第二十話 天使不要、悪魔のゲーム(前篇)
ひとつ前の話の後書きでも書きましたが、諸事情で空白の時間が空いております(ほんと、すみません)。その空白の時間で起きた事は、この話ではそれほど重要ではありませんが、無関係でもありません。しかし、それでも空白の時間が空くのは気持ちが悪い、などと思われた方は、この話は無視してください。今後の番外編などへの影響は、少ない話です。
それでも読んでやるよ、という方へ。
空白の時間において何があったか、今回の話に関係する事を以下に書きます。
・カイが専用の武器を手に入れた。
・楸の心境に少し変化があり、天使の矢を再び手にするようになった。
この程度です。椿は、一切変化ありません。
では、第二十話どうぞ。
何百年も昔。
世界中に点在する天使の館、その本部、天使たちの総本山とも言うべき建物に、一体の悪魔が侵入した。侵入というにはあまりに堂々とした、正面からの登場だった。
けたたましいサイレン音の侵入警報を受け、天使たちは抵抗しようとした。
さらなる侵入を防ぐために守り、悪魔を滅しようと攻撃した。
しかし、そんな天使達を嘲笑うように、その悪魔は進む。まるで背の高い草を払いよけながら進むように、必死の抵抗を見せる天使達を意にも介さず、悠々と進んだ。
「カハッ!邪魔をするな。交渉をしに来ただけだ」
その悪魔は、笑いながら言った。
天使たちがその悪魔の主張を聞こうともせずに抵抗を見せる中、上層部の幹部とでも呼ぶべきあらゆる決定権や権力を持つ天使たちは、一つの結論を出した。
「話を聞くだけでも…交渉に応じよう」
それは、苦渋の決断だった。
しかし、不要な犠牲を増やすのを止めた、ということでは英断だった。
その悪魔は、悪魔たちの世界である魔界において、絶対的な地位を築いていた。『力が全て』という面の強い魔界でそれを可能にするだけの力も、当然持っている。
その凶悪で強大な力を持つ悪魔は、天使たちの世界にもその雷名をとどろかせていた。
だから、そんな悪魔を相手に話し合いで事が済むのなら、と天使たちは悪魔の主張を聞いてみることにした。
悪魔は、上層部の幹部天使たちが待つ部屋に通された。
天使の力なんて意にも介していないのか、話し合いの場における参加者や護衛の数などの指示を、悪魔は一切出していない。なので、室内には幹部天使の他に、護衛の天使も数名いる。室外にも、万が一に備えて臨戦態勢をとる天使たちが大勢いる。
しかし、そんな緊張状態を保つ天使たちとは対照的に、その悪魔は笑みを絶やさない。
「今日は一つ、ゲームの開催を宣言する為に来た」
悪魔は、笑みを浮かべながら言った。
悪魔の言うゲームとは、人間をプレーヤーとするものだった。毎回趣向の違うゲームで、人間をプレーヤー又は駒として使い、それを見て楽しむものらしい。
そのゲームに関与する人間の命は、保障されない。
そんな理不尽なゲームの開催を、天使側は認めた。
世界中で神隠しなどの伝説と共に原因不明の失踪事件が絶えないのは、天使側が、この悪魔の申し出を聞き入れたことに一因する。悪魔のゲームに参加させられる人間が悪魔に連れて行かれても、そこに天使が関与することは無い。認めることはできないと批判的な立場を貫くことも出来た。が、聞けば一度のゲームで犠牲となるだろう人間は数人程度であるし、ゲームもそれほど頻繁には開催されない、多くて一年に一度だと、悪魔は言う。
苦渋の決断であったが、もし断った場合に起こり得るだろう、目の前に居る悪魔が機嫌を損ねた状態で暴れ回ったり、言と違って手当たりしだいの人間を危険に巻き込もうとしたりするようなリスクを考えたら、悪魔の申し出を承諾するしかなかった。
小を切り捨て、大を守ることにした。
これは牽制だ、と天使たちは思った。
悪魔のゲームの為に犠牲になる人間がいても、これから先、ここでの事があるので天使たちはその人間を救えない。それどころか、悪魔たちが、その場で直接的に人間に危害を加えず『連れ去る』という選択を取った場合、背後に構えているかもしれないこの悪魔の事が頭をよぎり、天使たちの動きが鈍ることだって考えられる。
「本当の狙いは…何だ?」
一人の幹部天使が、耐え切れなくなって訊いた。
自ら危険を承知でここまで来たのだ。それなのに、ゲームを開くということだけを伝えに来たとは、到底彼らには思えなかった。
「カハッ」と悪魔は、吹き出すように笑った。「本当の狙いも何も、言ったろう?ゲームを開催することを宣言する為に来た、と。ゲームの運営を円滑に行う為にも、人間を連れてくる際に毎度貴様らに邪魔をされてはかなわん。ゲームの存在を知っておいて欲しい、それが俺様がここに来た理由だ」
そう言うと、悪魔は天使たちに背を向けて帰っていった。
その威圧感という強大なオーラが漂う後ろ姿、「釣りはいらねぇ」と言って大物感を出そうとする人間が全くの小物に思えるほどの威風堂々とした後ろ姿に、天使たちは唖然とした。次元の違う存在を前に、ただただ息をのむしかなかった。
「それにな」と悪魔は、背中で言った。
「カハッ。筋は通さなきゃなるめぇよ」
これが、悪魔のゲーム、その開催宣言となった。
○
白木支部長は、高橋の部屋を訪れた。
コンコンッとノックを二回してから「お邪魔します」とかしこまって部屋に入る白木を、椅子にふんぞり返った状態で高橋は出迎えた。
「よぉ。支部長様がわざわざ、何の用だ?」
仮にも上司を相手に、無礼を承知で口元に笑みを浮かべながら、高橋は迎え入れた。
しかし、神妙な顔をして近づいて来る白木を見て、何かあると察し、高橋も表情を引き締める。
「あのさ」高橋のデスクの前に立ち、白木は言った。「これは、支部長としてじゃなく、一人の友人として話すことだと思って聞いて」
「……どうした?白木」
「…あのゲームが、また開かれる」
その一言で、白木の言うゲームが何なのか、高橋は見当がついた。
「座って話そう。これじゃあ、友人同士というよりも上司と部下みたいだ」
高橋は言った。
来客用のソファーに先に腰掛け、白木は訊く。
「どっちが上司なの?」
「そりゃあ、お前だろ。何言ってる?」
「自信がなかったもので」
「どうしたっていうんだ?」
「いや、僕に威厳が無いのか、全然上司として接してくれない人もいるからね」
白木の皮肉を「くくっ」と笑って聞きながら、高橋はお茶の用意をした。
電気ポットに水を入れてお湯を沸かし、お湯を急須に入れて、湯呑茶碗に緑茶を注いだ。一つは、魚の名前の漢字がいっぱい書かれている湯呑で、もう一つは、受け皿付きの立派な焼き物の湯呑だ。
「ほれ」
「ありがと。これで、魚偏の漢字には困らないよ」
「すし屋で恥をかく事も無い」白木の正面に座ってお茶を一口すすると、高橋は「それで…何だって、それを俺に言う?」と訊いた。
話が本題に入り、二人は表情を引き締めた。
「今まで何百年と続けられたゲームだ。そのゲームに、俺ら天使は基本ノータッチ。それとも、招待状でも届いたのか?」
「うん」
「届いたのか?」と高橋は驚いてみたが、あながち無いことでもないと思い直す。「あの変人のしそうなことだ」
「というよりもね、毎回届けられているらしいんだよ。ゲームに参加させられる人間がいる所、そこが管轄となっている支部の支部長の下には」
そこまで話を聞くと、高橋はピンときた。
