番外編 豆戦争
「豆まき。それは、二月三日の節分の日に豆をまくことで鬼を追い払う儀。豆は、『魔を滅いる』ことに通ずるとされ、豆まきによって邪気を追い払うことができるとされてきた。しかし、俺は思う。ただ『鬼は外、福は内』と豆をばらまくだけで、果たして鬼を追い払うことは出来るのか?鬼とは、人の空想上の生き物である。つまり、それを考え生み出す人の心の中に、鬼は住まうのである。本当に払うべき鬼は、人の中にある。ならば、豆をまくべき場所は、玄関やベランダではない。人に豆をぶつけてこそ、豆まきは意味を成す」
楸は、高らかに言った。
楸は今、高橋の部屋の前に居る。そこで豆の入ったマスを片手に、呼吸を整える。
一度、大きく深呼吸をした。
覚悟ができると、勢いよく部屋の中に飛び込む。
「喰らえ、白鬼!鬼は外ぉ!」
笑顔でそう言いながら楸は、部屋の来客用ソファーに座ってピーナッツを食べている柊に豆を思いっきりぶつけた。
「痛っ!何?痛…コラ、楸!」
虚を衝かれた柊は、豆の散弾銃とでも呼ぶべき楸の攻撃を、見事に食らった。
「それ逃げろ。あばよ」
大きなマスに入っていた豆を使い切ると、楸は逃げた。ヒット・アンド・アウェイの基本とも言えるような、攻撃からの素早い撤退だった。
「あんのガキぃ…覚えてろ」
柊が静かに怒りを燃やしていることを知らずに、楸は、豆まきを続ける為に走っていた。
「次はここだ」
マスに山盛りの豆を補給した楸は、次なる戦場を求めて来た。
血に飢えた戦闘鬼のように口元に微笑を浮かべながら、楸は言う。
「次の相手は、さっきの白鬼のように簡単じゃない。気を引き締めないと」
そう自分に言い聞かせた。
そして、ドアノブに手を掛け、戦場へと足を踏み入れた。
ここでもまた先制攻撃を、楸はそう思っていたのだが、その奇襲の手が止まった。
理由は簡単。奇襲が、奇襲となりえなかったからだ。
次なるターゲットとした五十嵐が、部屋で待ち構えていた。
虚を衝いて攻撃しようと思った相手が、一切の隙なく待ち伏せている。
「ひひっ」と五十嵐は勝ち誇った笑みを浮かべる。「来ると思ってたぜ、楸」
「五十嵐さん…」
楸は、追い詰められた。
奇襲に失敗したことだけが理由ではない。相手が万全の準備をしていたこと、それが、楸のことを窮地に追いやっている。
「お前の中の鬼、俺が追い払ってやるよ」
と、拳銃を構える五十嵐。
「ちょっと、待って!」銃口を向けられた楸は、慌てた。
「あ?」
「鬼を追い払うって、何するつもりですか?その銃で何するつもりですか!」
「ひひっ。なぁに、この日の為に作った、いわゆる豆鉄砲だ」
慌てふためく楸を前に、怪しげな笑みを浮かべながら五十嵐は言った。
五十嵐の豆鉄砲、それは本物だった。本物の豆鉄砲。拳銃ほどの威力はなく、どちらかというとBB弾を飛ばすエアガンに近いそれは、銃口から豆を発射した。
「痛っ!豆鉄砲、かなり痛い!」
「ひひっ。こいつぁまだ序の口だ。まだまだ行くぜ」
そう言って五十嵐がどこからか持ち出したのは、「機関豆銃」だった。
単発で撃たれる豆鉄砲と違い、連続の豆攻撃が楸を襲う。
「うぎゃー!」
悲鳴を上げながら、楸は室内を逃げ回った。
