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天使に願いを (仮)  作者: タロ
(仮)
94/105

番外編 野菜嫌いなアイツのせいで

前の話の続きみたいなものです。なので、よかったら、そちらもどうぞ。


 ピンポーン

 インターフォンが鳴る。

 嫌な予感がする。が、無視をするわけにはいかない。

 無視をしていると、ロクなことにならない気がする。

「出て来な!居るのは分かっている!出て来ないと、この扉とアンタの首を斬って、アンタの首をドアノブと差し替えるよ」

 扉の向こうから聞こえる声が、身の危険を知らせる。

 恐怖!

 逃れる事の出来ない恐怖が迫っている。

 もし、その恐怖から逃れる術があるとするなら、それはこの扉の向こうに。いや、扉の向こうにあるのは危険そのものなのだが、扉を開けることが希望への第一歩となるのだ。

 到仕方なし。

 仕方なく、恐怖と希望が一緒に待ち構える向こう側へと、扉を開ける。

「いらっしゃい。柊姐さん」

「その『姐さん』ってのやめろ、そう言ったよね?楸」

 笑顔で出迎える楸に、不機嫌顔の柊は言った。

 楸の部屋に、段ボール箱を持った柊が来た。

 事は、数時間前に遡る。



 拳王・ゴリラの所で修業という名の真剣勝負をしていた柊は、帰ろうとし、天使の館内の廊下を歩いていた。すると、前方から段ボール箱を重そうに抱えて来る雛罌粟と遭遇した。

「ヒナさん。どうしたんですか、それ?」

「あ、柊ちゃん」柊に気付くと、雛罌粟は持っていた段ボール箱を床に降ろし、一度背中をグーッと伸ばすと、困った様に微笑みながら柊の質問に答えた。「これはね、楸君の為に用意した野菜なの」

「野菜?」

 そう不思議に思って見ると、段ボール箱の中には、キャベツや白菜、トマトにニンジン、玉ねぎとピーマン、カボチャやキノコ類などの野菜が詰め込まれていた。

「ほら、楸君って野菜嫌いが激しいでしょ。野菜嫌い改善とまではいかなくても、少しでも食べられる野菜を増やしてもらおうと思って用意したんだけど、楸君、昨日これを置いて帰っちゃったの」

 雛罌粟が言うと、柊は「アイツ…」と苦い顔をして目頭を押さえた。

「えっ?」

「ヒナさん。それ、楸に届けようと思って高橋さんの所に向かっているなら、無駄骨ですよ。今日アイツ休みだって、高橋さんが言ってました」

「あら…困ったわ…」雛罌粟は、首をかしげた。「直接渡さないと楸君、絶対持って帰らないと思うの。『忘れてました』とか言われて、野菜を腐らせて無駄にされたくないし…」

 雛罌粟は、考えた。

 少し強めに言い聞かせて、野菜を食べさせよう。その作戦が頓挫しかけているので、どうしようか、考えた。間違いなく逃げだすだろう楸の姿を思い浮かべ、次に、段ボール箱の中の野菜と「あのバカのせいで、すいません」と申し訳なさそうに言う柊を見る。

