番外編 篝火さんの素敵な休日
目が覚めて、篝火はホッとした。
記憶はなかったが、ちゃんと布団に入って寝ていたことに、ひとまず安堵する。
まだまだ寒い冬の朝、風邪をひかなくて済んだ、そう思ったのだが、やはりと言うべきか頭が痛んだ。
――あ~、二日酔いだわ
篝火さんの素敵な休日が始まった。
胸のむかつきを覚える篝火は、冷蔵庫に入っているペットボトルのお茶を飲もうとした。しかし、身体がだるかった為、ベッドから這い出て冷蔵庫までをゾンビの様に這って行き、冷蔵庫のドアを開けてペットボトルを出してドア閉め、そしてペットボトルのキャップを開けるという、そんな重労働を出来る気がしなかった。
そのため篝火は、お茶を飲むことをひとまず諦めた。
全身を動かしても頭が痛まない最小限の動きで身体を反転させ、ベッドにうつ伏せになった篝火は、枕元かベッドの下に転がっているだろうテレビのリモコンを探す。あまり大きく腕を動かし過ぎると、その分あいた布団の隙間から冷たい空気が入って来てヒヤッとする。だが、そのリスク覚悟で探した甲斐あって、精一杯伸ばした手がリモコンを掴んだ。
テレビを付けると、朝の情報番組の一コーナーである『星座占い』が始まる所だった。
「今日はかなり早く起きたみたいね…」
占いがやっているのを見て、まだ八時前だということに少し驚いた。
「今日は…何位かしら…?」
半分閉じた目で、力無く占いの結果を見つめる。
占いの順位は、一位から順に発表される。まず一位が発表され、続いて六位まで、その後十一位まで一気に発表されてから、最後に最下位の星座が発表される。
篝火の星座は、大きく取り上げられた。「ごめんなさい」というナレーションの後に、最下位として。
「今日は、何をやっても裏目に出そう。疲れているなら思いきって休んでみるのもイイかも。ラッキーアイテムは『ジャージ』。それでは、今日もよい一日を」
占いのコーナーが終わり、篝火は枕に顔をうずめた。
「なによ、それ…」と篝火は愚痴り始める。「何をやっても裏目って、生きようとしたら死ぬってこと?死ねってこと?久しぶりに早起きしたら、とんだ死刑宣告だわ。あ、きっと早く起きたことが裏目に出たのね、早速。てゆうか、休むことを勧めるくせにラッキーアイテムが『ジャージ』って、どっちよ それ。バカじゃないの。休めばいいの?ジャージ着て、野山を走り回ればいいの?それとも、ジャージを着て思いっきり休めばいいの?というか、ジャージを持ってない私はどうすればいいの?不運を切り開くアイテムを持っていないヤツは、ど~すればいいのよ~?」
ひとしきり愚痴った篝火は、少し身体が目覚めてきたので、先程は諦めた渇いた身体を潤すことに挑戦した。
グダグダのヘロヘロ状態でベッドから這い出て、冷蔵庫に行く。
「あっ…」
冷蔵庫の中を見た篝火は、絶望した。
「お茶が…ない」
早速行動が裏目に出た気がした、篝火だった。
その場しのぎで水道水を飲んだ篝火は、ベッドに戻った。
布団に包まり、今日の予定を考える。
――………………とりあえず、お茶買いに行こう
予定が決まった篝火だが、悩みがあった。
行動が裏目に出る、この占いの言葉がこの先どう影響してくるか不安だったからだ。
しかし、これ位なら大丈夫だろう、と覚悟を決めて行動を起こす。
ネグリジェを脱いで一度全裸になってから、下着はつけずにワンピースタイプの服をすっぽり着た。
「よし!着替えた」
この間、約十秒。
食欲は無いので朝食は食べないが、歯は磨き、顔を洗った。ストレートの長い青色の髪は、グシャグシャに掻きむしった後、手グシで整えた。
支度が整うと、コートを着て、部屋を出た。
篝火は、お茶を買いにスーパーに行った。
野菜売り場や精肉コーナーなどの生鮮食品には見向きもせず、二リットルのペットボトルのお茶と缶チューハイ数本、冷凍食品やレトルト食品を適当にカゴに入れた。