「ひひひっ。まだまだ」
そう言って五十嵐は、部屋の隅で布を被っていた物を持ち出した。
それは、豆大砲だ。
「ウソだ、ウソだぁ!そんなの反則だよ!」
豆大砲を前に、楸は青ざめた。
「ひひっ…ひひひっ。鬼は外」
そう言って五十嵐は、豆大砲を放った。
砲弾状のボールに詰め込まれていた豆は、砲口から放たれた瞬間に、一粒一粒の豆となった。しかし、それでも遠目には、でっかい塊が飛んでいるように見えるだろう。
そんな豆が、楸を襲った。
身をもって豆まきの痛みを知った、楸であった。
五十嵐の所でダメージを負った身体を引きずりながら、楸は歩いている。
こんなはずじゃなかった。もっとスマートに、鬼を追い払って行くはずだった。
思い描いていた展開とは違うが、だからと言って、そこで諦めることは出来なかった。何故なら、楸にはまだ、払わなければならない鬼がいるからだ。
その鬼を退治しに行こうと、楸はボロボロの身体を引きずって歩く。
天使の館内の廊下を歩いていると、楸は、思いがけない形で鬼と出会った。
「よぉ、楸!鬼は外、だな」
「その声は、看守さん?」
楸が出会った鬼は、神崎であった。
スーパーで豆を買った時に貰えるような鬼の面を付けた神崎は、全身赤いタオル地の服を着ていた。そして、手にはマスに入った豆を持っている。
赤鬼に扮する神崎を前に、楸は思った。
鬼の面を付けるなら、服装はどうでもいいのでは?本格的にやりたいのなら、豆を買った時に付いて来るようなお面ではなく、もっとちゃんとした鬼のお面をつけたらどうなのだ?というか、鬼が豆を持ってどうする?
いろんなつっこみ所がある神崎を前に、楸は、呆気に取られて何も言えなくなっていた。
「鬼は外ぉ、福は内ぃ!あっはっはっはっは。ついでに、笑う門には福来るってなぁ」
神崎が楽しそうなので、楸は、何も言わないでおいた。
「あっはっはぁ……鬼は外…」
一粒だけ、神崎鬼に向けて、楸は豆を投げた。
楸の豆まきは終わらない。
というより、ここが一番の正念場である。
「ここだ…。ここから一番鬼のいる気配がする。間違いなく、ここには鬼が巣食っている」
楸は、表情を引き締めた。
ここが一番の正念場であることは、楸も自覚している。
だから、装備も今までとは一味もふた味も違った。今までのマスに山盛りの豆では、ここの鬼は退治できない。そう考えた楸が用意した豆は、肩で背負わなければ持てないような巨大な袋にたくさん入った豆、それも二袋だった。
その二つの袋を担ぎ、楸は、空を飛んでいる。ターゲットの部屋の窓の外から、攻撃の隙を窺っているのだ。
チャンスは、ターゲットが帰ってきて、部屋の空気を入れ替えようと窓を開ける一瞬。
その時を今や遅しと、楸は待っている。
そして、袋に入れた豆をつまみながら待つこと数十分。ターゲットが来た。
部屋の扉が開くことを確認した楸は、急いで窓の上側に身を隠した。
ターゲット・椿の登場だ。
「メニューに恵方巻きって、さすがにないよな」
そう言った椿が、暖房を入れる前に室内の淀んだ空気を入れ替えよう、そう思った時だ。
その瞬間から、楸の豆まきは始まる。
――窓を開けた瞬間、まさか窓の上から攻撃が来ると思っていないだろ…?