「おい…まさか…」
平静を欠いた様子の高橋を見て、これは話すよりも直接見てもらった方が早いと判断し、白木は、自分宛てに届いた招待状を、封の切られた封筒に入れたままの状態で渡した。
高橋は、封筒の中から手紙を取り出す。
その手紙には、こう書いてあった。
『前略。また、ゲームをしたいと思います。この手紙が届く頃には、もうゲーム会場が出来上がっていることでしょう。この場所でどんなワクワクする展開が繰り広げられるのか、それを考えると、今からワクワクします。ワクワクし過ぎて会場設営の手が止まってしまうほどです(それではダメですね、ちゃんとします)。それはさておき、今回は三名の人間にプレーヤーとして出ていただく予定になっています。なので、ゲームの結果次第では、同封する写真の人間がいなくなることも考えられます。後々騒ぎになると大変だと思うので、ゲーム開催の挨拶を兼ねて、ここで伝えさせていただきます。詳しい日時・場所については、別紙に記してあります。例年通りなら悪魔も多数観覧に来る危険な場所です、観覧に来られるときは、それを御承知下さい。それと、くれぐれもゲームに関する一切のことで邪魔だけはなさらぬよう、お願い申しあげます。それでは、失礼します』
手紙を読み終えると、高橋は、同封されていた写真を見た。
「あの腐れ変人が…」
想像していた通りの展開に高橋は、苦い顔をして歯をギュッと噛みしめた。
椿
気が付いたら俺は、悪魔に囲まれていた。
何でこうなったのか、理解できずにただ焦る気持ちを抑え、思い出してみる。
確か今日は、朝から大学行ったんだ。午後の時間を有意義に過ごせると思って午前にやる授業を多く取ったことを後悔しながら、授業を受けたんだよ。それで、今日は午前で講義は全部終わりだから、帰りに本屋にでも寄ろうとして…あ、そうだ、その時大学構内でカイに会ったんだ。カイと会って、本屋に行く前に、あいつと一緒に学食で昼飯食ったんだ。それで、何食ったっけ…?や、これはどうでもいいのか…。 次は、メシ食った後だ。カイも午後無いって言うから、あいつと一緒に学校出たんだ。で…そうだ!この時、あいつと一緒に歩いていたら、前からでっかいおっさんが来たんだ。でっかいなぁって思いながらすれ違って、そん時だよ、なんかビリッと来て、そっからの記憶が無ぇ。
ざっと思い出せる限りの経緯を思い出した俺は、横を見た。
隣では、カイがまだうつ伏せに寝ていた。寝ているというより、気絶させられているのかもしれない。ビリッとしたあの感覚、静電気よりも何倍も強い電気は、たぶんスタンガンかな、それで気絶させられて、連れ攫われたってとこかな。
どうやら、俺とカイの二人は、悪魔に拉致されたらしい。
俺達が今いるのは、サッカー場や野球のドームというよりは、マンガとかでしか見たこと無いけど古代なんかのコロッセオだかいう円形闘技場に似ている。一部にしか天井は無く、安全とかは二の次の、土や石で出来たスタジアムには、所々にヒビや壊れが見える。
そして、俺達の居るサッカーグラウンドの倍はあろうかという地面をグルッと取り囲むように高い壁があり、その先に観客席が作られている。
悪魔が座る、観客席が。
観客席には、到底人間とは思えないビジュアルの方々が、興奮している。角や尻尾は当たり前、肌の色が紫だったり羽や牙が生えていたり、人か宇宙人かの二択で問われたときに「だってうねうねしてるもん」と間違いなく宇宙人だと即答するような形容し難いやつもいる。
あれらは観客席に座っているし、いきなり襲って来るような事は無いだろう。
そう願う。
深呼吸をして、悪魔たちのことは一旦忘れ、現状把握に努めよう。
どうやら、俺らはスタジアムの中央に居るワケではないらしい。スタジアムの中央にあるのは、砂を固めた地面に居る俺達より一段高い石の地面にある、謎の巨大建造物だ。高さはそれほどでもない、たぶん二mくらいなのだが、とにかく横に長い。
スタジアムの中央に石で出来た舞台、それだけで俺は、そこが闘いの場であるとすぐに見当付くのだが、あの煉瓦らしき石を組み立てて作られた建造物が何かまでは分からない。
それにしても、と俺は思う。
普段からマンガのような世界に憧れているからなのか、それとも既に悪魔 (髪の青い、元悪魔)を見ているからなのか、いきなり悪魔に囲まれた謎の場所に放り出されたというのに、意外と冷静な自分に驚く。もしかしたら、驚きも一周して、頭が変になっているのかも。
「ふぁ~」
俺が自分の頭の中の神秘について考えていたら、呑気な声を出してカイが目覚めた。
「よお。ずいぶん遅いお目覚めだな」
「うるせえ。ん…? てか、おい!ここどこだよ?」
寝起きにしてはやたらうるさく、カイは取り乱した。
状況から察して、カイも俺と一緒に連れて来られたのだろう。だとすると、こいつから何か有益な情報が利き出せるとは思えない。また、このバカに一から説明するのも面倒だ。
「わからん」俺は言った。「わかんねぇけど、どうやら俺達二人は悪魔に拉致されたらしい」
「マジかよ…?…マジ…みたい、だな」
周囲を見渡し、カイは、難しい顔をした。
「クソ!逃げるにしても、たった二人でこの数、どうしろってんだ…」
観客席に座る悪魔の数は、数千では足りなそうだ。立っている悪魔の数も入れたら、万はいくだろう。
絶望的な状況に顔をしかめた時、「二人じゃねぇよ」と言う、聞き覚えのある声がした。
その声の出所を探して辺りを見回すと、スタジアムの中央に置かれている謎の建造物の影から、黒いロングコートをなびかせながる人影が現れた。
そして、忘れもしない「ききっ」という独特の甲高い笑い声と共に、その男は現れた。
「俺もいる。三人だ」
「「石楠花!」」
予想外の、戦力としてカウントするには余りに頼りない、三人目の登場だった。
「俺も、連れて来られた」俺達の前に立ち、石楠花は言った。「気が付いたのは、あんたらより先だ。で、少々暇だったんで、他にも連れて来られたヤツがいないか捜したり、あの建造物が何かを観察したり、まぁ色々と暇潰してた」
石楠花が言うと、気味悪い物でも見るような視線を石楠花に向けて、「よく悪魔に囲まれた、どこかも分からないような場所でうろうろ出来るな、お前…」とカイは言った。
「お前こそ、よく悪魔に囲まれた場所でいつまでもぐぅぐぅ寝ていられるな」
「なっ…うっせぇよ!」
「ききっ。なに、ただ何も分からないまま待つ方が、俺にとっては怖かっただけだ」
「何か分かったのか?」
俺は、石楠花に訊いた。
「ああ」石楠花は、余裕の笑みを浮かべながら応えた。「どうやら俺達は、これからここで、何かのゲームをやる」
「ゲーム?」とカイ。「何でだ?」
「さあな?ゲームやる理由なんて、楽しむ為じゃないか?」
「そう言うこと聞いてんじゃねぇよ!」カイは、語気を荒げた。「何で、これからゲームやるって思ったのか、そっちだ!」
「あぁ」いかにもわざとらしい、そんな笑みを石楠花は浮かべていた。「それを知りたいなら、あっち見てみろ」
そう言うと、石楠花は自分の左斜め後方を顎でしゃくった。中央の謎建造物が四角形だとして、俺らのいる面と右に隣り合った面、その方向の観客席だ。
言われた通りにそっちの方を見ると、さっきは悪魔たちの印象が強過ぎて見落としていたが、見落とすには余りに存在感のある物があることに気付いた。