一通り買う物をカゴに入れた篝火は、後はレジに向かうだけだった。が、聞き覚えのある声が耳に入り、「あら?」と脚を止める。
「だから、もっと色んな種類を買った方が良いんじゃないかっつってんだよ!」
「分かってないな。分かってない。何にも分かってない。こっちが何を言いたいのか分かんなくなるくらい、分かってない。あ~、分かってない」
「っせぇ!つーか、意味分かんねぇよ!」
男二人のケンカする声は、お菓子売り場から聞こえていた。
行ってみると、椿と楸の二人が、お菓子を何にするかで揉めていた。
「何やっているのかしら?彼ら」
篝火は、離れた場所から棚に身を隠しながら、二人の様子を窺った。
「つーか、さっきから言ってんだろ。グミとかガムとかチョコとかアメとか、安くても色々あった方が豪華っぽくなるだろって」
「豪華っぽくって…その発想が貧相だもん、椿は」
「あぁ?」
「それに、俺のだってちゃんと色んな種類あるよ、ほら」
と楸は、二十個以上のお菓子が入ったカゴの中を椿に見せた。
「色んな種類って…お前のカゴの中、全部チョコ〇ールじゃねぇかよ!」
「しゃーねぇだろ。今まで何度か買ったけど、一回も金はおろか銀のくちばしすら見たこと無いんだから。こんだけ買えば一個くらいは、って思うじゃん。見たいじゃん」
「しらねぇよ!」
二人のやり取りに混ざろうかとも考えた篝火だったが、二人が仲良くケンカしているようだったので、その邪魔をするのも申し訳ないと思い、また、二日酔いが悪化してもいけないので、黙ってレジで会計を済ませた。
重たいレジ袋を持つ腕が、肩から先、何かの拍子で もげるかもしれない。
そんなことを思いながら家路を歩いていると、篝火は、ある人を見つけて興奮した。
「あの後ろ姿、石楠花さんに間違いないわ!」
篝火は、石楠花を見つけた。
――長身痩躯な体型。細長い指。後ろ姿からも分かる、危なさすら感じる色気。SかMかと問われれば、間違い無くS、しかもドが付くSのヒト。うっひゃほーい!
二日酔いのことなんて忘れ、篝火は、突進する勢いで石楠花に迫った。
そして、突進の勢いそのままに、石楠花に背後から抱き付いた。
「石楠花さーん!」
「っごふっ!がはっ!」
返事をすることが出来ないほど、石楠花はむせ返った。
いきなり背後から、しかも肩からおぶさる様にして抱き付かれた為に買い物袋が腹に直撃し、石楠花の受けたダメージはことのほか大きかった。
「何だ…あんた…?」
息も絶え絶えに訊く石楠花に、恥ずかしさで頬を朱に染めた篝火は、抱き付いたまま応える。
「少し、お見かけしたもので…」
「知人を見かけたら殺すようにとでも教わったのか?」
「いえ、そんなことは…」
「なら、離せ。今日の俺は、あまり気分が良くない。誰でもいいからテキトーに屈辱的な気分に遭わせて、その様を見て笑いたいような、そんな気分なんだ」
石楠花としては、テキトーにあしらっておこう、そんな気持ちだった。
しかし、それが篝火の何処か変なスイッチを押したらしく「ぜひ…」と恍惚な表情を浮かべられ、逆に戸惑ってしまった。
「いや…あのな…」
「私、どんな命令でも従います」
「いや…だからな…」
何故か嬉しそうな篝火が怖くなり、石楠花は、走って逃げた。
「あ……」
逃げる石楠花の後ろ姿を、捨てられた女のような悲壮感漂う姿で篝火は、見送った。
男に逃げられた篝火は、力無くヨッタヨタ歩いていた。
もしかしたら家まで帰れないかもしれない、そう不安に思い始めた篝火の前に、幸運が舞い降りた。いや、正確に言うと舞い降りたのではなく、ラッキーアイテムが走ってきた。
「カイ君!」
篝火のラッキーアイテムであるジャージに身を包み、ランニングして汗を流しているカイのことを呼び止めた。
