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天使に願いを (仮)  作者: タロ
(仮)
84/105

第二十話 天使不要、悪魔のゲーム(中篇)

ゲームが始まります。


悪魔の名前は、つけていません。面倒だからではなく、大中小と区別がつくようなので、いいかな…と。


「それでは各々方、スタート位置についてください」

 そう言ったのは、スクリーン・モニターのある方と反対側、VIP席の下の観客席、その最前列に設けられた放送席に座る悪魔だった。ここから先、雷趙は、スタートの合図をした後は観客の一人となるので、進行役や演出を他の悪魔に任せている。マイクで喋っているのは、その中の一体の悪魔だ。

 司会者のイメージとしてカラフルなストライプ柄のスーツと赤い蝶ネクタイを選んだ悪魔が、場を盛り上げようと実況を続けている。

 そんな中、迷路の入口に立つ椿達三人から少し離れて石楠花は、ひとり静かに、二画面になって自分達と対戦相手の悪魔を映し出しているスクリーンを見ていた。

「それじゃあ、頑張ってね」楸は、椿とカイに激励の言葉を掛けていた。そしてカイ、椿の順に拳を合わせると、楸は石楠花の方を向き、言葉を飛ばす。「石楠花。もう始まるよ」

「ああ、分かっている」

 そう応え、石楠花は、迷路の入口へ進んだ。

 この先、楸は何も出来なくなる。そのことを理解している楸は、迷路の入り口から離れ、石楠花とすれ違う時、彼にも声を掛けた。

「石楠花。頼むよ」

「何だ、それは?ギブアップしないよう念を押しているのか?」

「いや、そういう意味じゃ…」

「ききっ」弁解しようとする楸の言葉を遮るように、石楠花は笑った。「神にでも祈ってろ」

 そう言いながら手をひらひらと振る石楠花の後ろ姿を、楸は見送った。しかし、見送っていたら、後ろ姿が止まった。一度空を仰いで何か考えるようにしていると、「浴衣の」と後ろ姿が振り向いた。

「ん?何?」

「あんた、いつもアメくわえてなかったか?」

「ああ、うん」

「よかったらそれ、何本か貰えないか?さっきから小腹が空いているんだが、なにせいきなり連れて来られたからな、何も菓子持ってないんだ」

 石楠花の頼みに対し、「いいけど…」と楸は頷いた。「いつもは何か持ち歩いてるのかよ?」と雑談を交えながら、いつも自分が食べている棒付きキャンディーを石楠花に数本渡す。

「ききっ。すまないな」そう言うと石楠花は、一本のアメを包みを開けて自分の口の中に入れ、残りはコートのポケットにしまった。口の中に広がる桃の味をしばし堪能すると、「それじゃあ、行って来る」と再び楸に背中を向けた。

 脚のストレッチをしているカイ、自分の武器であるDグローブをはめる椿、二人の下に石楠花が加わり、椿達人間チームのスタート地点にプレーヤーが揃った。

「何だよ、それ?」とカイ。「アメなんか食って、楸のマネか?」

「まぁな」


 スタジアムの歓声が、一際大きくなった。

 スタートの時を今か今かと待ち続け、興奮する悪魔たちのうるさい声が渦巻く中、椿達は程良い緊張感を持ってゲームに臨めている。

「ききっ。いよいよだが、分かっているな?」口の端をつり上げて怪しげな笑みを浮かべ、曖昧な質問をする石楠花に、椿とカイは頷いて応えた。二人の真剣な表情を見て、満足そうに石楠花は笑みを浮かべる。「お前らが気にするべきは、三匹の悪魔だけじゃない」

「分かっている」椿は言った。「むしろこっちの悪魔、だろ?」

「ギブアップのルールがある以上、俺らはお前に命を握られているようなもんだからな」

 嫌そうな顔を隠すことなく、カイも、石楠花に言った。

「なら、やることも分かっているな」

「ああ」と椿。「俺かカイ、どっちかが一匹多く倒す」

「しかも、出来るだけ早く一匹目をぶっ飛ばして、さっさと石楠花を迷路から出す」

「正解」

 と、軽く顎を引く石楠花。

 三人一緒に行動する作戦もあるが、闘う時に相手が石楠花に狙いをつけたら護り切れるか分からない。だから、三人が生き残るためにはいっそ別行動の方が良い、という判断だ。

「だが、焦り過ぎるなよ。曲がり角でぶつかって、驚いている間にやられましたじゃシャレにならん」

「お前は?」とカイは、石楠花に訊いた。「お前はどうする気だ?」

「俺か? 三万も出したからな、ギブアップするのももったいない。何とか逃げ隠れしながら、ゴール付近で道が開くのを待っているよ」

「大丈夫かよ?迷ってたら、悪魔に出会う確率大だぞ」

 そう心配する椿の問い掛けに、愚問だ、とでも言うように石楠花は微笑を浮かべる。

「迷う?何故?」

「いや、何故って?つーか、だって迷路だろ、これ?」

「ききっ。さっきモニターに上からの映像が出た時、お前は何を見てたんだ?」

 石楠花の言葉に、「なっ!」「まさか?」と椿とカイの二人は息を呑んだ。

「大きな図の中で一か所が赤く点滅しているから、そこに視線が集中するのも仕方ない。だが、俺は闘う気が無いからな、説明無視でゴールまでの最短且つ相手とぶつかる可能性の無い道を探せたってワケだ」

「っても、ほんの数秒だろうよ?」

 と、カイが怪訝そうな視線を向けてくるが、石楠花は「お前らとは、ここの出来が違う」と自らの頭をトントンと叩いた。

 バカにされたカイは、不愉快そうに何か言い返そうとした。

 だが、その時。

 ドァ~ン! 

 ドラの音が、スタジアム内に響いた。

 ゲームスタートが目前であることを知らせるドラの音が余韻を残すスタジアム内は、静かに雷趙の号令を待った。

 ある者は、期待している。ある者は、不安を抱いている。ある者は、気合に満ちている。興奮し、鼻息を荒くしている者も多い。何を考えているのか分からない、不気味に笑うだけの者もいた。

 いろんな感情が渦巻くスタジアムに、雷鳴のような号令が轟いた。

「レディ・ゴぉー!」



 ゲームがスタートすると、椿達は、各々の思うままに進み始めた。

 椿は、最初は歩いてスタートした。だが、その足はだんだん速くなり、次第に長距離走を走るような感覚で進んでいる。しかし、石楠花の言っている事を忘れてはいなかった。

「はぁ…ふぅ…」

 曲がり角が見えると、椿は、足を止める。

 そして、陰に隠れながら行く先の状況を確認し、また走り始める。

 急ぎながらも慎重さを忘れず、椿は迷路を走り回る。


 カイは、スタートと同時に走り始めた。勢いよく、短距離走を走るように。

 曲がり角に来ても、その勢いは止まらずに飛び出す。

「おっとっと、やべ」

 と慌てて身を隠すが、一度飛び出した後にする安全確認に意味は無い。

 カイも、石楠花の忠告を忘れているワケではないのだが、椿に比べるといささか大胆さが目立つ。曲がり角に来ると、勢いそのままに飛び出して一度その先を見て、その後また引き返し、先の状況確認をしている。

 無駄な行動が目立つカイだが、その動きは速い。

 迷路の形状から言うとカイ達の左前方にゴールがあるのだが、カイは、ほとんど真っ直ぐ進み続けている。

 走り続けたカイは、格闘技のリングほどの開けた空間に出た。

「何だ、ここ? 寒っ!」

 いきなり冷蔵庫の中に放り込まれたような感覚を覚え、カイは、身体をさすった。

――何かいる?

