番外編 ちゅうぶらりん
第二十話のエピローグ的なものだと思ってください。
違うかもしれないけど…。
他人には、興味がなかった。
いや、この言い方は正確ではない。
他人への興味はあった。だが、その〝ヒト″はどうでもよかった。
自分以外のヒトは、どうでもいい。
自分の興味関心を満たすために存在し、それ以上の価値は無い。
自分以外はどうでもいい、他人はどうなってもいい。
自分が、全て。
自分が変わっている事は、一応理解しているつもりだ。
他人に対して『自分の知的好奇心を満たしてくれる存在』以上の情を持たないことが普通とは少し違うと分からないほど、バカじゃない。
だが、だからといって別段想う所は無い。
他人はとやかく言うが、自分はイイと思う。なら、問題無い。
何時の事だっただろうか、自分の性格について他人が『自己愛が強い』と判断したことがあった。
他人を遠ざけるのは、他人に傷つけられることを恐れているから。
他人を遠ざけるのは、自分を守るため。
理由はどうでも良かったが、『自己愛が強い』と言われた時、「なるほど」と感心した。
道理で、自分の心はいつも穏やかだ。
周りを見れば、誰が誰を好きだの誰が誰を嫌いだの、そんな声がたくさん転がっている。
その声達は、皆一様に震えていた。少なくとも、自分にはそう見えた。
だが、自分の声は震えていない。
当然だ、自分の愛は自分の中にある。
自分の愛を他人に渡そうとして怯えている他人に比べれば、自分はなんて幸せだろう。
自分の中には、疑う余地も無い自分の愛が溢れている。
愛の中に居て、愛が中にある自分は、幸せだ。
自分の中の愛を、奪おうとする他人が現れた。
自分に気づかれないように少しずつ、少しずつ、愛を奪っていく。
そして、いつからかその他人は、他人じゃなくなった。
自分の愛を奪った人。
今となってはその人が自分の愛を奪った理由は分からない。
何故自分に接し、話しかけ、笑っていたのかなど、もう分からない。
だが、確かにその時、自分の中にあった愛は、自分の中にだけあった愛は、奪ったその人の中にあった。
自分にだけ向けられた愛があれば良かったはずなのに、いつの間にか、その人への愛も芽生えた。
自分の中の愛が、減った気がした。
だが、不思議と嫌ではなかった。
自分の中にある、愛。
あの人の中にある、愛。
二つの器にある愛。
しかし、ある日突然、一つの愛が器を失った。
「彼女が、死んだ?」
それは、あまりにも突然の出来事だった。
他人だったはずの人が、自分の愛を奪った人が、当然この世から居なくなった。
理由は、知らない。
もしかしたら聞いたのかもしれないが、覚えているのは「飛び降り自殺だったこと」だけで、他には何も無い。
かつて無い喪失感が、自分を襲った。
だが、それでも狂ったり自棄になったりは、しなかった。
幼い子供が「何で自殺したりなんかするの?」と純粋に不思議に思う様に、自分は分からなかった。
つまり、知らな過ぎたのだ。その人を。
その人を、自分の中の愛を奪った人、としてしか知らなかった。
だから、考えるのも面倒なほどに分からない事だらけだった。
分かっている事は、ただ一つ。
あの人が奪った愛のあった部分、心のどこかに穴が空いたことだけだ。
自分の心は、かつて愛で満ち溢れていた。
自分自身の愛で。
だが、その愛は奪われた。
奪われた愛は、他人ではない人の中にあった。
だけど、その愛は、器を失った。
ちゅうぶらりんになった、自分の愛。
自分の心を愛で満たす方法は、知らない。
知らぬ間に、そうなっていたから。
自分の心の愛を取り出す方法は、知らない。
取り出そうと思ったことは無いし、愛の一部が無くなったのは奪われたから。
愛の欠けた心を癒す方法は、知らない。
どうすればいいのか、分からない。
器を失い、ちゅうぶらりんになった愛をどうすればいいのか、知らない。
分からない。
手を伸ばせば、届くはずだった。
だけど、その愛は、どんなに手を伸ばしても届かない所に行ってしまった。
愛を失った心は、愛を求めた。
愛を求めた心は、知ることを求めた。
きっと愛を手に入れるためには、知ることが必要だ。
何とも分からない事を知れば、何かがある気がした。
他人を知ろう。
人を知ろう。
彼女を知ろう。
再び、自分の心に平穏をもたらそう。
自分の愛でいっぱいの、穏やかな心を。
その為にもまず目を付けたのは、ちゅうぶらりんになった愛だった。
この愛の器は、何を想ったのだろう?
この愛の器は、何を想ってこの愛を手放したのだろう?
この愛の器は、この愛を失う時、何を想ったのだろう?
この愛の器は、全てを失った器は、何を想ってこの世を去ったのだろう?
この愛の器は、この世との決別を、どう感じたのだろう?
せめて、この愛が満足するような最期でありますように。
せめて、この愛の器となった彼女が、ほんの僅かでも幸せを…。
せめて、恐れのない、最期を…。
重い気持ちで目覚める石楠花の、過去の夢。
ゆるゆるの日常に戻るはずが、少し重い話になってしまいました。
現在の石楠花は、二十代後半設定です(たしか…)。ですが、この話や第七十五部の番外編は、二十歳前後、もしくは未成年の石楠花をイメージしてください。




