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天使に願いを (仮)  作者: タロ
(仮)
72/105

番外編 それが「照れる」ということなのか?


「男の人の照れる顔が見たい」

 篝火が言った。

 ファストフードチェーン店のハンバーガー屋で、榎と柊、篝火の三人が昼食を食べている時のことだった。篝火の突然の発言に、「ご飯食べている時に、いきなり何言い出すの?」と一蹴しそうになった柊だったが、その言葉を九個目のハンバーガーと一緒に飲み込んだ。

「そう言えば、アタシ達の周りの男ども、あんまり照れる姿見せないね」

「そうだね」と榎も、柊に同意した。「分かり易く照れるのはカイ君ぐらいだよね」

「うん。楸もだけど、椿の照れてる姿って、ちょっと想像できないかも」

「でしょ!」と篝火は、声を高くする。「照れる姿って、人によってはあんまり見れないものじゃない?でも、恥ずかしそうに笑う顔や はにかむ顔って、素敵やん。普段見られない、だからいい。そんなお宝 (一人寂しい夜、妄想するネタ)が待ってると思うと、オラ、ワクワクすっぞ」

 この日の篝火は、二日酔いの症状も軽く、比較的元気だった。

 そんな篝火のテンションに、榎と柊は、若干引いた。だが、二人は顔を見合わせ、頷き合うと、言った。

「面白そう…かも」



『男たちの照れる顔とったるど大作戦 (榎命)』を決行する前に、ハンバーガー屋で篝火指揮の下、作戦を確認した。

「本当なら高橋さんとかの照れる顔も見たいところだけど、元悪魔の私が天使の住処を訪ねるわけにもいかないし、あの人は難易度も高そうだから断念するわね」

 篝火が言うと、柊はうんうんと強く頷いた。

 柊としては、高橋の照れた顔を見たい、という気持ちも無いわけではない。しかし、見たいとは思うが、それは、こんなふざけた遊びの中ではなく、普通にしている時に、だ。普通にしている中で、自分にだけ向けられた照れた顔、それが至高だ。

 だから、対象から高橋を外すことに異論はなかった。

「だから、身近な人間、それにプラス楸君で行きましょ」

「了解です」と、すっかり遊び気分の榎は、篝火に敬礼してみせた。

「いきなり三人で接触すると相手も変に構えるかもしれないから、ターゲットを照れさせる役はその都度じゃんけんで決めて、その人以外は物陰で待機ね。で、肝心のターゲットを探す役目だけど、それは柊ちゃんにお願いしてもいいかしら?」

 そう言って篝火は、天使の資格である〝千里眼″を持つ柊に、窺いを立てた。

「いいけど…」と一応了解した柊だが、不安要素を他に抱えていた。「そもそも、照れさせるってどうやるつもりなのよ?」

 柊に訊かれ、虚を突かれた篝火は、黙って考え込み「……とりあえず、容姿を誉めましょう」と答えた。

「ハ?」

「かっこいいって言われて、気を悪くすることもないでしょ。だから、とりあえず『かっこいい』とでも言っておいて、あとは臨機応変に」

「何それ?」と柊は、顔をしかめた。「ずさん過ぎない?」

 しかし、そんな柊の苦言は、篝火には届かなかった。

「はぁ~。臨機応変って、人を説得するにはなんて素敵な言葉なの」

「篝火さん、心の声漏れてるよ」

 そう榎に言われ、篝火は「はっ」とわざとらしく口を抑えた。

『ずさん』という言葉を体現するような女の計画に乗った時点で、その船は泥船だった。そう諦めに近い思いで自分を納得させ、柊は大きく溜め息をついた。



 ボロボロながらも作戦を立てた三人は、ハンバーガー屋から出た。

「あ、少し降って来たね」

 榎が言った。

 外は、雪が降っていた。降り落ちた雪がコンクリートに溶け込み、少しずつ地面を濡らしていく。場所によっては、昨日までに積もった雪に同化している。雪が降るほどに外は寒いが、雪の勢いも傘を必要とするほどでもなく、作戦の決行には一向に支障なかった。