 直感的にそう気付いたカイが視線を巡らせると、このエリアの隅に居る悪魔を見つけた。

 薬局の前にある置物のような体型の、カエルの様な顔をした悪魔。カイよりも圧倒的に小さく、脚は風呂靴のようで短いが、腕の長さだけはカイよりもある。

「ようこそ、私の氷の世界に」

「あ?」

 待ち伏せを受けたカイは、相手のフィールドと化したバトルスペースに飛び込んでもひるむことなく、武器を手にした。

 カイと小さな悪魔の闘いが、始まる。


 石楠花は、歩いていた。

 長い脚で大股に、その歩みには迷いが無い。

 スタートの号令の後すぐ、石楠花はアメを食べ終えていた。最後の方、棒にくっ付いているアメが小さくなると、それをガリッと噛んだ。アメと一緒に噛まれている棒が平たくなると、棒を口から出す。

 ゴミをポケットに入れるのと引き換えに、二本目のアメを取り出した。

 またアメを舐めながら、石楠花は歩く。

 頭の中にある迷路の全形を頼りに、悪魔たちのスタート地点側からなるべく離れたコースを進んでいく。

――幅は、二メートル弱ってところか?

 と頭の中で呟きながら、目測で通路の幅を計った。

――……あ~あ、何で俺が…

 色々考えたり思ったりしている間に、徐々にゴールが近付いて来た。

「おっ、ここだな」

 石楠花は、開始早々に一番乗りでゴールまで来た。

 だが、それは来ただけで、ルール上まだゴールは出来ない。目線を上げると確かにゴールと書かれた看板があり、その下には鉄製の扉もある。試しにドアノブに触れてみると、バチッと指先が痺れた。静電気だった。思わず手を引っ込めたが、再度手を出す。ドアノブを持ち、それをひねろうとするが、動かない。

「ま、当然か。相手を倒さないと開かないよう、どこかで操作しているんだろう」

 そう言うと石楠花は、扉に背を向け、寄り掛かった。

 アメを舐め、一度頭の中にある様々な考えを隅に追いやってぼんやりし、アゴを上げる。

 ジャンプしても絶対届かないだろうな、そう思いながら見る壁の向こうには、スクリーンがあった。場所によってはプレーヤーから見えなくなるだろうスクリーン画面は、不規則なタイミングで切り替わり、今画面には、対戦相手の悪魔と出会ったカイの姿が映し出されている。演出担当の悪魔が今一番盛り上がる場所を選んでは、そこを一面アップにして映したり、同時進行で見逃せない状況になれば画面を割って同時に映したりとしているからだ。それも全て、雷趙に満足してもらい、彼の評価を得ようと裏方で頑張る悪魔たちの努力だ。実況をしている悪魔も、雷趙に気に入られようと頑張る悪魔の一体だ。

 そんな悪魔たちの努力の甲斐もあって、スタジアムは熱狂の渦に包まれている。

 しかし、石楠花は、そんな歓声をどこか遠い場所のことのように感じていた。

――…存外…それほどの恐怖は無いな

 石楠花は、そう思った。自分がプレーヤーとして参加させられているゲームの最中に、まるでプレイ後のつまらなかったテレビゲームの感想を述べるような熱の無さで、石楠花は思っていた。

――ニット帽やネコ猿は、この状況に恐怖しているだろうか?これを見せられている浴衣のは? 恐怖も価値観だから、人それぞれ異なるのだろう。そうするとやはり、俺が感じたモノと彼女が感じたモノも、また違うのかもしれない。なら、俺は……――――

 思考の中にいた石楠花だが、ふとゲームに意識を戻した。

――何か近付いて来る

 そういう漠然とした気配を感じていたからだ。

 そして、その感じた気配が、気のせいではない事を知る。

「やぁっぱり居やがった」

 相手方悪魔の中で一番大柄な悪魔が、現れた。

 筋骨隆々の大男。牙や角もあるが、特筆すべきはやはりその筋肉だろう。筋肉を服にしているような悪魔が、ニタァッと粘着質のある笑みを浮かべている。

「いると思っ…」

 バンッ!

 石楠花は、悪魔の登場にも動じることなく、冷静に拳銃の引き金を引いた。

 放たれた銃弾は、発砲者の行動と同じく迷いの無い真っ直ぐな弾道を描き、悪魔に向かっていた。

「てめぇ…」悪魔は、眉間に皺を寄せて怒りを露わにした。「話の最中に撃つんじゃねぇよ!そこは話聞けよ!いきなり発砲とか、何考えてんだ!」

「お前こそ、何考えてんだ?」顔を引きつらせ、石楠花は言う。「銃弾を拳ではじくなんて、イカレてる」

 石楠花の放った銃弾は、悪魔にガードされていた。素人の銃が上手くいくワケが無いと考えていた石楠花は、一番的の広い身体の胸辺りを狙って撃った。案の定、少し狙いとは外れたが悪魔に当たる軌道で真っ直ぐに銃弾は飛んでいた。

 しかし、石楠花の言う通り、その銃弾を悪魔は自らの拳ではじいた。

 いきなりの攻撃で、とっさの反射に近い動きだった。だが、まるでハエを追い払うように、裏拳で銃弾をはじいた。

 引きつった顔の石楠花を見て、悪魔はまたニタァッと笑った。

「例えば、人間がBB弾で撃たれて死ぬか?」悪魔は言った。

「場合によっては…」

 石楠花が改造エアガンの仕組みを思い出そうとしていると、悪魔は言った。

「俺様の拳は、鉄より固い」

 ガリッとアメを噛み砕き、棒を強く噛みしめ、石楠花は言う。

「やべぇな…少し怖くなってきた…」


 カイが小柄な悪魔と遭遇し、石楠花が大柄な悪魔に対して若干の恐怖を持った頃、椿は走っていた。曲がり角では慎重に、直線の通りでは素早く。

 そうやって走っていると、椿は「おっ」と何かを見つけた。

「随分広い場所に出た。ここか?バトルスペースって?つーか、広過ぎだろ」

 椿は、言った。

「違います」

「あ?」

 すぐに否定する声が聞こえ、椿は、不満げに上を見た。

「そこは、悪魔側のスタート地点です」実況の悪魔が、冷ややかにそう言った。「あなたは今、迷路から出てしまっています。すぐに戻ってください」

「え?ウソぉ!」

 と椿が驚いていると、「何バカやってんの、椿!この方向音痴」という楸のバカにする声や「椿、テメェ!遊んでんじゃねぇぞ!」というカイの怒鳴り声が、遠くから聞こえた。

「カハッ…ッハッハッハ!」

 雷趙も、思わず腹を抱えて笑った。

 恥ずかしさに頬をうっすら赤らめた椿は、「くそっ!」と迷路に戻った。



「ったく、あんのバカが!」

 迷子の椿に呆れたカイは、気を取り直して悪魔を見据えた。

「少し変わった方がお仲間にいるようですね」悪魔は言った。「苦労の程、お察しします」

「まぁな」

 愛想なく応え、カイは右手に武器を構える。

 カイの武器は、三段階に伸縮する棒状の武器、ロッドである。一番短い状態でポケットサイズ、長くすれば一メートル弱までなる。

 今は、様子見ということで最長段階の一歩手前の長さにしてある。

「武器を構えたということは、闘う気ですか?」

 悪魔のその質問に「ったりめぇだろ」とカイは応える。

「椿のバカには期待できねぇ。俺には次も控えているんだ。悪いが、一瞬で終わらせてもらう」

「ほっほ」悪魔は、笑った。「それは怖い。ですが、焦り過ぎは禁物ですよ」

 バトルスペースの隅に居る悪魔。

 その悪魔に、ロッドの先端を向けるカイ。

 両者睨み合ったまま、牽制し合っている。特にカイは、相手が悪魔と言うこともあり、その手の内が全く読めず、動こうにも動けないでいた。

「来ないのですか?」

「テメェから来いよ」

「では、お言葉に甘えて」

 そう言うと悪魔は、おもむろに両手を上げた。

 長い腕を前に伸ばし、カエルの手の様に指の細長い手をひらいている。

 悪魔に掌を向けられたカイは、言い知れぬ不安を感じた。

――何か来る!