 すると、雛罌粟は、ある名案を思い付いた。

「柊ちゃん。この後、時間あるかな?」

「はい。特に、予定もありませんが…」

 柊の返答にニンマリと笑みを浮かべ、雛罌粟は言った。

「柊ちゃん。悪いんだけど、これ、楸君の所に届けてくれないかしら?」

「えっ?あ、はい…」

「それでさ、これはもし良かったらなんだけど、この野菜を使って楸君に何か作って食べさせてあげてくれない?」

「えっ?」

「ほら、楸君って自分で料理しないでしょ。野菜だけ与えても食べない可能性もあるの。でもほら、柊ちゃんの作ってくれた手料理なら、楸君も食べると思うのよね」

「いや、そんなことはないと…」

「ねっ!お願い?」

「え、あ、はい…」

 ほとんど強引に押し付けられた形だが、柊は了承した。

 本当なら帰ってシャワーを浴びて、ゆっくり休んでから夕飯を済ませ、夜の時間を有意義に過ごそう。そう考えていた柊の予定は、一瞬で崩れた。

 野菜の入った段ボール箱を肩に担いで天使の館を出て、楸の部屋を訪れる。

 インターフォンを押して二秒たっても返事が無いので、イラッとした柊は、扉を叩きながら言った。

「出て来な!居るのは分かっている!出て来ないと、この扉とアンタの首を斬って、アンタの首をドアノブと差し替えるよ」

 そして、楸が出てきた。



「ハッキリさせようか?アンタ、ヒナさんが野菜用意しているって知ってて、わざと休んだな?」

「はい…」

 楸は、答えた。

 野菜の詰まった段ボール箱は、とりあえず台所に置いた。柊は、ベッドを椅子代わりにして脚を組んで座っている。そこから見下ろすのは、しおらしく正座した楸。

 その様は、蛇に睨まれた蛙、もしくは氷の女王に問い詰められる楸である。

「アンタのバカのせいで、アタシにまで迷惑がかかっている」

「はい…すいません…」楸は、頭を下げた。

「アンタ、野菜嫌いなんだってね?」

「はい…」

「なんで?」

「……苦いから…」

「そんなガキみたいな理由で、ヒナさんとアタシに迷惑かけたんだよ、アンタは」

「はい…」

「反省してる?」

「はい、そりゃもう」

「じゃあ、野菜食べる?」

「…いや……それは…」

 楸が口ごもると、柊は強く問い掛けた。

「食べる?」

「はい!」

 寒くないのに身体が震えてしまう、そんな恐怖を感じ、楸は返事した。



「で、何? 柊がメシ作んの?」

 楸は、言った。

 懺悔の時間が終わると、夕御飯の時間になる。

 髪を高い位置で結んでポニーテールにし、台所に立つのは柊。その後ろから、関心は低いが物珍しそうに眺めて来る楸に、不機嫌な柊は言った。

「ヒナさんに頼まれたから、仕方なくよ。じゃなきゃ、誰がアンタなんかに…」

「ふーん。……俺もなんか手伝おっか?」

「要らない。こんな不自然なほど綺麗過ぎる台所の持ち主に、何期待しても無駄でしょ。アンタは、黙って向こうで遊んでな」

「はーい」

 柊に言われた通り、リビングで大人しく待っていようと楸は思った。

 が、すぐに、料理している柊の事が気になり、台所に戻る。

「柊。何作ってるの?」

「ポトフ。肉はウインナーだけど、野菜をとれるスープってことでイイかなと」

「へ~。そんなの作れるの」楸は、感心した。

「うん」

 話しかければ柊は応えるが、反応が味気ない。

 暇を持て余した楸は、料理している柊の、ひょこひょこ動く後ろ髪が気になった。

 特に意味は無いが、気になったので引っ張ってみる。

 すると、どうなるか? 答えは、怪訝そうな顔をした柊に睨まれる。

「アタシ、今包丁持ってるから気を付けて。ポトフの中のウインナーにアンタの指が混ざるかもしれないからね」

「すいません」

 楸は、謝った。

 しかし、暇は退屈だ。

 普段なら料理が出来るのを待つなんて時間が無いだけに、この時間の暇が大きく感じる。

 何かする事は無いか? 探しては見るが…。

「柊。しりとりしよっ。しりとりの『り』。はい」

「リン酸」

 しりとり終了。

「柊。俺にも何かやらせて」

「じゃあ、口を閉じてジッとしてて」

 やること、なし。

 話しかけてもテキトーにあしらわれるから、行動を起こしてみる。が、食材を切る柊の後ろから抱き締める様にしてそっと柊の手に手を添えてみるが、包丁で手を切られかけた。

 危ないだけ。

「ねぇ、柊」

「うるさい!」

 声を掛けただけで、怒られる始末。

