番外編 こんな苦労もしてました
これは、楸が椿と出会うよりも、高橋と出会うよりも前の、そもそも楸が世界に居たのかどうかすら不明な頃の出会いの話。
高橋は、部屋で一人、不機嫌だった。
「高橋君、いる?」
そう訊きながら、白木が部屋に入ってきた。
「いねぇよ」
「何言ってるの? いるじゃない」
まるで叱られた後の子供の様に不貞腐れる高橋に呆れながら、白木は歩を進める。
部屋のほぼ中央、大きな窓を背負う位置で椅子にふんぞり返って座る高橋のデスクの前に立ち、白木は、手に持っていた紙を高橋に見せるようにして、言った。
「分かっていると思うけど、一応報告ね。高橋君の部下だった子、彼が出した異動願い、正式に受理されました。理由は…」
「ああ、言わなくていい」高橋は、手をヒラヒラと振って白木の言葉を遮った。「どうせ指導力不足とか、放置されたことへの不満だろ」
高橋は、半ば自棄になっていた。
高橋は、上司という立場に着くことになってからずっと、部下への接し方は基本的に放任主義としていた。何かを教えることは無いが、困ったら助ける。そういうスタンスなのだ。が、しかし、困ったら助けると言っても、それは口だけで、聞こえのいいただの指導放棄ではないか、そう疑う者もいた。
そして、疑う者がいると、とたんに高橋は上司と成り難い状況になる。
人を助ける、人の間違いを裁く、そんな天使の職務は、ある一定の規則はあるが、一個人の裁量に任される部分が大きい。そのため、天使の組織としては、その個人の意見や意思を極力尊重するようになっている。一つの縛りにおかない、柔軟さを保つ為だ。だから、自分の〝正義″を脅かす、例えば間違った上司の下に就かされている、という様な声があれば、その声を活かすように組織は動く。声の上がった原因を突き止めようと調査をし、その上で、職務遂行のための一番良い環境が、組織から天使に与えられるのだ。
だから、高橋の下に居たくないという声があれば、その声が無くなるように組織は動く。
高橋の近くから、声が消える。
「だいたいな」高橋は言った。「正義がどうとか言うが、そんなもん、個人の価値観だろ。あれこれ口出しして俺の考え押しつけてどうするよ?他のヤツにとっては悪でも、そいつにとっては正義かもしれない。だろ? だったら俺は、そいつの考えを尊重して、それでも間違っていると言われたときにはそいつの味方になって守ってやれる、そんな上司でありたいと思うんだがな」
「いいんじゃない」と白木は、微笑を浮かべた。「高橋君らしいよ。でもね…」
「あ?」
「今回の理由も、職場である部屋にお酒を置いている事や、天使の崇高な持ち物である〝弓″を拳銃に改造したこととか、そういうモラルを問うものだったよ」
「チッ」高橋は、舌打ちした。「理由の半分も、五十嵐が原因じゃねぇかよ」
高橋は、携帯する上での利便性などを相談した結果、勝手に弓を拳銃に変えた友人に対する恨みを口にした。
「何言ってるの?」白木は、呆れながら言う。「仮にそうだとして、半分も、高橋君が原因じゃない」
「くくっ。嫌になるな」
高橋は、笑った。
白木の話は、続いていた。
来客用のソファーに座り、自分で淹れたコーヒーを飲みながら、白木は言う。
「『自分の部屋が欲しいから』っていう動機はどうあれ、後世の育成は重要なことなんだよ。上司となるつもりがあるなら、そこの所もちゃんと理解した上で、部下から愛想尽かされないようにしないと。じゃないと、今のまま一人でいるなら、この部屋も没収だからね」
「はいはい…」
分かっているのかいないのか、高橋はテキトーに返事した。
そんな高橋に溜め息つきながら、白木は言う。
「そこでだけど、今度また高橋君の部下になる子が決まったから」
「へぇ~。今度は、俺のことを少しでも認めてくれるヤツだとありがたいね」
「あ、自分を変える気は無いんだ」
そうだろうとは思いつつ、一応白木は皮肉を込めて言ってみた。
そして、一呼吸の間をおいて、白木は続ける
「今度は、女の子だからね」
「はぁ?」
と高橋は、それまでの余裕が何処に行ったのかという位に動揺した、不満げな声を出した。
「だから、女の子。それも、人間で換算すると二十歳くらい」白木は、平然と続ける。「今まで高橋君の所には男の子しか行かなかったけど、今回は初の女性の部下だね」
「おいおいおい、待て待て待て」と取り乱す高橋。「自慢じゃないが、今まで同性のヤツとも打ち解けられなかったような俺だぞ。なのに女って…初めてのペットでライオンやキリンを預けられるようなもんだ、自転車も乗れないようなヤツにセスナ渡すようなもんだ、手に余るわ」
「大丈夫」と笑顔で白木は応える。「女の子ってだけで、普通の天使だから」
「そういう意味じゃねぇよ!」
と高橋は声を荒げるが、白木は「仕方ないんだよ」と言って聞かない。
「どう噂が広がっているのか知らないけど、『どういう上司の下に就きたいか』っていう配属希望書の欄に、『高橋だけは嫌だ』って書く子も出る始末だからね。その点この子は、『特になし』って書いてるから、まぁいいかなと思って」
そう言われ、高橋は何も言えなくなった。
白木の言うことは、概ね本当である。
『高橋だけは嫌だ』と書いている天使は、なんとか今のところ居ない。しかし、理想とする上司像を書いている天使がいることは事実だ。だが、それも過半数に満たない程度であり、『特になし』と書く天使が多いこともまた事実である。
高橋の部下に女性天使を選んだのは、白木の案であった。
これまでは、分かり合い易いだろうから、と高橋の部下には男性天使があてられていた。しかし、それも上手く行っていないようであるから、ここはひとつ考え方を変える意味でも、女性天使を高橋の部下にすることにした。もしかしたら上手く行くかもしれない、高橋自身もより良い上司として努力するような事があれば御の字、そんな確率の低い賭けに出た結果が、この人事であった。
「それじゃあ、これがその子についての大体だけど資料ね」そう言って白木は、A4サイズの一枚の紙を、高橋のデスクの上に置いた。「急だけど明日顔合わせね。ちゃんと資料に目を通して、いきなり幻滅されることないようにね」
「大きなお世話だ」
高橋が言うと、微笑を浮かべながら白木は部屋から出て行った。
白木の居なくなった部屋でまた一人、尚も高橋は不機嫌である。
白木の置いていった資料を片手に、椅子にふんぞり返る。
顔写真付きの資料を見て、ほとんど諦めに近い感情を抱きながら、高橋はつぶやいた。
「柊、ねぇ…」
高橋と柊の出会いの話。
これはまだ、その序章。
楸もまだ居ない頃、一人の娘に手を焼く、一人のおっさんの話。
天使の組織について、特に組織論とかを勉強したわけではないので、「甘い」「ありえない」などと、あまりツッコまないでください。
柊と高橋の出会いの話を書いてみよう、ということで、序章としてこれを書きましたが、続きがあるかどうかは完全な未定です。