「スクリーン・モニター…?」
「ああ、たぶんな」
古代な雰囲気の強いスタジアムには不釣り合いな、何も写っていない真っ黒な巨大スクリーンがあった。それも、現代技術の進歩を感じさせる、薄型のスクリーン。
「それに、スクリーンがある方の逆側の観客席には、マイクが置かれた席もあった。スタジアムの所々には、スピーカーらしきものが見られる。まさかここにアイドル連れてコンサートってこともあるまい。殴り合いの格闘技なのかボールを使ったスポーツなのかは分からないが、たぶん、何らかのゲームがこの後行われる」
石楠花が言うと、不思議とそれまで以上に「何かある」という漠然とした現実感が強くなり、俺達は緊張して唾を飲んだ。
しかし、緊張感を知らないのか、笑みを絶やすことなく、石楠花は続ける。
「なぁ、ネコ猿。お前にはあの建造物、何に見える?」
「ネコ猿言うな!」と怒った後、カイは目を凝らして見た。「う~ん、石のブロックで出来た…壁?」
「はぁ」呆れるように、石楠花は溜め息をついた。「まぁいい」
「おい、よくねぇって顔に書いてあるぞ!」
「へぇ~」
「おい、テキトーにあしらうな!」
ギャーギャーうるさいカイのせいで話が進まない。
「で、アレが何か、お前分かるのか?」
話を進める為に、俺が、石楠花に訊いた。
「ああ。まず、アレは壁じゃない。壁に見えるのも仕方ないが、壁ではない」
「うっせぇな。じゃあ、何だよ?」と不満げに訊くカイ。
「建物だ。たぶん、中が迷路になっている」
「迷路?」
「歩いてみた感じだが、ざっと100m四方ってとこかな。サッカー・フィールドより少し大きい位だと思う」
「迷路ってのは、何で分かるんだよ?」とカイ。
「こっち側の右隅に一か所、反対側のちょうど正面に同じように一か所、さらに左の側面にも、こちらは大体中央に一か所、つまり、正方形の建物の中の、三角形でいう頂点の位置に、出入り口がある。中を覗くと、すぐに道が曲がっていた。まぁ、根拠はそれだけなんだが、迷路や迷宮と思っていいと思う。中も同じように石のブロックで出来ているようだったから、まぁ壁に見えても仕方ないのかもしれない。だが、まさかこの状況で壁とは…」
「うっせぇよ!お前は見てきたから言えるだけだろ!」
カイが怒鳴ると、まるでその怒声を合図にしたかのように、一匹の悪魔が動いた。
「そろそろ、時間だ」
その声は、スクリーンと反対側の観客席、そちら側にだけ付けられている屋根から聞こえた。声に反応して見ると、そこはただの屋根ではなく、中が窓の無い部屋になっていて、VIP席みたいだ。さっきの声は、そこの部屋に居る悪魔の声らしい。
不思議なことに、観客席の悪魔達がざわつく中で、特に声を張り上げたワケでもないのに、その悪魔の声は良く通った。
その悪魔が椅子から立ち上がり、俺達を見下ろせるよう縁に寄った。
「おい、カイ…」
「ああ」
俺達は、その悪魔の姿に見覚えがあった。
「あいつ、あの時のやつだ」
「あのでっかいおっさん…」
それは、俺達が気絶する直前、道ですれ違った男だった。見間違えるはずもない、二メートルを超える長身に、濃いグレーのスーツの上からでも分かる引きしまった肉体。肩幅は広く、プロレスラーのように膨れ上がった筋肉の鎧でも、ボクサーのように極限まで引き締めたような研ぎ澄まされた筋肉でもない、その中間のような鍛え抜かれたガタイだ。そして、中でも目を引くのは、あの頭だ。手入れが行き届いた感が全くしない伸ばし放題伸ばしているぼさぼさの髪、除雪されて道路脇にある雪を思い出させるような薄汚れた灰色の髪の毛。
首の上と下のギャップも印象強かったから、よく覚えている。
「あのおっさん、悪魔だったのか…」
俺が言うのとほぼ同じタイミングで、その悪魔が咳払いを一つし、話し始めた。
「それでは、ここにゲームの開始を宣言する!」
その宣言を聞くと、観客席の悪魔たちが一斉に「うおお!」という雄叫びにも似た歓声を上げ、スタジアムを熱狂と興奮で満たした。
このスタジアムの中で俺ら三人だけが取り残されている、そんな気分だ。
「ほらな、俺の言った通りだ。今からゲームするとさ」
と石楠花は、冷静に言った。
だが、悪魔たちの声がうるさく、ほとんど聞こえない。
しかし、近くに居る石楠花の声はほとんど聞こえないのに、遠くのVIP席に居るあの悪魔の声は、よく通る。マイクを使っているワケでもないのに、だ。
「今回のゲームは、迷路の中での戦闘だ!あそこに居る本日のゲスト・三人の人間と、三体の悪魔、それが迷路の中で闘い、勝った方のみが迷路から抜け出せる!簡単にいえば、そういうゲームだ」
「うおおぉ!」
歓声が、一層強くなった。
「すげぇな。ここまで、ほとんど石楠花の予想通りじゃねぇかよ」
悪魔たちの割れんばかりの歓声に戸惑いながらも、感心してカイは言うが、意外なことに石楠花は、それに応えなかった。左手で口元を触りながら、無表情で黙っている。
「石楠花…」
俺も声を掛けたが、反応は無かった。
たぶん、焦っているのだろう。
俺もカイも、これから悪魔と闘うことになると聞いて、喜ぶようなことは当然ないし戸惑いもするが、まだ落ち着いていられる。悪魔と渡り合えるのか分からないが、程度はどうあれ、闘える力を持っているからだ。
しかし、石楠花は、闘う力を持っていない。
確かに頭の回転など知力は群を抜いた物を持っているかもしれない。が、知力がここで役に立つとは、思い難い。
たぶん、ゲームのルール如何では何とかなると思っていた所に、はっきりと『戦闘』と言われてしまい、少なからず動揺しているのだろう。
「おい!」無意味かもしれないが、一応「いきなりゲームするとか、何故俺らがそんなことをしないとならない!」と俺は、VIP席の方に向けて、不満だと叫んだ。
その俺の声に反応し、俺らの方を見下しながら無表情に、悪魔は言う。
「その質問に答える意味は、ない」
やっぱり、一蹴された。
ゲームは強制参加らしい。
さて、どうしようか、そう思った時だった。
「答えてやりなよ、雷趙」
どこからか、声がした。
その声を、俺達は良く知っている。
そいつは、俺達の後方にある、観客席の一部を切り取って作られた、選手入場口の為のような通路から、現れた。
「クソ天使!」
天使が現れると、会場の空気が一転した。
水を打ったように一度静まり返る。そして、ポツポツと誰からか話し始めた。
「おい、あいつ見てみろ」「あれって、楸じゃねぇか?」「おい、そうだよ」「誰だ?そいつ」「知らないのか?」「あれだよ、天使のくせに人間殺したっていう」「ああ、粛殺の天使か!」「楸だ!」
そうなると、また会場が一斉に沸いた。
仮にも敵であるはずの天使の登場に、恐怖するどころか、むしろ歓迎する雰囲気さえある。
「いいぞ!」「げひゃひゃひゃ!」「お前もゲームに参加しろ!」
下卑た歓声を浴びながら、アメもくわえず、いつものお茶らけた感じのない真剣な表情をした天使が、俺達の方へと歩み寄った。
ちょうどいい。渡りに船だ。
俺はそう思った。
こいつに泣き付くのは絶対に嫌だが、それでも事情を知っていそうなやつが来てくれたことはありがたい。
何か有益な話でも、と思うのだが、しかしうるさい。
このうるささ、何とかならないのか?