 ということで、早速一人目を探し、移動する。

 そして早速、三人は楸を見付けた。

 更に早速したじゃんけんの結果、楸を照れさせる役は、柊に決まった。

「楸」

 じゃんけんの結果に不満げな柊は、しぶしぶ通りを歩く楸に後ろから声を掛けた。

「ん?柊、何か用?」

 そう言って楸が振り返ると、嫌だという気持ちを押し殺し、柊は言う。

「アンタ、かっこいいね」

 嫌だという気持ちを完全に押し殺せなかった、いかにもやっつけな柊の言い方に、陰でその様子を見ていた篝火は、「それじゃあダメじゃない」と顔を覆いながら嘆息を洩らした。「そんなんじゃ、照れるワケないでしょ」

 篝火の言う通り、楸は照れなかった。

 一瞬「何事か?」とキョトンと目を丸くした楸は、一度フッと微笑すると言った。

「柊にそう言ってもらえて、正直嬉しいよ。でも、そんなしかめっ面で言われても、嬉しさ半減だよ」

 そう平然と返す楸に、柊は「ハ?」と戸惑った。いつものふざけた感じの無い真剣な眼差しの楸の予想外な返しに、どう反応していいのか分からなくなってしまったのだ。

 しかし、そんな柊にさらに追い打ちをかけるかのように、楸は「せっかく可愛い顔してるんだから、もっと笑ってよ」と続ける。

「ハ?ア、アンタ、何言ってんの?」

「何って、言葉通りだよ。俺に、もっと柊の笑った顔見せて」

 楸にそう言いよられ、柊は、困惑の色を一層強くした。

 そんなテンパる柊を逃がすまいと、楸は、柊の肩を掴んだ。

「ア、アンタね、あんま調子に乗ってるとぶん殴るよ」

「嫌だったら殴って。でも、嫌じゃなかったら、笑った顔見してよ」

「や、でも…ア、アタシは…」

 柊は混乱した。もうどうしたらいいのか、全く分からなくなった。

 柊が混乱の渦の中でもがいていると、突然 楸が「ははっ」と笑った。

「いきなりでワケわかんなかったけど、これ、何やってんの?」

「ハ?」

 と柊は、いきなりいつもの雰囲気に戻った楸に呆気に取られ、間の抜けた声を出した。

「いやさ、柊が俺に『かっこいい』とか言うワケ無いじゃん。だから何となくで付き合ってみたけど、終着点も見つからないしさ、終わりにしようと思って。…で、これって何やってたの?」

 楸は笑いながら、柊に訊いた。

 柊の思惑を看破しきったワケではないが、何かあると悟った楸は、柊の思い通りにいかないようにすることだけを考え、ふざけていただけだった。だが、そのふざけた遊びにもすぐに飽きてしまい、結局の真相を知りたくなり、柊に訊ねた。