 そう直感したカイは、とっさに横に跳んだ。

「ほっほ。よくお避けになられた」

 悪魔の掌から、氷が飛んできた。

 それは、氷柱。

 悪魔の掌から勢いよく飛ばされた氷柱は、カイが寸前まで居た空間を貫き、壁に当たって粉々に砕けた。

「マジかよ…手から、氷出しやがった…」

 驚き、唖然とするカイに、悪魔は言う。

「当たれば痛いじゃ済みませんよ」

 余裕の笑みを浮かべる悪魔を、カイはキッと睨みつける。

――落ち着け

 カイは、自分に言い聞かせた。

――氷を飛ばしてくるのはちょっと予想外だったが、ピンチってわけじゃねぇ。確かに速さもあるが、見切れないスピードじゃない

「どうかなさいました?黙ってしまって」

「うっせぇ」

「確か、一瞬で終わらせるのではなかったか?」

「うっせぇっつってんだろ!今すぐその余裕面を崩してやるよ!」

「ほっほ。それは、楽しみですね」

 そう言うと悪魔は、再びカイの方に向けて掌を突き出した。

 その悪魔の動きを見て、カイも動き出す。

「今度は、避け切れますかな?」

 そう言った悪魔の掌から、氷柱が何本も飛び出した。

 氷柱の連続攻撃が、カイを襲う。

「くっ…」

 歯噛みしながらもカイは、その連続攻撃を何とか避け続けた。

 右に左に、しゃがんで跳んで、避け切れない氷柱はロッドではじいた。

 氷柱の攻撃をかわしながら、カイは考えていた。

――氷の攻撃は確かにすごいが、たいしたことないな。あいつは遠距離タイプだろうから、懐に入れば俺のモンだ

 止むことの無い氷柱の攻撃を避けながら、カイは、少しずつ悪魔との距離を詰めた。

 近付くにつれ、氷柱の軌道を見切るための距離も短くなる。迫りくる目前の攻撃だけを見ていては、すぐにやられる。

 次は、次は、と先を見据えて攻撃をかわす。

 そして、攻撃を避け続けたカイは、自分の間合いに入った。

――いける!

 そう思ったカイは、右足を蹴り出した。

 だが、その攻撃を寸前で止め、一足飛びで退いた。

「はぁ…はぁ…」

 息を切らすカイの頬に一筋の赤い切れ目が現れ、そこからタラリと血が流れた。

「素晴らしい反応です。が、やはり焦りは禁物ですよ」

 悪魔は言った。

 その悪魔の右手には、先の尖った氷が付いていた。先程まで無かった、まるで氷の剣が。

 自らの手を直接 覆うように付いている氷の剣で、先程悪魔は、カイを突き刺そうとした。

 その攻撃を、間一髪の所でカイは避けた。

 蹴りを止めていなかったら、あと少し反応が遅れていたら、おそらく目を潰されていただろうことは、カイ自身が一番分かっていた。

「それに、あまり私を舐めない方が良い」

「へっ…上等だ、クソ蛙!」


 ゴール近くの通路は、他の場所よりも若干広さを感じさせた。この迷路にはゴールへ辿り着くルートがいくつかある為、ゴール付近を整理することやゴールが近いことをプレーヤーにそれとなく感じさせるためという、雷趙の考えからだ。実際、石楠花と大柄な悪魔は、それぞれ別の方向からゴールに来た。

 そして今、ゴール付近の通路で、石楠花と悪魔が向き合っている。

「ここに来れば、お前に会えると思っていたぞ」

「なに?」

 石楠花は、眉をひそめた。

 不可解さを露わにする石楠花を見て、出し抜いてやった、というような勝ち誇った笑みを浮かべながら、悪魔は話す。

「言っていたよなぁ、お前。自分は闘えない、自分は弱い、と」

「ああ。言ったな。なんとか同情を引いて、ゲームから逃げたかった」

「あの発言のお陰で、俺はここに来られた」

「…どういう意味だ?」

 石楠花がそう訊くと、種明かしを楽しむように、悪魔はさらに笑みを大きくした。

「実を言うとなぁ、このゲーム、悪魔の方は抽選に当たらないと参加できないようになっているんだ。みんな参加したくて競争率が高く、大変でなぁ」

「そうなのか。俺なんて投票箱に名前を入れた覚えも無いのに当選した。俺の幸運をお前に分けてやりたいよ」

「くっく。それでな、みんなゲームに参加したがるんだが、理由はそれぞれなんだよ。自分の力を披露したいヤツ、稀にいる人間にしては強いヤツとの遊びを楽しみたいヤツ、ただただ人間をいたぶりたいヤツ。様々だ」

「なら、あんたは?」

 石楠花が訊くと、悪魔は、目を見開き口角を目一杯上げ、言った。

「人間を、いたぶりたいヤツだ」

「ききっ。いい趣味だ」

 石楠花は、引きつった笑みを浮かべた。

「他二人は違うようだがな。俺は、弱い人間をいたぶりたくてゲームに参加した。逃げまどう姿を楽しみ、少しずつ痛めつけ、絶望に泣き叫ぶ声が聞きたい。だから、お前が雷趙様に命乞いした瞬間、俺はお前に目を付けた。弱くて闘えないヤツなら強くて闘える仲間に頼るだろう、自分は一刻も早く安全な場所へ行く為にゴール付近で隠れているだろう。 どうだ?間違っているか?」

「いや、完璧だ。惚れ惚れする」

 石楠花がそう称賛の言葉を贈ると、悪魔はニタァッと歯をむき出して笑った。

――さて、どうするか…?