「よう、篝火」
脚を止めて額の汗をぬぐうカイに、篝火は「こんにちは、私のラッキーボーイ」と抱き付いた。
「なっ?」突然抱き付かれ、顔を赤くして困惑したカイは、つい語気が荒くなった。「は、離せ おい!」
「いえ、離しませぬ」
「離せ!」
「ヤ~ダぴょん」
篝火の態度にイラッともしたが、それ以上に抱き付かれている現状に耐え切れず、カイは力ずくで篝火をひきはがした。
困惑から解放されたカイは、いきなり飛びついて来る危険性がある犬を前にしたような緊張感を持って、篝火に接することにした。
「ところでラッキーボーイ、あなた…」
「おい!」篝火が喋るのを遮り、カイは言った。「さっきも言ったけど、その『ラッキーボーイ』って何だよ?」
「ああ、それはね、私の今日のラッキーアイテムが『ジャージ』だから、それを着ているあなたは私にとってラッキーアイテムならぬラッキーボーイなの。今日一日不運な私を助けてくれる、運命の人」
「ああ、そう」
知らない所で篝火のラッキーボーイとなってしまったことに、なんかツイてないな、と思ったカイだが、口には出さなかった。
そして、沈むカイの気持ちには気付かず、篝火は喋り続ける。
「ところでデスティニーボーイ」
「やめろ、それ」
「あら、失礼」そう言うと篝火は、咳払いを一つし、改まって「では、カイ君。あなた、何故走っていたの?暇なの?それとも青春?走ってて楽しい?」と質問した。
「少なくとも、お前とこうして喋っているよりは楽しいよ」
「あらやだ」
言葉とは裏腹に楽しそうな篝火に辟易しながらも、カイは続けた。
「まぁ、いつもは趣味みたいな感じで走ってっけど、今日はこの後の為の準備運動だな」
「ん?この後、何かご予定?」
意外そうな顔して訊く篝火だったが、カイも意外そうな顔して答えた。
「何かって、今日 椿達とスポーツするんだろ? ほら、あのボウリングやバスケとか色々なスポーツが出来る場所で。お前も誘われてんじゃねぇの?」
「ウソ!知らない!聞いてない!」
仲間外れにされた疎外感から悲しみや妬みの感情が湧いた篝火は、不貞腐れて声を荒げた。そんな篝火のことを面倒だとは思いつつ、カイは、何かの勘違いだろうと察し、「そんなことねぇって。榎さんからメールが行ってるはずだぜ」と諭した。
「そんなメール、私知らない!」と不貞腐れながらも、カイの勧めで念のためケータイのメール受信ボックスを開いた篝火は、「あ、あった」と態度を一転させて落ち着いた。
「しかも既に読んだことになってっぞ、おい」とケータイ画面を覗き見たカイは、呆れた。
「あぁ、なるほど」篝火は、理解した。「このメール、夜九時過ぎに届いているわ。だからきっと、その時 既に酔っていた私は、メールを読んで確認したけど、その記憶が無いのね」
「なるほど、じゃねぇよ!」
「そうね、早く返信しないと」
「いや、そういう意味じゃねぇけど…てか返信してねぇのかよ!なら早くしろよ」
篝火は、急いで参加する旨を告げるメールを打った。
ジャージを着たカイのお陰で休日が楽しくなって行くのを、篝火は感じていた。
スポーツをすることはいいが、運動できる類の服を持っていない篝火は、そのことを榎に伝えた。すると、自分のだと小さいから貸せないが、柊か椿のを貸してもらえる、という返事が来た。
試しに柊のジャージを借りて着ようとした篝火だが、持ってきた柊を見て気付いた。
「ダメ。柊ちゃんのだと、丈は良くても胸が収まらない気がする」
その悪ふざけという行動は裏目に出ず、きっちり柊に怒られた。
この話は、ケータイの占いで健康運が最悪なのにラッキーアイテムがジャージだったという、私の実話が基になっています。そこ以外は、もちろんフィクションです。
全体運がいいのに金運だけは悪いと、不愉快になります。