 しかし、そんな楸の考えなど、柊の知る所ではなかった。

 柊はただ、楸に弄ばれたという屈辱に唇を噛みしめ、雪のように真っ白な顔を赤くさせ、右の拳を震えるほど強く握りしめていた。

「あれ?柊さん…?」

 柊の発する怒気に、楸は気付いた。

 これはマズイと思った楸だが、ただ謝っても無駄な事は経験から知っている。助かる為に楸が選んだ道は、「俺、柊の笑った顔の方が好きだよ」と誤魔化す事だった。

 が、それは失敗した。


 柊に殴り飛ばされ、瀕死状態で道端に転がる楸を置き去りにし、女三人は、次なるターゲットを探していた。

「一回目から失敗と言うべきなのか一回目だから失敗と言うべきなのか、なんにせよ楸君は失敗だったわね。あれじゃあ、柊ちゃんの照れた姿しか拝めてないわ」

 篝火は、残念そうに言った。

「うっさい!」と語気を荒げる柊は、まだ怒りが収まっていない。

「ときに柊ちゃん。楸君が『嫌だったら殴って』って言ってすぐに殴らなかったのは、迫られて嫌じゃ無かったってことかしら」

 篝火がそう言うと、柊は、キッと鋭い目付きで篝火を睨んだ。殺気すら放つ柊に睨まれ、蛇に睨まれた蛙よろしく、篝火は恐怖で身がすくみ、そぉ~っと目を逸らした。

 柊さんの照れている姿 可愛かったよ、という榎の感想は、この場で発することが躊躇われた為、榎の中だけで消化された。



 次なるターゲットは、十六夜に決まった。

 部屋の中にこもっているヤツだが、一番近くにいたのだからしょうがない。それに、そういう手順で行くと最初に決めたのだから、ターゲットの変更はなしだ。

 十六夜の家の前まで来て、三人は話し合った。

「で、どうすんの?」と、まだ若干不機嫌な柊。

「いきなり部屋に上がるのは、ちょっと無理そうよね…」と篝火は、考え込む。

「でも、電話すればきっと玄関先まで出て来てくれると思うよ」

 榎のその言葉を信じ、十六夜との接触の仕方は『電話で呼び出す』ことにした三人は、十六夜を照れさせる役を決めるじゃんけんをすることにした。

 そして、じゃんけんの結果、今度は榎が『照れさせる役』に決まった。

 榎は、十六夜の家の前に一人で立ち、早速十六夜に電話を掛ける。

「あ、もしもし、十六夜君?」

『はい。コタツの中から失礼します、十六夜です』

 十六夜の、妙にかしこまった声が聞こえた。

「あ、いえ、こちらこそ失礼します。榎です」

『あら、ひーちゃん』と、一瞬にしていつものお気楽そうな声になった。『どうしたの?僕、十六夜』

「うん。あのね、今から少し表に出てきてくれないかな?」

『あら?あらら?表出ろって、決闘か何か?』

「う~ん、ちょっと違うけど…」

『オッケー!すぐ行く。待ってて』

 そこで、電話は切れた。

 電話が切れて十秒も経たず、十六夜が玄関の戸を開けて現れた。

「早いね」と榎は、驚いて言う。

「うん。『すぐ行く』って言っちゃったからね。それで、決闘的な御用件は何?」

 十六夜に訊かれ、榎は、ポケットに手を入れて、ある物を取り出した。それは、篝火が「話のきっかけに使って」と榎を送り出す時に握らせた、沖縄限定シークワーサー味のソフトキャンディだった。「何でそんなモノ持っているのよ?」という柊の問い掛けに、篝火は、「普通にコンビニで売ってたから、万が一を考えて買っておいたの」と答えた。

 その万が一の時のソフトキャンディを十六夜に「沖縄行ったワケじゃないけど、良かったら食べて」と渡した榎は、それをきっかけに、雑談を始めた。

 そして雑談も盛り上がり、十六夜が「……それが実は、シーサーだったのですよ」と一つの話にオチを付けると、そのチャンスを逃さないように、榎は言った。

「あははっ、十六夜君って面白いね。それに……あの、かっこいいよね」

 照れ交じりに言い終えると、不自然過ぎやしなかったか、と榎は不安になった。

 その榎の不安を煽るように、十六夜は、ポカンと口を開けて黙ってしまっている。

 どうしよう、榎が誤魔化そうとした時だった。

「あらら。まぁまぁまぁ、なんかわざわざ。すいませんねぇ、どうも」

 高価なお土産を貰ったおばさんのような恐縮しきった口調で、十六夜は応えた。


「あれって、照れてるの?」

「どうかしら?微妙よね」

 物陰で様子を窺っていた柊と篝火は、頭にハテナを浮かべながら話し合っていた。

「それに、言い難いけど、榎ちゃんがアイツに『かっこいい』っていうのは、無理があったんじゃないの?」

「そうね。切り出し方も不自然だったし、嘘臭さ満点よね」

 この後、榎を加え、三人はプチ反省会をした。



「あ、カイ君だ」

 榎が言った。

 榎の指差す方向に、小さくだが確かに、カイの姿があった。

 三人は、反省会を中途半端に切り上げ、カイの後をつけた。カイの後を追いながら、「話し合った改善点は一度忘れて」と篝火が言うので、反省会を無かったものとし、とりあえずじゃんけんした。