 石楠花は、考えた。

 背中に、冷や汗が流れる気がする。抑えようにも何故か顔が笑ってしまう。口の中が渇く気がする。アメが、もうほとんど無くなっていた。

 また最後の小さくなったアメを棒ごと噛み、棒を平らに潰す。

 新しいアメと交換しようと、棒を持つポケットに入れた時だ。

「爆弾か?」

 悪魔が言った。

 その言葉に反応した石楠花は、眉をピクッと上げた。

「なに?」

「拳銃が効かないと分かるやいなや、今度は手榴弾で奇襲を掛けてくるのかと思って」

 違ったか、と確信を持って尚確認するような悪魔の口ぶりから察し、石楠花は「そうか…」と呟いた。

「武器を選んでいる時、スクリーンに俺らの姿が映っていたということか」

「その通り。だから知っているぞ、お前の武器は、拳銃と手榴弾。相手に近付く勇気も無い、闘えないヤツが護身用に選ぶ武器みたいだな」

「ききっ。手榴弾って、護身用の武器らしいか?」

 そう言われ、揚げ足を取られた気がした悪魔は、一瞬不愉快そうに眉をピクッとさせた。

「すかしやがって」悪魔は、吐き捨てるように言った。「お前の手の内は知れている。衆人環視の中、武器を選ぶからだ」

「ご忠告どうも」石楠花は、微笑をたたえて応えた。「お前の言う通り、手榴弾はいくつか持っている。が、安心しろ。ただのアメだ」

 そう言うと、石楠花はポケットからアメを取り出し、口に入れた。

「アメなんて舐める余裕、お前にあるのか?」と不愉快そうな悪魔。

「ないよ。けど、腹が減っては逃げられぬ、ってな」

 言い終わるが早いか、石楠花は、悪魔目掛けて銃を撃った。

 その銃弾は、「無駄だぁ」と簡単に拳ではじかれてしまった。

 しかし、悪魔が一瞬銃弾をはじくのに足を止めている所を逃さず、瞬時に踵を返して悪魔に背を向け、石楠花は自分が来た道を引き返して走った。

 その石楠花の逃走する姿は、悪魔を喜ばせた。

「そうだ!せいぜい逃げろ」悪魔は、追う前に叫んだ。

「疲れ果て、希望を失った所をなぶってやる」



 椿は、走っていた。

 椿はまだ、闘う相手を見つけられないでいる。

「クッソ!どうなってんだ、この迷路!」

 実はこの迷路、そこまで複雑な作りではない。バトルスペースを探したり相手を探したりということをせず、ただゴールを目指せば、ゴールに行き着くのに十分もかからない。

 そのことが、椿にとって裏目に出ている。

 椿は複雑に考え過ぎているため、あっちにいくなら逆にこっちから、のような無駄な行動が多く、結局似たような場所をグルグル回っている。

 あとは、単純に運が悪く、相手と遭遇出来ないだけ。

 しかし、そんな椿も、とうとう悪魔を見つけた。

「寒っ!つーか、カイ?」

「椿!」

 椿は、カイの所に来ていた。

「何やってんだよ、テメェ!」とカイは、椿を一喝した。「遊んでんじゃねぇぞ!」

「遊んでねぇよ!」椿も、反論する。「つーか、迷うんだけど、ここ!」

「ったりまえだろ!迷路だぞ!」

 椿とカイが言い合いをしていると、その様子を隅で見ていた悪魔が「ほっほ」と笑い、椿とカイの視線を集めた。

 気を張って真剣な眼差しで悪魔のことを見ていた椿は、ちらっと横目でカイを見る。

「どうした?頬から血ぃ出てるぞ」

「迷子に心配される程のモンじゃねぇよ」

 その言葉に頬を引きつらせて怒りを見せる椿だが、それをグッと堪え「代わろうか?」と訊いた。

「うっせぇ、人の闘いに手ぇ出すな」カイは、椿の申し出を一蹴した。「さっさと自分の敵を見つけろよ」

「チッ!」

 敵を見つける手間を省けると思っていた椿は、目論見が外れて舌打ちした。

「ほっほ。私は、二対一でも構いませんよ」

 悪魔は言うが、「っせぇ、クソ蛙」と椿は、相手への関心を失くしていた。

 椿は、カイに背を向けると「負けるなよ」と一言、バトルスペースから出て言った。

――何で俺だけ…

 気落ちしそうになった椿だが、なんとかまた頑張る迷子になった。


「マジで、あのバカは…」

 迷子の椿に呆れたカイは、気持ちを切り替えた。

「ほっほっほ。大変ですねぇ」

 悪魔は言った。

「あ?」

「変わった方がお仲間で。それにたしか、もうお一方も闘えないと公言なさっていましたよね。余計なお荷物が多いようで、心中お察しします」

 その言葉に、カイは目を見開いた。

 震えるほど歯を噛みしめていたが、その力をフッと抜いて脱力する。

「………へ」カイは、静かに笑った。「何をお察したか知らねぇが、ふざけんなよ」

「ん?何です?」

「荷物だと? ざけんな!俺のダチをバカにすんじゃねぇ」

 カイは、怒りをぶちまけた。

 怒ったカイと悪魔は、また睨み合った。

 バトルスペースに、張り詰めた緊張感と沈黙が生まれた。

 静寂を破って先に動き出したのは、悪魔の方だった。また掌から勢いよく氷柱を発射し、カイを狙い撃つ。だが、それをカイは、余裕でかわし続ける。

――速いっ!

 動きが格段に速くなったカイに、悪魔は初めて動揺の色を浮かべた。それまではロッドでガードしなければならないような状況に追い込んだこともあったが、それが今では全く無くなった。

――くっ…ちょこまかと…!

 確実に近づいてくるカイに、悪魔は焦りを浮かべた。

 しかし、カイの攻撃に合わせ、カウンターで氷の剣を出し、その場をしのぐ。

 カイは、また一足飛びで攻撃をかわし、間合いをとった。

――厄介だな、あの氷…

 カイは、思った。

 飛ばしている氷柱をそのまま手に纏わせるようにして、氷の剣は出現する。その為、両手で氷柱を飛ばしている状態から、素早く片手を氷の剣にするのに生じる隙は、ほぼないに等しい。しかも、相手は、カイよりも小さいのに、腕だけはカイの脚くらい長い。そこに氷の剣のリーチが加われば、相手の間合いに入るだけでも至難の業だ。

――飛んでくるのはなんとか避けれっけど、あっちの剣みたいなのは難しいな。…もしあいつが中央で構えていれば、走りまわって撹乱することもできるけど、あいつは隅から動く気もなさそうだし。…スピード上げても見切られたら、上げた分の速さがアダになってカウンターを避けられなくなるよな。仮に剣をロッドで防いだとしても、その時 俺の間合いには入れてないだろうし、鍔迫り合いみたいなことやってたら氷柱も飛んでくる

 カイは、シミュレーションしながら勝利を引き寄せる方法を探した。

 だが、なかなかいい方法が思い浮かばず「チッ」と舌打ちする。

 しかし、それは悪魔も同じだった。

 最初は余裕で勝てると思っていた悪魔も、今や勝機を見失いかけていた。

――あの少年、かなり速いですね。ただの人間なら氷柱の攻撃だけで済むでしょうし、仮に氷柱の攻撃をかいくぐって反撃できたとしても、氷の剣で一突きだというのに。スピード、反射神経、身軽さ。少し相性が悪かったでしょうかね…?

 そう考える悪魔の顔に、一筋の冷や汗が流れた。

「クソ蛙が」

「私がカエルなら、あなたはお猿さんでしょうか?」

 闘いは、両者一歩も引かない互角の体を成して来た。



 一方、ゴール付近の闘い。

 石楠花は、走って逃げる。逃げる石楠花を、悪魔は早歩きで追う。追って来る悪魔と十分離れる事ができると、石楠花は振り返って拳銃を撃つ。しかし、それを悪魔は拳で払う。そして、また石楠花は逃げる。

 この一連の行動が、しばらく繰り返し行われていた。

「いいのか?ゴールがどんどん遠くなるぞ」

 そう言ってからかい挑発する悪魔だが、不敵な笑みを浮かべる石楠花に「いいわけないだろ。あんた、バカなのか?」と返され、逆に「減らず口を叩くな」と機嫌を悪くした。

「ききっ」

「その薄ら笑いをやめろ!」

 本来は泣き叫び、助けを乞うべきはずの獲物が、自分をバカにするような態度をとっている。そのことは、悪魔を不快な気分にさせた。しかし同時に、効かないと分かっているはずの拳銃に頼り、強がりながらも結局逃げ続けている獲物の姿は、快感でもあった。

 獲物は、必死に逃げている。

 石楠花は、すぐそこに曲がり角があることを確認し、相手との距離が十分開いていることも確認すると、振り返って一度足を止めた。

 そして、悪魔の足を狙うにしても全くの見当違いである地面に、銃を撃った。

 石楠花のその行動の意図が読めず、悪魔は、足を止めて銃弾の当たった所を見つめた。

「どこを狙っている? 普通にやっても当たらないからって、跳弾を狙ったのか?」

 浅知恵を嘲笑うように、悪魔は言った。

「ききっ。まさか」

 そう応える石楠花の左手には、手榴弾が握られていた。自分の撃った見当外れの銃弾に悪魔が気を取られている隙をついてポケットから取り出し、既にピンも抜いていた。

 石楠花の手に握られている手榴弾に悪魔が気付くよりも一瞬早く、石楠花は、手榴弾を投げた。

 投げるとすぐ、石楠花は走って曲がり角を曲がる。

 投げるとすぐ、悪魔も曲がり角目指して走る。

 バァンッ!