「ねぇ、柊」

「なに?楸」

 白ネギを柊に見立て、一人二役で遊んでいたら殴られた。

 とうとう楸は、諦めてリビングで転がることにした。



「はい、出来た」

 髪を降ろした柊が、料理を運んできた。

 野菜スープのポトフにサラダ、キノコの入った野菜炒め、チンジャオロースやホウレン草のおひたしなどが食卓に並ぶ。

「統一感ないな」

 メニューを見て楸は言うが、

「野菜づくし」

 と柊は即答した。

「てか、量多くない?」

 テーブルに置かれた料理は、あきらかに一人前ではない。これから何十人と集まってパーティでもするの、と訊きたくなるような、それくらいの量だ。

 しかし、「いいの。アタシも食べるから」と、柊に言わせれば二人前らしい。

「あ、そう」

 そう言って、楸は食卓についた。

 楸にとって、量はさしたる問題ではない。

 問題は、今から野菜を食べなければならない、ということのみだ。

 野菜たちが放つ強烈な威圧感を感じた楸は、顔をしかめた。

 だが、食べる以外に道は残されていない。

 野菜を食べたくないからといって手を付けなければ、柊に怒られる。

 つまり、死ぬ思いをして食べるか、食べずに死ぬか。二つに一つだ。

 だから楸は、生きる道を選んだ。

 恐る恐る、チンジャオロースを食べてみる。

「ん?」まぁ、牛肉も入っているし、美味しい。

 続いて、ポトフを一口すすってみる。

「うん」思っていたほど野菜も苦くない。というか、美味しい。

 野菜炒めを食べる。

「んん」白米が食べたくなる、そんな味付けだ。

 サラダやホウレン草のおひたしといった野菜感を前面に出した料理はまだ食べていないが、それでも嫌いなはずの野菜を食べた楸は、嬉しそうに言った。

「結構うまいじゃん」

 そう言われ、柊は、「そう」とほんの少し唇を尖らせた。

「うん。野菜も意外と侮れないというか、結構美味しいかも…」

 誉められるかも、そう思っていた柊は、「そ」と眉をひそめた

 アタシのお陰だろ!誉めるの野菜かよ! 内心でそう思っていた柊に、楸は言った。

「うん。柊の味付け、結構好きかも」

「…っ!」突然誉められ、柊は、むず痒く感じた。

 このままだと喜んでしまう、そう屈辱感を覚え柊は、非難するような口ぶりで「ほら、サラダも食べな」と言った。

「やだ」

「食え!」

 サラダの生野菜感は、どうやら楸の口に合わなかったらしい。

 あとホウレン草も。



 食事が、終わった。

 10あった料理のうち1を満腹になるまで楸が食べたとすれば、その残りの9を柊が食べた。

 食事が終わると、待っているのは皿洗いだ。

「ねぇ。二人でやればすぐ終わるよ」

「かもね」

「手伝ってよ、柊」

「イヤ」

 料理を担当した柊の命令で、後片付けは楸一人でやることとなっていた。

「あ~あ、どっかの大食い女のせいで、食器が多いな~」物が散らかるリビングを片付け終わり、今はテレビを見ている柊に聞こえるよう、楸はぼやいた。「誰か手伝ってくれないかな~。手ぇ荒れるな~」

「……ちっ」

 小さく舌打ちし、柊は、重い腰を上げた。

 そして、楸に気づかれること無く台所に行く。

「ほら、包丁も洗え」

「ん?」柊に声を掛けられ振り向くと、包丁の切っ先が向けられていた。「うおっ!危なっ!」

 驚き、思わず仰け反った楸に、柊は包丁を差し出す。

「ほら」

「いや、『ほら』じゃないから!包丁の渡し方おかしいから!」

 身の危険を感じた楸は、「黙ってやりな」との柊の言いつけに「はい」と素直に返事した。



 リビングでテレビを見ていた柊は、ふと耳にした。

「あれ?雨降ってきた」

 雨音にまぎれ、後片付けを終えた楸の声が聞こえてきた。

 外の状況を確認しようと、楸はカーテンを開けて窓の外を見つめる。しかし、そんなことをしなくても、柊には分かっていた。ザーッという激しい雨音が、全てを物語っていた。

「うわぁ~、けっこう雨強いよ」

「だろうね」

 柊は、応えた。

 いつの間にか降り始めていた雨は、一気に勢いを増し、土砂降りとなっている。

――え~~……勘弁してよ…

 柊は、困っていた。

 ただの雨なら、そこまで困らない。だが、今の様に土砂降りの雨の時は、困る事がある。

 それは、雨と一緒になってたまに現れる、うるさい電撃。

 そう、雷。

 ゴロゴロッ!ドォーンッ!