「またアタシ…?」

 じゃんけんの結果、また柊が、照れさせる役に決まった。

 照れさせる役が決まると、早速作戦が始まる。

「カイ」

 柊は、カイに後ろから声を掛けた。

 その耳に嬉しい声を聞いたカイは、一瞬ビクッと身体を強張らせた後、ゆっくり振り返り、柊の姿を視線に捉えた。

「ひ、柊さん。こんちはす」

 柊を前にしたカイは、動揺を必死に隠しながらも、あたふたと慌てていた。

「こんにちは」

「あ、あの…なんか用すか?」

「あ、ううん」と柊は、首を横に振る。

 これ、もう結果出ているんじゃないの? 柊は、思った。


「これ!」カイのうろたえる姿を物陰から見ていた篝火は、恍惚の表情を浮かべた。「あの緊張を必死に隠そうとする感じ、すごく可愛い。やっぱカイ君って素敵」

「でもホント、椿君達と一緒に居る時のカイ君とは、まるで別人みたいになっちゃうよね」

「だからいいんじゃないの。みんなの前では強そうに見せている人が、不意に見せる照れる姿。こういうギャップ、私好きよ」

 篝火のテンションは、勝手に盛り上がり続けていた。

 でもカイ君の場合、女の人がそもそも苦手って言うのもあるから、照れているのとは少し違うんじゃないかな? 榎は思ったが、テンションの高い篝火を見て、言うのをやめた。

 ちなみに、話す事が無い柊は、「ちょっと見かけたから、声掛けてみただけ。またね、カイ」と言って誤魔化し、カイと別れていた。



 カイでもう終わっていいんじゃないの? という柊の意見は、篝火の「まだ物足りない」という一言で却下された。

 てことでの次なるターゲットは、石楠花だ。

 普段何処で何をしているか分からない石楠花でも、柊の〝千里眼″を持ってすれば、見付けられない事はない。それに、ひとたび居所に目星が付けば、駄菓子の入った紙袋を抱え、それを食べながら歩く長身痩躯の男は結構目立つので、見付けるのにそこまで苦労はない。

「はい!ここは、私に任せて」

 石楠花を見つけると、篝火が声を高くして言った。

 突然ヤル気を爆発させた篝火に、榎は面食らってしまい、何も言えなかった。柊も、ただただ鬱陶しがるだけで、何も言わない。

 その二人の反応を「どうぞ。行ってきてください」と無言で言っているのだと解釈した篝火は、「じゃあ、行って来るわね」と飛びだした。

 だが、一歩目で足をもつれさせ、転んだ。

「だ、大丈夫?篝火さん」

「へ…へい…」

 倒れたまま篝火は、心配して声を掛けた榎に応えた。

 起き上がった篝火は、めげることなく石楠花に接触する。

「げっ」と言うのは、目の前に現れた青い頭の女、篝火を見た石楠花の反応だ。

 篝火を見た石楠花は、明らかに嫌そうな反応を示した。が、そんなこと気にすることなく、篝火は言う。

「あの、私と結婚…じゃねぇや……付き合って下さい」

 そう言って篝火は、頭を下げ、右手を「掴んでくれ」と言わんばかりの勢いで前に出した。しかし、石楠花があまりにもあっさり「俺、恋人いるから」と言って断るモノだから、ガバッと顔を上げる。

「二番目でも構いません」

 篝火は食い下がった。

 しかし、「いや、てゆうか俺、結婚してるから」と、石楠花も一歩も引かない。

「嘘!結婚指輪してない」

 駄菓子の入った紙袋を抱える石楠花の左手薬指を指差し、篝火は声を高くする。

「ああ。確かに、結婚指輪はしてないな。だがそれにはな、ちゃんと理由があるんだ」

 石楠花は、平然とした面持ちで言い返した。

「理由?」

「ああ。実は俺、結婚する前はメチャクチャ太ってたんだが、結婚してからは奥さんに健康管理され、ちゃんとした食事をとるようになって、激やせしたんだ。そのせいで指輪のサイズも変わって、落としたら大変だからってことで、普段は外している」

 納得できない篝火は、「む~」と唸った。そして、ハッとひらめき、「激やせしたなら、太っていた頃の皮膚は?どうなったの?」と訊いた。すごく太っていて、それが急激にやせたと言うのなら、太っていた頃の皮膚が戻ること無くダルンダルンにたるみ、今も残っていると思ったのだ。