楸は、袋の口を持ち、振り子の要領で叩きつけるように、豆の入った袋を椿にぶつけた。
「うおっ!何だ?」
不意を突かれた攻撃だった。が、椿は、その袋を受け止める。
しかし、それすらも楸の作戦のうちだった。
――椿のことだ、無駄な運動神経を発揮して、第一撃を止めるだろう
楸は、第一撃と共に、すぐさま椿の部屋に入り込んでいた。
椿にぶつけて捉えられた第一撃、それは実は、口を縛っていない袋での攻撃である。つまり、受け止められることを予期しての攻撃なのだ。
椿が受け止めた袋、その尻とでも呼ぶべき端を楸は摘まみ、一気に上に引き抜いた。
――雪崩のように、豆は一気に椿を襲う
袋に入っていた豆は、重力に逆らうことができず、自然と下方にある出口を求め始めた。その出口は、袋を抱え込む男、椿の顔の前にある。
豆は、一気に椿の顔めがけ、流れ落ちた。
「んだこれ!」
その瞬間を、楸は逃さない。
よろける椿に向けて、勢いよく「鬼は外!鬼は外!」と担いでいる二袋目の豆をぶつけ出した。今度は一掴みずつの、連続攻撃だ。
そして、最後に一回、「福は内」とやさしくふりかけるように椿に豆を投げ、終わり。
全ては、完璧にデザインされた攻撃だった。
「あっ、テメ!クソ天使!待て、こらっ!」
攻撃の終了と同時に飛んで逃げていった楸の背中に、椿は怒鳴った。
「俺からのプレゼントだよん。年の数だけお食べ」
「多過ぎるわぁ!つーか、片付けてけぇ!」
椿の怒鳴り声を背に受けながら、「ん?」と楸は思った。
――そう言えば、高橋さんの所で「福は内」してないな
高橋の部屋には、楸に復讐することを心に誓う、柊がいた。
「あんのガキぃ、なめたマネしやがって。絶対に仕返ししてやる」
復讐の鬼と化した柊は、大量の豆を用意していた。
その豆を、ポリバケツいっぱいに入れる。
学校によくあるブービートラップ『黒板消し落下』を参考に、柊は考えた。
ポリバケツを括ったロープをドアノブに結び、部屋中にイイ感じにロープを巡らせてポリバケツを吊るし上げ、扉が開くとポリバケツが傾き、豆が一気に部屋に入ってきた楸になだれ落ちる。
そうなるように考えた。
考えた、が、どうすればそうなるのか思い付かなかった。
ということで、柊は、ポリバケツを持って扉の上に潜む、という方法を選んだ。横になった状態で宙に浮かび、いつでも豆を降らすことができるように待機している。
全ては、楸に復讐する為だ。
しかし、「けっこう豆重いな…」腕が、痺れて来た。
だが、頑張る。
しかし、「アタシ、何やっているんだろ…?」冷静に考えると、アホらしくなってきた。
だが、頑張る。
しかし、「アイツ、来ないな…」少し寂しくなってきた。
だが、頑張る。
復讐心を糧に挫けず待機し続けていると、部屋に近付く足音がするのに気付いた。
足音はどんどん近付き、部屋の前で止まった。
――来たっ!
柊は、喜び、はやる気持ちを抑えながら攻撃する瞬間を待った。
ドアノブが回る音がする。ゆっくり、扉が開く。
そして、部屋に入ってきた。
「喰らえ!」
「ん?」
「あれ?た、高橋さん? や、ぎゃぁああー!」
部屋に入ってきたのは、高橋だった。
しかし、攻撃を始めた柊は、その手を止める事が出来なかった。手が痺れていた事もあり、傾きだした豆入りポリバケツを止めるだけの力も出ない。
結果、高橋は大量の豆と、ついでにポリバケツを頭からかぶった。
「…随分と盛大な、豆まきだな……くくっ…」
高橋は、突然の攻撃によろけながら、力無く言った。
「ご、ごめんなさい!高橋さん!本当に仕留めたかったのは、高橋さんじゃないんです」
この後、自分のしたバカな行為を激しく後悔する柊は、高橋が恐縮する勢いで謝り続けた。
――あのバカ、絶対ぶった斬ってやる
いっぽうその頃、楸は、というと。
――高橋さんの所で「福は内」してないな
「ま、いっか」
帰路についていた。
その晩、本当に恐ろしい白鬼に襲われることを、楸はまだ知らない。
豆まきは、ガチ派。