俺が、そう思った時だ。
「うるせえ」
VIP席に居る悪魔の一言で、会場が一気に静かになった。
先程も感じたが、不思議な感覚だ。声を張り上げたワケでもないのに、その悪魔の声はよく通る。まるで、地震が起きる時のようだ。静かだが確かに感じる地響き、それをとっさに感じ取った時に恐怖で一瞬黙る。それと、似ている気がする。
それほどまであの悪魔が凄まじいパワーを秘めている、そういうことなのだろうか?
まぁ、とにもかくにも、これで話し易い環境になった。あの悪魔も、気を使ってくれているのか、次の言葉は無いようだ。
「みんな、大丈夫だった?」
心配する様な天使の問い掛けに、俺達は頷いて応えた。
「そう、よかった」
「なぁ、楸。〝粛殺の天使″って、なんだ?」
カイは訊いた。
「最初に訊く事かよ?」
と非難するが、俺もさっきの歓声の中で聞こえたその異名みたいなのは気になっていた。
「『粛殺』ってのは確か、厳しい秋の気配・気候が草木を枯らすこと、だったか?」
石楠花が言うと、「ああ」と天使が頷いた。
「そのことを説明するには、一つ言っておかないと」そう前置きをして、天使は言った。「俺は、過去に人を殺したことがある」
無表情に、天使は語りだした。
そのことを俺は知っているから、苦い気持にはなるが無表情のまま聞ける。が、たしか初耳だっただろうカイは「は?」と驚きと戸惑いを隠せないようだ。石楠花は、「へ~」となんかニヤッといやらしい笑みを浮かべながら聞いている。
「むかし仕事でさ、『全部救う、全部裁く』ってバカみたいな目標掲げて、で、その目標がでか過ぎて前なんか全く見えなくなって、焦って、それでもがむしゃらに走り続けていた。そしたらさ、ある日、救おうとした人間に騙されたんだよ。そしたらなんか、俺のやってたことって何だったんだろう、って絶望してさ。それで、怒りにまかせて、その人間を俺は殺した。その俺の過ちと、俺の名前の楸から『秋』の字を取って、それで『粛殺』。誰が考えたのか、悪魔が俺のことを皮肉った呼び名だよ」
そう言うとあとは黙って、天使は俺達の間を通り過ぎた。
俺達の前に少し離れて立つと、天使は、VIP席の悪魔を見上げた。それに応えるように、悪魔も、高い位置から天使を見下ろしている。
不貞腐れたような顔をしている天使と、無表情な悪魔が、静かに睨み合っている。
その空気に俺達を含むスタジアム全体は呑まれ、静かに成り行きを見守った。
先に沈黙を破ったのは、悪魔の方だった。
「久しぶりだな、楸」
「そうだね、雷趙。そのスーツ何?いつものきったない服はどうした?」
「カハッ」雷趙と呼ばれた悪魔は、吹き出すように笑った。「ハッキリ言うな。今日は、せっかくの楽しいゲームの日だ。正装するのが筋ってもんだろ」
「だったら、その頭も何とかして来たら?」
「カハッ。バカ言え。自慢のヘアースタイルだ」
一触即発しそうな仇敵との再会でも、久しい友人との和やかな再会というのとも違う、不思議な感じのする会話だった。
立場はまるで違う、正反対と言ってもいい位なのに、対等な感じで会話をしていた。
しかし、その不思議な穏やかさを伴った会話に、不意に緊張感が生じた。
「そいつら、お前の知り合いか何かか?」
雷趙が訊いた。
「ああ。俺の…」そこで一度言葉を区切り、俯きながら何か迷いの様な感じを見せた天使だったが、すぐに「友達だ」と返した。
「友達…ねぇ」
「お前のゲーム、俺達天使が邪魔をすることは許されないんだろ?だったら、邪魔はしない。ただ…俺も参加させろ!」
天使は、声を大にして頼んだ。思いがけない天使の懇願だった。
その提案、会場の悪魔たちにとっては歓迎するモノらしく、ざわざわし出した。
雷趙は、暫し黙って考えている。
そして、ゆっくり口を開いた。
「お前のことは好きだった。が、その頼み、聞くことは出来んな」
「なっ…」
何か反論しようとした天使だった。が、天使が何かを言う前に、雷趙が口を開いた。残念そうに眉を下げている。
「お前は、俺のお気に入りだった。だが、例のあの一件以来、すっかり牙も抜けて丸くなったと聞いた。まさかとは思っていたが、どうやら本当らしいな」
それは、まるで壊れたおもちゃを悲しむようであった。
その雷趙に対し、天使は何を言い返すのか?その背中からは、悔しがっているのか笑っているのか、全く分からない。
少し黙っているな、そう思った時だった。
「勘違いするなよ、雷趙」
言いながら、天使は浴衣の袖口に手をつっこんだ。
そこから取り出したのは、弓だ。
「確かに、あの一件で俺は自分のバカさ加減に嫌気がさして、死にたいくらい後悔したよ」
左手に弓を持ち、右手に具現化した矢を持つ。
「ひぃっ」
スタジアムのあちこちから、怯える声が聞こえた。
しかし、雷趙は一切たじろぐことなく、黙っている。
「丸くなったって言われて、それを否定するつもりも無い。けどな…」
弓矢を構えながら、天使は言った。
そして、次の瞬間。
天使は、VIP席めがけて矢を放った。
「あんたに突き立てる牙なら、まだ持っている。ちょっと失くしかけたけど…」
そう言った天使の放った矢は、凄まじい勢いで、VIP席を貫いていた。壁を貫通し、その勢いはとどまることなく、天井をも貫いた。
しかし、その矢は、雷趙には当たらなかったようだ。最初から威嚇のつもりだったのか、天使の矢は、雷趙の顔のすぐ横を通過した。
激しく石が崩れ落ちる音がする。いきなりの落石で慌てふためく、悪魔たちの声もする。
その二つの音が静まりだしたとき、「カハッ」という笑い声がした。
「前言撤回。やはり、お前はイイ」
雷趙は、笑っていた。
「ふんっ。変人め」
心底不愉快そうに、天使は言った。
ゲームは、まだ始まらない。つーか、ルール説明もまだだ。
天使のあの威嚇行為があってから、ゲームの進行が少しストップしているのだ。
「悪かったね。なんか、結局邪魔しちゃった?俺…」
天使が言うと、見晴らしが格段に良くなったVIP席から俺達の事を見下ろし、雷趙は言った。
「なぁに、構わんさ。なんなら、今から十分ほど時間を与えてもいいと思っている」
「へぇ~。それはまた、どうして?」