 手榴弾が弾ける寸前に、悪魔も曲がり角を曲がっていた。

 しかし、すぐにまたバンッ!と音がした。

 悪魔は驚くが、状況を把握してニタァッと笑う。

「手榴弾の奇襲も、失敗に終わったようだな」

 悪魔の視線の先には、拳銃を構える石楠花がいた。

 悪魔の言う失敗した奇襲とは、こうだ。

 石楠花は、手榴弾を投げた。勢いよく、悪魔の後ろまで。元々手榴弾で仕留められると考えてはおらず、石楠花は、手榴弾を囮に使ったのだ。害虫駆除で燻り出した所を叩くイメージで、いきなり変化した手榴弾による攻撃から逃げる悪魔が角をまがった瞬間、そこを石楠花は拳銃で狙いにいった。

 作戦は、ほぼ成功だった。悪魔の虚を突いて手榴弾で攻撃出来ていたし、実際に悪魔も慌てて回避した。ほぼ、石楠花のイメージ通りだ。

 しかし、石楠花は安全を考慮して、曲がり角から距離を取って銃を撃った。

 それがいけなかった。

 素人の銃は、離れた動く標的には当たらなかったのだ。

「あちゃ」

 茶目っ気を出してそう言うと、すぐに身を翻し、石楠花は逃げた。

 走りながら弾倉を抜きだし、石楠花は残り弾数を確認した。

――あと二発か

 ポケットには別の弾倉があって余分に銃弾はあるとはいえ、状況的には余裕が無い。

――今ので決められないとなると……


     楸


 ハラハラする。

 ヒヤヒヤする。

 ハラヒヤだ。腹が冷えたみたいだ。

 雷趙から「一緒にこっちで観戦しないか?」とVIP席へ招待されたが、あいつは嫌いだからそれは断った。俺は今、武器が乗っているテーブルをゴール付近へ移動させ、武器をどかして確保できたスペースに座り、スクリーン越しに椿達の状況を見ている。

 カイは、苦戦しているようではあるが、それほど心配は無い。元々人間が勝ち残れる確率が一割程度のゲームにあって、悪魔と対等に戦えているだけで、カイは十分善戦していると言っていいだろう。

 意外なことに石楠花も、諦めずに闘っている。ここまで闘えているのは「相手がよかった」ということも大きいだろう。もしもカイの相手のように闘うことを楽しむ悪魔や、殺すことだけを目的として参加するような悪魔が相手なら、すでに決着はついていただろう。けど、闘えない弱い相手を追いつめて痛めつける、という悪魔が相手だから、石楠花は何とか逃げ続けていられる。それに、石楠花自身、奇襲奇策を仕掛けて頑張っている。

 石楠花も心配だが、俺を一番ハラヒヤさせるのは、椿だ。

 知っていた事だけど、再確認。

 あいつ、バカだ。

 そこさっきも通った!左折、左折、左折、左折…って一周してる!立ち止まって考えて、お前みたいなバカが突破口でもみつけられると思っているのか?

 そんなことが、何回もあった。

 ただの迷子みたいになっている椿は、テレビ番組の左上にあるワイプのように扱いが小さくなり、その後、結構早い段階でスクリーンから消えた。スクリーンで見る事ができるのは、石楠花とカイのどっちか、もしくは二画面になっての両方で、椿は本当にたまにしかスクリーンに現れない。もし出ても、一瞬だ。

 簡単に負けるようなヤツじゃないけど、状況が分からないから、迷子の椿が一番俺をハラヒヤさせる。

「おい、まだなのか?」

 ん?

 焦る声に反応して振り返ると、実況席で悪魔が二匹、何やら揉めていた。

 実況席は、俺や雷趙のいるVIP席と同様にスクリーンとゴールが一度に見えるこちら側の観客席、その最前列にある。だから、近くにいる俺は耳を澄ますと、その悪魔の会話が聞こえた。

「まだだ」実況の悪魔の問い掛けに、別の悪魔が応えた。「まだ半分も準備できてない」

「だから言っただろ!もっと早くから念入りに準備していないと、本番で困ることになるって」

 実況の悪魔は、小さく声を荒げた。

 マイクに声が入らないように配慮しているが、その様はまるで、行き当たりばったりのノープラン旅行で不足な事態が生じてしまいケンカしているようでもある。何かこのゲームの進行上でトラブルでもあったのだろう。

「どうするんだ!いくら演出は任されているとはいえ、あまりグダグダなようだと雷趙様に叱られるぞ!」

「そんなこと言ったってお前、事は容易じゃないんだよ!どこに居るのか足取りが掴めないヤツもいるし、そもそも一人はどんなに探しても見付からない」

 何があったか知らないが、相当切羽詰まっているようだ。

 う~ん、と唸りながら考え込んでいる。

「あ、おい」実況の悪魔が、何か閃いたようだ。「一人は、もう準備が出来ているのか?」

「ああ。いつでもOKだ」

「どいつのヤツだ?」

「あの…ニット帽のヤツ」

 ん?

「なら、丁度いい」

 何をするつもりなのか知らないが、実況の悪魔が笑みを浮かべた。

 椿に何かするつもりなのか?

 悪魔たちが何を考えているのか知らないが、やっぱり椿は、俺をハラヒヤさせる。


     ○


「ゲームの途中ですが、スクリーンの方にご注目ください」

 実況の悪魔は、言った。

 VIP席は別だが、普通の観客席からは迷路の中の全貌が見えにくくなっている為、ほとんどの観客は既にスクリーンを見ている。

 実況の言葉は、迷路の中のプレーヤーに向けられていた。

 カイと小さな悪魔は、闘いを一時中断させた。迷子のヤツも、足を止めて辺りを見渡してスクリーンを探す。石楠花は、相手が立ち止まったのを確認してから曲がり角の手前まで移動し、相手に意識を払いながらスクリーンを見上げた。

 スクリーンには、実況の悪魔が映っていた。

「それではいいですか?」そう前置きをしてから、実況の悪魔は話し始めた。「ゲームの途中で大変恐縮ですが、この先の展開が緊張感あふれるものになるよう、ある演出を加えさせてもらいます」

「演出?」とカイは首をかしげた。

「それは、こちらです!」

 その言葉を合図に、画面が切り替わった。

「榎!」

 椿は、叫んだ。

 画面に映し出されたのは、公園のベンチに座っている榎の姿だった。

 榎を斜め上から映すその画は、静止画ではなく動画なのだが、榎に動きは無い。待ち合わせをしているようでチョコンとベンチに座っているだけで、撮影されている事に全く気付いていない。

 スクリーンに榎が映し出され、椿は「おい!あいつに何するつもりだ!」と怒鳴り声を上げている。黙ってはいるが、楸もカイも、静かに怒っていた。

 あっという間に映像は切り替わり、またスクリーンには実況の悪魔が出た。

「彼女は、人間側プレーヤーの中の一人が大切に想っている人間です。今すぐ何か危害を加えるような事は、決してしません。が、もしもそのプレーヤーが負けた場合、彼女には犠牲になってもらおうと思います」

「なっ…ざけんな!あいつは関係ねぇだろ!」

 椿は、叫んだ。

 楸も、怒りの矛先を雷趙に向けて、彼を無言で睨んだ。だが、楸の視線に気付いた雷趙は、俺は何も関与していない、まあ黙って見てみようじゃないか、とでも言うように腕を広げてニヤリと口角を上げた。

