したのを、「その前に、」と、中井が制した。
「今回のお話、何をすれば良いのか、どんなお仕事なのか、イマイチ概要がつかめないんですが?」
中井がそう聞いていることに、中崎は小首をかしげた。
システム関連の案件ではママあることだが、今回は仕様や詳細が確定していないのだろうか。
昨日急遽行けと言われた場所でそのような状態とは、今日の無駄な午前といい、どういうことなのだろうか。
「いや、仕事の内容って言っても、SEはSEなんですよ…」
奥歯にモノが挟まったような物言いに、中井が「ん?」と首をかしげた。
「と、いうと基幹のSEですか?」
中井がいぶかしむのも無理はない。
カスミフラワー商事には情報システム部という部署があり、システム関係の専門家が社員として存在する。
さらに、現行動いている基幹業務システムは、業界最大手の太陽電機システムというシステム会社が保守を受け持っていると聞いている。
「ウチの基幹は古くてまだコボルの部分もあるんです」
そういうと小倉は先ほど渡した名刺に目を落とした。
「えーっと、中崎さんはお若いのですし、コボルはできないでしょ?」
「えぇ、まぁ。彼女はやったことないですが、コボルのスキルが要りますか?」
「いやいや、多分必要ないと思いますよ。」
「うん……どういうことでしょうか?」
中井の質問に小倉は「う~ん……」と考え込んだ。
「じつは……」
そう言いはじめると、声を落として机の上に前かがみになった。
それに合わせて中井も顔を寄せる。
「うちに竹原という執行役員の部長がいましてね」
「あ、はい。竹原部長さんですね」
「そう、それが業務改革をして効率化をなさるそうなんですが、その手始めにって、自分の知ってるSEを連れてきたんですよ」
小倉は短いため息をつくとそのまま話を続けた。
「その部長は元はシステム出でしてね。」
「はい……」
彼女もそうだが、中井もまだ話を掴めてないようだった。
それでも、小倉は遠慮なく話を続けた。
「当時の部下が今の情シスのシステム開発課の、あの、谷山課長でして。…その連れて来た派遣のSEに自分の部下をつけたんですよ。まぁ新人なんですがね」
そこで小倉は机から身体を離し、足を組んだ。
「でもそれってオカシイじゃないですか~」
突然小倉はここだけ声をあらげた。
そうしておいて足を組んだまま、また机に覆い被さるような姿勢になって小声で話を続けた。
「システム部には今、梅木っていう部長がいるんですよ。なのに自分が連れて来たSE入れろとか、さらにSEに補助付けろとか……」
「……そうですね、ちょっと強引ですね……」
中井が眉をしかめて同意した。
「それでですね、システム部としても正式にSE補助を用意しようと……」
「え!もういるのに……ですか?」
中井は聞き返した。
「ええ、連れて来たのはおできになるSEらしいんですが、新人一人でどうにかできるもんでもないでしょ。だから、こっちからも用意するんです」
「なるほど」
中井は合点したようだ。
だが一方の中崎は、ちゃんとしたシステムの仕事が出来るかどうか不安な上、大きな会社の勢力争いに巻き込まれたようでイマイチ納得出来なかった。
「それで、私はこれから何をすれば……?」
周りの状況ばかりでちっとも要領を得ない話に、思わず中崎はそう口を出した。
「これから紹介するすごいって噂のSEの補助ですよ、じゃちょっと呼んで来ます」
小倉は中井さえ納得すればそれでいいかのように席を立った。
その後、今度は中井が声を抑えて話かけてきた。
「おそらく、そのSEが何か成果を上げれば竹原部長一人の手柄になってしまうから、情シスからも協力してますよという形で一人勝ちを抑えたいんだろう」
中井の言う事はまったくわからないわけではない、しかし、何かが間違っているような気がしたが、中崎は会社とはそういうもんかと思った。
「まぁ社内のゴタゴタは気にせず、君はしっかり仕事すればいい」
中崎は全く釈然としなかったが「はい」と答えておいた。
間もなく、小倉の代わりに会議ブースに戻って来たのは、細身で中背、短髪の若い男だった。
紺のスーツに白カッター、赤系の細いネクタイを方結びに首が苦しくならない程度に締め、下側にフレームのない眉毛のような黒ブチ眼鏡をかけていた。
髪の色が黒くなければ、いかにも最近の若者というような、全体的に無気力感やだらしなさを感じる。
「どうも、大野です。これからよろしくお願いします」
名刺を差し出しながらそう言うということは、どうもこれが先ほどの話でいう、SE補助に付かされている新人だろう。
中井は名刺交換を手短に済ませると、
「それでは私はこれで」
と言って帰っていった。
中崎は不安を覚えながらも、この頼りなさげな若い男の案内に付いて行った。
情報システム関係は四階フロアにあった。
階段で一階上に上がると、大野はどんどんフロアの通路を歩きはじめた。
途中窓際の偉そうな席に偉そうな人が座っていて、挨拶をしなくていいのか気にはなったが、中崎は遅れまいと大野の後を追う事で精一杯だった。
大野は一番奥の、窓とは反対側にある薄暗い部屋の扉に手を掛けた。
「第四会議室」
その部屋にはそう札がかかっていた。
「北野さん連れて来ましたよ」
大野は中に向かってそう言った。
扉を開けた正面にその人物は座っていた。
肩肘を突いてディスプレイを睨んでいたが、中崎が入ると姿勢はそのままに、視線だけをこちらに寄越した。
その男は、背は高い方だろうか。
痩せてもいないがそんなに太ってもいない。
髪は短髪で太目の眉毛から意思が強そうには感じられた。
スーツの上は隣の椅子にかけ、青い長袖のカッターシャツを肘までまくっている。
紫のネクタイは少し緩められ申し訳なさそうにぶら下がっていた。
「中崎です。よろしくお願いします」
中崎はペコリとお辞儀をした。
「北野です。まぁこれから一緒に仕事するんですから、あまり堅っ苦しいのは嫌なんで、まぁ、仲良くやりましょう」
北野という男は椅子から立ち上がりもせずにそう言うと、再びディスプレイに視線を落とした。
「あー大野さん、彼女にマシンと、ここの環境をざっくり説明して下さい」
ディスプレイを睨みながら、ちらっと大野を見て、北野がそう指示した。
彼女は大野に言われるまま、北野の向かいに設置されているノートパソコンの前に座った。
「すいません、急な話でデスクトップが用意できなくて…」
大野はちっとも申し訳なさそうでない口調でそう言うと、ここのパソコン環境について説明した。
ネットワークや共有のフォルダ、勤怠の付け方まで説明を受けていた時、「おっ、来たね!」北野が唐突にそう言った。
「今は十五時七分ですね」
説明していた大野がそう返す。
「サーバのCPUもメモリもまだ余裕はあるよ」
北野はそう言いながらマウスで何かカチカチやっていた。
中崎側にいた大野が机を回りこんで北野のモニタを覗き込んだ。
何をしていいか分からない中崎も、とりあえず立ち上がって大野の後ろからモニタを覗き込む。
「あぁそうだ、中崎さんには今、何の仕事してるか言ってなかったね」
北野は今さら気付いたようにそう言うと、仕事の内容を説明し始めた。
「社内改革を推し進める竹原さんに、昨日相談された内容なんだけどね……」