「此度のプレーヤーが、楸の知り合いとは知らなんだ。ならば、プレーヤーが全力でゲームに集中できるよう、会話の時間も必要かと思ってな。結果の如何では、二度と話も出来なくなる」
「……お気遣い、どうも」
そんな天使と雷趙のやり取りがあって、今はゲームの進行が止まっている。
天使は、踵を返して雷趙に背を向けると、カイの方に歩いていった。
申し訳なさそうに俯きながら、天使は口を開く。
「ごめん、カイ」
「あ?」
「正直言って、引いたでしょ。俺が、人を殺した、って聞いて」
「あ~、まぁ軽く…驚いた」
どう対応したらいいのか戸惑っているのだろう、カイは、頭を掻いている。
「隠しているつもりじゃなかったけど、言い出すタイミングも分からなかったし、もしあっても、たぶん黙ってた。ごめん」
「あのさ、楸」ガシガシと頭を何度も掻きながら、カイは言った。「ごめんの意味、分かんねぇ」
「……え?」
「言いたくねぇ事の一つや二つ、誰だってあるだろ。昔何したか知らねぇけど、それもあって今の楸だろ。俺、楸のこといいヤツだと思ってる…友達だって。だから、あんまり過去のこととか……うん…ごめんの意味、分かんねぇ」
気を遣った言葉を掛けようとしたが、途中から何を言えばいいのか分からなくなったな。
「カイ…」
嫌われるとでも思っていたのか、天使はホッとしたような顔をした。
その顔を正面で見せられて気まずく思ったのだろう、カイは、黙って顔を逸らした。
俺は別にだけど、もしかしたら戦闘前の少しイイ感じの穏やかな空気になっているのかもしれない所に、「ききっ」という不気味な笑い声が割って入った。
「俺は浴衣のの過去、興味ありだ。まさか、人を殺していたとは」
「石楠花には嫌われてもいいよ、俺」
天使が冷たく突き放すと、それすらも嬉しそうに石楠花は言う。
「そう冷たくするなよ。あんたの過去、なかなかそそられるものがある。それに」と一度言葉を区切り、意味深に微笑みながら「あの男への態度も、なぁ」と続けた。
それは、何があったのか、と関係性を問うのに等しかった。もっと言うなら、早く天使の個人的な話は切り上げてゲームについて教えろ、そう言っているようなものだ。
その石楠花の気持ちを察してだろう、天使は、雷趙に顔を向けて語り出した。
「あの男の名は、雷趙。このゲームを支配する悪魔だ。というより、このゲームはそもそも、あいつが楽しむためだけに、あいつ自らの手によって開かれている。何百年も昔、人間をプレーヤーとしたゲームをしたいからと言って天使の本部に単身乗り込み、ゲームの存在を天使側に認めさせたことが、このゲームの始まりだったらしい」
「おい…」と苦い顔をするカイ。「ってことは何か?人間があいつにおもちゃの様に扱われることを、天使側が認めたってことかよ!」
「ああ」と天使。「それを認めさせるだけの力が、あいつにはあるんだ」
「ききっ。なるほどな。浴衣のの話から察するに、あいつには組織的な強さがあるワケでもなさそうだ。それに、さっきから見せるただならぬ気配、周りのヤツらがいくら雑魚だとしても、それを束ねた力よりあいつ一人の方が強いとみていいな。しかも、強大な力を持っていて必要なのか分からないが、交渉という術を用いて圧を掛けている。話も出来ないただのバカと思わない方が良い、厄介な相手だ」
「…ん?つーか、俺達の闘う相手って、あいつなのか?」俺は、天使に訊いた。
「いや、あいつはあくまでゲームを『見る』立場だ。椿達がこれから戦うのは、別の悪魔だよ」
「だったら、あいつの分析は必要ないんじゃないか?石楠花」
「ききっ。いや、情報があって困ることは無い。特に、俺のような力無き者には、な」
俺にはよく分からないが、必要らしい。
「ところで、浴衣の」石楠花は、天使に言った。「俺は、あんたのあいつに対する態度・関係性について訊ねたはずだが?」
あ、本当にそこが気になっていたんだ。
呆れたが、俺も少し気になる。
「それ、今聞くこと?」と天使も呆れていたが、「しゃーねぇな」と話し始めた。「ずっと昔、このゲームの存在が気に入らなかった俺は、『天使は手出し無用』っていう慣例を破って、このゲームを潰そうとしたんだよ。色々手を尽くしてゲームのある日付と場所を知って、乗り込んだんだ。正直、俺も自分の力を過信していたから何とかなると思ったけど、結果は惨敗だった。半殺しにされた俺が出来たのは、あいつにかすり傷一つつけることだった」
俺達は、その話に息を飲んだ。話で聞くだけで、壮絶な戦いの様子が想像できたからだ。
「浴衣の」特に動揺も見せず、石楠花は「細かくなくてもいい。ABCという感じでも、俺達に分かるようなランク付けは出来るか?」と訊いた。
「うん」と頷き、天使は暫し考えた。「まず、ここに集まるほとんどの悪魔がDやEのランクだとする。椿やカイは、ブレはあるけどCってところかな。ちなみに、柊がB。胸はAでも、強さはBね。たぶん、これからみんなが闘う悪魔もBかC位、運が良くてD。そうやって例えるなら、雷趙はSランクだよ。SSでもいい」
「マジかよ…」
柊に対する悪口にカイが反論できないほどの衝撃だった。
「悪魔には、火や水といったように特別な属性を持つヤツが多いんだけど、雷趙は、電気属性の中で最強と言われる悪魔だ」
そんなヤツが開くゲーム、そう思うだけで足がすくみそうだ。
「つーか、そんなヤツが、何でお前と親しげなんだよ?」
俺は、天使に訊いた。
「親しくないよ」
と天使は、不快感を露わにした。
「あ?」
「俺は、あいつを消したいけど消せない。あいつは、自分のことを消そうと向かって来る俺を気に入っている。俺が半殺しにされたけど生きているのは、あいつに気に入られたから。またいつか俺が自分を消しに来るのではないか、そうなることを楽しみに、あいつは俺を生かしている。あいつ、変人なんだよ」
「変人、ねぇ…」
それなら、こっちにも一人いるな。俺はそう思いながら、石楠花の横顔を眺めた。
「俺様の話か?」その雷趙の声に反応し、俺達は、VIP席を見上げた。雷趙は、笑みを浮かべて言った。「俺様の話をするくらいなら、ゲームを進めるぞ」