 石楠花の盲点をついた質問だと、篝火は勝った気になった。

 しかし、「あれか…あれは、なんか無くなった」と石楠花は、動揺することなく余裕で切り返す。

「無くなった?」と篝火は、予想外の切り返しに驚き、石楠花の言葉を復唱した。

「ああ」

「ホントに?」

「ああ。なんなら、脱いで見せようか?」

 石楠花が悪戯っぽい笑みを浮かべて言うと、頬を朱色に染めた篝火は「はい。ぜひ」と喜んで答えた。

「ききっ。冗談だ」

 そう言って篝火の肩を叩くと、そのまま石楠花はどこかへと行った。


 石楠花がいなくなると、それまでの様子を物陰から見ていた榎は、「ねぇ、柊さん」と柊に声を掛けた。

「ん?なぁに?」

「石楠花さん、あれも照れているのかな?」

「ん~ どうだろ?」

「照れているから、ああやってテキトーな事言って、上手くはぐらかしたんじゃないかな?」

「そうなのかな?アタシにはよく分かんないけど、一つだけ分かることもあるよ」

「なに?」

「あそこでヒザから崩れ落ちてニヤついている女が、バカだってこと」

 篝火は、裸の石楠花に抱き締められる妄想に酔いしれていた。



「とうとう、ここまで来たわね」と篝火は、生唾を飲んだ。

「ああ。ある意味、一番厄介な相手だ」柊も、それまでにない緊張感を見せる。

「行動が読みにくいことにかけては、群を抜いていると言っても過言じゃない」

「振り返ってみればもっともらしい単純な行動でも、なにせバカだから事前予測できない」

 二人の放つ緊迫感に耐え切れず、「…椿君、だよね?」と榎は首をかしげて言った。

 物陰に隠れる三人の視線の先には、椿がいた。

「そんなに気を張ること無いんじゃないかな?」

 柊と篝火にとっては未知の生物であったとしても、榎にとってそれは、よく知る生物だ。だから、榎からすれば、二人の張り詰めた空気の方が理解できなかった。何をハムスターに接触することを躊躇っている、榎はそんな気分だった。

「そんなことないわよ」と語気を強くするのは、篝火だ。「椿君の性格からして、照れ隠しで不機嫌っぽくなったり怒ったりすることはあっても、照れて何も言えなくなる、とかはなさそうじゃない? でも!私は、そういう感じの照れた姿を見たいの!」

「うん」と柊も珍しく、篝火の意見に同意した。「アタシも、アイツのそういう照れた姿とか、ちょっと見てみたい」

 好奇心に満ちた柊と篝火ほど、榎の気分は乗らなかった。ハムスターにだったら簡単に触れるのに、そんな認識のずれを感じている。

 だが、「じゃあ、榎ちゃんが椿君を照れさせてね」と篝火から指名されると、「えっ?」と榎は、動揺の色を浮かべた。いざ触ってみろと言われると、もしかしたらこのハムスター噛むかもしれない。それと同じで、椿を照れさせてみろと言われると、そんな恥ずかしいことして、あのバカハムスターがどんな反応をするか、考えるだけで緊張した。

 榎は躊躇ったが、半ば強引に篝火に背中を押され、バカハムスターの待つ飼育カゴの中へ、そんな戦場へ放り込まれた。


「よぉ、榎」

 バカハムスターこと椿は、前からやって来る榎を見ると、そう挨拶した。

「よ、よぉ」と榎も、ぎこちない挨拶を返す。「どうしたの、椿君?どこか行くとこ?」

「ん?あぁ。ちょっと本屋にな」

「あ、私も本屋行きたかったんだ。一緒に行っても良いかな?」

「……ああ」榎の態度に違和感を覚えた椿だが、それも榎に定期的に訪れるバグ的なものだと思い、大して気にしない。「じゃあ、行くか」

「うん」

 榎が返事すると、椿は「あっちの方にある本屋な」と言って、その方向を指差した。榎が「うん」と応え、その方向に歩き始めると、さりげなく榎の後ろを回り、自分は車道側に回った。

 椿と並んで歩き始めると、榎は、どこかで椿を照れさせるタイミングは無いかと窺った。

 しかし、そのタイミングは、ようとして現れない。

「つーか、榎は何の用があんだ?」

「えっ?あ…ちょっと本に用があって」

 椿に話しかけられても、考え事をしている為、反応が鈍い。

 そして、考え事で頭がいっぱいの榎は、案の定というか、雪が降った後の氷のように固まった地面では仕方ないと言うべきなのか、「きゃっ!」と短い悲鳴を上げ、滑って転んだ。