 室内にも侵入してくる雷鳴は、雷が苦手な柊を怖がらせる。

「大丈夫?柊」

「ハッ!何が?何の事?」

 強がり、わざと気丈に振る舞ってみる。

 しかし、ドォーンという雷鳴が聞こえると、ビクッと体が震えあがる。

「ハ?なに?」

「いや、俺何も言ってないけど…」

「いや、アンタはアタシのことをバカにしてる!目がそうだもん」

 一方的に取り乱す柊は、睨みながら楸を非難した。

 雷が鳴ると一瞬大人しくなるのだが、その後すぐに、柊は雷に怯えた事をなかった事にしようと虚勢を張る。

 面倒くさいな、楸はそう思った。

 雷を怖がる柊のことを面白いとも思うのだが、面倒だという思いもある。

 何故なら、この状況にあって冷静に頭を働かせられる楸は、ある問題に気付いていた。

「で、柊。どうする?」

「何が?お望みとあらば、斬ってやろうか?」

「望んでないし、俺の質問をどう解釈したらそうなるんだよ」つっこみ、はぁ~と溜め息一つついた楸は、「帰りのことだよ」と言った。

「……帰る」小声で、柊は答えた。

「この土砂降りの中?雷も鳴ってるけど?」

「……そうだ! 楸。アンタ、椿あたりの家に泊まりに行けば?」

「部屋乗っ取る気か!なに名案浮かんだ、みたいに言ってんの!」

 楸は、つっこんだ。

 呆れて楸は、テレビを付けた。天気予報をやっていればイイと思ったのだが、どこのチャンネルに回してみても、分かるのは、天気予報の時間ではないということだけだ。

 だから、今度はケータイで調べてみた。

 少しいじり、天気予報を見付けた。

「あらら」

 楸が見たのは、傘マーク。それも、いつもの青バックの傘マークではなく、雨が強い事を意味する紺色バックの傘マークだ。そして、それが明日の朝まで続いている。

「明日までずっとこの調子みたいよ」

 楸が言うと、「嘘!」と柊は疑うように言い返した。

「嘘じゃねぇよ。ほれ」

 天気予報が画面に出ているケータイを見せると、柊も「むっ」と納得した。

「ウチに泊まってもいいけど、どうする?」

 そう訊かれ、柊は考えた。

「うぅ~………帰る……」

「……あっそ」

「うん……楸が」

「俺ん家ここだよ!」

 その後、散々悩み、柊は楸の家に泊まることを決意した。



「えーっと…着替えはスウェットでいいよね。買い置きの歯ブラシもあるし、髪結うのもあるし……あ、化粧落としとか必要?」

「チャラっ」

 軽蔑の眼差しで、柊は言った。

 柊が泊まることになり、それ相応の対応をしようとした楸は、押入れから色々取り出した。普段、自分が使うことは無いが、一応置いてある物を。

 その楸の行動を見て、柊が言った一言が「チャラっ」だった。

「何その常備品?なんか、女慣れしてる感があるっていうかなんか……引く…」

「なんとでもおっしゃい」平静を崩さずに、楸は言い返した。「急な来客のお泊りにも対応できる『あって良かった』一式ですよ」

「なに?アンタ、いきなり女の子を部屋に泊めたりするわけ?」

「軽蔑しているようだけど、今だって一応相手が柊とは言え、急なお泊まりよ。それに、こういう物をあって良かったと思わないコもいるから、ちゃんと見極めて出すし」

「あっそ」どうでもよくなった。それに、柊の気になる事が、他の事へと移っていた。「それ、他のヒトも使ったりしたの?」

「うんにゃぁ。全部新品。安心して、全部柊ちゃんの為に用意したものだよ」

 嫌そうな顔をする柊に、楸は笑顔で言った。

 自分を軽蔑する態度の柊を見ていると、ふと、楸の中にイタズラ心が芽生えた。

「柊。風呂、入るでしょ?」楸は言うと、柊の方に上半身を倒し、スンスンとにおいを嗅いでみた。「汗臭いし、入れば?」

 言った直後、楸は殴られた。

「デリカシー無いのも大概にしろよ、こら!」

 鬼の形相で怒鳴る柊に、しかしめげずに楸は言う。

「怖かったら、一緒に入る?」

「死ね!」

 せめて雷だけでもやめば楸をぶっ飛ばして帰るのに。そう思う柊だが、雨も雷もまだまだやみそうにない。

 なので、とりあえず風呂に湯が溜まるのを待つ間、楸をぶっ飛ばすことにした。

 殴打を何発かあびせ、関節技で痛めつけると、楸はグロッキー状態で動かなくなった。床の上で動かない楸は足を置くのにちょうどよく、ベッドの縁に寄り掛かって座る柊は、楸の腹を足置き台にして組んだ両足を乗せ、テレビを見る。