ポーズを掛けていたゲームに、再度スタートボタンが押された。
「とりあえず、選手入場から済ませるか」
雷趙が言うのに合わせ、巨大スクリーンの電源が入った。映し出された画面には、スタジアムの俺達がいる場所と巨大迷路を挟んだ反対側、天使が入って来たのと同じような入場口を映し出している。
そこから現れたのは、三匹の悪魔だ。たぶん、間違いなく俺達の対戦相手。
一匹は、普通の人間の様だ。肌が浅黒く、オデコから短い角が二本見えている。一匹は、なんか小さい、薬局とかにあるカエルやオレンジの象の置物みたいなヤツだ。顔もなんか、カエルみたい。ほぼ二頭身で、足に比べると腕がやたら長く、地面に届きそうだ。そして、最後の一匹は、今度はでかい。ほぼ雷趙と同体格に見えるが、違うのは筋肉が膨れ上がっているということだ。上にも横にもでかい。長身痩躯な石楠花が2人並んでも、あいつの陰に隠れられそうだ。
細かい形容は面倒だが、大中小と覚え易い相手方だ。
そいつらは、入場が済むと、雷趙の方を見上げた。どいつもこいつも口元に笑みを浮かべているが、変にテンションが高いワケではない。たぶん、早く暴れたい気持ちを抑え、今はゲームを進行させている雷趙の邪魔をしないように大人しくしているのだろう。
「では、改めてゲームの説明をする」スタジアム内の注目を集め、雷趙は言った。「先程も言ったと思うが、このゲームでは、迷路の中で闘ってもらう。ただ迷路を抜ければ良いというのではなく、迷路から出る為の条件がある。その条件とは、相手を倒さなければならないということだ。相手を倒して、そこで初めて迷路の出口が開くと言ってもいい。この場合の倒すとは、戦闘不能にさせるという意味で、殺さなければならないということではない。迷路の中には途中、いくつかのバトルスペースがある。スクリーンを見ろ」
その指示に従い、スクリーンに視線を移す。
スクリーンには、迷路を上から見下ろした画が映し出された。その画の中には、三か所ほど、赤く点滅する広めのスペースがある。そこが雷趙の言う「バトルスペース」だと理解していると、ものの数秒で画面が切り替わった。
今度は、迷路の中の画、たぶんバトルスペースのだろう様子が映し出された。
「狭い通路で闘うのが嫌なら、そこで闘うことを勧める」
そう言うと、用が済んだスクリーンは、一度休憩の為に黒画面になった。
雷趙は、説明を続ける。
「ここで、重要な事をいくつか言う。三対三のような体を取っているが、団体戦というワケではない。かと言って、完全な個人戦でもない」
「ん?どういう意味だ?」と首をかしげるカイ。
「つまり、誰かが相手側の一人を倒したとして、その時、迷路から出る者と相手を倒した者が異なる者でも良い、ということだ。極論、一人で相手側全員を倒し、自陣全員で迷路を出てもよい」
それなら、と俺は思った。それなら、俺かカイが石楠花の分まで闘えば、何とか全員で無事にクリアできるかもしれない。
そのことを石楠花に伝えよう、もしかしたら石楠花も気付いているだろうから何か言われるかもしれない、そう思い石楠花の方を見た。
しかし、俺は声を掛けられなかった。
目を細めてどこか地面をぼんやりと眺め、口元を左手で多い、何かをぶつぶつ呟いている。頭を働かせて対策を考えているのかもしれないが、石楠花のその真剣さは、余裕を感じさせず、いつもの人を食ったような雰囲気とまるで違い、声を掛ける事を躊躇わせた。
そうこうしている間に、雷趙の説明が聞こえてくる。
「この変則的な団体戦は、他の面でも意味を持つ。それは、誰かがギブアップした場合だ。このゲームではギブアップ、つまり途中棄権を認めている。誰かがギブアップした場合、そこでゲームは終了。ギブアップした者はゲームから抜け出すことを認めるが、同じチームの他の者には、ペナルティを負ってもらう」
「ペナルティ?」
「まぁ、死んでもらうってことだ」
「なっ…!」
俺達の動揺を気に留めず、雷趙は平然と言った。
「先程は殺す必要はないといったが、悪魔の中には殺しに来るやつが多い。そんな相手に恐怖し、自らの命を救う為にゲームをリタイアするならば、その命と引き換えに他の者の命を貰う、当然のことだ」
「なるほど」と笑みの無い石楠花は言う。「逃げ道を用意はしておくが、それは心理的に通るのが難しい道。もし通ることが出来ても、その先『自分が今生きているのは、二つの命の犠牲があったからだ』という後悔の念に苛まれるだろう。どちらにしても地獄の道、ってワケだ」
「こいつが言うと、なんかウソくせぇな」
カイが嫌味を言うと、石楠花は「だが、事実だろ?」と口元に笑みを浮かべて応えた。
「お、まぁ…な」
「ききっ」
「また」と雷趙。「勝敗に関しては、個人だ。他二名が死んで一人クリアした場合でも、その者には普段の生活に帰すことを約束しよう」
「普段の生活、ねぇ」と石楠花。
「最後に禁止行為についてだが、これはゲームがつまらなくなるので、迷路の壁を上ることは禁止とする。破った場合は、死で償ってもらう。あとは、特に禁止行為を設けない…が、楸」
「ん?」
「お前は、当然手出し無用。口出しも、だ。空から誘導などされては、つまらん」
「はいはい」と天使は、鬱陶しそうに応える。「わかってるよ。俺も、黙って見てる」
「分かればよい」
そう言って雷趙は、満足そうにうなずいた。
「つまり、壁上る以外は何をしてもありってことか…」とカイ。
「勝つためには手段を選ばない、至極当然のことだ」と石楠花。
「かっ!どうせやるなら、正々堂々やって勝ってやるよ」
俺は言った。
「人間どもよ!」声を一際大きくし、雷趙は言った。「生にしがみつき、必死に抗う姿を俺に見せてみろ。俺を、楽しませろ!」
そう言うと、口角をいっぱいに上げて、雷趙は笑った。
ゲームは、まだ始まらない。
ルールの説明を聞いて、プレーヤーが決まると、次に待つのは武器選びのようだ。新しいゲームを始める上ではよくあることだが、実際のプレイまでが遠い。まぁ、それも仕方ないことだろう。
「いきなり悪魔と闘えと言われても、不安だろう」何故か、雷趙に気を遣われた。「せめてもの配慮ということで、武器を貸そう」