 実況の悪魔は、説明を続ける。

「つまり、彼女は人質です。ゲームをクリアすれば無傷で解放しますが、もしもの場合は…」意味深にそこで一度言葉を区切ると、「さあ!」と声を張り上げた。「あなた達の大切な人たちがどうなるか、あなた達の肩にかかっています!危機感と緊張感を持って、ゲームを頑張りましょう!いつまでも迷子じゃ、ゲームはクリアできませんよ」

 そして、実況の悪魔は「それでは、ゲーム再開です」と締めくくった。


「くそ!」椿は、怒りにまかせて壁に拳を突き立てた。「ざけんなよ…何だってんだ…」

 怒りの感情が、だんだん不安に変わってきた。

 ゲームに臨む時、自分が死ぬかもしれないとしても、椿はそこまで怖いと思わなかった。しかし、榎の身に危険が迫っている事を知ると、急に不安と恐怖が椿を襲った。

――どうする?…や、つーか、早く悪魔を見付けてぶっ飛ばすしかねぇ

 焦る気持ちのまま椿は走り出そうとしたが、「大丈夫だ!」という声が椿を止めた。

「石楠花…?」

「ニット帽、ネコ猿にも言っておく」石楠花の声が、聞こえた。「怒るのは大いに結構だが、焦るな。焦りは、余計な緊張を生むだけだ。大丈夫。絶対とは言わないが、浴衣のがいることを考えれば、不安に思うことは無い。それに、勝てば済む話だ、やることは何一つ変わっていない。そうだろ?」

 石楠花の声が聞こえなくなると、椿は息を吐き出した。そして、一度深呼吸をする。

 焦りから暗闇の中にいるように周りが見えなくなった所に、やるべきことが明確に分かったことで、その暗闇の中でも進むべき先を照らす光を見つけられた。

 椿の中から、少しだけ恐怖心がいなくなった。


「他人のことを気にする余裕が、お前にあるのか?」

「余裕とか、そういう問題じゃない」距離を取って悪魔と向き合う石楠花は、微笑を浮かべながら応えた。「あの馬鹿ガキ二匹が焦って十分に力を発揮できないまま負けたら、俺がゲームをクリアできる可能性はほぼゼロになる。賭け金もパーだ。余裕とかじゃなく、しなければならないことなんだよ」

 石楠花が言うと、悪魔はニタァッと粘着質のある嫌らしい笑みを浮かべながら「そうじゃないだろ?」と言った。

「ん?」

「気付いているはずだ、人質は一人じゃない、と」

「………」

「もう一度聞く。他人のことを気にする余裕が、お前にあるのか?」

「……俺の大切な人、ねぇ………居るなら、連れてきて欲しいくらいだ…」

 石楠花は、静かに呟いた。

「あ?」

 その言葉は、悪魔の耳には何か言った程度で届き、何を言ったのかまでは分からなかった。

 だが、そんなことはどうでもいいと、石楠花は笑みを見せる。

「ききっ。言っておくが、三流演出家のやったことは、お前らに決定的敗北をもたらす」

「なに?」

「忠告しよう、そして予言しよう。人間は、感情一つで強くも弱くもなる。だから、あの演出は失敗だった。お前も、負けたく無ければ口には気を付けることだ」

 悪魔は、額に青筋を立て、眉間のしわを濃くした。

 その様を楽しみながら、石楠花は続ける。

「予言だ。ここから、ゲームは一気に終わりへ進む。お前らの敗北と言う結末に向けて」

 言い終わると、石楠花は急いで逃げた。



 鋭い眼光で睨みつけるカイに対し、悪魔は微笑を浮かべていた。

「どうしたのですか?」

「あ?」

「先程まで激昂しておられたのに、ずいぶん落ち着かれたようだ」

「別に…てか、まだ怒ってるし」カイは、静かに応えた。「ただ、石楠花が大丈夫だと言った。よく分かんねぇけど、楸もいるから大丈夫だって」

「そういえば言っておられましたね。〝粛殺″に何ができるのか知りませんが、それがあなたが落ち着いているのとどう関係あるのです?」

「さあ?」

 カイは、首をかしげた。

 カイの返答が予想外で、悪魔は目を丸くした。

「石楠花はムカつくけど頭の良いヤツだ。あいつが大丈夫って言うなら、俺みたいなバカが心配しなくても、きっと大丈夫だ」

 カイが言うと、悪魔は、溜め息一つ「わかりませんね」と呆れを見せた。

「わかんねぇだろうよ」

 そう言うとカイは、ロッドを持つ右手を前に、膝は軽く曲げ、戦闘の構えを取った。

 両者の力は今、概ね互角となっている。

 それを両者ともに感じ取っている為、どちらも迂闊に動けないでいる。

 しびれる様な緊張感の中、「一つ、いいですか?」と悪魔は訊いた。

「あの女性、あなたの恋人か何かですか?」

「友達だ」

「では、あなたに大切な人は?」

 その質問に対しカイは、頬を赤く染めながら柊のことを思い浮かべた。

 だが、次の瞬間、照れも吹き飛ぶような熱い感情が湧きあがった。

――大切な人、たち…?

 実況の悪魔の言葉を、カイは思い出した。

「もしかして、柊さんも人質に…」

 カイの予想は、半分当たっていた。ゲーム前のリサーチの結果、カイの大切に想う女性は柊だろう、と悪魔側は捉えた。しかし、いざゲームが始まってみると、柊の所在がつかめず、人質と出来ていないのが現状だ。

 そのことをカイはもちろん、目の前の小柄な悪魔も知らない。

 だが、均衡を崩す為にも相手を挑発し、冷静さを失わせるのが一番だと悪魔は考え、このような問い掛けをした。怒りと焦りで行動が直線的になれば、そこを氷の剣で一突きにし、勝つのも容易くなると踏んだのだ。

 それは、カイを獲物ではなく敵だと認識し、勝つ為の選択だった。

「おい、もしその人に指一本触れてみろ。この会場にいる悪魔全員ぶっ飛ばすぞ」

「ほっほ。無理ですよ。あなたは、ここで死ぬのだから」

 悪魔は笑ったが、直後、自分の選択は間違いだったと知る。

「なっ…?」

 悪魔は、カイに殴られた。

 殴られたと気付いたのは、頬に痛みを感じたから。驚いたのは、カイが目の前に突然現れて、既に自分を殴っていたから。

 とっさに氷の剣を横に払っても、カイはとっくに間合いの外にいた。

――速い!速過ぎる!

 カイの動きは、目で追うのがやっとという捉え難い速度になっていた。

 悪魔は、それまで経験したことが無いほどの戸惑いを感じていた。

 そして、戸惑いは焦りに変わり、恐れに変わった。

――この私が、たかが人間に恐れを抱くことなど…

 その思いを否定しようとがむしゃらに氷柱を飛ばすが、当たる気配はまるで無い。

 それでも攻撃を続けていると、何かが飛んでくることに気付いた。

 それは、カイの武器であるロッドだった。

「こんなもの!」悪魔はそれを、氷の剣ではじいた。「私の真似事にしては、あまりに陳腐な攻撃ですね!」

 その皮肉めいた言葉は、誰にも届いていなかった。

 ロッドに気を取られた一瞬のうちに、カイがいなくなっていた。

「消えた?彼は、何処へ!」

「こっちだ、クソ蛙!」

 声に反応して上を見上げると、カイの右足が目の前にあった。

――なるほど。ロッドの攻撃で隙を作り、空中へジャンプする。まるで消えたように錯覚する私との間合いを一気に詰め、最後は落下の勢いを乗せたかかと落としですか

 そう理解すること無く、悪魔は、脳天への一撃をくらった。

 ピクピクと意識を保とうとしていた悪魔も、すぐにバタッと倒れ、動かなくなる。

 カイの勝利である。

「へへっ。これでとりあえず、俺の天使は無事ってことになるのか」

 口にした瞬間、とてつもない恥ずかしさに襲われた。


 運の悪い悪魔が、いた。

 ゲーム参加の抽選で運を使い果たしたかのように、運の悪い悪魔。

 その悪魔は、椿達と似たような体格をしている。特別大きくも無ければ、小さくも無い、人間のような外見。〝火″の属性を持つ彼は、特殊な能力として口から火の弾を出せるが、それほど強力な技でも無い。パワーはあるが、拳で銃弾をはじける程ではない。