 しばらくすると、風呂に湯が溜まった。

 ゆっくりとした足取りで風呂場に向かう柊は、一つ気掛かりな事があり、振り向いた。

「覗いたら殺す」

「いや、覗く価値ないから…」楸は、冷静に答えた。

 これで、柊の心配事は無くなった。

 楸が気絶したので、覗きに来るような相手が居なくなったからだ。

 そして、ゆっくり風呂に入って疲れをいやした後、柊は楸に声を掛ける。

「ほら、起きろ。風呂空いたよ。ちゃんと入ってから寝たら?」

「や、寝てないし。誰かさんにやられて気絶してただけだから」

「物騒ね。戸締りはちゃんとしなよ」

「物騒そのものみたいなヤツが、何言ってんだよ…」

 不満げに呟き、楸は風呂に向かった。



 風呂の時間は終わった。柊は楸の用意したスウェットに、楸は寝巻の浴衣に着替えている。歯も磨いたし、これでもう寝ることは出来る。

 しかし、まだ問題があって眠れない。

「どうする? 俺でよかったら、添い寝するけど…?」

「絶対にお断り!」

 柊は、即答した。

 二人は今、どういうふうに寝るかで揉めていた。

「でもさ、ウチには余分に布団が無いから、どうしても二人一緒に寝るしかないのよ」

「でもさ、楸なら布団が無くても大丈夫じゃない?」

「いや、大丈夫じゃないから!暦の上では春になったとはいえ、夜の冷え込みなめるなよ」

「ああもう!」じれったそうに、柊は言う。「最悪 剣さえあればアンタとの仕切りに置けるのに!なんとかして剣を取りに帰れないかな?」

「おーい。混乱し過ぎだろ。剣取りに行けるならそのまま帰れよ」

 たしかに。柊は思った。そして、それを気付かされたことに強い屈辱感も覚えた。

 ムスッと不満顔になり、柊は台所へ向かう。

「なにするの?」楸は訊いた。

「包丁でも無いよりはマシかと」

「何に備えようとしてんだ!怖ぇよ、無くていいわ!」

「でも、このままだとアタシ寝れないし、アタシ寝てもアンタ風邪引くよ」

「何でだよ?言っとくけど、床で寝る気はないからね 俺!」

 この後もしばらく、二人の議論は平行線のまま続いた。

 布団が一式しかない状況で二人が寒さを凌いで寝る方法で一番手っ取り早いのは、一緒の布団で寝る事だ。しかし、柊は、それを拒む。理由は「嫌だから」。また、柊が提案するように、楸が男を見せて柊にベッドを譲り、自分は床で眠るという案は、楸が却下する。理由は「寒いし、家主だよ、俺」。では、その逆は? 柊が「嫌だ」といって却下した。

 議論を重ねた末に、とりあえず風邪をひくのはよろしくないということで、二人が一緒の布団に入って寝る事は決まった。だが、それもやむを得ずで、しぶしぶ納得せざるを得なかった柊は、せめてもの提案をしようと挙手した。

「なに?」

「寝るのはいいけど、眠りにつくまでの時間が不愉快でならない。でも、楸じゃなく木偶人形が隣にあると思えば、いくらかマシ。なので、アタシが布団に入る前にはアンタに気絶してもらいたいのだが…いいよね?」

「いいわけないよね!」

 楸は、声を高くして反対した。

 しかし、それで「はい、そうですか」といく柊ではない。

「じゃあどうするのさ?」

「なんで不満気?」理解できないと言った面持ちの楸は、考えを口にする。「俺じゃなく、柊が先に寝たら?」

「ハッ。アンタがアタシを気絶させるっての?」

「いや、普通に寝ろよ。気絶の発想から頭離せ」

「フンッ!」柊は、そっぽを向いた。「普通に寝ろって言うけど、それができたら苦労しないわよ。イライラし過ぎて、とても安眠できそうにない。なんなら、お酒呑んででもさっさと寝ちゃいたいくらい」