たぶん「全力で掛かって来い」とか言ってHP・MP全回復させてくれるラスボスの様な心理なのかもしれない。だが、それがどんな心理なのか、俺は知らない。
とにもかくにも、雷趙の謎の気遣いで、武器の乗ったキャスター付きテーブルが俺達の前に運ばれてきた。
テーブルの上には、様々な武器がある。日本刀やナイフなどの刃物類。拳銃やバズーカ等の銃火器類。ヌンチャクやトンファー等の、見たらちょっとテンションが上がった物類。いろんな武器が、用意されている。
「ききっ」
いつもの怪しげな笑みを浮かべた石楠花が、武器を物色している。
色々手に取り、見定めているようでもある。
そんな中、一つの武器を手にした石楠花は、カイの方に歩み寄った。
「ほれ」
そう言って石楠花が手渡したのは、手榴弾だった。
カイが持つと同時に、石楠花は、その手榴弾のピンを抜いた。
「バッ…てめ!」
いきなり爆発物を手渡されたカイは、慌てて、とっさにそれを遠くに放り投げた。
カイが高く遠くにと放り投げた手榴弾は、バァンッという破裂音と共にスタジアムのほぼ中央の空間で爆発した。
爆発はあまり大きく無く、爆風を少し感じる程度だった。が、正直かなりビビった。
そんな俺の驚きよりも、カイの感じた驚きの方が圧倒的に大きいだろう、「何考えてんだ、てめぇ!」と石楠花を強く非難した。
「ききっ」笑いながら石楠花は、テーブルの下から出て来た。「お前こそ、何考えている?手榴弾投げたら、すぐに隠れないと危ないだろう」
「危ないのはテメェそのものだ!」
掴みかからん勢いで怒鳴りつけるカイだが、石楠花は「ふむ、だいたい爆発まで2~3秒ってところか?」と気にしない。
「カハッ!おい、人間ども!」雷趙は、笑みを浮かべながら言った。「面白いことをやっているようだが、注意しろ。それらの武器はなぁ、致命傷となるダメージを与えればたとえ悪魔でも痺れて動けなくなる、そんな代物ばかりだ。今の手榴弾も、もっと至近距離で食らえば小一時間ほど動けなくなる。貴様らが少しでも善戦できるようにと、俺様が自ら作った武器だ!ここでの怪我には注意して、あとは遠慮なく使え!」
「ききっ。だとよ、危なかったな」
「だからテメェが言うな!」
「気前良いな。つーか、俺達にだけハンデくれるってことか?」
「まぁ、そういうことだよね」と天使は、俺の言葉に応えた。「雷趙は、ただ人間を虐殺するような光景を見たいワケじゃない。今からやることを純粋にゲームとして楽しみたいんだよ。このスタジアムがあるのも、魔界だと普通の人間にはいるだけで負担が大きいからということで、わざわざこっちの世界にある無人島に作られたものだ。だからゲームも、絶対クリアできないゲームじゃない。ギリギリ闘えるだろうラインを見極め、もしかしたら人間たちが勝つこともあるかもしれない、っていうふうにゲームを設定してあるはずだ」
「ききっ。俺も闘える相手って、あのちっこいヤツか?アレ、ハムスター並の戦力なのか?」
「お前どんだけ弱いんだよ!」と呆れながらつっこむカイ。
「なめるなよ。腕相撲なら、その辺の女より絶対弱い。野良イヌになんか、絶対勝てない。犬なら勝ててチワワが限界だ」
「チワワに勝とうとするなよ!」カイは言うと、「ったく…」と吐き捨てた。そして気持ちを切り替え「せっかく貸してくれるって言うんだしな…」と武器選びを始めた。
刃物類を中心に、カイは武器を見ている。
その中から一つ、「やっぱりこれだな」とカイは、刃渡り十センチくらいのナイフに手を伸ばした。
しかし、ナイフを手にしようとしたら、その手を石楠花に掴まれた。
「何だよ?」
とカイが懐疑的な眼を向けると、石楠花は首を横に振った。
「悪魔相手だろうとな、命を奪うのはきっと気分が良いものじゃない」
そう言って諭す石楠花の表情は、笑みの無い真面目な顔だった。
「殺しまではしねぇ…」
「殺さなくとも、だ。相手を切った感触は、手に残る。こんなもの無くとも、お前は闘えるだろ?こんな下らないことで、手を汚すことは無い」
石楠花に言われ、カイは静かにナイフから手を離した。
「俺も、石楠花と同じ考えだ」と天使も、カイを諭す。「カイは、強い。だから、誰かを傷つける強力な武器は要らない。必要なのは、護れる武器だ」
そう言うと天使は、浴衣の袖口に手をつっ込み、何かを出した。
それは、カイ用に作られた武器 (五十嵐作)だった。三段階に伸び縮みするロッド、殺傷力という面ではかなり低く、殴って使うことも出来るが、どちらかというと盾としての役割をメインとして作られた武器だ。
それを「五十嵐さんから予備を借りて来た」と言って天使は、カイに手渡した。
「……へっ」カイは、微笑した。「確かに、俺にハンデは要らないな。うん。これくらいが、俺には丁度いいぜ」
「うん」
「ききっ」石楠花は笑うと、「それじゃあ、俺はこれを使わせてもらうかな」と言って、拳銃を手にした。他にも、「それと、これも」と手榴弾もいくつかコートのポケットに入れる。
「おい!」と声を高くするカイ。「お前、言ってることとやってること違ぇぞ!」
「いいんだよ、俺は」
「あぁ?」
「俺は、お前らと違って闘うタイプじゃないんだ。護身用にも武器は欲しい。それに…」
「それに?」
「俺の手は、とっくに汚れている」
石楠花は、冷たく言い捨てた。
そう言った石楠花は、使い方を探ったり弾倉を取り出して弾数を確認したりと拳銃を眺めている。
その薄ら笑う横顔からは、石楠花が何を想っているのか読み取れない。
自分の手を汚れていると言った時、哀愁とでも呼ぶべきものを感じさせた。もしかしたら過去の過ちを後悔しているのかもしれないが、飄々としている普段の雰囲気からは、反省の色を感じない。
そもそも、何で『死の恐怖』を知ろうとしていたのか、よく分からないままになっている。つーか、石楠花のことについて分かっている事の方が少ない。
いろんな意味で何なんだ、こいつ?
そんな目で石楠花を見ていると、「そうだ」と石楠花は、不意に顔を上げた。
「そうだよ」何か閃いたような笑みを浮かべ、石楠花は言った。「ききっ。何も、俺が闘うことは無い」
「どうした?」
最初っから、そのつもりだけど?