 ゲームに参戦している他二体の悪魔と比べると、突出したモノはないが、それはバランスが良いということの表れでもあった。

 事実、多少腕に覚えのあるだけの人間がこの悪魔と闘っても、ものの数秒で肉塊と変わるだろう。

 ただ、この悪魔、運が悪い。

〝粛殺″の異名を持つ天使と知り合いの人間ならば、ただの人間とは違うだろう。そう思い、面白い闘いができると期待してゲームに臨んだ。そしていざゲームが始まると、いち早くバトルスペースに来て、相手が来るのを静かに待っていた。真剣勝負に臨む武士のように、静かに気を充実させていたのだ。

 だが、いくら待っても相手が来なかった。

 これはおかしい、そう思って自ら相手を探しに言った後、その無人となったバトルスペースに対戦相手となる椿が来た。

 このようにすれ違いが多く、ここまで全く良い所がない悪魔だ。

 しかし、闘えば間違いなく強い。

 椿と闘っても互角以上の勝負をしただろうし、高い確率で勝利を収めたかもしれない。

 ただ、やはり運が悪い。

 曲がり角を曲がると、前方の角を曲がってきた椿と出会った。

 ずっと捜し求めて来た対戦相手だ。ホッとし、喜びに顔を崩しもした。だが、すぐに気を引き締め、まだ離れている対戦相手と向き合った。

 もう一度言うが、相当高い戦闘力を持つ悪魔だ。普通に椿と闘ったら、決着がどうなるか分からない。

 しかし、今の椿は、普通ではなかった。

 榎の件で怒り、ゲームに勝って榎を助けたいという気持ちが強くなり、その結果〝願いを叶えやすくする力″で身体能力が爆発的に高まっている。

 その力は、一足飛びで一気に間合いを詰め、パンチ一撃で相手を倒すほどだった。

「邪魔だぁ!」

 その椿の声を、殴り飛ばされて宙に浮いた状態で、悪魔は聞いた。

――えっ?

 驚きで声も出ず、結局一言も発すること無く、何もしないままゲームに負けた。

 運の悪い悪魔だった。

 もっと早いタイミングで椿と出逢っていれば、あの演出が無かったら。

 運の悪い悪魔は、あっけなく椿に負けた。

 そんな運の悪い悪魔だが、一つ、嬉しいこともあった。

 ゲーム終了後、雷趙からの評価が書かれている紙が届いた時、そこに『一瞬だったが、あれはあれで面白かった』と好印象を残せたと窺い知ることができる内容が書かれてあり、誰にも知られること無くにんまりと笑みを浮かべた。



 叫びにも似た歓声の中、「だーい波乱!まさかの展開!人間二人がそれぞれ、悪魔を倒したぁ!」と実況の悪魔も叫ぶように言った。

 バケツをひっくり返したという表現が使われる大雨の様な、圧を持った頭上からの叫び声を肌で感じた大柄な悪魔は、まさか、という焦燥感に駆られていた。

 まさかあの二人が人間に負けるとは。

 そして、まさかこの男の言っていた通りの展開になるとは。

「ききっ。予言は当たった」

 二人は今、バトルスペースの両端に立ち、向かい合っている。

 石楠花は、ゲーム中に笑みを絶やすようなことはほとんどなかった。そして今も、口角を上げてニヤリとしている。

 しかし、ずっと同じような笑みなのに、悪魔には違って見えた。

「もしかして、このままいけるとか思っていないか?」悪魔は、石楠花の笑みは余裕から来るものだと思い、「勘違いしているようだが、俺は、他二匹と比べ物にならないほど強いぞ」と、その不快な笑みを崩そうと脅しをかけた。

 だが、「おかしいな」と石楠花は、笑みを絶やすことなく返す。

「俺は、他二人と比べ物にならないほど弱いはずだが」

「くっ…!調子に乗ってんじゃねぇぞ!」周りの空気を震わせるような怒号にも、石楠花は動じない。「いつまでもスカしてんじゃねぇ!」

「口に気を付けろ」右手を軽く前に出し、まるで口を閉じろとでもいう仕草をする石楠花。「先程も言ったはずだ。何がきっかけで、お前が地に伏すことになるかわからない」

 石楠花の挑発に、悪魔はブチ切れそうになった。

 震えるほどに、歯を噛みしめている。

 だが、キレる寸前の思考が途切れた頭に、ふとある疑問が生じた。

――おかしい

 悪魔は、思った。

――この男は、自分は闘えないと言っていた。弱いから、と。だが今は、闘えると言っている。まるで、力ある強者のように。そこにある矛盾!いや、矛盾ではない。この男は、直接的に闘うとは言っていない。この男が弱いことに、間違いは無い。俺を倒す可能性を持っているのは、他の二人の人間。この男の狙いは…

「なるほど」悪魔は、言った。「分かったぞ、お前の狙いが」

「ほう…」

「お前の言葉は、全てハッタリ!お前は、こうやって俺を挑発するようなことを言っているが、その狙いは俺を逆上させることではない。真の狙いは、ただの時間稼ぎだ」

 そう言うと、悪魔は「どうだ、間違っているか?」とニタァッと笑った。

 笑みには笑みで。

 石楠花は、ニタァッと悪魔のマネをする様な粘着質ある笑みを浮かべると、半身になって拳銃を構えた。

「全て、間違いだ」

 石楠花はそう言うと、右腕を真っ直ぐに伸ばし、銃口を悪魔の額に向けた。

「なに?」

「疑うのなら、ここで決着をつけよう」

 その言葉は、悪魔をブチ切れさせる引き金となった。

 どちらにしろ ここで石楠花を消すつもりだった。が、まさか勝負を挑まれるようなことになるとは思っておらず、自尊心を傷つけられ、何より自分の考えを否定して笑う男が許せずに、悪魔は動いた。

 悪魔が動くと同時に、石楠花は引き金を引いた。

 だが、

「無駄だというのが、まだ分からないか!」

 悪魔は、左手の甲で銃弾をはじいた。

 そのままの勢いで、悪魔は石楠花に迫り、右の拳を振った。

 この時、二つの影が初めて交わった。



 静寂だけが、スタジアムにあった。

 椿やカイも足を止め、誰もがスクリーンに視線を注いだ。

 一つの影は立っているが、もう一つは地に伏している。

 倒れているのは、石楠花だった。

 空を仰ぐように倒れ、左肩を抑えている。

「くぁ…バカ力が…」石楠花は、呻き声を上げながら立ち上がった。「左肩がイカレちまうところだ…」

 石楠花が立ち上がると、今度は悪魔が膝をついた。

 腹部をなでると、手には血がべっとりと付いていた。その血を見ると、力を失ったように、悪魔は前のめりにズドンと倒れた。

 そして、そのまま立ち上がることができず、痺れる身体で首だけを動かし、自分を見下ろす男を睨みつけた。

 いつものように「ききっ」と甲高い笑いをすると、石楠花は言った。

「俺の勝ちだ」

 スタジアムから、静寂が消えた。


 石楠花の勝利に、「マジかよ…」と椿は唖然とし、カイは開いた口がふさがらず、楸も「ははっ」とただ乾いた笑いをするだけだった。

 誰もが予想外だった。が、その中でも一番理解できないのは、石楠花に負けた本人だ。

「何故だ…?何故だ…?どこで、何を間違えた…?」釈然としない事だらけだが、その中でもまず自分の腹に刺さっているナイフが、疑問の中心だった。「あいつの武器は、拳銃と爆弾だけだったはずだ…?」