「危なっ…うおっ」と転びそうな榎の手を掴んだ椿も、足を滑らせ、榎と一緒に転んだ。

 二人は、一緒に尻もちをついた。

「ってぇ~」と椿は、腰をさすった。

「ご、ごめん椿君!」と榎は慌てて、椿に謝る。

「俺はいいけど…榎、怪我無いか?」

 椿は、怒ることもなく普段とあまり変わらない声音で、榎に訊いた。

「う、うん。私は、大丈夫」

「そ」

 そうとだけ言うと、先に立ちあがった椿は、榎の手を掴むと引っ張り、榎を立たせた。

「ありがと。……ごめんね、椿君」

「別にいいけど。つーか、考え事でもしてんのか?足元の注意怠っと危ねぇぞ」

「うん。ごめん」

 その後、罪悪感を覚えた榎は黙ってしまい、二人の間に会話がないまま、本屋に着いた。


 椿達の来た本屋は、各フロアに雑貨店やCDショップ、服屋などが入っているような複合的な建物の中にあった。その中で本屋は、二階と三階にあるのだが、椿の用があるマンガ本などが置いてある場所は三階に位置している。

 それなりに背の高い大きな建物だし、服屋なども置いてあるから、人の出入りも普通の書店よりは多いだろう。その為、建物の入り口である自動扉の前には、長く突き出した屋根のあるスペースが広く設けられていた。雨の日は、そこで傘を開いたり水を切ったりすればいいだろう、今日みたいに雪の降る日は、頭に積もった雪をそこで落としてから建物に入ってね。そんな店側の配慮が感じられるスペースだ。

 現在も雪は小降りながら、降っている。

 だから、その店側の配慮スペースに入った椿は、ニット帽を一度取って雪を振り払った。

 雪を振り払ったニット帽を再び被った椿は、ふと辺りを見渡した。他の人と同様に身体に付いた雪を振り払う榎の姿があり、その先に、何やら黄色いものが見える。

『足元が濡れているので、転倒に注意』

 ヒザ下位の高さにある黄色い立て看板に、黒い文字でそう書いてあった。横書きの注意書きの上には、見事にすっ転んで今にも尻もちをつきそうな人の絵まである。

――店頭で、転倒に注意…

 そんなくだらないことを考えながら、椿は足元を見た。

 確かに、濡れたタイル敷きの床は、よく滑りそうでもある。

 それだけ確認すると、椿は、何も言わずに突然 榎の手を握った。

「えっ?」と、椿の突然の行動に、榎は戸惑う。

「足元濡れてて転びやすいから、注意しろとよ」と椿は、いつもと変わらぬ調子で、榎にそう説明した。「榎が滑ってこけて、また俺まで転ばないように」

「そ、そんなに何回も転ばないもん!」バカにされた気がして、榎はムキになって言い返した。しかし、照れ臭かったが、手に感じる温もりが嬉しかった。「……えへへ。椿君の手、あったかいね」

「そりゃあ、さっきまでポケットに手入れてたからな」

「ポケットに手入れて歩くの、危ないんだよ」

 と控えめに榎から注意された椿だが、「転ぶヤツはな」と嫌味で返した。


「あ、出て来た」と柊は、買い物を終えて出て来た椿と榎の姿を物陰からキャッチした。

「今度は、手は…繋いでないわね。あ、繋いだ!あ、離した」と篝火。

「店の表前だけ手を繋ぐって、タイミング変じゃない?」

「と言うより、椿君って女の子の手を握ったりできるのね。もっと意気地無しだと思ってたから、すこしビックリ」

「椿のビビリは、変な所で顔出すからね……てかさ、アタシたち何してんの?」

「え…?」

「榎ちゃんも椿と一緒に行っちゃったし、なんかすごく寂しいんだけど…」

「……そうね…。じゃあ、榎ちゃんには私からメールするから、今日はここで解散ね」

 この後、このままじゃダメだ、何とか椿君を照れさせないと、と孤軍奮闘する榎は、篝火からの『今日は楽しかったわ。ありがと。またね』というメールを見て、『男たちの照れる顔とったるど大作戦』が終わっていた事を知る。   


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