そう言おうとしたが、俺には気にも留めず、石楠花はVIP席の雷趙を見上げた。
「なぁ、あんた!」と石楠花は声を張り上げ、雷趙に話しかけた。「俺は、闘えるような人間じゃない。『ゲームを楽しみたい』というあんたの期待には、とてもじゃないが応えられない。自分で言うのも何だが、ここに居るガキ共と違って、非常に貧弱で脆弱な人間だ。 どうだろう?浴衣のもヤル気を見せていることだ、俺の代理ということで浴衣のをゲームに参加させてみては?」
「ほぉ」
と雷趙は、一応の関心を示した。
雷趙の反応を見て、石楠花は続ける。
「当然、それ相応のリスクは負うつもりだ。こいつらが全滅、もしくは浴衣のが負けた時には、俺も死のう」
「ちょっ、石楠花!」
勝手に代理参加の提案をされ、命を預かるプレッシャーまで掛けられた天使が、石楠花の肩を掴んだ。しかし、制止しようとする天使の手を振り払い、石楠花は言う。
「その代わりに、浴衣のをプレーヤーとして代理参加させる。これなら、三対三の形式も崩れないで済む。どうだ?ゲームも盛り上がる、お互いにメリットのある話だと思うが?」
石楠花からの提案は、スタジアム内の悪魔たちを沸かせた。実際に先ほど天使の参戦を熱望する声も上がっていたが、雷趙に認められなかった。その熱が、石楠花の提案で再沸した。
しかし、決めるのは雷趙だ。
それに気付くと、誰もが黙って雷趙の判断を待った。
「カハッ。面白い」と雷趙は笑みを浮かべた。しかし、「だが、ダメだ」と石楠花の提案を断った。
「ルールもプレーヤーの変更も、一切認めない。貴様らで、このゲームをやってもらう」
雷趙が言うと、「チッ」と石楠花は苦い顔になった。
踵を返し、雷趙に背を向ける。
「おい。今のでお前、狙われるかもしれねぇぞ」
俺は、言った。
状況や相手にもよるが、闘えない者がいると分かれば、相手はまず先に闘えない者を狙う気がする。テレビゲームでも、先に雑魚を倒すやり方というのは、基本と言っていい。
今の石楠花の発言は、自ら危険を増やすような軽率なものだ、そういう意味を込めて俺は言った。
「分かっている」石楠花は、平然と応えた。「だがな、高いリスクがあったとしても、安全な道を渡れる可能性があるなら、それに賭けただけだ」
「で、賭けは外れたワケだ」とカイ。
「ききっ。ポーカーは強いんだがな」
「賭け?」俺達の話を聞いていた雷趙は、思い出したように言った。「そうだ、楸!」
「ん?何?」
「ただ見ているだけでは暇だろう。お前も賭けるか?」
そう言うと、雷趙はスクリーンを指差した。
雷趙の動きに応じるように、スクリーン画面には横書きの文字と数字が映し出された。『人間0―悪魔3』『人間1―悪魔2』のような文字の後に、『×5』のような数字が書かれている。どちらがどの程度勝てるかというゲームの結果を予想した賭けで、数字はオッズなのだと分かる。
「今の発言で、少し動きがあったようだな」
雷趙は言った。
「アレを見れば、このゲームのクリア難易度が分かるな」
石楠花の言う通りでもないだろうが、その考え方はあながち外れではないと思う。おそらく、過去に何度かこういうゲームが開催されてきて、その結果をもとに今回の予想もつけられているはずだ。だから、人間側が勝ち残ったこともあるからだろう、俺達への期待度も決してゼロではない。
しかし、当然のように配当が少ない一番人気は『人間0―悪魔3』だ。そして、一番人気ほどではないが『人間1―悪魔2』への期待も少なくない。その後、二番人気とは差をつけられて『人間2―悪魔1』が三番人気に着く。その後は、『人間0―悪魔2』などのように、起こりうるかもしれないパターンが続いている。
「へっ。なめられたもんだな」
カイが言うのは、ダントツビリの『人間3―悪魔0』のことだ。
「大穴狙いということで賭ける者も若干居たのだが、番狂わせは無いと察するやいなや、みな手堅く賭けたようだ」雷趙はそう説明すると、「楸はどうする?賭けるか?金銭で無くとも、価値ある物なら賭けの対象になるぞ」と天使に訊いた。
「聞くまでも無い」微笑を浮かべながらそう言うと、天使は、浴衣の袖口に手を入れ、財布を取り出した。「俺の手持ち全部を『人間3―悪魔0』に賭ける」
「カハッ。やはり、そうでなくてはなぁ!」
「まぁね」
天使は、威勢良く言った。が、財布の中を見て、「あっ…」と戸惑いの声を上げる。
「どうした?」
「いや……昨日買い物してさ…その…手持ちが小銭しかない」
「だっせ!」と俺。「一蓮托生みたいな勢いで啖呵切ったくせに、小銭かよ!つーか、俺らの価値って、数百円か!」
「うるさいな!じゃあ、椿貸してよ。てか、この際みんなで賭けようよ」
その天使の提案に乗った俺とカイは、財布から全財産を出した。
集まったのは、小銭ばかりで二千円に届かない金額だった。
「二人も似たようなもんじゃん!」「っせぇ!学生なめんなよ!」「ここに来る前に下ろすつもりだったんだよ!あのおっさんのせいで予定が狂った!」
「ききっ。何バカやってんだ。…ほれ」
と言う石楠花の声と一緒に、俺らの前にお札が差し出された。お目にかかる機会の少ない、皺も折り目も無い、綺麗な顔した諭吉さんだ。
それも、三人。
「おおぉ!」
差し出された三人の諭吉さんを見て、俺達は興奮した。
「すげぇな、石楠花」と感心するカイ。「三万もポロッと出せるとか、大人だな、おい。お前、仕事は何やってんだ?」
「……牧師」
「ぜってぇ嘘だ!」
「嘘じゃない。手品とピッキングが得意の、普通の牧師さんだ」
「いねぇよ!そんな牧師!」
「つーか、仮にそうだとして、牧師がギャンブルとかいいのか?」
言ってみたが、まぁいいや。石楠花が牧師と言うのは嘘だろうし、どうでもいい。
それよりも、目の前の問題だ。
百倍以上つく配当だ、俄然やる気が出た。
ヤル気が出た所で、準備も全て整ったらしい。
「では、そろそろゲームを始めるとするか!」
雷趙の声で、スタジアムが一気に沸き上がった。
俺達の命(と金)を賭けたゲームが、今始まる。
悪魔のゲームが始まります。
この前篇の「楸が雷趙に威嚇射撃する」シーンは絶対入れたく、長々と謝罪を含めた説明をした次第でした。あとは、空白の時間とやらを気にせず読めるはずです。
ちなみに、カイの能力とナイフの組み合わせは殺傷能力抜群で大変危険な為、彼に刃物は渡せません。
そこそこに長い話で、読むのに区切りがいいかなということで前・中・後と三篇に分けました。
次から、いよいよゲームが始まります。
よかったら、引き続きお付き合いください。