「酔い潰れる気か。てか、酒って…そんなもんないし…」と楸は言うが、ふと思い出して、アゴに手をやった。「いや…あるな、たしか」

 そう言うと楸は、台所の方へ行き、柊の視界から消えた。

 そして、数分とかからずに戻ってきた楸が持っていたのは、梅酒の入った広口の瓶だった。4~5リットル位の容量の瓶には、梅の果実がまだ入ったままになっている。

「これこれ。高橋さんに貰ってたの、すっかり忘れてた」

「何それ!高橋さんのなの?」

 今日一番の食い付きを見せる柊に、楸は頷いて応える。

「うん。高橋さん、作り過ぎたからって一瓶くれた」

「なんで!アタシ知らない!ずるい楸だけ!バカじゃないの」

「バカじゃねぇよ。だって柊、作った日に居なかったじゃん。それに、俺はちゃんと手伝いしたからね。なんかこう、竹串で梅を刺して」

 竹串で刺す仕草をしながら言った楸は、職場であるはずの高橋の部屋にて、高橋の梅酒造りの作業を何の気なしに見ていたら手伝うように命令された事を思い出した。

「ずるい!アタシだってアンタより上手く刺せるのに!躊躇無くグサッて」

「知らないよ…」

「ずるい、アンタだけ!」

 よほど不満なのだろう、柊は煩いくらいに喚いた。そんな柊に、呆れた楸は「だから、一緒に飲もうって。飲んで、さっさと寝よう」と諭すように言う。

「…うん」

 どこか釈然としないといった面持ちだが、柊は頷いた。



「バーンッ! クイズでぇす。『パンはパンでも食べられないパンは?』」

「……『フライパン』?」

「ブッブー!正解は、レーズンパンでした。アタシ、レーズン苦手」

「知らねぇよ!柊の好き嫌いなんて」

「ざぁんねぇんでぇした」

 酔っ払い司会者によるクイズが終わった。回答者の楸は、正解に対してだけではなく色々と不満があるようだが、おとなしく引き下がる。酔っ払い司会者の柊は、すっかり気持ち良くなったのだろう、顔には笑みを浮かべ、座ったままで上半身をフラフラさせていた。

「上は洪水、下は大火事…」

「…『風呂』?」

「さあ大変」

「あ、クイズじゃないんだ…」

 クイズの時間は終わっていた。

 酒が回り、睡魔に襲われだした柊は、もぞもぞと這うようにベッドに上って布団にもぐった。どうやら寝るようだ。しかし、枕は枕として使うと、抱き枕が無い。抱き枕が無いと、柊は眠らない。無くてもほっとけばいずれは寝るのだが、無いとうるさい。

「楸ぅ。なんか、抱き枕的なモノはぁ?」

「俺?」

 また怒られるかな? そう思いながらも、楸は冗談めかして言った。

 だが、柊から返ってきたのは、

「おいで」

 という予想外の言葉だった。しかも、ウェルカムと言うように両手を広げている。

 その目の前の光景に「えっ?」と戸惑う楸だが、「ほら」と柊に急かされ、布団に入る。

「楸。あっち向け」

 言われるがまま、楸は、柊に背を向けて横になる。

――この状況は…

 楸は思った。

――危険だ!

 だが、危険から身を守る為に身構えるには、少々気付くのが遅かった。

 柊に背中を取られた楸は、柊にギュッと抱きしめられた。ギュッと、ギュ~ッと。

 抱き枕だったら上下に逃げた綿が嫌がって二度と戻って来ないだろう、それ位の強さだ。

「いだい!死ぬ!」

「死ね (笑)」

 胸の辺りを抱き締められ、肋骨がずれるのではないか、そう不安に思う楸だが、肋骨がずれる前に柊は力を緩めた。そして、今度はもっと高い位置に腕を回す。右腕を回し、左腕で固く、首を絞める。

「ぐ、ぐるじいぃ……」

「許して欲しけりゃ、アタシの質問に答えな」

 浮かれていた声の調子を少しだけ平常に戻し、柊は言った。

 それに対し楸は「許してもらうも何も、俺…なんも悪くない…」と言ってみるも、それでどうなるものでもないと解っているので、必要以上に抵抗しない。

「アンタ、本当に真面目に、榎ちゃんのことちゃんと好きなの?」

「……もちのろん」

 そう答えた楸がどんな表情をしているのか、柊には見えなかった。ミスったな、柊はそう思ったが、眠いし面倒くさくなってきたしでどうでも良くなった。

「あっそ」

 吐き捨てるように言い、柊は寝返りを打つ。

 楸に抱きついたまま寝る気は、ハナからないようだ。

 小さいが、掛け布団の角を抱き締め、柊は寝息を立てる。

「寒いし!」

 柊が抱きついたことで掛け布団が引っ張られ、楸は布団から出てしまっていた。

「うるさい」

 柊に蹴られた。

「もうやだ、この酔っ払い…」

 嘆くように言う楸は枕を涙で濡らしたかったが、枕は柊の独占状態にあった。 


梅酒はどんな時でもロック派。

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