「俺は欲張りでな、護身用にナイフも欲しかったんだ」

 悪魔の疑問に、石楠花は答えた。

「何時…?お前は、ナイフは手にしていなかったはずだ…?」

「まぁ、モニター越しで見ていたお前がそう思うのも、無理は無い。実際、自分が手放したナイフが次の瞬間消えていた事に、目の前にいたヤツも気付いていないようだったしな」

 その言葉で気付いたのは、カイだった。

「あいつ、俺の為みたいに言っておいて、結局自分がナイフを隠し持つ為かよ…」

 カイは、驚くと同時に呆れた。

「少し手品をかじっていた事があってなぁ、気付かれないように物を消すのは、そう難しいことじゃなかった。今ここで腕前を披露できないのが、残念だ」石楠花は、残念そうに頭を振ったが、その顔は笑っていた。「モニターに映っていようがいまいが、たくさんの目がある場所で武器を選ぶ以上、一つくらいは隠し持っておきたかったと思うのは当然。そして、都合良くナイフが手に入ったから、それを奥の手にして作戦を考えた」

「さ、作戦…?」

 思いもよらぬ言葉に驚く悪魔より、「おいおい…まさかこの結末が、奇跡だとでも言うのか?」と石楠花はさらに驚いた演技をした。

「このゲーム、一番怖いことは何だと思う?」

 石楠花の問い掛けに、悪魔は応えなかった。

 もとより、石楠花も返答は期待していない。

「それはな、相手を選べない事だ」石楠花は、言った。「迷路という性質上、何処で誰と遭遇するか分からない。俺は、ちゃんと弱い。そんな俺は、未知の相手と戦ったら、まず間違いなく負ける。だから俺は、相手を選ぶことにした」

「そんなこと…」

「出来るワケ無い?」悪魔の言葉を奪い、石楠花は言った。「本当にそう思うのか?事実、俺は『闘いを楽しむというよりも殺すことに快感を覚える様な、自分が負けるとは全く微塵も疑っていないヤツ』を指名したら、そいつは来たが?」

 あれか、と悪魔は思い至った。

「だからわざと…〝粛殺″と代わるフリをして、自分が弱いことをアピールしたのか」

「正解。交代出来たら一番良かったのだが、出来なくとも良い。俺は、自分の命を餌にしてでも、相手を選ぶ必要があるからな。ガチで闘えば、負けは必至。生き残るには、闘っている感覚もなく殺しに来る相手が絶対条件だから」

「くっ…」

 悔しがる相手の反応を愉しみながら、石楠花は続ける。

「作戦と言うにはあまりに粗末な最初の奇襲攻撃が失敗した時、俺は不安を覚えた。闘うつもりはあっても、いざ相手が目の前に、しかも銃弾を拳ではじくようなヤツが来れば、どうしても不安や恐怖は生じた。だが、あんたはご丁寧に俺の招待を受けて来たことを教えてくれた。あの時のあんたの言葉は、『大丈夫』と背中を押してくれる様な心強さがあったよ。ほんと、感謝する」

「くそっ!くそぉおお!」

「覚悟が決まった俺は、逃げた。最初から逃げる事は計算のうちだった。逃げながら勝機を窺うつもりだったから、そういう意味でも闘いを楽しもうというヤツより、無様に逃げる姿を楽しんでくれるヤツの方が都合良かった。そして、逃げながら俺は、奥の手が確実に決まるように、色々策を練った。本当は手榴弾と銃の二重攻撃で仕留められたら良かったが、失敗したからな、最後のだけは失敗できないと慎重にやったよ」

「策…?」

「策と言っても、いわゆるブービートラップの類じゃない。ただ、あんたの攻撃を誘導しただけだ。俺の都合上、攻撃は顔面への拳打がベストだった。だから、わざと笑ってみせたり口うるさく喋り続けたりした。『ずっと薄ら笑いを浮かべてやがる、何を言っても口の減らないこの男は言い返して来る、そういえば最初に自分が喋っているのを妨害しやがった』。あんたは、それに近いことを思ったはずだ」

 言われて、悪魔は思い出す。

 たしかに、無意識ではあったが、顔を狙って拳を振った。殴った後に僅かでも意識が残っていたとして、死ぬ寸前に笑みを見せられたら当分消えることの無いストレスになる。闘いの中でアメなんて舐めやがって。

 今となっては細かく思う所もあるが、それでもあの時も獏然ながら「殴るなら、顔」と決めていた事は覚えていた。

「準備は出来た。こちらが二勝挙げて相手に焦りも生じているだろう、タイミングもいい。俺は、最後の勝負に出た」石楠花は、両手を広げて芝居がかった仕草を見せながら語った。

「あの時、半身になって隠していたが、左手にはすでにナイフを握っていた。銃での攻撃は、殴ってくる手を確認するため。それも出来れば右手で殴って欲しいから、気持ちあんたの左側を狙った。はじいた手でまた殴るとは考えにくいから、これで右の拳がくるだろうと、予測できた。あとは、俺はあんたにナイフの刃を突き立てるよう、身体を反時計回りに回転させながら左斜め前に倒れ込むだけだ。俺の力だけだと刺さらない可能性も考えられたから、あんたの突進力を利用させてもらった。お陰で、左肩がまだ痛い」

「全て、お前の作戦通りだったということか…」

 悔しそうに歯噛みしながら、悪魔は言った。

 だが、石楠花は「いや」と首を横に振る。

 今までの薄ら笑いが消えた石楠花の顔に悪魔が違和感を覚えていると、石楠花はまた、静かに語りだした。

「確かに作戦通りではある。だが、自分で言ってみて思ったが、随分穴だらけの作戦だと、今になって思う。誘いに乗ったのが、逃げることを許してくれないヤツだったら?もっと早いタイミングで、あんたが勝負を付けようとしたら?そもそもナイフが刺さらなかったら?挙げ出したらキリが無い。こんな作戦でよく俺は大丈夫だと思えたと、自分で自分の神経を疑うよ」

 そして、石楠花は「だから、あんたに二つほど謝りたい」と前置きし、言った。

「まず、忠告が不十分かつ機を逸したものであったこと。あんたは、自分の口ではなくむしろ俺の口にこそ、もっと早く注意を払うべきだった。次に、二つ目。先程の俺の言葉を取り消したい。この結果は、本当に偶然なのだと今になって思う。奇跡的に、俺は勝った。あんたの負けは、奇跡的だ」

 そう言うと、石楠花は悪魔に背を向け、「ききっ」と笑いながら歩き始めた。

 悪魔は、悔しくて血がにじむほど、歯噛みした。

 出来ることならあの男を殺したい。一切の油断なく、作業的に肉片へと変えてやりたい。石楠花の背を見ながら悪魔は思ったが、それが叶わぬことであると知っていた。

 身体が痺れて、ほとんど動けない。

 腹に刺さっているのは、雷趙が作ったナイフだ。雷趙の力が身体の中に流れ込み、動きを封じている。人間に敗れる様な自分に雷趙の力に抗うだけの力が無いことは、悪魔本人が一番理解していた。

 悪魔は、睨みつけることしかできなかった。

 敗者の傷口に嬉々として塩を塗り込む、悪魔の様な人間の背中を。


もう少し続きます。


もう少しですので、どうかお付き合いください。

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